ずれ始める刻-3






 校庭の薄闇に濃厚な魔力が輝く。ゆったりと振り下ろした細い指先から力が伸び、音も立てず木の幹に歪な跡を残した。 
 残っていた教師が見れば練り上げられた魔力の純度に目を見開き、継いでこの学園の講師であったことに歓喜の涙を流すだろう。  
 うっすらと月に照らされ、少女が唇を噛む。「こんなじゃ、駄目だ」柔らかで鋭い魔力を掌で握りつぶし、微かに呟く。
 足下に煤けた樹の破片や石の残骸。徐々に細かくなっているそれには目もくれず少女は呻いた。
「そうよ。甘えてた。あたしは甘えてた」
 ぎゅ、と爪先が肌に食い込む程握りしめる。
「努力が天才に負けない? お笑いぐさも良いところだわ。他ならないあたし自身が自分の魔力の高さに甘えてたんだから」
 幾度純度を高めても、何度制御の安定の為に目を閉じようともざわめく気持ちが静まらない。まだ、足りない。
 もっと、上がある。本能が告げている、魔術だけではいけないと。
「強くならなくちゃ、強く、強く。力じゃなく、強く――ならなくちゃ、ダメなんだ」
 何かが自分を急かす。それは何かが分からないのが一層少女を焦らせる。
 このままでも良いとも今までの自分が言う。だが、心が言っている。
「強くなれなきゃ、もう。駄目なんだ。知らない振りももう駄目なんだ。制御だけじゃ駄目なんだ」
 押さえ込んでいた自分への疑問。恐らく少女自身今気が付いたであろう疑念。
 少女――クルトは知らない振りをしていた。知識を吸収することも、制御することも今まで程々にして放っていた。
 昔から、それが一番だと信じていた。面倒じゃなく、『それが一番良い』と信じていたからだ。
 けど、今は。
 何かがずれ始めている。少しずつ少しずつ歪になる。
 弱かった魔物も強くなり、村の近くで不穏な噂が絶えなくなってきている。
「…………みんなに危害が及ぶなら。あたしは、違うあたしにならなくちゃ」
 本能的に全力で戦うことを避けていた少女は。薄い月を見つめてそう、きめた。






 轟音もない静かな夜。ざわめきもなく、本棚は静かに身を寄せ合っていた。
 ぴくりと肩が震え、閉じていた青年の目蓋が開く。
 五月蠅くはない。だが、ザワザワと心をざわめかす何かが外にある。
「魔力?」
 チェリオは呟いて眉をひそめる。
 今まで感じたことのない酷く純度が高く、柔らかな力。
 恐ろしい程練られた力。だが恐ろしくはなく甘い水飴のような柔らかな魔力。
 ――誰だ。
「校庭、か?」
 そっと図書室から抜け出し、預かっていた鍵で扉を閉め。感覚が鋭くなっていく場所に進む。
 薄ぼんやりとした影が柱に寄りかかったまま窓辺から外を眺めていた。
 誰だと告げる前に、影に月光が差す。
「外、見たら。見物しに来たんでしょ」
 獣耳を軽く跳ね上げ、少年は呟いた。長い青色の髪が肩口に掛かっている。
 淡々と告げる口調に感情は伺えない。敵意も好意も微塵もない、ただ外をずっと見つめている。
 勧めに応じ、校庭を一瞥し、
「あれは、なんだ」
 漏れたのは戸惑い。
 薄い闇の中、小柄な少女が佇んでいる。ただ、それだけ。
 ただただ明るく笑って、くるくると表情を変える紫の髪の少女が居るのだ。
 それだけ。
 だが、何時もと根本的に違う。恐らく彼女は笑っていない。
 笑わず、校庭に佇んで何度も何度も魔力を練り上げている。恐ろしい程に透明で柔らかな力の固まり。
 ぞっとすることに、魔力の高まりは終わらない。
 彼女がやり直しをするたびにどんどん強く純粋な練られた力になっていくのだ。
「練習中、だと思うけど」
「お前の指示じゃないのか」
「指示何てしてないよ。もう最近は補習なんてしてないし」
 『第一、あんな難しいこと出来るなんて知らなかったよ』ポツリとレムがこぼした台詞に顔を向ける。
「補習、してないのか」
「してないよ。もう教えたから。後は僕はただの傍観者。そして次の段階は彼女次第――と思っていたんだけど」
 段階飛び越え過ぎちゃったみたいだね。溜息混じりに窓を見る。
 もう少女の状態は制御レベルではなくなっていた。延々と続く魔力の練り上げ。
 術を放つ気配はない。それどころか彼女以外のモノは倒れることもなく普段通りの姿を保っている。
 どれほどの集中力が必要なのか、想像する必要もない。
 熟練の魔導師が見ればその輝きに溜息を漏らしているだろう。
 不意に光が消える。僅かに握っていた魔力の固まりを少女が握りつぶすのが見えた。
「無意識なのか、あれは」
 魔力を握力だけで握りつぶすことは出来ない。制御するか打ち消すかを反射的にやったとしか思えない動作だった。
 レムが蒼い瞳を細める。
「……クルト、君も人のこと言えないよ」
 静かな廊下にかみ殺した呻きはチェリオの耳には届かなかった。

 




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