燃ゆる炎-4





 ピシアと出会ってから数ヶ月。レムがとうとう限界に達した。
「我慢の限界。もういい加減にして欲しいよ」
ばん、と鉄の机を片手で付き呻く。心なしか目つきも更に斜になっているようだ。
 元々表情自体が穏和とは言えないので、恐らく今現在彼に近寄れる者は限られるだろう。
「レムをそこまで言わせるなんて。やるわねあの子」
 ココアを啜りながら限られた人物の一人である少女はしみじみと呟く。
 呑気な彼女の言葉に勢いをそがれたのか、吐息を吐き出し机に付いた手をゆっくりと放す。
「……まあ、クルトの足元にも及ばないけど」
「どういう意味よそれは」
 疲れたような視線に、少女は頬をふくらませ、半眼になる。
「そのままの意味だよ。毎朝毎朝懲りずにお弁当持参したり。無視したら無視したで喚き、騒ぎ、駄々こねて」
「う〜んと。えっと」
 上げられる過去の行動を流石に否定は出来ず、クルトは曖昧に笑って首をかしげた。
「更にそれでも効果がなければ黙したまま人の目を見たり。たしか僕が『止めて』と言うまで続いたよね」
 返答に窮する少女に、更に追撃が掛かった。
「ぅーと」
盗み見るようにチラリと視線をレムに向ける。いつものように感情の起伏はあまり無い。
 表情の変化も乏しいが、雰囲気から察するところ特に怒っているわけでもないようだ。どちらかといえば、呆れているらしい。
 クルトは小さく乾いた笑みを漏らし、
「むう、あのころは若かったわね。でも半年近く粘るレムも悪いわよ」
 お互い様、と言うように人差し指を振った。
「人のこと言えないでしょ」
 一緒にしないでほしい、とでも言いたげな目で冷たく睨む。
「あはは。ま、良い思い出よ」
 五年も付き合っているせいか慣れたモノで、視線に押されることなくクルトは気軽に笑ってまぁまぁ、と片手を振った。
 少年は小さく肩をすくめ、
「良い思い出、ね。それにしても彼女いい加減にあの低俗な嫌がらせ止めてもらえないかな。研究がはかどらないんだよね」
 トゲのある口調で片耳を倒す。
「嫌がらせ? 毎朝楽しげに談笑してたのに」
 にっこりと悪気のないクルトの言葉にレムの動きが止まる。
 確かに毎朝毎朝ピシアと話していたことは認める。
 だが、それは談笑と言うよりも口論や意見交換と言った方が正しい内容。
 毎朝なのは、朝早くからピシアが研究所に乱入するせいだ。
 勿論、レムが望んでの事ではない。
 心中で深々と嘆息しつつ、冷たく蒼の瞳を細める。
「君の目って何時も思うけど節穴でしょ」
「そ、そんなことないわよ。……多分」
完全否定しないのは心当たりがあるからだろう。少女はうー、と頬を膨らませ指先を絡め合わせた。
「レム・カミエル覚悟ぉっ」 
 微妙に和んだその空気が力強く階段を踏みしめる音と、怒声にも似た声によって吹き散らされる。
 ぱん、と両手を打ち合わせ、クルトは楽しそうに少年を見た。 
「レム。お友達が来たわよ」
「止めてよ。心底イヤなんだから。
 あ、でも彼女と色々と話し合いたいからクルトは少し席外してくれない?」
 深々と嘆息し、げんなりと呻く。そして、気がついたように階段を示した。
「オッケー。また来るわね」
 聞き分けよく頷き、「仲良くねー」と片手を上げ、階段に向かう。
「ん」
(それは無理)
 心の中で即答しつつ頷く。
 向かってくるクルトを見つけ、勇ましく歩んでいたピシアの表情がとたんに緩んだ。
「あっ先輩。お早うござい」
「おはよ。それじゃ」
「えっ、もうですか」
 クルトが元気よく挨拶を返し、出口へ向かったところでピシアから悲鳴のような言葉が漏れる。
「レムがお話あるんだって。じゃあね」
 バイバイと、手を振り、軽快な足取りで階段を上っていく。
「あ。先輩」
 少女の紫水晶の髪が尻尾のように、ふわりと消えていった。
 肩を落とし、名残惜しそうに見つめていたピシアがぐるりと振り返り、
「…………許すまじ、レム・カミエル」
 ゆっくりと、やり場のない怒りをぶつけるように拳を握りしめた。
 どことなく殺気立った表情にも臆さず、肩を僅かにすくめ瞳を閉じる。
「妙な闘志燃やさないでよ」
 無意味に怒りをぶつけられる理不尽さはともかく、ここ数日で大分慣れたやり取りだ。
「む。何なんだよ。ボクに話って。
 ボクは別に話すことなんて無いけど」
 ムッとしたような台詞に視線を向ける。頬を目一杯ふくらませ、腕を組んで居る。
 無論。少女の視線には殺意にも似たものが混じっていた。
「そうだね。いい加減君のしつこさにも閉口してきたんだけど」
「負けを認めるの!?」
 何処か嬉しそうに尋ねてくる。勝ち負けによほどこだわっているらしい。
 疲れたように小さくため息を零し、
「元々勝負自体してないよ。負けてるからいい加減止めてね」
 頷きながら机の上に散らばっていたプリントを片づける。
 面倒そうに呟くレムを見て、平常に戻り掛けていた少女の機嫌が急降下した。
「なんか体よくあしらわれてる気がする。
 やっぱり止めない。心の底から参ったーと言わせてみせる」
「次の授業は、魔術理論だったかな。取り敢えず要点を纏めとこう」
 ぐぐっと拳を握りしめ、熱く語るピシアをよそに、レムは呟いてペンを取り、淡々と事務をこなしていく。
 少女が振り向くと、ペン先をインクに浸している最中だった。油が付いているせいか、なかなかインクが乗らないらしい。
 僅かに眉を寄せた後、ピシアの視線に気がつき、
「……もう心の底からいろんな意味で参ってるんだけど」
 軽くペン先を炙りながら、顔を上げずに告げる。
 一応言葉は聞いていたらしい。
「…………さり気にボクのこと貶めてない」
 少年の適当な相づちに、大きめの丸い瞳が更につり上がった。
「気のせいでしょ」
 指先で温度を確認し、インクに浸す。今度は上手く乗ったのか、紙にペンを走らせる。
「それだけ?」
 ペンの走る音を聞きながら、ピシアが腰に手を当てつつ呻く。
 しばしの間をおき、
「後、人のいない間に書類あさるの止めて」
 布でインクを拭いながら淡々と呟く。
「うっ。そんなコトしてないよ、失礼なッ」
 言葉を詰まらせ、僅かに後ずさり、少女は大きく手を振り回して否定した。
 おたおたと慌てるピシアに不信感露わな眼差しを送り、
「君が見たって分からないのばかりなんだからいい加減諦めたら?
 大体書類が無くても僕の実力に変わりはないんだし。留守の間に家捜しなんて趣味が良いと言えないけど」
言いつつ、インクの乾き具合を見ながら紙を重ねた。
「くぅっ」 
 反論の言葉が見つからないのか、少年の嫌みたっぷりの台詞に、悔しげに歯がみする。
「あと……」
「こ、今度は何!?」
 心当たりでもあるのか、少女は警戒するような表情で、直ぐに動けるよう重心を取った。
「…………クルトのことどう思ってる?」
 何気ない口調で呟いて、値踏みするようにピシアを眺める。
「…………」
 沈黙。
「…………」
 更に沈黙。
 正気に返ったのか、いきなり大げさな動作で身を引き、
「そ、そそそそんな。き、急に聞かれてもボク困るんだけど」
 激しくドモリながら赤くなった頬を隠すように頭を振る。
 明後日の方向を向きながら、ちょっ、やだ、うー。等と百面相をしていた。
「…………」
コレで決定した。
 懸念はあった。だが、幾度もその可能性は否定してきたのだ。
 意識をそらしてきた恐ろしい事実。
恐らくこの少女は……
「年、離れてるけど」
 視線を僅かにずらし、口を開く。
「愛に年の差は関係無いよねっ」
 上擦り気味の返答が返ってきた。どことなく、恍惚としたモノが混じっている。
「かなり鈍いけど」
「努力して頑張る!」
 ぽつりと呟くように続けられる言葉に、気合いの入った台詞。
 拳でも握っているのか、「むっ」と言うかけ声などが聞こえてきたりする。
「全然意識向いてないし」
「振り向かれるように自分を磨けばいいよね」
 両手を合わせ、妙に潤んだ瞳でうっとりと答える。
「性別、同じだけど」
「愛に性別とかモロモロの境目はないとか言わない!?」
 同意を求めるように少年を見た。
どことなく夢心地のピシアを横目で見ながら、
「…………言わないよ」
 げんなりと、痛みを堪えるようにこめかみに指を押し当てる。
「やっぱり君って先輩のことを」
 ピシアが何かを呟いていたが、声の大きさより頭の痛みの方が上回った。
「…………」
 確かにクルトという少女は妙に、人に好意を寄せられやすい体質ではある。 
 あの破天荒さや性格がその大元の原因なのだろう。
(けど、ここまで行くとある種の同情すら覚えるんだけど)
 特に変わった部類に好まれやすい傾向があるが、流石に同性に好意を寄せられているとは夢にも思うまい。
 それだけで頭痛には十分だが、更に頭が痛いことにどうやらピシアは自分のことをライバルだと思って居るらしい。
(多分、恋敵の方で)
 正直、頭が痛かった。
「ひ、否定しないなんて。やっぱり君先輩のことがッ。
 そ、そうかそうだよね。お弁当とか貰っちゃってるし、拒否しないから気はあるとか思ってたけど!」
「……え」
 叫ぶような台詞にはっとなる。
(仕舞った。否定しておけば良かった)
 思考の方に没頭してしまったせいでそこまで気が回らなかった。ピシアが唸るように敵意の視線を向けている。 
 殺意にも似た光。今更撤回したところで『往生際が悪い』と一蹴されるだけだろう。
「レム・カミエル。このピシア・マクグレーシ様に勝ったとは思わないでよね。
 絶対に地べたに這いつくばらせてやるんだから!」
 まるでおとぎ話の勇者のように大仰な仕草でびし、と指を突きつけ、
「絶対だからね!」
 叫びながら走り去っていった。途中、転んだのか派手な音が聞こえたが、レムにはもう、つっこむ気力すら無い。
「……勘弁してよ……もう」 
指先で髪をかき乱し、少年にしては珍しく、力ない声が唇から漏れた。





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