六章/切れないゆびきり

 

 

 

  

 ピクニックの前日は眠れない。最近の気分はそんなところだろうか。
 おかげで酷使した体が軋みを上げて、目蓋が別の意志で下げられている様に重い。
 頭の中では脳が「ねむい」と壊れ気味にタイプしている。このまま眠れればそれはそれで良いのかな。
 薄い足音が耳朶を打ち、心地よい眠りを促す。後から付く音も馴染んだ音で害はないと判断する。
 沈みかけた思考を軽いノックが引き上げた。
「カリン様、おはようございます。起きてますか」
「おきて、ます」
 目が閉じそう。このまま惰眠を貪りたい欲求がにじみ出たのか完全に眠った声しか漏れでない。
 ぎ、と扉が軋み。もうお馴染みになってしまった周囲認知の過保護執事ことシャイスさんが顔を出す。
 静かに扉を閉め直し、ゆっくりと私の方へ歩み寄り。お決まりの「皆さん集まってますよ」を告げる前に渋面になった、と思う。
 三分の二程目蓋が下がっていて彼の表情がよく分からない。あの潜めた足音はやっぱり彼か。
「……寝てませんか? 寝てますよね」
 夢うつつの状態で首を横に振る。起きてます、何とか意識は。
「今日はご飯を振り回すんですか。頑張ります」
「既視感を感じるお答えはともかく、私の手が空いたのでちょっと早めに来たんですが」
 溜息と共に呆れられた。もう少し寝させて貰いたいのが本音だけど、このまま夢とうつつを漂っているわけにも行かない。
 用立てられた寝間着は普段着としても良いほどの服なので、最近はそのまま食堂に行く事にしている。それにシャイスさんを追い出して着替えるのも面倒くさい。
 年頃の少女らしからぬ思考を頭を振って追い出し、冷え込む廊下に負けない為に上から少々厚手のケープを羽織る。
 ふと、違和感。何かを見逃している。
「カリン様いつもその組み合わせですね。飽きません」
「良いじゃないですか私のお気に入りです」
 寝間着のセピア色と上に掛けているケープのクリームの配色が気に入っている。
「私の服の色とおそろいですね」
 おずおずと何か言ってくるシャイスさんの言葉を適当に相槌を打ちながら、髪を整えた。
 また違和感。
「あっ、でもプラチナ様とも髪がちょっとお揃いだなんて恐れ多い事は考えてませんよ」
 延々と話し続けそうな彼へ目で扉を示すと、寂しそうに俯いて名残惜しげな溜息をついた後渋々ノブに手を伸ばす。
 シャイスさんはいい人はいい人なのだけれど話し始めると長いからな、と口の中で呟いて今更ながらにある事に気が付いた。
「待って下さいちょっと忘れ物が。先でないで下さいね」
 キョトンと固まる彼を尻目に捜索を開始。硬いもの、硬い……丈夫そうなのを。
 昨日カップを上に置いた木製のトレイに視線が吸い寄せられる。飲み終えたカップを横に除け、シャイスさんに硬そうなトレイを押し付けた。
「は、あの。なんですか?」
「コレを頭上のやや左側に片手、じゃなくてやっぱり両手で持ってしっかりと立ち止まって踏ん張って下さい」
「何で言い直したのか気になるんですが、いきなり何でですか」
「いえ何となく。私が扉を開けますからそれまでは無言でかざしたままにしたまま歩いて下さい。なにかあったらそれで大丈夫です」
 そんな気がする。
「確証がないのにやるんですか、誰かに見られたら」
「今はまだちょっと早いらしいですし、見つかりませんよ」
 きっと。気のせいならいいのだれど、もしこの違和感の正体が彼だとすればそれこそトレイ一つで身を守れる確証も無い。
「じゃあ、ちょっとだけですからね」
 渋っていたけれど、早朝という事もあってか彼の心も決まったらしい。指示通り両手で左側をカバーする様にゆっくり歩み、私がタイミングを合わせて扉を開く。
 一歩、二歩、三歩。何もない。シャイスさんが横目で何か訴えてくる。
 四歩、五歩。やっぱり寝不足の過敏な反応何だろうか。
 六歩、七を数える前にシャイスさんの姿が視界から消えた。
 耳奥をつんざく濁音が聞こえ、物が落ちる微かな音。 
「シャイス隙有りッ!! ってあれ〜あっ、ちゃっかり防御してる! 腕を上げたねシャイス」
 別の意味で鼓膜と脳を揺らす明るい声。見えなかった光景がありありと描き出され、頭痛がした。
「マイン、おはよう、ございます」
 片手にスリコギ棒のような物をぶら下げて、にこやかに微笑んでいる少年勇者候補がそこにはいた。
 通り魔的犯行の割にフルスイングを決めた野球選手の様に爽やか。朝からの挨拶にしては乱暴な攻撃に文字通り打ちのめされ、シャイスさんは仰向けに大の字になっていた。隣で亀裂の入ったトレイが踊っている。
「カリン、おっはよう。良い朝だね」
 直線上に倒れた彼を見ても、悪びれた様子がない。
「マイン様。何なさるんですか!? 死にますよこれ!」
 がばあ、とシャイスさんが起きあがり涙目で抗議する。
「防いだから大丈夫だったでしょ。でも良く防いだ、凄い!」
 ぐっと、拳を胸元に当て。健闘をたたえているらしきポーズを取る。
「私が防げないって分かっててなんで思いっきりやるんですか。ヒビ入ってますよ頭割れるでしょう!」
「防御したから水に流そうよ。力一杯やったのは勢いだし、あれ、防いだのに防げないって豪語するのも変だよね」
 指先を軽く振るマインに悪気は無さそうだ。本当にないんだろうから余計タチが悪い。
「カリン様がトレイを掲げろと仰られていなければとうに私の頭は割れてますっ! あ、カリン様ありがとうございます。危なく死ぬか、流血沙汰になるところでした」
 首を傾けたマインのセリフに半眼で呻き、彼がこちらを見て目礼する。
「え、カリン分かったの。何で。あ、ついに何かに目覚めたとか!!」
 大きな瞳を更に広げ嬉しそうな言葉に即座に首を振った。
「目覚めてません。マインが扉の側に居る様な気がして」
 何となくいる様な気がするだけで確証はなかった。嫌な予感しかなかったから、気のせいだった方がマシだったのだけれど嫌な予感は当たるというのが定石らしい。
「気がするだけで何するか分かるの」
 もっともな台詞に曖昧に笑って見せてから、理由を挙げる。
「扉の外で張り付いてる理由ってこの位しか思い当たらなくて」
「わあ、カリン頭の中のぞけるんだ。じゃあタックルとか、蹴りとかじゃないってのも分かってたんだね」
 う、痛いところを。鋭い指摘に頬の辺りが引きつる。左側にいる気がしただけでマインの思考を透視できたわけではない。
「いえ、そこまでは」
 シラを切るのは止めて正直に白状した。少し詰まらなさそうな顔をするマインと、かなり悲愴な表情をするシャイスさん。
「カリン様。ぶっつけでやられるのはどうでしょう。我が身なので他人事になられると困るんですが」
 半泣きの懇願に背筋に汗を掻きそうな気分になりながら、出来る限り微笑んでみる。
「でも、マインは派手なのが好きじゃないですか。何時もと違うやり方を求めてくるかと思って」
「え〜そこまでバレバレ。つまんなーい。せっかく切り口を新しくしてみたのに」
 マインがぷう、と頬を膨らませる。ここだけ見れば可愛い子供の悪戯後。
「私でやらないで下さい」
 殺害されかけた為、当然ながら憮然とするシャイスさん。
「やりやすいのシャイスだから」
 一欠片の悪意もなく、マインは清々しく言い切った。
「…………」
 天使のごとく優しく微笑まれて、シャイスさんが沈黙する。
 この笑顔が痛い。私を放り投げるときもとても素敵な笑顔だった。
「別にシャイスに一撃入れる為に来たんじゃなかった。あ、あのねカリン。おめでとう」
 更に邪気のない台詞に踏みつけられたシャイスさんの魂が抜け出そうになる幻覚が見える。
「え、なにがですか」
 見えなかった事にして祝い事があったのかと頭を捻った。
「今日帰るんだよね。みんなより早めに会って出来る限り印象に残る思い出を作ろうと思って」
 誇らしげに棒を掲げる。印象ってそっちの印象でも良いんですか。絶対さっきの音だと惨劇にしかならない気もするけれど。  
「印象与える為だけに私は殺されそうになったんですか」
 僅かに立ち直ったシャイスさんが唇を開く。俯きがちで怒っている風にも見えるが、何だか泣きそうな声になっている。
「うん」
 マイン、そこはもう少し否定した方が良いと思う。シャイスさんが沈んでいく。見慣れてきた光景とはいえ、毒のない笑顔の攻撃は威力が高い事を思い知らされる。
「そっか、そうですね。今日帰れるんですよね」
 現在進行形で不幸になっているシャイスさんを眺めた後、マインの言葉を噛み締める。
 そうか、約束の、日なんだ。全然実感沸かないけれど。
「そうだよ、待ちに待った帰還日だよ。ちょっと寂しいけどカリンが嬉しいなら我慢する」
 当事者が忘れて居たことに驚いたのかマインはちょっと苦笑して肩をすくめた。
「マイン、ありがとうございます。先生」
 出来る限り我慢はさせたくないけれど、こればかりは譲れない。私は今日の為に生きてきた。
 マインの顔が少しだけ険しくなる。
「師匠」
 音の響きがいやなのか、雲行きが怪しい。慌てて言い直す。
「あ、えっと。し、師匠!」
 言い終えるとマインは満足げに頷いて微笑んだ。
「あの、カリン様。マイン様――もしかして」
 先程のやり取りでそんなに傷ついたのかにこにこ笑うマインとは対照的に、シャイスさんが伏せ目がちになっている。
 考え込む寸前で指先に感じる、柔らかく暖かな感触。
「カリン食堂行こう。誰も居ない食堂は結構味があるよ」
 痛くない程度の力で掌を握り、マインは大張り切りで廊下へ誘う。いや、どちらかというと引きずられ行く私。
「はい、行きましょう。訓練とお城を今日は堪能します。どうしたんですか」
 身体は引きずられていても、気持ちは同意なので微笑み返す。まだ暗い空気を背負ったシャイスさんが気になって、無理のある体勢で彼に目をやる。
「あっ。いえ……何でも、ないです」
「そう、ですか?」
 もう一言追及しようとしたところで、身体が廊下に引きずり出される。追うように聞こえた溜息の理由を聞き返すことも出来ず、マインのペースに載せられるまま私は食堂へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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