気持ちを落ち着け、廊下に出る。
月明かりが廊下を照らし出し、ほの白く光っていた。
何気なく窓の外を眺め、硬直する。
下に見えるのは空色の髪の少年。
「ルフィ様に……」
そして、亜麻色の髪を持つ少女。
「お嬢様……?」
アリアス・レイ・マウスン。
それがこの屋敷で使えている令嬢の名前。
密会なのだろうか。
だが、それにしては人目をはばからない様子でルフィへと近寄っていく。
唇の動きで何を言っているのかは分かった。
――婚約――
鼓動が、一瞬とまったような気がした。
それは予想してしかるべき事。
事実、言われたルフィは動揺を見せていない。
数度耳元に唇を寄せられ……顔に触れそうな程身を寄せ、
「え?」
次に見た光景に、目を疑った。
振り払ったのだ。
白い少女の手を、無造作に。
深い拒絶の色。
それにアリアスは激高し……
先程とは全く違う意味で目を疑った。
辺りから黒い影がわき出したのだ。
手元に光るのは。鈍い、銀の色。
「な……」
抜き身のナイフを持ったその姿に、絶句する。
「お嬢様……どうして」
首を振りながらそれを眺める。
ただの暴漢であれば、屋敷のモノにも知らせる事が出来た。
だが、その暴漢がアリアスだとすれば話は別だ。
言ったとしてももみ消され、戯言として受け取られるだろう。
(どうしよう……)
呆然と、眺める。
他のメイドであれば、この場は見逃すのかもしれない。
……メイドである前に一人の人間として、そんな事をして良いのだろうか。
駄目だ。
このまま見逃してしまえば、深い重圧に絡み取られ、一生後悔してしまうだろう。
しがないメイドの身であったとしても、モップの一打ちで何人かは倒せるかもしれない。
無謀だろうが何だろうがやるしかないのだ。
大声を上げて注意を逸らす事だって――
そこで、アリアスが号令を上げた。
一斉にルフィに向かって影が雪崩れ込んでいく。
(……ルフィ様!?)
悲鳴は声にならず、くぐもった呻きだけが漏れた。
目を瞑り、そして……
地に落ちたのは、黒い、影……
「なに……」
一体、今何が起こったのだろうか。
状況が把握出来ない。
アリアスも同じようだった。呆然とルフィを見つめている。
銀のナイフを手に取り、それを無造作に投げ捨ててルフィは小さく何かを呟いたようだった。
それに触発されたように他の黒い影も一斉に向かう。
次は、見えた。
ゆっくりと動いた少年の腕が柔らかく触れ、影が次々となぎ倒される。
悪い冗談か、夢のような光景だ。
細身の少年によって、そう経たずに影は全て……
微かな声が窓辺から聞こえた、くぐもったような小さな声。
『ちょっと、せっまいわよ……寄せてよ』
『煩い。木の上で暴れるな』
潜めた甲高い少女の声に、低い声が答える。
『ううー……。エミリアに貸し作るのも嫌だから手伝いに来てるけど何にも……』
『ん、そうでもないぞ。あれ』
「きゃ!?」
気楽な言葉から間を置かず、カルネの周りに黒い影が降り立った。
手には抜き身の短刀。
恐怖で、悲鳴は出ない。
(あの声も……黒い……影の仲間?)
体がすくむ。動けなかった。
だが、場違いに呑気な声が耳にはいる。
『ほら、可愛い女の子が襲われているわよ。助けなさい』
『何で俺が』
『可愛い女の子のピンチを見捨てるの?』
『ふう……』
むくれたような言葉に、押し殺したようなため息が応えた。
ヒュ……
継いで、空を裂くような音。
硬い音をたて、影達はバタバタと倒れていく。
小さな口笛混じりの感嘆の声。
『おお、命中命中。礫上手いわね』
『面倒だからな』
低い言葉に混じり、耳の錯覚か、高笑いが一瞬聞こえた。
そこで高めの声が不機嫌に変わる。
『むむ……あの女……誰が護衛よ、誰が。人がいない間に好き勝手に……』
『あ、おい』
『早く来ないとおいていくわよ!』
微かな葉擦れの音。
『やれやれ……お守りも疲れるな』
疲れたような声音と共に、気配が消え去った。
数刻程、硬直していただろうか。
「……今のは……何」
呻きを上げ、窓を見ると……もう、誰の姿も見えなかった。
夢だというばかりに。
黒い影も消え去って――――
長いようで短かった三日間は、終わりを告げた。
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