燃ゆる炎-5





「マクグレーシ。マクグレーシと」
机に頬杖をつき、名簿を捲っていく。目的の文字はまだ見つからない。
 小さく吐息を付いてげんなりと天井を眺める。
ピシアの目的が判明した後が最悪だった。その前の騒動など序の口だったらしく日に日に攻撃は激しさを増していた。
 睡眠時間は削られる、研究ははかどらない、精神的に良いとは言えない。と三拍子で揃っている。いい加減止めないと胃が荒れるだろう。子供のいたずらにしては度が過ぎ始めている。
 血縁が学園内に居ると聞き、名簿で調べている最中だった。
 頭を振り、気を取り直して読み進める。
「……無い」
 読み終えた名簿を横に置き、次の名簿を手に取った。
 かなりの単調作業だが仕方がない。睡眠時間と平穏には代えられないだろう
「無いね」 
捲ると言うよりも流すような速さで確認しつつ呻く。
 次に手を掛けようとしたところで白い蒸気が視界を乱した。甘い香りが辺りを満たす。
「レム。ココア淹れたよ」 
「ん。そこ置いておいて」
 間近から降ってきた少女の声にそう言って次の名簿に目をやり、頷く。
「はーい。どうぞ」
 元気の良い声と共にカタリと木製のカップが机に乗せられる音。
 不意にあることに気が付き、少年は顔を上げた。
「…………」
 にこにこと、機嫌の良さそうな笑みを浮かべる少女の顔が映った。二つ括りにされた柔らかな紫の髪がゆらりと揺れている。
「…………」
 紫水晶にも似た瞳に視線を向けたまま、数秒ほど硬直した後、
「何時来たの?」
 呻くように尋ねる。
「さっきからだけど。やっぱ気が付いてなかったか」
「まあ、ココアは折角だから貰っておくけど」
 つれない言葉に小さく眉を寄せた後、パン、と両手を合わせ、
「気が利いてるなぁ。嬉しいクルト最高! とかそう言うことは言えない?」
 手の甲を頬に当て、ねだるようにコクリと首を傾ける。
 小さく吐息を漏らし、
「馬鹿らし」
 半眼になったまま少年は紙面を眺めた。
「…………何時かぐれてやる」
 ぶう、と頬をふくらませ、
(確かにそう返されても怖いけど)
 心の中でそう付け足す。
「とっくにぐれてる気がするけどね」
 犬のような片耳を軽く伏せ、ココアを一含み。
「何か言った?」
 呟かれた言葉にクルトは鋭い視線を返し、腰に手を当てる。
「別に。そう言えば」
 気のない返答を返しながら少女を見、気が付いたように顔を上げる。
「ん?」
「捜し物見つかった?」
 何のことだかわからない、と言う風にしばらく瞳を瞬かせていたクルトは、思い出したようにポン、と手を叩き。
「うん、ハンカチの事ね。見つかったわよ。
 廊下に落ちてた」
リズムを取るように軽く左右に人差し指を振り、にっこりと笑う。
「廊下って……あの人と会ったとき?」
「そうそうあの子と会った時。正面衝突した後気が付いたんだけど」
 その時のことを思い出しているのか、少しだけ遠い目をしながら少女は頷いた。
「ピシアさん、だったっけ」
 カップを唇からはずし、天井を眺める。
 薄暗い天井には、蜘蛛の巣一つ見あたらない。
 掃除が行き届いているせいもあるが、一番の原因は頻繁に起こる天井の揺れだろう。
 蜘蛛ですら落ち着いて住める環境ではないということか。
 少女は天井を同じように眺めた後、飽きたのかすぐに顔を正面へ戻し、
「えっと、あの娘の名前? レムが人の名前覚えているなんて珍しい」
 唇に人差し指を当てて首を傾け、大げさに驚く。
「クルトは知らなかったっけ。好きで覚えた訳じゃないよ」
 感心したような少女の言葉に頬杖をついたまま名簿を捲り、不機嫌さを隠さずに口を開く。確かに、毎朝毎朝朗々と大声でフルネームを名乗られればどんな馬鹿でも覚えるだろう。
 気を取り直すようにふう、と吐息を吐き出し、
「僕の方にまで聞きに来るんだからよっぽど大切なんでしょ、そのハンカチ」
 紙を捲る手を止め、少女を見る。
 クルトは眉根を僅かに寄せ、
「いや、大切というか。先輩に頼まれただけなんだけど」
 どことなく困ったように頬を掻く。
「先輩ね……」
「そうそう。カミラ先輩ってばどうしてあたしに頼むのかしら。自分で探した方が早いのに」
 レムの呟きに反応し、愚痴のような言葉を漏らす。
 少年に聞かせる、と言うよりも、思わず唇から吐き出た台詞のようだった。
「そう思うなら引き受けなければいいでしょ……カミラ」
 呆れたようなレムの言葉に少女は大きく頷く。
「……そう。カミラ……」
 そこで少年は休めていた作業を再開し始めた。
 パラパラと捲る音が数秒も経たずに止まる。
「…………カミラ………あった」
 ぽつり、と漏れた言葉にクルトの肩がぴくりと反応する。
 突如、ばっ、と後ろに下がり、
「カ、カカカカカミラ先輩なんて知らないわ。あたし知らないもん。悪口とか愚痴なんて一切言ってないんだからっ」
 大仰と思えるほどに大きく首を振って、逃げるように階段へ向かった。
「あ、ちょっ……」
声を掛けるも、返ってくるのは五月蠅い足音。そう経たず、その音も聞こえなくなる。
「…………」
 片耳を僅かに倒して、手元と出口を交互に眺める。
 しばしそれを繰り返した後、
「さて、と。直談判と行こうかな」
いびつに積み上がった名簿を手のひらで軽く整え、出口でもある階段に視線を移した。

 




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