再召還からすぐ、私はフレイさんにある頼み事をした。
安く、壊れやすい丸形の壺か何かがないかと。
こんなので宜しいのですか? 不思議そうに尋ねてくる彼に曖昧に微笑んで頷いて見せた。
アベルから前から言われていた一言は、間違っていない。だから、準備をした。
この世界は強いものが生き残る。
ずっと前から分かっていたこと、それは私がどうあがいても勇者候補と同じ力を持つことは出来ない。
魔法、剣技、体術。彼らは人間離れをした能力を持っている。
だからこそ、私は勇者候補ではないからこそ、思いつけることを実行に移した。
フレイさんに頼み込んで急いで用意して貰った陶器。先延ばしにせずに直ぐ用意したことは間違ってはいなかったようだ。
自虐的になりそうな笑みをしまい込み、急いで開いたナップザックからお目当ての陶器を二つ取り出す。
根本的な解決にはならないだろうけど、今の状況を変えるには充分な役割を果たすはずだ。
投げようとして思い直す。至近距離ならまだしも揺れる馬車の上ではコントロールに自信がない。
確実に当てるなら自分以外の人間が適任だ。寂しいけれども。
「マイン。この陶器を一つずつ魔物の足下に叩きつけて下さい」
呼び戻される前に買っておいたペンで印を付けた容器を二つ取りだし、二手に分かれてこちらに向かってくる獣の群れの前足を示した。
ぺろりと自分の指先を湿らせて風の向きを探る。走っているだけあってこちらが風上。準備は上々。
「足下、で良いの?」
不思議そうに尋ねてくる彼に頷いてみせると、マインは迷い無くソレを地面に目一杯叩きつけた。
一発で私の指示通り魔物の足下で陶器が割れた。命中力抜群。
薄い黒煙。恐らくばぎん、と鈍い音がしただろう。
馬の足音と轍の音のせいもあるが、聞こえなかった一番の原因は獣たちがうめき声を上げ始めたからだ。
本来は煙を無視して突っ切ってこようとしたであろう群れから魔物達が野太い唸りのような声を発しながら苦しみ藻掻く。
何匹も躓いたかのようにいきなり前転して転がり、仲間に踏まれている。風の勢いと相手の猪突猛進さが私の用意したものを広範囲に広げることになったらしい。
投げろと言った私も驚く程に悶絶している。恐らく犬に近い彼らにたっぷり押し込まれた胡椒の粉末は地獄の苦しみを味わって居るんだろう。
「うっわー凄い凄い。今のなにっ!?」
「ただの時間稼ぎです。しばらくは足止めできますからプラチナと合流しましょう」
そんなに感心されると少し恥ずかしい。
夢を壊しそうなのでマインには絶対夜中にちまちま粉末を詰めているところを見せたくなくなる。
「分かれた方が目をくらませられると思うけど」
首を傾げて辺りを見る。相手の動きが鈍ったとしても合流には危険が伴うだろう。
だけれど、それでもそうしないといけない理由はあった。
「この状況でバラバラになった後、合流できる自信ありますか。私はないです」
魔物に襲われ散り散り。その後行方不明で更に私達も遭難。随分普段のコースを外れているだろうから、あり得そうで怖い。
「う。そうだね。じゃ、御者さん、プラチナ達の馬車に合流、出来れば側につけて」
返答の変わりに鞭が唸った。速度が上がり、馬車の向きが変わる。
タフな魔物の方々が追いつこうと必死に走ってきた。
「しつこいですね」
心の中で溜息。
「備品が減るけどナイフ投げようか」
「良いです。効くかは分かりませんが、もう一つ試してみます」
こちらの世界の方々に興味を示して貰えますように。祈りながらナップザックの半分程を占拠していた袋を取り出す。
「投げるの?」
「いえ、こうしますっ!」
尋ねる声に袋を逆さまにひっくり返す。ザザと波のような音を立てて小石程度の大きさのものが幾つも地を跳ねた。
まるで土砂崩れだ。
「踏むと爆発するんだね!?」
期待を裏切って悪いけれどソレは私の力では用意できない上に法律に触れます。
同じような攻撃だと思ったのか群れの勢いが刹那衰える。
それだけで充分。
「あれ。止まった……」
二手に分かれたはずの群れが固まり、留まっている。
「人間も魔物も結構アレですよね」
ワンちゃんに大人気ドッグフード大袋(特売品)はこの世界の方々のお口にあったらしい。
毒が入っていれば分かるだろうからそんなモノは仕込んでいない。
この世界では常に食糧難だが、魔物もそうらしい。
マインだって美味しいモノを投げれば倒せそうだ。きっと虚しくなるだけなのでやらないが。
それに、そんなことをしたら絶対に怒られる。マインは怒らせたくない。
空っぽになった袋を振る。流石は特大、本来は袋ごと持ってきたかったけれど多すぎたので分けて持ってきた。
今は食事に夢中だろうがあの程度であれば直ぐに食べ尽くされてしまうだろう。明らかに飢えている様子の食べ方でもあるし。
……あの食べっぷりを見ていると絶対に追いつかれたくなくなった。獣王族とは違う意味で骨まで残さず砕かれそうだ。
「用意、していたのか」
「魔法が使えなくても、ただの足手まといになるつもりはありませんから」
少しだけ驚いたアベルの言葉にそう返す。死ぬつもりが無いなら手段を選ばなければいい。
元の世界でマナが言っていたように、私の出来る限り全てを尽くして打開策を見つけ出す。
テストの答案用紙だって盗んだって構わない。卑怯でもこうするしかない。
全然勇者の手法ではないけれど、私は生き延びられればそれで良い。
呆れたのか、それとも何か考えているのかそれ以上アベルは何も言ってこなかった。
「カリン! プラチナの馬車大分近づいたよっ。御者さん寄せて!」
風で張り付いた髪を払い、マインが声を張り上げた。
「本当ですか!? 良かった」
マインやアベルが居たとしても合流できると分かって、思わず語尾が跳ねる。
気が緩んだ一瞬。馬車の風とは違う、風が身体に当たった。
違和感。振り向こうとした私が見たのは赤。遅れるように水音と、馬車からはじき飛ばされたモノと。穴からゴトンと落ちた何か。
手に伝うぬるりとした暖かい感触。何が起きたのか分からない。
ただ、横にいたマインが青ざめた顔をして私を見ていた。吹き飛ばされたモノを見ようと振り向く。
黒い毛皮を持ったあの獣が身動きせずに朱をまき散らし、砂埃の中消えていく。
少しずつ寒気が足下から上がってくる。ゆっくりとぬるつく手を持ち上げ、見つめた。
赤だ。冷え始めた粘度のある液体が滴り落ちて、幌を赤く染めていた。
「血」
これは血だ。突然のことに現実感が出ない。
「大丈夫カリン!?」
何が起こったのかは分からない。震えるマインの声で、私はあの時死にかけていたことを実感した。
ゆっくりアベルの方を向く。鮮血を振り落とし、剣を収めていた。そして、いつものように皮肉げに笑う。
「コイツを守るんじゃなかったのか。マイン」
私ではなく、マインに向かって。
マインは口を開けようとして唇を噛み、拳を握る。肩が震えている。
「カリン様!! 足、足、足がーーーーー!?」
シャイスさんの悲鳴を遠くに感じながら、手の甲を眺めた。
怖くはない。心が何処かに飛ばされたように何も感じない。
何もかもがいきなりで理解できない。
きっと後で恐怖するんだろうと、冷静な思考が呟いた。でも好都合だ。
足場が不安定な馬車の上でパニックに陥ればなにもされなくても死んでしまう。
血の付いていない右手で手の甲を拭う。取れるどころかぬるつく血液は広がるばかりで、汚れていない手まで血まみれになる。
この世界にたどり着いた時の私の不安のように。そう思った。
|