十三章:思わぬ包囲網−4

神は人に知恵を与えた。彼はその使い道も忘れかけているようだ。


「では厄介、とはどういう意味で」
 口の中のお茶を飲み下した後、首を傾ける。これはごく普通の質問。
 純粋な好奇心が背を押している。
「はあ、まあ、なんといいますか。何で盗んだのか本当に疑問なような代物でして」
 問いに顔をしかめ口をもごもごと動かす。そんな面倒なのでも居たのかその本の中に。
 私が行った時には鍵も開いていたし結界もずれていたから盗まれた後だったんだろうけど。
「その悪魔に取り憑かれると呪いを受けるんですよ。子々孫々……末代まで祟るような」
「結構危険ではありませんか。それ」
 末代まで祟るって、悪質だな。怨念こもった霊のようだ。
 尋ねると彼はゆっくり首を振り口を開いた。
「いえ。効果自体はそんなに大したものではないんです。多少運が無くなる程度で死にはしません」
「運が、無くなる?」
「はい、転ぶとか。小銭を落とすとか些細なものです」
 ショボいな。
 軽い貧乏神みたいな奴か。
 そんなの持っていって本当にどうする気なんだ。
「それが末代まで続くと?」
「いえ、子供に受け継がれるごとに効果が強くなっていくという、奇妙な呪いで」
「呪われた本人は死なずに、ですか」
 感染する呪いか。しかも代を重ねるごとに強化されると。子孫は良い迷惑である。
「しかし、厄介は厄介です。そのうち運の尽きた子孫は必ず死にましょう」
 アマデオの溜息を聞いて納得する。なるほど、確かに厄介だな。
「……軽く見積もってどの位で取り憑かれた一族が消えると思われますか」
「数百年は掛かるとは思います」
 長いな。凄い遅効性なんだな、その悪魔の呪い。
「この場所から悪魔を持ち出そうなんて、余程恨まれたのでしょうね」
 気が長い話ではあるが、確実に根絶やしに出来る。よっっぽど酷い事でもされないかぎりこんな作戦は立てない。
 それに、悪魔を奪うなんて簡単に言えるが、どのみち悪魔絡みなのだから結果は悲惨だ。
 奪う際にあの金庫を開かなければいけない。その金庫には悪魔が大量に潜んでいた。
 ギルド内全員が感染してしまうほど。恐らく奪った犯人はもう生きては居ないだろう。
 他の悪魔に内側から食い尽くされて。
 命を賭けないとこんな事は出来ない。それ程の憎悪があったと言う事でもある。
「なるほど。効果は微妙でも長い目で見ると危険なようですね。
 ですが、私が来た時には金庫も結界も破られていましたし、犯人も探すだけ時間の無駄でしょう」
「……やはりそうでしょうか」
 濁すような口ぶりで問われ、肩をすくめる。
 犯人を捕まえる、生きているという希望を捨てたくないのだろう。
 彼も取り憑かれていたし、悪魔の侵食具合も知っているから聞くだけ無駄だろうに。
「まず確実に。遺体を回収したいのなら探しても良いとは思いますが五体満足ならいいですね」
 冷たく言い放つとひっ、と息をのまれた。シリルが身体を強張らせている。
「悪魔に関わるというのはそう言う事です。
 また取り憑かれたくないのなら、遺体を見つけたら触らない事をお勧めしますが」
 冷酷なようだが探すだけ無駄。悪魔が視えないのなら触らない方が身の為だ。
「わかっちゃ、いるのですがね」
 アマデオが深く息を吐いた。お茶を飲む気がそろそろ無くなってきた。
 不快だ。思わず口元を強く抑えた。
「まだ酔いが酷いのでしょうか」
 尋ねる顔にカップの中身をぶちまけたい衝動に駆られたが我慢する。
「ふふ、いえ……別に」
 薄く笑うとびくりと左隣に座っているシリルが震えた。今の私の声で機嫌の度数が分かったのだろう。
 現在、私はとても不機嫌である。差し向かいに座っている彼は酔いのせいだと思っているらしいが違う。
 私がキレ掛けると金の双眸が光って見える、と言われたが多分勘違いだろう。怒りのオーラ程度は出るかもしれないが。
 今のところ、シリルやオーブリー神父達が言う程度には瞳が光って見える事だろう。
「アマデオさん、ロベールさん。少しお尋ねしたいのですが」
 柔らかく問いかけると二人がこちらを向いた。覆面の下で微笑む。
「肩のしゃれこうべはどうしたのでしょう。新手のお洒落ですか?」
 右側に座っていたイアンが仰け反るように後ろに下がるのが見えた。
「なっ、何の……はな、話ですか」
 青ざめた二人の顔。
「あれほどの目に遭っていて触るとは、良い度胸というか――命は要らないのですね」
 二人の周りに薄いが黒い霞が見える。
 頭蓋骨は乗っていないし取り憑かれては居ないようだが見ているだけで疲れる。
「そん、な事は」
 苦しい言い訳を並べようとしても無駄。彼だって知っているはずだ、私は悪魔の痕跡が視える。
 実力も充分示した。初めてこの場所に来た時と違って悪魔での実験も幾らかこなし、能力も上がっている。
 顔は見えるが、黒い霞がねっとりとまとわりついている。
 アマデオさんを差し向かいにしてイアンを隣に指定したのはえこひいきでも特別扱いでもない。
 感染を防ぐ単なる隔離だ。
「イアン、側に近寄ってはいけませんよ。移されると気分が悪くなりますから」
「は、はい」
 私の袖を掴みコクコク頷くイアン。ちょっとだけシリルの視線が険しくなる。
 不安なんだから仕方がないだろうに。
「シリル、聖水を出して下さい。少し強い方を」
「あ、はい」
 シリルが急いで纏めてあった荷物から私が息を軽く吹き付けた(仮)祝福の聖水を取り出す。
 動きを取りやすくする為に、必要最低限のものしか持ってきていない。
 別に旅行ではないのだし。
 一応軽くシェイクしてから瓶を開いて掌に水を落とす。
「何をなさって」
 警戒の声を無視して力一杯それを投げつけた。振り掛けるのではなく投げつけたのはただのストレス発散だ。
 塩を掛けられたナメクジのように呆気なく消えていく黒い霞。
 ロベールさんの方には届かないのでシリルに渡すと頷いてソファから降りた。
「なにを、うわ!?」
 ばちゃ、と大きな水音がたち、ロベールさんの悲鳴が聞こえた。
 今の音だと一瓶丸々使い切ったぽい。
 ……シリル、ちょっと掛けすぎじゃないか。
 いや、表情に出さないだけで怒ってるのかもしれない。この間祓ったばかりだから。
 私だって出来る限りこんな毒にも薬にもならない不毛な事やりたくない。
 不安そうな顔をしているイアンに掌に残っている聖水を一滴垂らしてあげる。 
 普通の聖水より強いのでしばらく悪魔も寄りつけないだろう。
「あ、ありがとうございます」
 説明してあげるとほっとしたように笑って深々と頭を下げてきた。このギルドの中では一番素直な人物だ。
 狸親父二匹と村の青年では、比べる対象が悪すぎるか。
「終わりました」
 微笑みながらもどこか物騒な空気をまき散らしつつ戻ってきたシリルがソファに座る。やはりお怒りですか。
 右手に持っている逆さまになった瓶からは雫の一滴も落ちない。
 どれだけの勢いでまき散らされたのか、空になった瓶を見れば振られた回数も分かるというものだ。相当腹に据えかねたご様子ですね。
 怖いので突っ込んで聞かず、見なかった事にもしてカップを傾け、揺らす。
 飲まなくてもこうするだけで僅かながらも気が落ち着く。
「これでしばらくは良いはずですが、悪魔を甘く見ないで下さい。出来る限り距離を取るか専門の方を側に置く事をお勧め致します」
 脅えたような沈黙に溜息をつく。まあ、専門のギルドで関わるなと言うのは難しいが。
 このガードの薄さは何とかしないとそのうち死人が出ると思う。
「あ、あの。バリエイト様のお屋敷に行かれるのでしたよね。
 地図、描きましょうか」
 カップが皿に置かれる音を切っ掛けにはっとイアンが顔を上げた。
「助かります」
 偉いイアン。こんなごたごたの最中でも覚えていてくれた。
 ペンとインク、羊皮紙みたいなものをカウンターから持ってきて、机の上に乗せる。
 普段雑務が多いのか、慣れた様子で紙に地図を書き込んでいく。
 ある程度出来上がった時点で地図の一カ所に丸を付け、少し離れた部分にバツを付ける。
 丸にペンの先端を置き、ぐるりと円を描くように線を付けた。意味が分からず顔を向けるとイアンが出来上がったばかりの地図を示した。
「いえ。ええと、ここがギルドで……お屋敷に行くまでは馬車に乗って半日位かと」
『半日!?』
 シリルと同時、悲鳴のような声が出た。
 は、半日もあの馬車に。というかそんな遠いなんて。いやそんな遠くから馬車でも平気なユハは凄いなと少し見直し……
 落ち着こう私。衝撃の発言で混乱しかけた頭を冷静に戻す。
「え、はい。ここからだと遠回りをしないといけないんです。
 町に行く途中でもありますけど、山の裏側にありますから」
 どうして町へは山越えを、と尋ねたいが余りつついて怪しまれるのも困る。
 村で歩き回っているマーユからも町の噂も余り聞かないし、ここが辺境なだけなんだろうか。
 馬車酔いは嫌だが、そんなに遠くでは歩いていけば私の足では数日単位になるかもしれない。
「馬車弱いんですよね、大丈夫ですか」
 心配そうにイアンが私を見つめた。
 大丈夫ではないので心で絶叫している最中だ。
「少し休憩してから行って宜しいでしょうか。休憩させて下さい」
 絶望的な宣告でどっと疲れが押し寄せる。うう、半日も馬車地獄なんて!
 今度は生きていられるだろうか。隣を見るとシリルも疲れたような顔でお茶を啜っていた。
 ……もう、なるようになれ。

 

 

 

 

 

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