その会話が聞こえたのは配膳中。
何処か皮肉げな言葉。
「そちらは何時も景気が宜しいようですな。
これは失礼。
世界に名だたる『リフォルド』ですから、低迷なぞあり得ますまい」
そして、僅かな嫉妬。
「まあ、いつも通りですよ。貴方様の家柄程ではありませんけど」
穏やかな声がそれを躱すように返す。
だが、その声に僅かな乾いたものが混じっていた。
カルネが顔を上げ、そちらを見ると……別人のような少年が居た……
「……ルフィ様……?」
小さく呟いた言葉は、幸いにも少年には聞こえないようだった。
もうすぐ一日が終わる。
自分と談笑している時、ルフィは笑顔を崩さなかった。
パーティで見せた少し冷めたような声は無い。
モップで床を磨き込みながら、思い出したようにカルネは顔を上げた。
「……ルフィ様のお部屋も掃除しなくちゃ」
軽い足取りで扉に向かい……
『散歩、散歩♪』
鼻歌交じりの声が聞こえた。
しかも、がさごそという異様な音。
(もしかして降りよ―――)
ここは二階だと考える前に扉を乱暴に開く。
「何をやっていらっしゃるんですかッ!?」
半分程窓から身を乗り出した格好で、ルフィが恐る恐る振り向いた。
そして硬直する。
「えっと……さ…じゃなくて……く、空気の入れ換えを……」
言いながら窓から体を引っこ抜く。
それを半眼で見やり、
「先程、散歩とか聞こえてきたような気がするんですが」
「そ、そう?」
「もしかして、ルフィ様、窓から抜け出そうとかそう言う事を考えたりしていらっしゃいませんでしたよね?」
「い、いいえ。もう、全然そんな事はないです! だ、第一…ここ、二階だし」
慌ててパタパタと手を振る。
確かに彼の言う通り、此処は二階だ。
そして、性格的に飛び降りるようにも見えない。
身を乗り出すにしても先程のは危なかったが。
「そうですよね」
言葉を聞き終え、カルネを見ながらルフィはため息混じりに聞きして来た。
「何かよう?」
「あ、ええ……お部屋のお掃除に」
何故かルフィは両手を上げ、なにか降参するような格好になる。
不思議そうに見返すと、
「えっと……
取り敢えず、僕に向けてる切っ先……じゃなくて、柄を退けて欲しいな、と」
情けない声で呻く。
「え? あ、す、済みません!」
「……んーと……掃除?」
「ええ。埃が立つのでルフィ様は表に出て下さい」
モップを降ろし、首をかしげるルフィに外を示す。
少年は眉根を寄せ、頬を掻いた。
「そんなに汚れてないよ?」
床は鏡のように夕日を照り返し、辺りには埃の『ほ』の字すらない。
だが、
「毎日お掃除しないと汚れます! 少しずつゴミは蓄積されていくんですから」
少女にそんな言葉は無意味だ。
ルフィは肩をすくめ、
「まあまあ、そんなに汚れてないから」
苦笑しながらカルネの背を押し、外へ向かう。
「え? えぇっ。あの…でも」
「良いから良いから」
笑顔で少女の背を最後に強く押し、後ろ手で静かに扉を閉める。
「ルフィ様?」
何か最後に呟いていたような気がし、眉を寄せて少年を見る。
その視線をルフィは受け流し、
「うん、ついでだしもう遅いからカルネのお部屋まで付いていくよ」
何処かな、と辺りを見回した。
「ええっ。けど……」
「遠慮しないで」
言い淀む少女に笑顔を返し、
「そ、そうですか? じゃ、じゃあこっちです」
廊下を案内され、少年は歩いていった。
同じ階層の小さな扉の前でカルネは止まった。
大きくもないし綺麗でもない。案内するような部屋ではないのだが、ルフィは楽しそうだった。
扉の鍵を外し、笑顔で振り返り掛けたカルネの耳にカタ、と小さな音。
「あ、有り難う御座いまし……あら?」
天井を眺めた。
僅かだが、今何か音が聞こえた。
「何かしら……」
部屋の中に入り、天井板に手を掛け――
「ネズミかな?」
「やっ、やめて下さいよルフィ様!」
(に、苦手なのに)
部屋の外にいた少年の言葉に、天井をのぞき込もうしていた頭が引っ込む。
「まあまあ。そんな大声出したら駄目だよ」
「す、済みません……って、違います!」
たしなめられ、思わず謝り掛けて踏みとどまる。バタバタと手を振り回すカルネを見、ルフィは小さく笑うと、
「入って良いかな?」
とお伺いを立てるように首を傾ける。
「ええ」
断る理由もないので、少女は小さく頷いて扉を開けた。
「鼠だったら、いい案があるんだけど」
部屋に入ったとたん、悪戯っぽく瞳を輝かせ、天井を見る。
「え?」
「こんな時の為に、鼠駆除用の煙玉を携帯してるんだけど」
(何でそんなの持ってるんですかルフィ様)
「何でそんなの……」
心の中で呟き、口に出しかけた言葉は阻まれた。
「うん、前別荘に行った時、鼠が出ちゃって。
駆除できたけど、多めにあったから袋の中に――」
そこで、ある疑問が掠め、尋ねる。
「湿気ってません?」
ルフィは軽く肩をすくめ、
「取り敢えずやるだけやってみようよ」
『その時はその時』というように天井を見た。
「え、ええ。まさか部屋中煙で一杯になったりしませんよね」
いくらなんでも屋敷が煙だらけになったら辺りが大騒ぎになってしまう。
「大丈夫だよ。蓋さえ閉めれば天井裏だけ煙が入り込んで、後は自然に抜けていくから」
少女の言葉に軽く笑って首を振った。
「じ、じゃあお願いします」
と、言い終わらない内、予想外のスピードでそこまで行き、煙玉を天井板の裏へ投げ込んだ。
一瞬どこからか動揺の気配が漏れ、バタバタと慌ただしい音がしたのち、静寂が戻る。
「大きな鼠だったんだね?」
口元を抑え、吹き出しながら笑う声に、カルネは眉を潜め、
「え、ええ……でも大きすぎじゃ……」
(あんな大きな音、人間並みの大きさでもないと)
釈然としない面持ちで首をかしげた。
「ふふ、ここってご飯が多そうだし。じゃあ、僕はもう行くね」
何処か急ぐようなその言葉に少女は首をかしげ、
「え? もう少しごゆっくりなさっ……」
(私はそんなの気にしな……)
「変な勘違いされたら、カルネが大変だから。じゃあ、また明日」
遮るようにそう言いきり、少女の顔を見ずに。少年は扉を閉めた。
「ルフィ様……?」
小さく呟いた声に、答えるモノは……居なかった。
「あなた方はどーして此処にいらっしゃいますの?」
豪華な部屋の一室で、エミリアは金の髪を不機嫌そうに掻き上げた。
「いやー、だってぇ〜」
あはは、とクルトは頭を掻く。
「……つい」
こくりと青年も同意した。
「…………つい。で人の馬車に乗り込まないでくださいませんこと」
文句を聞きながらクルトは口をとがらせ、
「エミリアったら用意長いんだもん。
真っ暗になってきてどうしようかと思ったわよ」
全く関係のない事を言う。
「女には用意が必要ですのよ。所で、何しにいらっしゃったんですの」
それにエミリアは律儀に返答し、尋ねた。
「何となく」
「暇だからな」
二人同時に答える。
「暇なお二人に用を与えますわよ。これで暇ではなくなりますわ」
「こき使うって言わない?」
「食事分くらいは働いてくださいませね」
「う゛っ」
そこを突かれると痛かった。
食事はエミリアにたかっているのだ。
こき使われても文句は言えない。
顔をしかめながら、エミリアを見る。
「むう……仕方ないわね。借り作りたくないし、何すればいいのよ」
「そうですわね。縁談を壊したいんですの」
得意げに髪を掻き上げ、キッパリと言い切った。
更にクルトの顔がしかめられていく。
確か、彼女はルフィ以外の奴はどうでも良い、とそう言う性格だったからだ。
「……いきなり方向性が分からなくなったわね」
「そうだな」
難問を投げ掛けられ、チェリオも同じような雰囲気だ。
顔は変わっていなかったが。
「ルフィ様の縁談話を壊すんですのよ」
「……ルフィ結婚するの?」
きょとん、と紫の瞳を瞬かせるクルトに、
「さ・せ・な・い・よ・う・に! 致しますのよ。お分かりになって?」
一字一句力を込めて区切りながら、言い放つ。
少女はそれを聞き、眉を寄せ、
「いや、ルフィの縁談勝手にぶちこわして良いの? あたしが言うのもなんなんだけど」
困ったような顔でエミリアを見た。
「おほほほほ。愚問ですわね。
ルフィ様がその様なモノに応じるはず無いですわ」
扇を開き、高笑いをし、断言する。
「そうよねぇ」
その自信が何処から湧いてくるのか不思議だったが、クルトも頷いた。
あの幼なじみの少年は、良く言えば慎重で、悪く言えば人見知りしがちな部分がある。
仲が良いなら喜んでパーティでも行くだろうし、執事に言われて慌てるのもおかしい。
初耳だったようだから、初めて会うのだろう。
会って数日でお友達、そして結婚しましょう♪ などと言う展開は、全く彼の性格に合わない。
悲しい事だが、何度かあってお友達、そして交換日記を交えつつ、のんびりゆったり理解を深めて恋人になりましょう。とか言う方がしっくり来る。
結婚まではかなり掛かりそうな過程だが、そう言う性格なのだ。
だから、エミリアの言う『絶対無い』という言葉には無意味に大きく納得出来た。
「むう……由々しき事態ね」
小さく呟く。
そう、由々しき事態だ。
エミリアの話が真実だとするのなら、政略結婚という事になる。
「良いわよ。何すればいいの?」
頷き、言った言葉に、エミリアは小さく笑みを浮かべたのだった。
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