六章/切れないゆびきり

 

 

 

  


 初めて見たときと違い、瓦礫も散らばらず絨毯も捲れていない廊下には、靴音は余り響かない。
 淡々と連なる燭台は朝夕関わらず時折送り火に見えることもある。
 さっきまで楽しそうな顔で手を引いていたマインは詰まらなそうに唇をとがらせ、今までの勢いが何処かに行ったかのような小さな歩みで静かに進んでいく。
「いつもはこの廊下意外と早く終わるなっておもうんだよね。でも今日はもうちょっと長くても良かったかなぁ。
 その時間分はなせるしね。あーもう食堂見えて来ちゃった」
 ぽつり、と呟いたらしき言葉が朝の天井に反響して妙に鼓膜を揺らす。
「……そう言えばここって廊下はあるけど階段は余り見かけませんよね。長くて疲れるというか」
 重たくなり出した空気を混ぜる為に、当たり障りのない話題を差し出してみる。マインは少しだけ私の方を眺めた後、肩をすくめた。
「あ、それね。何か前プラチナが言ってたけどさ、見た目は余り変わらないけれどこの廊下って多少傾斜してるんだよ」
「それで疲れるんですね。坂道って地味に足に来ますし」
 けい、しゃ。自分で振った話題だけれど、まさかそんな理由で疲れが溜まるなんて思いつきもしなかった。
「うんそう、螺旋状だけじゃなくてあちこちに蜘蛛の巣みたいに上がったり下がったりしてるから迷路みたいになってるってさ。
 敵襲に対する多少の時間稼ぎには成るって聞いたけど、遠回りも多くなるから不便だよね。
 どんな作りになってるか興味あったから、設計図は探したけどやっぱり見つからなかったよ」
 うわぁ、想像するだけで目眩が起こる。その蜘蛛の巣状の廊下からとっさに袋小路だけ選別して見せた私はかなりの運に取り憑かれている。悪い方面で。
 我が身の不運を振り返った後、嬉々として語るマインの台詞に疑問を覚えた。
「設計図って極秘機密ものですからね。その辺りの本棚にはおいそれと転がってないと思います」
 延々書物を漁っていたんだろうかと言う疑問と、重要機密が側に落ちていると本気で思ったのだろうかという疑惑を押し込めて彼を眺める。
 感情を出来る限り封じたはずだったが、だだ漏れだったのか相手の瞬いていた瞳が静かに止まり、半眼になる。
「あっ、今カリン馬鹿にした」
「し、してませんよ」
 幾分トーンの落ちた台詞にぶんぶん首を横に振る。千切れんばかりの否定。
 子供らしい華奢な身体だが、未知の万力を繰り出す掌を知っているだけに怒りは買いたくない。
 マインは冷や汗を滲ませている事までは気が付かなかったのか、あくまでも子供のように不満げに頬を膨らませて、溜息をつく。
「したよ〜。大体本棚だけじゃなくて色々探し回ったんだからね。天井から壁の隙間その他諸々。
 火薬の入ってる場所とかプラチナの部屋とかは流石に進入できなかったんだけどさ」
 天井や火薬の入ってる所って、確か開けようとすると見張りがすぐさま駆けつける位の固い防犯がなされた危険ゾーンだった気が。
 それに下手に火を近づけると、この城の倍では済まない範囲が消滅するとか言われたような。無理に開けたら火花で大爆発、だよね。
 思いとどまってくれて良かった。
「好奇心でそこまでしますか」
「するよー。気になって、意外なお宝が見つかりそうで冒険心がくすぐられるよね」
「分からなくはありませんけど」
 金銀財宝眠る宝箱に夢を見る心は良く理解できる。けど現状冒険だらけなのだから冒険心がくすぐられるっておかしくないかな。勇者候補の多大なる危険に溢れたスリルは仕事で遊びは別とか。
 う、ううん。分からない。マインが分からない。
 手からの感触が不意に消え、横から衝撃を受けてたたらを踏む。
「同意してくれるカリン大好き」
 首に腕を絡ませて、にこっと無邪気な笑顔。
「あは、はは」
 彼の反応から察するに、図面のことを伏せてでもプラチナに言ったら怒られたんだろうな。
 嬉しげな抱きつきに、返した笑みは自然と苦笑になってしまった。
「皆さんいつ起きてくるんですかね。それから首が軋んでるので全体重だけはどうか」
 そろそろ根を上げそうな首の骨の代弁をする。
「この位でだらしないなぁ。起きるのはもう少し後くらいじゃないかな。徹夜組は訓練か本棚の所だろうし」
 無茶なことを言って手を放し、首を傾げて答えてくれた。
 痛む首を押さえて、心の中で溜息をつく。悪気無く悪意があるように見える行動をしなければ良い子なんだけどなぁ。
 本気で確信と悪意にまみれた行為に及ぶマインというのもそれはそれで嫌だけれど。
 小さく呼気を吐いて無意識で片手を上げ。腕が空を切り、微かな浮遊感。
「あ、カリン扉開いてる――」
 衝撃と一瞬真っ暗になる視界。後方から聞こえた忠告は呻きになってかき消えた。
 不意打ちを喰らったけれど、今までのバイタリティを発揮して起きあがる。
 絨毯のおかげで石畳に額を打ち付けることはなかったけれど、柔らかな部分にカバーされたとはいえ痛い。
「前見ようよカリン」
「うう、はい」
 シャイスさんが以前書類を食堂に全てぶちまけた時と同じような呆れ顔で眺められ、返す言葉も無く視線をずらしたまま頷いた。
 前方不注意、注意。前から考えていたことを心の中に刻み込んで少し赤くなっているだろう額を軽く撫でた。
 

 

 

 

 

 

 

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