九章/足手まといは要らない

 

 

 

  



 土を跳ね飛ばし、砕けた矢を踏み散らしながら息を切らす。
 避けないと。逃げなきゃ。過呼吸のせいか、辺りが白くかすみがかって見える。
 躓きそうになりながら、走る。追いつかれたらダメ。急げ、急げ、急げ。
 心がざわりと波立ち、警鐘を鳴らす。
「カリンちゃん気をつけて、今度は左!」
「カリン様危ない!!」
 せっぱ詰まった二人の声が交差する。左と前方から。
 誰のせいですか、と言うのも時間が惜しい。
 指先をしならせ、向かってきた白い法衣を掴み、反対側へ投げ飛ばす。
 スライディングの要領で同時に飛ぶ。後ろから振りかぶられた槍は靴裏を風でなぶるだけで終わった。
「うう、カリン様ご無事、ですか」
 ズタボロになりながら呻くシャイスさんの姿を見つめ、保険代わりに持ってきていた武器を取り出す。
 フレイさんに渡された物で、木製のはめ込み式の棒だ。教えられた通りにはめ込んで少し回すとカチン、と軽い音を立ててしっかり繋がる。
 自室で何度か試していたので、もたつかずに済んだ。「四段階まで伸ばせますから、遠くの敵をたたくのにもってこいですよ」と言われたが、取り敢えず三段階の長さまでにしておく。
 携帯の武器としては意外に便利だが、しょせん木製。魔物に通じるはずはない。静かに突っ込みを入れたら「確かに火炎とかはダメですね」とフレイさんが遠い目をしていた。
 現在周りにいる魔物は固そうな鱗を持っている。火炎なんか使わなくても叩くだけでこちらの武器が痛手を受ける。 
 だが、今はそんなのはどうでも良い事だ。
 ここまでする必要はないのかも知れなかった。でも今の感情と共にやってしまうのは後々まずい事になる可能性がある。
 携帯していた応急処置用の包帯を先端に丹念に何重にもして巻き付ける。
 穏便な手段をと何度も思った。けれどもう我慢ならない。
「あっ、カリン様危ない」
 突き飛ばそうと飛んでくるシャイスさん。私は魔物の攻撃範囲を横っ飛びで避け、
「いい加減、に。して下さい!」
 包帯の巻き付いた柔らかい部分で思い切り殴り倒した。
 

 逃げはじめてすぐが試練の始まりだった。
 音と衝撃を囮に使って逃げ初めても、敵は多勢。
 見つかるのは分かっていた。だから、出来る限り遠くに逃げようとして。
 逃げようとした側から何かもの凄い音が聞こえた。思わず拳を固めてそちらを見る。
「……ふ、不可抗力です」
 泥で塗られた白い法衣を揺らし、恐る恐るシャイスさんが引きつった声を漏らす。
 足下には折れ、散乱した矢の残骸。
 あちらこちらに散らばる障害物を避けるのは難しい。まあ不可抗力だろう。
 が、
「どうしてこんな、隠れられないところで派手な音立ててくれるんですか」
 ギリギリと聞こえるのは自分が奥歯を噛み締める音か、それとも爪先が皮膚に食い込む音か。
 辺りには樹も藪もない。一刻も早く駆け抜けたかった時にこれだ。
 後退るシャイスさんのフードを鷲掴む。
 襟首を掴まえて拳を握りたくなっても彼が言ったのと同じく、それは不可抗力なのだ。
「スイマセンご免なさい」
 余った力が溢れ、震える私の拳を見てシャイスさんが青ざめた顔でペコペコ頭を下げる。
「ゴメンで済めば死人は出ません。何か集まってきてますし!」
 人語ではない異様な呼吸音に混じって魔物達の声が聞こえる。絶対見つかった。
「いえまだ死んでません許して下さい。というかこの状況で矢が飛んできたらすぐ死んじゃいませんか!?」
 言われて指の力を緩める。固まっていれば狙いやすいし、確かに口論していても埒があかない。
「もういいです逃げます。確かに危ないので逃げるのが先です」
 溜息を隠す気力も減った。
「に、逃げられるんですか」
 疑問系。一応原因なのに頼りない呻きにぴく、とこめかみ辺りが引きつる。 
「ですか? ではなく逃げるんです。凡人なら凡人らしく潔く逃げるんです!!」
 ビクゥッと痙攣でも起こしたかのように彼の身体が震えた。
「いえ、あの。でもこの数じゃ」
 うじうじ言おうとしているが、有無は言わせない。
「煙幕代わり程度は持ってますから、それを使いながら撒きましょう」
 告げながらナップザックを漁る。一番重かったドッグフードが減っていなければここまで持ってこられなかった。
 残っているのは油爆弾、粉爆弾(片栗、薄力粉)、油爆弾、インク目つぶし、激辛目つぶし爆弾(数種)。後は使えるか分からないものや日用品が少々。
 我ながらなかなか準備万端だ。うん、私は普通の人間だから準備はきちんとしないと、死ぬ。
 弱肉強食。強きは生き、弱きは引き裂きふるい捨てられる。
 ここに来てからは更にスリル溢れ、生きた心地がしない。なんて素敵な世界なんだろう。
 神が居たら呪ってやる。
 丑の刻参りで。
 暗い決意を固めながら一番使えそうな粉爆弾を取り出す。
 にっこり微笑んで「さあ行きますよ」と声をかけると、シャイスさんの目がどうしてか怯えの色が混じっていた。


「せい」
 右手に粉爆弾左手にインク爆弾を持ち、次々投げつけていく。
 量には限りがあるので出来る限り『足が速い』『強そう』『むしろ寄りたくない』の一項目でも当てはまった物を優先的に狙っていく。
 全身に毒のような物を仕込んでいた魔物の目を改良版インク爆弾で潰してから息をつく。
 流石配分を考え、水で薄めて居る為広がりも良く、耐水のインクも混ぜたのはなかなか効果的だった。私だったら絶対当たりたくない。
 鬼か悪魔と言われようと死ぬよりはマシだ。しかしながら、インクと粉だけでは威力に欠ける。
 毎夜ふわふわと漂う炎。それを思い出す。
「シャイスさん魔法使えましたよね。炎とか出せますか少しで良いんですけど」 
 軽い火でも当たれば多少の足止めになるだろう。
「あ、あのでもそんな、魔法なんて言える程の物は」
 縮こまってシャイスさんが視線を逸らす。
「私より出来るじゃないですか。炎出ますよね!」
 出して貰えるとありがたい。
「あ、う〜。ほんの……ちょっとなら」
 もの凄く歯切れが悪い。
「別に辺り一面焼き尽くせとき言ってませんよ。試しにすこし出してくれませんか」
「う。やらなくちゃ……いけませんか?」
 どうしてか見上げるように見つめてくる。何だろう。このいじめっ子気分は。
「いけません。命掛かってます」
「わ、分かりました。じゃあ。頑張ってみます」
 ふわりふわりと炎が揺れる。蛍火のような丸い小さな炎。
 いつものより大きいけれど、これは。
「シャイスさん。遠慮しないでもう少し大きくして良いんですよ」
「……それで、精一杯です。数は増やせますけど」
 泣きそうな顔でそう告白してくる。
 へ?
 声にならない驚きが胸の内で響いた。
 確かにいつもより大きいけれど、蝋燭の炎より小さい。
 苦手とは聞いていたけどこれは――
「しょぼっ! 使えないッ」
「ひ、酷いですカリン様ーーー。頑張ったんですよ、私は魔法使えないって言ったじゃないですかぁっ」
 はっ、思わず本音が口から零れた。確かにこれは魔法と言うにはちょっと。日常レベルの炎の量だ。
 うーん、これは援護は期待できない。
「いえ、すみません。つい」
「ついって何ですか。ついってぇぇ」
 余計落ち込ませてしまった。
 可哀想だけど攻撃の役には立たない。立たない。……立たない?
 でも火が好きな時に出せる。これは助かるかも知れない。
 工夫すればかなり、いい攻撃が……できる!
「役に立つかも。シャイスさん、炎が出せるだけで良いです。助かります!」
「ほ、ほんとですか」
 力が抜けて地面に滑り落ちそうになっていたシャイスさんが潤んだ灰色の瞳を希望に輝かせる。
 そう、絶対役に立つ。だから励まさなくては。
「だから、火力が多少ささやかでも落ち込まないで下さい」
 笑顔で手を合わせてみたら何故か彼は再び地面へと落下した。
 あれ?
「ど、どうしました。シャイスさん。あの、具合悪いですか」
 首を傾けつつ尋ねる。なんでいきなり落っこちるんだろう。
「カリン様って時々凄く酷いです」
 凄い言われようだ。シャイスさんは地面を指先でほじりながらいじけていた。
 子供みたい。
「……励ましたつもりなんですけど。私何か変な事言いました」
「うう、ホントの事しか言ってませんよ」
 何故涙声。
「そうですか? じゃあえっと」
 不審に思いつつも、一応納得する。まあいいか。
 敵がいない今のうち、作業を済ませておかねば。
 ナップザックの底の方に……あったあった。
 一応持ってきていたティッシュペーパーと新聞を取り出す。交互に重ねて丸め、瓶に浸して。
「出来た」
 これにシャイスさんが火を灯せば、簡易火炎瓶の完成。うん、見た目は不格好だけどまあまあの出来。
「……それ油ですか?」
「はい。紙に染み込ませて導火線代わりにしてます。炎が付けた所を敵にぶつければ」
「カ、カリン様!! そんな素敵な笑顔でなんて物騒な物を作るんですか」
 笑顔が素敵なのと作るものは関係ない気がします。
「死にたいんですか?」
 首を傾けて尋ねてみる。
「うっ、それは」
 一歩引く彼。
「無いよりある方が生きられますよ」
 更に微笑んで見せたりしてみる。
「ううっ、そうですけど」
 強張った笑いを貼り付けてしゃがむシャイスさん。それ以上文句を言う気が無くなったらしい。勝った。
「あ、そうだ。激辛瓶で混乱してるところに囲むように投げれば良い感じに殲滅できますね」
「殲滅って。激辛瓶って?」
 素朴な疑問にぴっと親指を立ててみせる。良く聞いてくれましたシャイスさん。
「可愛いところで唐辛子やタバスコとか。私の世界で世界一辛いと名高いハバネロの濃縮液を壺に一滴垂らして、水を入れて蓋をし、力の限りシェイクしたのもありますよ」
 隙間はきっちり粘度で塞いでいる。涙どころではなくなりそうなので蓋を開ける気はない。
「せ、せかいいち」
 シャイスさんが呻いているがこれを調達するのは大変だった。絶対役に立つと思って用意していたのだ。
「何倍でしたっけ。何十倍……百倍だったかな」
 あー、いけない。不謹慎だけど少しワクワクする。どの位効果あるんだろう。
「カ、カリン様ー。元のカリン様に戻って下さい。アニス様が背後に見えます!」
 アニスさんが。鬼神か悪魔が背後って言う意味でしょうか。青ざめている彼を見て首を振り、
「私は正気です。力がないから道具を併用するんです。それに混乱させるだけで根本的な解決にもなりません」
 溜息を吐き出して告げた。
「でも効きますよね」
「生物なら恐らく確実に」
 静かな問いに私は微笑んだ。
 辛味を感じるなら辛さに、臭いをかぎ取るなら嗅覚に確実にダメージを与えられる。
「その笑顔で和んで良いのでしょうか。寒気を覚える所なんでしょうか」
「いや、私に言われても」
 『危険』と書いておいた壺を手に返す。ぎしり、と空気が揺れる音。
「あ、来ました。よーし、シャイスさん火下さい!」
 先程まで息を切らして逃げていた敵を感じ、私はぐっと拳を握りしめた。
「や、やるんですか。うう、知りませんよ」
 何でか嫌そうに呟きながら炎を出してくれる。燃え移らないよう慎重に、かつ手早く火を芯に移し。
「ていやっ」
 投げる。追いつめられた鼠の威力とくとみよ! の勢いだ。
 固い鱗に弾かれた壺は空中で軽い音を立てて割れ、中身をまき散らす。
 中身の感触に驚いた敵が身体を振り、液体が広範囲に広がったところで、ぽつりと炎が落ちた。
 後は、悲鳴と炎の嵐。
「効きました!」
 魔物達の悲鳴を背中で感じながら、走る。大成功!
「ああああ。カリン様の鬼畜」
 鬼畜でも何でも生き残ればいい。私的にはそれでOK。勇者候補の肩書きなんて知りません。
「じゃあ今度は激辛瓶も試してみましょう。あ、火がついた後の方が傷口にしみて良いかもしれませんね」
「止めて下さいーーーー」
 何故か止めようとするシャイスさんと一応力を合わせて、味方が居る陣にたどり着いたのはしばらく経っての事だった。
「カリンちゃん!!」
 鞭で敵をなぎ倒し、驚いたようにアニスさんが駆け寄ってきた。アニスさん格好良い。大の男も顔負けだ。
「アニスさん。はあ、やぁっと……みつけたー」
 千切っては投げではないが、投げては撒き、撒いては燃やすの繰り返しだったのでかなり疲れた。
 シャイスさんは息が切れすぎて、言葉も出ないらしい。
「ああ、カリンだ。カーーリーーーンーー」
 目立つ事も気にせずに、遠くの方から大きな声で手を振る小柄な影。絶対マインだ。
「あら。アベルちゃんは?」
 小首を傾げるアニスさんに首を振ってみせる。
「遠くの方でストレス発散中です」
 地響きを感じるが、遠い空の話だ。凡人の私には関係がない。
 大きな花火と斬撃の音を聞いて納得したのか、アニスさんが頷いた。そして、視線がいつもは白い法衣に身を包んだシャイスさんに移る。
「まあシャイス〜。随分派手に転んだのね。泥だらけよ」
「違いますよ。カリン様が塗ったんです」
「白で来るから目立つんです」
 文句を言いたそうなシャイスさんを溜息混じりに睨む。黒とか着てくれれば良い的にならずに済んだのに。
「シャイス泥お化けー。僕も塗るーーっ」
 何時の間に近くにいたのか、地面から泥をつかみ取ってマインが嬉々として塗りたくろうとする。
「止めて下さい重いんですよ泥って」
 ふっ、と足下に影が落ちる。薄い寒気。
 影の動きと風の流れで攻撃の場所も何となく理解できた。右から来る。
 爪先に力を込め、
「カリン様危ないーーー!!」
 飛ぼうとした足が横合いから来た衝撃でずれる。
「へ」
 間の抜けた呻きだと思いつつ、自分の飛ぶ方向に背筋が冷えた。
 支軸が揺れたせいで右側へ飛んでいる。たしか相手の攻撃は――右。
 死ぬ! 直撃する。ていうか跳んじゃったから避けれない!
 冷静だった思考がお湯が沸騰するかのように一気に波立つ。
 シュ、と空気が擦れる小さな音。細い何かが蛇のように私の胴に絡み付き。ぐるんと視界がずれた。
「カ、カ、カ、カリンちゃん大丈夫?」
 気が付けば震える声のアニスさんが鞭を持ったまま私を見下ろしている。
 私はと言えば、胴体に鞭が絡み付いたままへたり込んでいた。こ、腰が抜けかけた。
 ……鞭。ああ、鞭。助かった。
「あ、ありがとうございます。し、死ぬかと。本当に死ぬかと思いました」
 涙が出そうになって視界が滲む。こ、怖かった。獣王族の時より死ぬかと思った。
「こっちも思ったわよっ。ちょっとシャイス危ない」
 アニスさんが抗議の言葉を紡ごうとする。
「あっ、マイン様危ない!」
「そうマインちゃん危ないじゃなくてーーー」
 今度は魔物に襲いかかられていた(らしき)マインを庇って宙を舞う。
「うっ、わ。シャイス押したら手元危なーーーーっ」
 短剣で相手を捌こうとしていたマインの悲痛な叫びが聞こえる。
「っていうか前立ったら見えないじゃん。退いて引っ込んで死体と一緒に寝てて!」
 確かに前に立たれると危ないけど、挽肉バラ肉寸前の魔物の死体と一緒に倒れるというのはどうだろう。
「そんな事は出来ません! あっ、アベル様危ないですーーー!!」
 キッとシャイスさんは言い切って。近くに来ていたらしいアベルを庇いに行く。
「は? げっ」
 いつもの冷静な態度は何処へ行ったのか。アベルの声が引きつった。
 それもそうだろう。何しろ味方が魔物と一緒に飛びかかってきたのだから。
「カリンちゃんどうしましょう」
 呆然と佇むアニスさんに尋ねられ痛む頭を抑える。どうしようと言われても。
「こういうのを本当の敵は味方の中に、とか言うんでしょうかね」
 答えの代わりに投げやり気味に私は小さく呟いた。

 かくして。二つの敵を持った私達は苦戦を強いられ。
『カリン様危ない!!』
 私を庇う為に特攻するシャイスさんの攻撃に耐えかね。冒頭に至った。


 

 

 

 

 

 

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