燃ゆる炎-6





 廊下の片隅の扉を開く。きしんだ音を立てて室内の空気が外に向かって流れ出した。
 湿った空気と(かび)の匂い。
 辺りの暗さはよどんだ空気に見合っていた。目に付いた部屋の角を眺めると、余り掃除がされていないのだろう。つかめるほどの埃が積もっている。
 天井に視線を這わせる。埃を纏った蜘蛛の巣が居なくなった(あるじ)の帰りを待つように寂しげに垂れ下がっていた。 
「近くにこんな場所があったんだね」
燭台(しょくだい)やランプが備え付けられている様子もない。常人ならば足を進めることすら躊躇うほどの暗さだったが、レムは灯りの下のような足取りで中に踏み込み、扉を閉めた。
 先ほどの比ではなく暗さが押し迫る。
「階段はこっち、か」
 壁に手をつくこともなく、しっかりとした足取りで地下へ続く階段に歩んでいく。
 普通の人間なら、闇に目を奪われているだろう。だが、少年は犬のような耳が示す通り並の人間ではない。
 感覚と聴覚、視覚を総動員すれば色の判別は難しいが闇の中でも辺りのモノが克明に感じ取れる。実際の所、落ち着いていれば瞳を閉じても普通に身動きが取れるだろう。
「換気悪いね」
埃の混じった空気を極力吸わないように静かに呼吸しながら階段を下っていく。
そう経たず、妙な香りとごぼり、と言う不気味なあぶくの音に足を止めた。
 下の方に見える扉の隙間から光が漏れている。
 零れた光だけではない。ねっとりとした甘い香りのする白い煙が地下には充満していた。
「…………」
一瞬引き返そうとも思ったが、頭を振り扉に手を掛ける。髑髏が歯を摺り合わせような音を立てながら扉が開かれた。広がった光景にノブを握った形で止まる。
 薄暗い室内にひっそりと魔力の灯りが灯っている。
 人がすっぽりと収まりそうな程の大きな壺が火に掛けられ、黙したまま一人の少女が怪しげな煙の立つ液体をかき混ぜていた。粘度が高いのか、ぼこり、と時折大きなあぶくが弾ける。先ほど聞こえた音の正体はこれなのだろう。
 大きな鍔の付いた漆黒の帽子。闇色のマント。俯いたまま作業をしているため顔はよく見えない。壺の近くには箒が数本立てかけられていた。
 麻の縄で縛り、吊してあるのは貴重な毒草や薬草の数々。
 棚に入った瓶には蜥蜴(とかげ)の干物やコウモリの羽など、怪しげな品々が並んでいる。
「……あの」
 硬直から脱し、口を開くが、作業に没頭しているのか少女は掻き混ぜる手を休めない。
 艶やかな黒髪が動きに合わせてなだらかに動く。両手で棒を握りしめ、くるりくるりと慣れた手つきで薬草を足していく。
何かを入れるたびに液体の色が表情のごとく変わる様は不気味だった。
(まあ、確かにらしいと言えばらしいけど)
 怪しげな儀式じみたその光景を眺めながら内心小さく溜息を漏らす。
 少女の姿。行動。部屋の様子。呪術師(じゅじゅつし)の見本のような光景だ。
校長に聞いたところによると、特別に呪術を行う生徒に対して地下を解放しているらしい。だが、恐らくそれは表向きの話だけ。
(ま、こんな事教室でやられたらたまったモノじゃないよね)
 理由はそう言うことだろう。教室や全生徒に開放された場所でやられるには威圧感がありすぎる。
 地下と言うことも相まって、光景の不気味さも何割か割り増されているようだった。
(同じく地下を借りている身としては人のこと言えないけどね)
肩をすくめ掛け、足下に違和感を感じる。妙に生暖かな感触。さわさわとした毛の肌触り。
 大の男でも悲鳴を上げたくなる状況だが、特に驚かず視線を落とす。
 闇色の獣が甲高い赤子のような鳴き声で優雅に尻尾をくねらせていた。
「……なんだ猫か」
呟くと、つまらなさそうに黒猫は金の双眸を細め、なぉ、と鳴き声を残し奥へ消えた。
 疲れたものを感じつつ顔を上げ、黙する。
 感情の色の見えない漆黒の瞳。とろんと(まぶた)が落ちかかっているのは眠たいせいではないだろう。
何時の間に近寄ってきたのか、壺を掻き混ぜていた少女が眼前に佇んでいた。
 白い肌が魔力の灯りを受けて薄闇に浮き上がるように見える。
 少女の身体が透けていても特に違和感はないだろう。
「……何時の間に」
反射的に一歩退く。悲鳴を上げなかっただけでもたいした物だ。
「…………」
 しばしの沈黙の後、軽く首を動かしようやく自分のことだと気が付いたのか、少女は黙したまま『先ほどから』というように指を動かした後瞳を伏せる。
「カミラさん、だよね」
 レムの質問に一拍ほどの間をあけて、こくりと頷く。なめらかな黒髪が動きに合わせ服の上を滑る。
 黒い瞳でじっ、と少年を眺めた後。『驚かない』と小さく唇を動かした。
耳には入らない言葉。口の動きだけで何とか言っていることがわかる。
「脅かすのが生き甲斐なの? 別に驚かなくても良いでしょ」
 あっさりと切り捨てられ、つまらなさそうに沈黙した後、何か用と言うように彼女は首を傾けた。
「君の名前、カミラ・マクグレーシだよね。妹さんのことで話があるんだけど」
 相手が頷いたことを確認し、話を切り出した。
「勘違いと良く分からない因縁付けられて色々と迷惑しているから止めてもらえないかな」
「…………」 
 心底迷惑そうに告げるレムを見たまま、ふるふると首を横に振る。
「え?」
 困ったように首をかしげるかと思って居たため、意表をつかれた。
 僅かに眉を跳ね上げ、
「どういう意味。君の妹なんでしょ、どうにかしてもらえないかな」 
 相手の出方を伺うようにゆっくりと首を傾ける。
「……いや」
そこで初めて少女が口を開いた。顔の割には幼さを含んだ声音だった。
「妹の恋をおうえんすることは、姉として当然のこと」
 静かに手の平を合わせ、動かない表情のまま天を仰ぐ。
 どうも、天井を見たまま瞳をきらめかせているつもりらしい。
「恋。応援、って……相手同性だけど」 
 げんなりとしたレムの言葉に、僅かに間をおき、 
「異性だと。楽しくない」
 しみじみと頷く。見た目は大人しそうだが、性格や行動に少々……いや、かなり問題がある人物のようだ。
 痛みを解すように、こめかみに指を押し当て、軽く動かしていたが、ある可能性に気が付いてその動きが止まる。
「…………もしかして君。
 わざとクルトにハンカチ探させてわざとぶつかるようにし向けた?」
「恋にみちびくのも、愛情」
 否定はない。何処かの宗教の司祭か何かのようにゆったりとした動きで腕を広げる。
 ふわりとした動きに空気だけではなく、オーラのようなモノさえ動いたように見えた。
「…………」
 頭痛がますます酷くなったような気がし、少年は手の平でこめかみを軽く押さえる。
 カミラはそれを見ながら手を下ろし、
「クルト知ってる貴方の名前、は?」
 ずれかけた帽子を指先で戻した。
 気が付いたように頷き、
「確かに、僕だけ知っているというのも礼儀に反するね。レム。レム・カミエル」
 丁寧に自分の名を述べた。
「ちの……良い名前。妹の事以外なら、条件によって相談に乗る、わ」
 良く分からないことを呟いた後、僅かに口元をつり上げ、漆黒の瞳を細める。 
「……ちゃっかりしてるね。で、誤解とか諸々は解いてくれる気は」
 感心したような言葉に疲れを混じらせ、呻く。
 少女はゆっくりと皺になった袖を直し、
「面白いから、いや」
 耳を澄まさなければ聞き取るのさえ難しい声の大きさだが、キッパリとした否定の台詞を紡ぐ。
「…………」
 これから後の事を考えてだろう絶句するレムを見、面白そうにカミラは静かな笑みを浮かべた。


《燃ゆる炎/終わり》




戻る  記録  TOP


 

 

inserted by FC2 system