十四章:救世主は星使い−1

火の粉が舞って闇を彩る。静かな空気を引き裂く唸りは、暗い未来を濃く描かせた。


 ギルドで手配された馬車は今まで以上に豪華だった。
 恐らく馬車酔いの激しい私達を配慮してくれたのだろう。
 座席は柔らかく身体を包み、天井も厚みのある布で覆われていて小さなシャンデリアのようなランプが揺れている。
 後ろには高そうな絵が飾られ、車内と言うよりもシックな室内のようだった。
 だからといって悪路が改善されるわけもなく、車輪が石を踏まなくなったりもしないわけで。
 高い馬車だとやっぱり揺れは少ないな、とは思うものの、休憩を挟みながらも酔いに悶絶する。
 あまりの酔いに気絶して気が付いたら目的地、とかを望む。
 シリルに手刀を頼みたくなるが、彼に出来るはずも無いので諦めた。
 その代わり気を紛らせる為に手書きの地図を覗く。
 先程休憩した時に御者の人に聞いたところによると、ようやく三分の一を越えた辺り。
 あと三分の二の距離が残る。魔物の出現率は低く、出たとしても御者だけで追い払えるレベル。
 山を越えると言っても整備された大通りなので獣の心配もないとも聞いた。

 やっぱり酔いが一番の強敵か。

 壁に手を置き、溜息一つ。壁際にくぼみがあり窓のような切れ目。
 何となくくぼみに指先を引っかけて引き上げると強めの風が吹き込んで驚く。
 反射的にマントと覆面を抑えたが、カラクリ仕掛けにでもなっているのか、上げた壁が落ちる事はない。
 風に煽られたマントと覆面は、翻るだけで捲れ上がる事はなかった。
「空気が変わって気持ちが良いですね」
 シリルの声に頷いて外を見つめた。
 流れていく森、車輪に飛ばされた砂利。
 窓のようなものだったのかと納得する。
 入り込む新鮮な空気と草の匂いで箱詰めのようで窮屈だった気分が僅かに解放された。
 茜色の光を見て、もうそんな時間かと心の中で呟いた。
 
 
 濃紺の空が漆黒に染まるのにそう時間は経たなかった。
 馬を止めて私達を下ろした御者から夜間は危険すぎるのでもうこれ以上は動かせないと告げられた。
 夜間の方が魔物達の動きも活発になるらしい。
 茂みから魔物出現、驚いた馬が大暴れ。ついでにうっかり崖に突入でもされたら洒落にならないので素直に頷く事で同意する。
「今日中に到着は無理ですね」
 顔を出した半欠けの月を見上げ、溜息を零す。馬車は停止しているので今や車内はただの部屋だ。
 馬を外す金属音が聞こえる。山道で疲れた馬達を側の泉まで連れて行くらしい。
 蹄が地を蹴る固い音が響き、離れていく。
 泉はそんなに遠い場所ではないのですぐに戻ってくると聞いたから、ぼんやり待つ事にした。 
「そうですね今晩はこの辺りで野宿だと思います。あ、火をおこさないと」
 相槌を打ち、立ち上がるシリルに視線を向けた。
「シリルはそう言うの得意なんですか」
 魔物の心配が少ないとは言われたが、火がある方が頼もしい。
「得意というか、村の側では獣が多かったので必要最低限に覚えておけと言われて。
 でも、慣れていないので遅くて、いつも横で見ていただけなんですけれど」
「火がある方が安心ですし、助かります。
 野宿に備えて薪は馬車にも積んであるみたいですし」
 座席の下の隙間に手を入れてピンにも似た留め金を外し、そっと力を込めると床が割れるように扉≠ェ開いた。
 デッドスペースを倉庫として利用していると説明を受けた。
 中には整然と並べられた乾いた薪。山越えの時点で必要な装備なのだろう念入りな事だ。
 向かいの席の下には毛布や食料。飲料水もあるらしい。山越えというか遭難に備えている気もする。
「お役に立てるなら付いてきた甲斐があります」
 薪を抱え、扉を開いて外に出る。しっかりした作りの馬車は成人していない少年の体重程度では動かない。
 吹き込んできた夜風に僅かに目を細め、数本薪を持って後に続く。
 タラップを踏みしめ、降りようとすると先に下っていたシリルが薪を置き、私の薪をやんわりと奪い取った。
 取り戻そうとして伸ばした腕を掴まれ、地面に着く道までエスコートされる。
 ……なんだかちょっと恥ずかしい。
 小さくお礼を告げて、シリルの作業を眺める。
 懐に収めていたナイフで小さめの薪を削って木くずを作っていく。
 ある程度量が出来たところで表面を削った薪にナイフで器用にくぼみを入れ、薪の側に置いてあった細い棒のような形状の道具を取り出す。
 空けた穴に木くずを入れ、棒をはめ両手で挟み込み素早く動かしていく。
 遅い、と言う割に妙に慣れた手つきだ。そう経たず、煙が上がりはじめる。
「私、サバイバル能力皆無ですし、本当に付いてきて貰って正解です」
 助かると同時、悪魔以外では完璧にシリルに敵わない事を突きつけられた気がした。
 火もおこせない、木も割れない、食事当番なんて問題外。
 なんとか覚えているのは毒物と紙一重のキノコ達。薬草も覚えれば良かったと後悔する。
「……やっぱり私は足手まといですよねぇ」
 悲しいと言うよりも、しみじみ呟いてしまう。足掻いたところで腕力体力はどうしようもない。
 火をおこす事くらいは覚えられるかもしれないが、やってる間にシリルが火を付けてしまうだろう。
 不器用な自分がこれほど呪わしいと思ったのは、札や結界を作っていた頃以来だ。
「そんな事無いですよ」
 木くずを継ぎ足しながらも回転は途切れさせず、シリルが私をちらりと見た。
 大分暗くなっているが、金の瞳のおかげで視界は良好だ。
「寂しくなるのでそんな否定は良いですから。悪魔退治以外取り柄がないのは自覚はしてます」
 煙が強くなったところで腕を止めて木くずを入れ。ふ、と軽く息を吹き込む。
 チリチリと縮れるような音がしてぼっと赤い炎が上がった。
 手早く火種を乾燥した葉や余っている木くず燃えやすいものの中に入れ、そっと掌で風を送る。
 燃え上がりはじめた炎を確認して、シリルは薪を組んで一息つくように私を見た。
「ありますよ。取り柄」
 ぱちん、と乾いた音が響き。薪に火が燃え移ると、弱々しかった赤い舌は勢いを増し次々と薪を絡め取っていく。
「何ですか。顔とかは止めて下さいよ」
 明るくなった薪の側で覆面で見えないと分かっていても少しだけ頬を膨らませた。
 あのアホ神から与えられた容姿は取り柄にはならない。どんな美辞麗句を並べ立てられても嫌みなだけだ。
「声と歌。教会の隠れた場所で歌ってもみんな寄って来ますし」
「……リズムが時々ずれます」
 つい最近練習しはじめたものを取り柄だと言われ、微妙に照れくさくて分かりやすく大きくそっぽを向く。
「上手くなってますから大丈夫」
「ザコ悪魔対策に覚えているだけですし」
 更に首を逸らす。ちょっと痛くなってきた。つりそう。
 本心の言葉だと分かっているけど、恥ずかしいせいか反抗してしまう。
「それでも皆の心に響くなら、歌おうとした理由はどうでも良くないでしょうか。
 貴女が紡ぐ歌声から誰かしらが何かを感じ取ったなら、その歌には価値があると思いますよ」
「む」
 微笑まれ、反論の言葉を探す。
 素直に飲み込めばいいのに、抗いたくなる。
 ただ、意固地になっているだけなのかもしれない。
「貴女が、全部自分でする必要はありません」
「全部背負おうとするシリルにだけは言われたくないですその台詞」
 よく考える前に口が動いた。私は全部自分でするつもりはない。ただ単に、はぐれても困らない程度の能力が欲しいだけだ。
「……背負ってませんよ?」
「うそつき」
 ちろちろと燃え続ける炎を眺め、近くに置いてあった薪を投げ込む。
 火の粉が夜空に舞い上がる。
 シリルの大嘘つき。何でも抱えそうになるのは自分だって分かってないのか。
 姫巫女、神、教会。家事に剣技。全てこなそうとしなくて良い。なのに全部カバーしようとする。
 いつか倒れないか心配になる。スミレ色の目をじーっと睨むと視線は感じたのか困ったように彼が笑う。
「そんなつもりはないんですけど。……御者の方帰ってこないですね」
「……少し遅いですね」
 自覚ゼロの台詞に肩をすくめてから空を眺める。ここにたどり着いた時はぼやけた輪郭だった月はくっきりと浮かんでいる。
 御者の、帰りが遅い事が気になった。
 杞憂だと良いのだが、どうもこの手の不安は当たる傾向にある。
「泉はそんなに遠くないとは聞いてましたけど」
 空を見上げる。半分に欠けた白い月が淡く輝いていた。
 ――イィ。
 梢の音に混じって、悲鳴に似た響きが聞こえた。
 シリルの方に顔を向けると、頷き返される。気のせいではない。
 馬のいななきと人の絶叫。
 悲鳴と馬の声が遠くに離れていく。
 異常さよりも不穏な唸りに身をすくめた。
 燃えた薪が崩れ落ちる音にかき消されないほど大きな――獣の、遠吠えが闇に響いた。
 それは木霊のように辺りからも絞り出される。
 顔を上げても、陰りはなく。月は変わらず闇夜を薄く照らしていた。

 

 

 

 

 

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