闇の眷属-4





「終わったな」
 軽く嘆息し、髪を掻き上げる。
「あれが真の闇とは、笑わせるな。本物の闇は――」
 ソコまで呟いて、辺りの景色が一変していた事に気が付いた。
 魔物の束縛が解け、元の場所に戻れたのだろう。
 手には一冊の本があった。
 軽く数枚めくる。
 中は、白紙だった。
 魔物を封印するためだけに作られた本だったのだろう。
 初めて目にした時はビッシリと書き込まれていた文字が嘘のように無くなっている。
 そして、あの人を引きつけるような妙な感覚。それすらも忽然(こつぜん)と消え失せていた。
「しくじったな」
 あの妙な感覚は、魔物が発していたモノなのだろう。
 チェリオは僅かに自己嫌悪に駆られ、舌打ちする。
「―――あたし、知らない!」
彼のモヤモヤした気持ちを吹き飛ばすように、困惑したような少女の声が耳に突き刺さった。鼓膜をむず痒くさせるような高い声。
 該当者は一人しかいなかった。
 重い腰を上げ、そちらに向かう。
 クルトと対峙するようにルフィとケリーが佇んでいる。
 当の少女は分からないと言うように困惑の表情を浮かべていた。
「何してる?」
 意外な組み合わせに軽く驚きを含ませ、チェリオは呟いた。 
「……あ、チェリオ。アンタこそ何してるのよ」
 クルトは一瞬掛けられた言葉にビクリとしたようだったが、相手がチェリオだと分かると肩を軽くすくめ、
大げさに驚いたような顔になる。
 そんなクルトとは違い、二人は心底驚いたように素っ頓狂な声をあげた。
「チ、チェリオ!?」
「チェリオさん…?」
どうして此処に。と言いたげな二人に、僅かに不満そうに眉を寄せ、
「俺が図書室に居るのが悪いのか?」
「チェリオも読み物読むのね」
少女はうんうんと頷きながら感心したように呟く。
 チェリオは彼女に視線を落とし、
「少なくともお前よりは読む」
 馬鹿にするなと言わんばかりに首を軽く左右に振った。
「なによそれは」
 クルトは彼を見上げ、腰に手を当て睨み付けるように唸った。
「ま、まってよ二人とも!」
 それを見かねたようにルフィが大きく手を振る。
「何よ」
「何だ?」
全く同じタイミングで二人は振り向き、尋ねた。
「チェリオはどうやってここまで来たの?」
「扉からだろう。他にドコがある」
 ルフィにそう言って辺りを見回す。
 本が傷むのを防ぐためだろう。大きな窓はなく、石造りの壁だけが冷たい輝きを帯びている。
空気を入れ換えるための窓は、人が入るのに適した大きさではない。
 頭が入るかどうかと言ったところだ。
 常識的に考えて出入り口は扉しかない。
「そ、そう…だよね」
 ルフィは自分に言い聞かせるように小さく頷いた。
「……何時からいらしていたんです?」
「お前達が来る前だな。時間の特定は出来ないが」
 ケリーの質問にチェリオは少し黙考し、答える。
 ルフィはチェリオとクルトを見比べ、
「そう、なんだ。鍵、壊れてたのかな」 
 首をかしげた。
 ケリーも同じく同意する。
「そうですよね……一度に二人も入れるなんて」
 二人だけの会話を見て居るのに飽きたか、チェリオが半眼で呻いた。
「一体何なんだ」
 僅かに逡巡した後、自分のローブの胸元に手を当て、ルフィはゆっくりと告げた。
「あ、うん…。
 此処は危険な禁書が仕舞われた場所で厳重に防御(プロテクト)がされてるはずだったから……驚いて」
「えっ!? そ、そうだったの?」
 ルフィの言葉に少女はザッと後ずさりし、あたふたと辺りを見回す。
 どうやら本当に知らなかったらしい。
「ええ。勝手に入り込んだら『厳罰』ものですよ。厳罰だけで済むかどうか」
「そうなのか、それは知らなかった」
「ど、どどどどどうしようッ。あたし入っちゃったわよ!」
ケリーの言葉に冷静に頷くチェリオとは対照的に、クルトはオロオロと手をばたつかせ、あわてふためいている。
 あまりにも慌てすぎ、ろれつが回っていない。
その様子を見てルフィはクスリと微笑み、
「大丈夫。このことは秘密にしてるから……ね」
 横にいるケリーに視線を送る。
「ふふ。分かりました。僕も黙っていますよ。
 でも、これっきりですからね」
「有り難う」
「あ、ありがと。た、助かるわ」
苦笑するケリーにルフィは丁寧に頭を下げて礼を言った。
 その後を続けるようにクルトが神を仰ぐような眼差しで両手を胸元で組み、感動したように感謝の言葉を紡ぐ。
チェリオはちらりと見て、軽く会釈(えしゃく)しただけだった。
「いいえ。他ならぬルフィさんの頼みですから」
「ごめんね…無理言っちゃって」
 ケリーの言葉にルフィは済まなさそうに微笑む。
 それを見てケリーは小さく首を横に振った。
 クルトは安心したように自分のこめかみに手の平を当て、
「……うう。首が繋がったわ」
 脱力したように壁にもたれた。
 それを眺めていたルフィの眼前に何かが突きつけられる。
「え?」
 良く眺めると、装丁のボロボロになった古い本だ。
 横を見ると、何時の間に近づいてきたのか、チェリオが端的に告げた。
「落ちてたぞ、これ」
「……あ、有り難う。あれ? 前見た時と少し違うような」
礼を言って受け取りながら本の装丁を眺め、ルフィは疑問符を浮かべる。
 それに構わず、チェリオはマントを翻し、
「しかし、ここは埃が多い。俺は他の場所へ行く。じゃあな
 ―――あと、分類くらいしておいた方が良いぞ」
 そう言葉を残し、足早に部屋から出て行った。
「あ、うん」
 チェリオの背中を見送るルフィの袖を軽く引っ張り、
「あ、あたしも此処から早くでたほうが良いわね。御免ね二人とも」 
片手を伸ばし、『御免ね』というように自分の口元に当てる。
「あ、うん。今度から間違ってこないようにね。
 あの……後、さっきは御免ね。キツイ言い方したから」
僅かに俯いて、呟く。
 微かに聞き取れるほどの声だったが、クルトは満面の笑顔になり、
「あたしは気にしてないわよ。入ったのが悪かったし、それじゃあ、後でね!」
「うん……」
「ええ。後で」
ホッとしたようなルフィの声と、ケリーの言葉を確認した後、足早に部屋から出て行った。
 しばし扉を眺めていたルフィは、気が付いたように先ほどチェリオからもらった本を開いた。
 僅かに動きを止め、彼の行った方を見る。
「……チェリオ。大丈夫だったのかな」
「どうしました?」
 ルフィの言葉にケリーが不思議そうに首をかしげる。
「うん……ただね」
「ただ?」
 相づちを打ちながらのぞき込むケリーに視線を送り、
「ただ、この部屋の本が、一冊減っただけ」
 柔らかく微笑んだ。
 丁度横合いから本の中身を覗いたケリーは、呆然とその言葉を聞いていた。
 場違いだったが、少しおかしいその表情にルフィはくすりと小さく笑みを漏らした。


「はい? 鍵が壊れたんですか」
 ルフィの報告を聞いた校長は、机の上の書類に判を押すのも忘れ、素っ頓狂な声をあげて固まった。
「え、えっと……はい、その通りです。多分この鍵だと思うんですけど」
 予想外の校長のリアクションに少々たじろぎつつも、大きめの錠前を校長の机の前に置いた。
「他の場所は正常に動いてましたし、原因はコレしか無いんです。
 その鍵、複雑すぎて僕には鑑定できませんでしたけど」
「ふむ、おかしいな……そうそう簡単に壊れるようなモノじゃ無いんですけどね」
「え……?」
 考えるように口元に手をやる校長を見、ルフィは小さく声をあげる。
「ところで、開いていたのに気が付いたのは何時なんですか?」
 先ほどとうってかわって明るい口調で語りかける。
 ギャップに驚きつつも、よく考えて答えた。
「昨日と朝は閉まってましたから、多分今日の昼くらいからだと思います」
「他に人は居なかったんですね?」
 居た。
 しかし、言えない。
 本当の事を言ってしまえば、チェリオはともかくクルトは退学になりかねない。
 いつもは大らかな校長だが、決まり事に対して……いや、あの禁書に関しては厳しい決断を下す。
下手をすれば生徒の命すら左右するモノだからだ。
 庇う自分の立場も危ういとは分かっていたが、見捨てるつもりは元々無い。
 分かった上で小さく頷いて、告げる。
「……ケリー君と僕だけです」
「本当に?」
「はい」
「じゃあ、そう言う事にしておきましょう」
 ルフィの言葉に校長は頷き、柔らかく微笑んだ。
 頷いた拍子に彼の金髪が軽く揺れた。
(――もしかして、分かってて)
 校長の言葉に一瞬寒気が走る。 
「質問を変えましょう。今日、クルト君は図書室に来ました?」
 ニコニコと笑みを浮かべ、ルフィを見る。
「ああ、生徒に聞けば分かりますから嘘を付いても無駄ですよ」
「…………はい。あと、チェリオも」
 校長の台詞に、隠し通しても無駄と悟り、素直に本当の事を言う。
「成る程。チェリオ君がねぇ」
ルフィの話しに少し意外そうな顔をして相槌を打ち、
「分かりました」
 納得したように頷いた。
「え? 分かったって……何がですか?」
 不思議そうに目をパチクリさせるルフィの前で開いた錠前を軽く振り、
「鍵ですよ。かーぎ。
 良く見たら確かに壊れてるみたいですね。全然閉まりませんし。
 明日にでも手配をしておきます」
 錠前を机の上に置き、人差し指を軽く立てて微笑んだ。
「は、はい」
 ルフィはその言葉に驚いたような顔をしたが、嬉しそうに小さく頷いた。
「ご報告有り難う御座います。退室しても結構ですよ」
「分かりました。校長先生有り難う御座います」
 校長の言葉に丁寧に礼をして出て行く。
 静かに閉まる扉を見、彼が遠くに行った事を確認してから、校長は錠前を軽く手に取った。
「……ふう」 
 小さく嘆息し、澄んだ湖面を思わせる蒼い瞳を細める。
 持った錠前を少し片手で触り、静かにまた机の上に置く。

 ―――固い音をたて、錠前はあっさりと閉じた。

《闇の眷属/終わり》 




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