火照った身体に冷えた風が心地いい、宙を見上げる。おぼろげだった月の輪郭が今ではハッキリと見える。
「次行きますか」
準備運動を止め、そばの樹を見つめて少女は口の中で呪を唱えた。攻撃用ではなく、長くない簡単なもの。
少しだけ指先を翻す。示した方向に、一つ、二つ、影が出来る。
瞠目した青年、少年、覚えては居ないクラスメイトの姿。
指を動かすたびに影が姿を変えた。頭上に示された戦歴(模擬戦だが)に、溜息が零れる。
「やっぱり、知り合いが一番強いのよね」
僅かに間を置き、指を弾く。幾つかの影が交わり、一つの固まり――いや、人の姿をとる。
「さーて、お相手願いますか!」
闇の色が薄れ色彩を取り戻した相手の姿を見据え、少女は体制を整える。
月に照らされた白いマントが異様に輝いて見えた。
「行くわよチェリオ」
知人でもあり知人ではないそれに向かい、クルトは小さく呟いた。
突如出現した人影とその姿に青年は黙したまま下を見つめる。
「…………」
視線を横にずらす。瞬きをしてないんじゃないかという気すら起こさせる程レムは微動だにしていない。
瞳を閉じる代わりにぽつりと一粒言葉を落とす。
「宝珠に授業中の戦闘データを詰め込んだんだよ。多分」
少女の動きにあわせて影も動く。
「動きが滑らかだから、記録したのをパターン化して、調整。それで幻影でも出してると思うよ」
「ああ、それで。俺が居るのか」
抜き身の剣を翻し、少女に突撃する影。否、幻影のチェリオ。
クルトはそれをひらりとかわし――影が動く。容赦なく少女の鳩尾に肘を叩き込んだ。
上げただろう悲鳴は響かず、小柄な身体は吹き飛ばされ、地に伏す。腹部を押さえてうずくまってでもいるのか立ち上がる気配はない。
「ちょっと待て、幻なら普通吹き飛ばんだろう」
青年は校庭を眺め、もっともな疑問を漏らす。幻影は、名前の通り幻であり実体を持たない。強力の催眠状態で身体が吹き飛ぶことはあるだろうが、幻と知っている術者には効果は及ばないはずだ。
「そうとも言えない。彼女が自分の身体に触れたりした時に風で吹き飛ばす、電力を流す、と命令を行っていれば不可能ではないよ」
「――そこまでして何の得が」
「あるよ。気兼ねなく相手も向かってくる。そして彼女の最も致命的な弱点、顔見知りに攻撃することへの躊躇が減る」
淡々としたレムの声がチェリオの言葉を塞いだ。
また少女が吹き飛んだのか、盛大な砂埃が上がる。樹に叩きつけられないように身をよじっているのか平地に投げ飛ばされ、何度も何度も立ち上がる。
間合いの感覚を掴めてきたのか、ふらりと剣をかわし、素早く足を払う。体勢を崩しかけたところに傷だらけだろう少女の掌底が鳩尾に突き刺さった。
「見てるだけで痛いぞ」
自分ではないとはいえ、同じ顔だろう影がコツを掴んだらしいクルトに景気よく殴られていく。
時折勢いの空ぶった腕を掴まえて投げ飛ばす。ほとんど本人の行動を記憶させているのか、動きによどみはない。
休憩を入れようとして上げたらしい手も掴まれてねじり上げられていた。問答無用だ。
特殊な詠唱を用いないと延々と続くらしく、少女が地面を叩いても止まる気配がない。
「自己で考え動く……術者への影響まである幻影。このためだけに」
頬に掛かった海色の髪を後ろに流し、レムは呻いた。
宝珠に込めた映像を立体的に見せることくらいは誰にでも出来る。だが、自分で考え、相手の動きを読み、繰り出す攻撃の強弱によって相手を吹き飛ばす。
完全に鍛錬用の宝珠は無い。いや、作る魔術師が居なかった。
術師は術のみを探求する、それが一般的であるからだ。
一番の理由としては、宝珠一つにそんな複雑な情報を入れるのも難しい。我流で魔道具を研究し、術を込めない限りあんな物は作れない。
「……君は一体何がしたいの」
小さく唇を噛んで校庭を見つめる。強くなりたいのだろうとは思う。
ただ、少女のそれは普通の範囲を超え始めているような気がした。そして止めても恐らく無駄だと言うことも分かりはした。
「竜とでも戦う気かアイツは」
チェリオが零す。
違う。心の中で少年は即座に否定した。竜とは――根底から違うものだろう。
少女は何かに備え始めている。本人も恐らく分かっていないモノに。
「何で、そう思うんだろう」
自分自身の確信めいた考えにレムは小さく疑問符を漏らした。
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