翌朝、少し遅れ気味に登校してきた少女は何時も通り手を掲げて微笑んだ。
「おはよーっ」
昨夜のことは何も言わない。
「あ、おはようクルト」
何も知らない幼馴染みの少年は優しく微笑む。
いつもの挨拶、いつもの日常。
「あっ、クルト怪我してる。どうしたのこれ」
擦り傷だらけの体を見て、ルフィの顔が曇る。クルトは片手を軽く振り、
「あはは。たまには童心にかえろうと細めの木に登ったのがいけなかったわねー。呆気なくバキィッだもの。
身体は成長したのすっかり忘れてたわ」
軽く笑う。
「成長じゃなく、太ったんじゃないのか」
知った青年は瞳を細めて何時も通りに対応した。ルフィが小さく苦笑して口早に呪を唱える。
「し、失礼ね。最近ちょっとパフェの誘惑に脆くなってるのは確かで。ああもう五月蠅い!」
最近体重でも気にしていたのか、ブンブン腕を振り回す。
「ほらほら、ジッとしないと治療出来ないよ」
そっと擦り剥いた部分に手を当てると、柔らかな光が散り、触れた部分を中心に傷がふさがっていく。
「あ、ありがと。いや〜治療はやっぱルフィに限るわ。暖かくて気持ちいい」
「そう? クルトが喜んでくれるなら良かった」
相好を崩し、笑う幼馴染みにクルトがじゃれるようにすり寄った。
「じゃあこれからもずーっとお世話になっ」
小気味良い音を立てて頭頂部にノートが下ろされる。台詞は固まったまま空中で停止した。
「余り甘やかさない」
隙あらば治癒の手を借りようとする生徒に教師であるレムは溜息混じりに半眼になる。
「ったぁっ!? 痛い、いったぁぁ。何時の間に来たのよ!? ていうか体罰禁止!」
「……うっかりクルトの上に落としたんだよ」
完全に棒読みで表情といえる表情も浮かべず答える。
「軽そうなノートを」
頭を抑えたまま涙目でクルトが呻く。
「そう」
じろ、と恨みがましそうに見つめられても平然と頷く。
「しかも角を下にしたまま」
「運が悪いよね君も」
わざとらしいを通り越していっそ清々しいまでの嘘だ。
「嘘つけ。反動を入れたとしても力掛かってたわよ」
「で、今日の放課後の予定だけど、今日も補習だからね」
剥いていた牙を引っ込め、キョトン、とクルトが瞳を瞬いた。
「課題溜めすぎは良くないよ。ま、少しずつ消化することだね」
少女の表情が強張る。
「ちゃんと箱分は用意してあるからそのつもりで」
次は青ざめ始めたクルトを横目にレムは教壇へ歩いていった。
「それだけで良いのか」
通り過ぎる瞬間、微かな問いを常人とは違う耳を持つ少年は聞き取った。
「圧力を加える、時間を削れる、だけじゃ不満」
意外そうなチェリオの瞳を僅かに見つめ、言葉を落とす。に、と青年の唇がつり上がる。
「いいや」
楽しげな返答を背に教壇に付き、レムは次の授業の頁を捲った。
《ずれ始める刻/おわり》 |