六章/切れないゆびきり

 

 

 

  

 開いていた扉をくぐると先客が居た。波打つ金髪がテーブルに掛かり、白い肩が小さく揺れる。
「何もここで寝なくても」
 規則的な呼吸を繰り返し、静かに夢を漂っているらしき姿を見て絶句した。
 私の居た世界とこの場所の季節が合っているのかは分からないが、朝夕関わらず長袖を身につけても身震いするほどの寒さ。
 肩に厚手のケープでも掛けないととても寒くて歩いていられない。なのに、なのに。
「アニスだ。ひげでもかいちゃう?」
 子供的発想に突っ込みを入れる気も起きず、椅子に腰掛けたまま寝息を立てる彼女を見る。
「前々から疑問だったんですけど、何故この寒さであの服」
「こだわりなんじゃない。悪戯しようかと思ったけどインク持ってきて無いや」
 幾らこだわりだとはいえ、ビキニスタイルに近い姿を見ているとこちらまで寒くなってくる。
「か、風邪引きますよ。毛布とか掛けてあげないと」
 アニスさんの側により、うろたえる。何か、何か着せないと。どちらかというと、私の方が気分的に風邪を引いてしまう。
 毛布は各自一枚ずつだから、部屋に戻らないと無い。あてもなく彷徨わせていた手が自分の肩に触れる。
 そうだ、これを着せれば。彼女はまだ眠ったままで動かないだろうから、私は少し寒いのを我慢して別のを取りに行けばいいし。
 着せないと、と思うものの寒さか焦りかもたつく指先。
「大丈夫じゃないかな。カリンの方が風邪引くよ」 
 何とか肩から引きはがして、アニスさんにそっと掛けようとする側から待ったの声。
「私ならちょっとくらいは平気ですから」
 マインはどうとも思わないらしいけれど、私は見てるだけで寒い。
 そっと彼女の肩にケープを落とす。ガッ、と手首が何かに掴まれた。
 ――あれ?
 衝撃でか驚愕でか、息が止まる。
「だって起きてるし」
 白紙になりかけた脳に何とかマインの言葉が耳に届いた。
「やっぱりカリンちゃんはこう来ると思ったのよ。優しいわぁお姉さん嬉しい」
 甘ったるい声と共に身体が悲鳴を上げた。跳ね上げられた何かが舞うのが直前に見えたけど、あれはケープかな。
 っていえ苦しい。ギブギブ、誰かー私はギブアップです。
「うぶ。お、起きてたんですか!?」
 心の中で悲鳴を上げながら取り敢えず聞く。
「うん。起きてたわよ。マインちゃん、おひげがどうかした?」
 うわあ、本当に起きてた。
「なんでもないです〜」
 にこにこしながら答えている彼の声に微塵の邪気もない。
 寝たふりをしているのを分かっていて悪戯をしかけた人間の返答だとは思えない程の明るい返答。空恐ろしい。
「アニス、さん……はな、してくれないと。ちょっと窒息が」
 遠くなりかけた意識を無理矢理引き戻し、心で片手を上げて声を出す。重みが掛かっているので微かな呻きにしかならない。
「あ、御免ねカリンちゃん。もうこれが最後の抱擁になるかも知れないと思ったら名残惜しくて」
「アニスさん」
 身体が解放され、小さく息をつく。惜しみ方は少しずれていても、惜しまれるのはやっぱり嫌な気分ではない。
 確かにこんなにダイレクトな抱きつきがもう無いのかと考えると、ちょっと私も寂しくなってしまうけど。
「やっぱりもう一回しちゃおう。ぎゅーっと」
 前言撤回! 私はもう少しソフトな抱擁を希望します。
「苦しいです、マイン助け」
 薄い霧に飲み込まれる等というヤワな感覚ではなく気を抜けば谷底に突き落とされるような意識の縁で助けを求める。
「あ、僕もするー」
 縋ろうとした救助隊は即刻無邪気な悪魔に変わった。
「一緒に実行しようとしないで下さい。マジメに骨が折れ」
 肺が押されて次の言葉は紡げなかった。
 この世界に降り立ち四十四日目の朝。人生何度目かのお花畑は思ったより長く眺められた。
 

 

 

 

 

 

 

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