九章/足手まといは要らない

 

 

 

  

 私の心を表すように馬車が揺れる。
「ま、魔物ですか!? どうしましょう。こんな状態で囲まれるなんて」
 立ち上がりかけたシャイスさんの腕を掴み、無理矢理椅子に座らせる。
「お、落ち着いて下さいシャイスさん。立つと頭打ちますっ」
 今の状態の揺れでは私でも頭を打ち付けかねない。
「御者さん、振り切れない? 無理っぽいかな」
「これ以上速度を上げるとこの悪路では転倒しかねません!」
 ああああ、次々と希望を打ち砕くやり取りが聞こえる。
 このまま箱詰めでなりゆきを見守っていても精神衛生上良くない。
「マイン! 私も上がります」
「登れるの? 危ないから止めたほうが良いよ」
 慌てた声に見えないと分かっていても胸を張ってみせる。
「大丈夫です。棒の上を歩く訓練してきましたから!」
 鉄棒渡りとフェンスよじ登りの特訓がもう披露できるとは思わなかった。
 とうとう、と言うよりもう成果を見せなければいけない現状に涙が出そうだ。
「じゃあ取り敢えず登ってきて。無理そうなら降りればいいし」
「はい!」
 声を張り上げて、ふと気が付く。
 力強く頷いたものの、どうやって上がれば良いんだろう。
 辺りを見回してもドーム状に形成された幌と、骨組み。天井に空いた口。
 足がかりは骨組みくらいで後はとっかかりもなく登るのは難しそうだ。
 ようし、やるだけやってやる!
 年季の入った骨組みに恐る恐る手を掛け、爪先で何度か幌を蹴りながら上に登る。
 うう、マイン。コレかなり大変なんですけど。先程彼は器用にあっさり上がって見せたが、手こずる私。
 冷たい風が髪を弄ぶ。あと、ちょっとで空が見える。指を頂上に引っかけようとした時、私の身体がずるりと地に引き寄せられた。
「ひぃやあ!?」
 悲鳴が唇から零れる。ぼす、と鈍い音がして身体が揺れた。
 手を滑らせたわけでもドジったわけでもない。
「なにするんですかシャイスさんッ」
 ただ、シャイスさんが私の足首を掴んで引っ張ったのだ。
 落下させた張本人は一応庇ってくれたらしく私を抱えて、いや、大の字に伸びていた。狭い車内では迷惑な事この上無い。
「あたた、いえ。危ないから止めたほうが良いと思って。つい」
「いきなり引っ張る方がよっぽど危ないです!」
 頭をさすりながら呻く彼を睨んでみせる。心配は分かるが落下させるのは止めて欲しい。
「もう、次からはしないで下さい」
「は、はい。ってカリン様登るのは危ない――」
「今度落としたら踏みます。ジャンプして踵からお腹にダイビングです!」
 再び腕を伸ばすシャイスさんに威嚇の唸り。マインのお手玉で落ちるのになれてはいても、落とされるのが好きな訳ではない。
 それにマインなら確実に受け止めてくれるだろうが、シャイスさんだと受け止め損ねる恐れがある。痛いのは嫌だ。
「ス、スミマセン」
 萎縮するシャイスさん。言い方が強かったかも知れないけどこれで良し、もう引っ張られることはない。
 先程と同じように、多少要領を掴んだ為か少しだけ早く天井の上に首を出す。
「ん、ううう。到着しました」
 両腕に力を込めて下半身を抜き出す。少しだけ心配だった腰回りも難なく引き抜けた。
「遅かったね。聞こえてたから理由分かるけど、シャイスも心配性だよね」
「全くです」
 相槌を打ちながら最後に爪先を出して私は外の世界に抜け出した。
「風が強いから気をつけてね」
「は、うわっ」
 答えかけて尻餅をついた。幌のトランポリンのような弾力に跳ね飛ばされそうになった身体を必死で留める。
「ほら、気をつけてって言ったのに〜」
「気をつけては居るんですけど足場が不安定で」
 所々の骨組みは場所によって軋みを上げる。布は強度がある品を使っているせいか破れるような感じはしないが踏みしめると足が沈み込む。
 その上悪路を飛ばしている為に揺れまくっている。プラス強風、最凶のコンボだ。今現在バランスを取るだけで必死で、辺りを見回す余裕がない。
 気を抜けば紙切れのように吹き飛んでしまいそうだ。
「ホラ。あっちと、そっちに魔物。プラチナ達の馬車も見えるでしょ。魔物を何とかかわしてるけどそろそろ限界かなぁ」
 強風が髪をかき乱し、衣服を貼り付ける。動きにくい身体を動かし、マインの声の向いた方に目を向けた。
 プラチナ達が乗っていたのは私達が乗っているモノよりも馬の頭数が多い。群がる黒いオオカミのような魔物を振り切る為にジグザグに走り回っていた。
 馬車を襲っていた魔物が大きく口を開き吼えた。遠いはずなのに不気味に光る牙と、赤い口内が見えた気がした。
 風の音でなにも聞こえない。だが、遠吠えのようなモノをした魔物の眼がこちらに向かい、あちらの馬車に群がっていた三分の一程の化け物が私達の馬車に突進してくる。
「こ、こっちに来ましたよ!?」
 実戦経験がない私でも分かる程、明らかに狙われている。マインはポリポリと頬を掻いて首を傾け爪先を揺らした。
 こんなに不安定な場所なのに彼の仕草は地面にいるときと大差ない。
「んー、しょうがないな。僕だけ降りるよ」
 少しだけ面倒くさそうに息を吐いてマインが伸びをした。
 そうだ、マインは強い。でも、今はその強さにかげりがある。
 戦うときのマインは何時も手放さなかったモノ。それは小さいかも知れないけど、致命的になりうる欠け。
「え、でも武器は」
 武器だ。私をアベルの刃から守った際、彼の主力武器であるブーメランは壊れてしまった。
「短剣持ってる」
 肩をすくめて手を挙げるマインに血の気が引く。もしかしてその超接近戦専用武器一つで単身あそこに突っ込むつもりなのだろうか。
 まさか。いや、マインならやりかねない。
「幾ら何でも危なすぎますよ!」
 慌てて止める。幾らマインが強くても武器が短剣一つは流石に無茶だ。
「あんま強いの居ないみたいだけど数が多いから確かにちょっと不安だけど、囲まれてるし」
 へらっと気の抜けた笑顔を向けたマインにクラクラする。見惚れたではなく揺れでもなく、呆れの余り目が回る。
 やっぱり無茶なんですかっ。言いかけた言葉を飲み込んでマインのマントを掴んだ。
「降りなくて良いです! シャイスさん私の荷物を下さい!」
 足下に声を張り上げる。
「あ、はい。って、重いんですがカリン様」
 素直なシャイスさんの返事が途中で苦しげな呻きに変わった。
 中身が中身なので仕方がない。
「頑張って下さい! でも割れ物なので気をつけて下さい」
 ここは頑張って貰うしかないのでエールを送る。
「そ、そんな無茶な……あ」
「あ、って何ですか。割ったんですか!?」
 疑問は私の前に静かに置かれた荷物と、音もなく登って、いや飛び乗ったらしきアベルの姿で氷解した。
「ほら。これで良いのか」
「あ、ありがとうございます」
 ぽつりと呟かれ、しばらく現実味が無くぼーっとしていた私の意識が戻る。取り敢えず急いでお礼。
「アベル兄珍しい。カリンの事嫌いじゃなかったの」
「シャイスが目の前で動き回って鬱陶しい。それに、外界(そと)の空気を吸うついでだ」
 言葉少なにそう言って、肩をすくめる。
 確かに、さっきから私を受け止めようとして派手に倒れたり、見ていないけれど心配してウロウロ歩き回っていた可能性が高い。
 少しだけアベルに同情する。
「カリン様ー!」
 下からシャイスさんの呼び声。
「何かありましたか!?」
 見えない所から魔物が進入しそうになっているのだろうか、とも思い慌てて返す。
「一人にしないで下さい」
 車内に残された彼が懇願してくる。
「もう少し我慢して下さい」
 紛らわしいことはしないで欲しい。
 今は非常事態だ、構っているヒマはない。私は冷酷に切り捨てた。
 重たい荷物、ナップザックを開き、ザラついた陶器を選別する。
 この状況ならあれが効果的だろう。しばし黙考してから目的の品を探した。
「ねえ、カリンその荷物なに」
 興味津々に見つめてくるマイン。
「最終兵器です」
 他の言い方をすれば最終手段。
 のぞき込んできたマインに笑ってみせる。少しだけこちらを見たアベルがふいと顔を背けた。


 

 

 

 

 

 

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