闇の眷属-3





 感覚がない。
 いや……
 手足の感覚がない訳ではない。
 手を動かせば手が。足を動かせば足が。口を動かせば口の感覚が、ちゃんとある。
 無いのは、自分の存在感と時間の感覚だ。
 
 時が止まっている。

 そう形容するのにふさわしい状況。
 まるで自分一人が、時間軸から弾き出されてしまったような印象を受けた。
 白いマントを翻し、立ち上がる。
 今まで座っていた何かは、その瞬間跡形もなく消滅した。
 恐らく自分が座っていた本なのだろうが、接点が無くなると同時に元の世界へ還ったようだ。
「…………」
 チェリオは何となく自分の置かれた状況に思い当たり、面倒くさそうに前髪を掻き上げた。
辺りは闇に包まれ、何も見えない。
 しかし、どういう事か彼の周りだけ陽光の下のように明るくなっている。
 チェリオは前触れ無く、剣に手を掛け、
「茶番は終わりだ。出てこい。
 出てこなければ……叩き斬る」
獣じみた金の双眸を細める。
 空間全体に動揺が波紋のように広がったかと思うと、わき上がるように黒い固まりが青年の目の前に現れた。 
『……何時気が付いていた』
 不安定な状態なのか、大人とも子供とも、もはや性別さえも特定が不可能な程の歪みの混じった声が揺らぎ、
違和感として耳に入ってくる。
 まるで雑音(ノイズ)のように。
「触れた瞬間に、だが。
 身構えていなければ危うく取り込まれるところだった。
 驚いたぞ。まさか誇り高い闇の眷属が本の魔物に墜ちていようとはな」
 剣の柄に手を触れたまま言葉を紡ぎ、唇の端を僅かにつり上げた。
 瞳に見えるのは侮蔑の色。
 魔物の言葉に怒気が混じる。
『その減らず口、今すぐたたけなくしてやろう』
「……どうやってだ?」
『この空間ごと闇の中に閉じこめ、我の身体の一部にしてくれる』
「出来るモノならしてみればいい」
 嘲笑を交え、チェリオは言い放った。
 剣に触れてはいるものの、抜く気配はない。
 言葉に応えるように魔物の身体が揺らめき、違和感のある黒から、辺りと同じ闇に変わる。
特に感心が無さそうにチェリオは目を細めた。
『余裕を見せるのはいまのうちだけだ。本に閉じこめられたとはいえ、我の力は衰えておらぬ。
人間風情が楯突く事の出来ない真の闇を教えてやろう』
闇が広がり、チェリオの身体を包んだ。
 静寂が辺りを包む。
『ふん……味気のない奴だった』
 魔物は舌打ち一つして、そう吐き捨てた。
「―――それで。包んだだけでこれから俺をどうする気なんだ?」
 静寂を破るかのように、笑みを含んだ涼しげな声が響いた。
『何……!?』
チェリオを包んでいるのはただの闇ではない。
 体の自由が利かないようにした後、相手の力を骨の髄まで吸収するような強力な術が掛けられていた。
間違っても嘲笑を交え、言葉など贈れる余裕がある訳がない。
「これが貴様の言う『闇』とやらか?」
 下らないな、と小さく呟き、軽くマントを翻した。
 雪が溶けるように簡単に闇が薄れ、散っていく。
『な…なんだと』
「ふん。やはり『リトルサイレンス』に比べると格下だな」
つまらなそうにそう告げ、乱れた髪を掻き上げる。
 闇は完全に振り払われていた。
 空間がうねる。かなり動揺しているらしく、話の合間に魔物の形がかすかに見え隠れした。
(所詮、小物か)
 その様子を見、チェリオは心の中で小さく呟いた。
 暇つぶしにはなりそうだが、『リトルサイレンス』のように心が沸くような戦闘は期待できそうにない。
『リ、リトルサイレンスだと!?』
「剣は交えた事はある。まあ、倒せたかどうかは分からないが、かなり衰弱はしたようだったな」
『そうか。それは都合が良い』
 僅かな沈黙の後、魔物は喜悦を含んだ耳障りな声でそう言った。
「なんだと?」
『リトルサイレンスを退けたと言うお前の力を吸収すれば、我は此処から脱出できるだろう。
先ほど力の減退はしていないと言ったが、そうでもなくてな。
 剣士よ……我の糧になるがいい』
「リトルサイレンスも同じ事を言っていたが、闇に属する魔物は同じ事しか言わないのか?」 
『…………』
「は……。そう言うところも同じか」
言うだけ言ってだんまりを決め込む魔物を見て、小さく毒づいた。
『先ほどのは手加減しすぎたようだ』
「ふん」 
 魔物の言葉に詰まらなさそうに嘆息し、チェリオは剣の柄に手を掛けた。
手加減していた。というのは嘘ではないらしく、予想以上の力が辺りから感じられる。 あまり傍観している場合でもない。
「…………」
 剣を握ったまま僅かに目を細め、
「――そろそろ解放してやろう」
 そう呟いて、音もなく刀身を鞘から引き抜いた。
「憂鬱だ」
 抜き身の剣を手にし、チェリオは呻いた。
『ふん。憂鬱だけで済むと思うな』
「いや、お前じゃなくてこれから五月蠅くなる奴に対してだ」
《漸く…出してもらえるのか》
 魔物に言った言葉が終わる前に、石をこすり合わせるような鈍い声が頭に響き渡る。
(どうせ何か散々文句を言われるんだろ)
 深々と嘆息する。
 黒い刀身が揺らめき、蒼く輝く。
 いや、始終色は変化し、何色とも付かない。
 一番近い色を挙げるなら、夜空や、漆黒の闇だ。
《文句とは何だ。人をあんなに散々念でがんじがらめにしておいて》
 不満をタップリ乗せ、それは言った。
(自業自得だ。大人しくしないお前が悪い)
 チェリオは無言のまま剣を睨む。
 そう。この声は剣から発されている。
 この剣は、意志を持っている魔剣なのだ。
《我は早めに負けを認めた》
(ああ。そしてまだ返り討ちする気だったな)
 青年の指摘に一瞬沈黙し、
《…………ふん。約束だ。主に仕えよう。
 魔剣士、チェリオよ》
 そう告げる。口調は高圧的だが、全面降伏の言葉だ。
(始めからそうしていれば余計な力を使わないで済んだ)
 漸く折れた魔剣に、チェリオは少し呆れをにじませ、思念の中だがそう呟く。
《……無駄口を叩いている場合ではないと思うが……》
『お前、魔剣士か!?』
 先ほどからの会話が聞こえていたのか、魔物が驚愕の声をあげた。
「気が付くのが遅いな」
《ふん。所詮闇の眷属のウチでは雑魚だ。
 我とは兄弟にもならない程の力だ》
 呆れたようなチェリオの言葉に、魔剣はすぐに相手の力を把握したのか、見下したような侮蔑の言葉を投げかける。
『なんだと……剣風情が』
《剣風情? ふん》
「魔剣よ。コイツが真の闇を俺に喰らわせてくれた」
《真の闇?》
魔剣は低俗な言葉を聞いたかのように、小さく失笑し、
《笑わせるな。それならばお前が普通にしているわけがないだろう》
 そう言い放った。チェリオも口の端をかすかに歪め、
「ふ……。そうだな。
 まあ、お前を解放した意味は、言うまでもないだろう」
《こんな小物相手に我の力を使うのも惜しいが。まあ、良い》
『小物だと?』
 魔物の力が揺らいだ。
 それに構わずチェリオは抑揚のない声音で口を開いた。
「さあ、闇の魔剣よ。俺にお前の名を教えろ」
《我は闇の魔剣【暗沌の剣(ダークウェイドソード)
 我の力で真の闇はどのようなものか教えてやると良い。魔剣士よ》
 その言葉を合図に剣を掲げる。
「闇の力を秘めし剣。ルア…『暗沌の剣』!」
掲げた剣から黒い波動がしみ出してくる。
 全てのものを飲み込み、跡形もなく消してしまうような負の波動だ。
 マントが翻るほどの圧力を受け、双眸を細める。 
《何だこれは……力が湧く……
 人に取り憑いていた時よりも力が増しているな》
「当たり前だろう。
 熟練された魔剣士に使われる魔剣は実力を発揮できる。
 同じ魔剣士でも、まだ覚醒して間もない奴に使われたのと力の出方に差が出るのは当たり前だ。
 無論俺は熟練している方だが」
《そうか。なかなか気に入った。
 あの位の奴ならば、簡単に仕留められるだろう》
 吐き捨てるように言ったチェリオの言葉に、剣は満足げに呟いた。
 その様子を見て黒い影は不快感を露わにする。
『戯れ言を』
「戯れ言? 先ほどから俺に攻撃の一つもしかけてこないのは何故だ」
『お前で少し遊ぼうと思ってな』
「嘘だな。攻撃は今もしかけている。しかし、攻撃が俺に届かないんだろう」
『…………』
「精神に直接、攻撃を仕掛けようとしても無駄だ。そんなヤワな精神は持っていない」
 涼しげにそう告げ、目を瞑る。
《魔剣士よ……主は本当に人間か?》
チェリオの人間離れした技に魔剣はうめき声を上げた。
「そんな事はどうでも良い。行くぞ」
『精神が駄目なら肉体に攻撃をしかけるだけだ』
「真の闇とはこういうものを言う……喰らえ。暗沌斬(ダークウェイド)!」
闇色の刃が軽い音をたてて空を切る。
 マントや髪が強い闇の波動で強くなぶられた。
 漆黒の闇が相手の合間を駆け抜ける。
『何だコレは……掠りもしないではないか』  
嘲るような笑い声を立てる魔物にチェリオは小さく視線を向ける。
「闇とは一体どういうモノを言う?」
『なんだ……?』
「闇は、暗く深く、広大だ。
 そう、本物の闇であれば、俺やお前の姿が見える事は無いだろう」
『!』
 静かなその言葉に動揺が漏れ出る。
「闇は、全てを飲み込む力だ。俺やお前…影や光さえも」
 そう呟いて、剣を鞘に収める。
『ク…クク。何を世迷い言を……剣を納めるとは、勝負を捨てたな魔剣士よ!』
 哄笑を上げる魔物に対し、チェリオは無造作とも言える足取りで近より、
「いや、勝負は付いた」
 そう告げる。 
『なんだと? 狂ったのか貴様……』
「ジ・エンドだ」
 パチンと指を鳴らすと、今まで高笑いを続けていた相手の姿が霞のように薄れていく。
『な、何!?』
「正解を教えてやろう。
 闇は全てを飲み込む……そして、目に見えるとは限らない。
 それに気が付かなかったのがお前の敗因だ」
慌てたように揺れる影に対し、チェリオは感情の起伏を感じさせない声音で朗々と告げた。
『マサ、カ……さっきの技…は』
 もう、影は後ろが透けて見えるほど薄れていた。
 殆ど力が無いのだろう。
 先ほどより安定感が無く、とぎれとぎれに呻くような声音だ。
 つまらなさそうにそれを見やり、軽く魔剣に触れ、
「お前の力、せいぜい有効利用させてもらう」
そう言って肩をすくめる。
『ォォォ…』
黒い影が剣に飲み込まれていく。
 耳障りな音を残し、程なくして影は完全に消え去った。

 




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