五章/いつわりのキボウ

 

 

 

 

 

 全員が初めて顔を合わせたのは。あの忌まわしい一日が過ぎた、次の朝。

 あの人が静かに食堂の扉を開いた。なんとか唇から出た挨拶に笑みは混じらなかった。

「……おはようございます」

 わざと扉の真横に陣取る私に、彼の動きが止まる。初めて彼の顔に感情らしいものが浮かぶ。戸惑いと、疑問。アニスさんは重い溜息を吐き出してるし、シャイスさんの顔は引きつっている。険悪なムード。

「あれ。やっと帰ったんだ。

 知り合い、だった……の割には何かえっらい怖い顔してるね。カリン」

 珍しく遅めに入ってきたマインが、扉の横にいるその人に驚いたような視線を一時向け、数拍ほど顔を合わせていた私達に軽口を叩き掛けて。こちらの顔を見て止まる。

「シリマセン。こんな人なんて土の欠片も知りません」

「そう、ですか」

 何故か敬語になる彼。ダズウィンさんも、シャイスさんも。アニスさんも、オマケにプラチナでさえ口を開かない。

 長い沈黙。

「まあ、知り合いはともかくとして」

 咳払いをして告げようとしたプラチナの台詞。

「知りません!」

 だん、と拳を叩きつけるとテーブルの食器が跳ね上がる。

「カリンとは知り合ってない、お前に話がある。まあ、席に着け」

 彼女がぎこちなく言い直した。マインが何かお化けでも見たような目で私を見ている。

 その間も彼は一言も口をきかず、言われた通りに席に着く。

 あああああ、イライラする。むかつくとしか言いようがない。

 限りある食事。だけどこの気分が収まるなら三日分の食事ぐらい献上しても良い。

「アベル・ゼロム。単独行動を控えろと先日言ったばかりだろう。話を聞いていたのか」

 朝の挨拶もそこそこに、プラチナは食器には手を触れず腕を組んで、疲れた溜息を吐き出した。

「聞いていた」

 初めて聞く声は、思っているより幼さが残っていた。

「何故敵地に突っ込む。勝手な行動は慎め」

「中枢は潰した。功績は挙げてる。文句はないだろう」

 端的な返答。プラチナが形の良い眉を跳ね上げる。

「噂だが。あくまでも噂だが。盗賊に身を落としていた民間人を馬車でひき殺したのは、お前か」

「ああ。通行の邪魔だったから退いて貰った」

 あなたは自分がやったことが分かって!

 反射的に叩こうとしたテーブル。それより早く聞こえたテーブルの軋みは、癇癪を起こした私の比ではなかった。

「自分のやったことが分かってるのか」

分厚い木の板で作られた机は、本当に折れそうな音と、振動を立てた。

 容赦のない体罰にテーブルはぎしり、ぎしりと数度悲鳴を上げて、形状を保つ。

 手の平を叩きつけた彼女の表情は変わらない。細いプラチナの腕が、震えている。

 皮肉にも、冷静であるはずの彼女は激高する私の心とほぼ同じ言葉を発していた。

 冷たいと思っていた蒼い瞳は、憤りを滲ませている。

「……たとえ元が民間人とはいえ。盗賊は重罪、だ。候補者がそれを排除するのは当然。他人を助ける大義名分があるのなら、尚更な。罰せるか」

 凍える程の空気にも、動じない。また、声に感情の色が僅かに混じる。微かな、笑み。

 発した言葉は、たとえ理屈が通ろうが納得できる材料があろうが、最悪だった。

「お前」

 怒りを隠せなくなったのか、プラチナが貫くみたいな視線を注ぐ。

 彼は心地よい風を受けた時のように静かに瞳を瞑り。

「質問ばかりじゃ不公平。こちらから尋ねよう。

 何故民間人が居る。自分の身一つ守れない、一般人が」

「……っ」

 告げられた言葉に、現実に。私は息をのむ。怒鳴りたかった言葉が声にならない。掠れた呻きになるだけ。

 嘘偽り無い、私の立場。それを再確認させる、冷えた声。

 助けられたことも本当で。私が自衛も上手くできないのも真実。

 だから、怒鳴れなかった。昨日の事で、自分の弱さが身にしみていた。

「それあんまりじゃない。酷くない」

 意外なところから手が伸ばされた。マインが私の肩を持とうとしている。

 初対面で『役に立つの』と、彼と似た台詞を漏らした少年が。

「事実だ。別に討論する気はない。今の状況を聞いて居るんだ」

 マインに睨まれて、少しだけ、彼の声音が変わった。

「彼女は、オトナシ カリン。我々の世界に呼び出された、一般市民」

「音梨果林です」

 宜しくも、ありがとうも言わない。唇から吐き出すのは自分の名前だけ。

余計なことが口を突きそうで素早く開いた唇を閉じる。

「力のない一般市民が何故ここにいる」

「こちらの不手際だ。送還の準備でしばらく彼女は帰れない」

 何時もと変わらぬ淡々としたプラチナの返答は、少しくぐもっていた。

「…………」

 彼の視線がプラチナから私、シャイスさんへ向く。

 見つめられ、シャイスさんがびく、と身を震わせた。

 私は、向けられた目に顔をそらさず、見つめ続ける。ほとんど意地だ。

「ねぇ、アベル兄。カリンは悪くないんだよ。

 勝手に呼び出されただけなんだから、だから、そんな冷たくしないでよ」

「マイン」

 何時終わるのか分からないにらみ合いは、掛けられた声で打ち切られた。反射的に相手の名前が漏れる。

「僕達ほどじゃないけど、強くないけど、頑張ってるよ。

 自分の身を守る位は強くなりたがってる。そりゃ、民間人だけど」

 何かを堪えるように眉を寄せ、必死に私を庇ってくれていた。

 そうさせる理由は良く、分からない。

「食欲無くした。オレは部屋に帰る」

 一瞬、マインを眺め。疲れたような吐息を漏らし、席を立つ。

 手の付けられていないスープが揺れる。

「私の話は終わってない。待てアベル!」

 追いすがるプラチナの叱咤。

「知らないね」

 振り向きもせず吐き捨てられた言葉、背が消える。残るのは沈黙と、気まずい雰囲気。

「カリン。大丈夫?」

「え、あ。はい」

 いつのまにか立ち上がっていたらしい。呆然と佇む私に、マインが不安そうな顔になる。

 彼が間際に呟いた言葉。扉の側に座っていた私だけが聞こえた一言。

 席について水を含んで心を落ち着けても。

 『お前達の都合なんて』耳の中に残った台詞は、まだ響いていた。

  

 

 

 

 めぐる世界の情勢。人類滅亡間近の劣勢状況。

 それを知っているはずの、何とかするための人員であるはずの。勇者候補である彼は、一人呟いたんだ。

 ――そんなこと、しった事かと。

「ううう」

 抱えた本を机に置き、書籍の詰まった棚の横で私は呻いた。

 分からない。彼はここに住まう勇者候補で、それをある程度は甘んじて受け入れているはず。なのに、仲間である他の人に向けた目は。

 まぎれもない、軽蔑。

「あぁ。もう何が何だか!」

 知らない本を適当に数冊抜き取って、先ほどと同じ場所に乱暴に積み上げた。

「カリン様何怒ってるんですか」

 インクとペンを小脇に抱えたシャイスさんが、紙を広げて私を見る。

 ぶつかりそうになった本から離れた彼の目は抗議が混じっていた

「あの人ですよ。アベルって人! 何ですかアレ。

 ジコチュウとか世界が自分中心とかそんな範囲越えてますよ!?」

 手の平で机を叩きながらも四冊本を広げて席に着く。

「あー。彼ですね。まあ、そうとも言えますけど」

 頷きながらペンを置き、インクの蓋を開ける。否定はしないらしい。

 白い法衣はインクが零れたら大事になるので、まだ揺れる机を考慮してか。インク壺を指先で支えている。

「それに。今の状況を快く思ってないみたいでした」

「何言ってるんです。戦争してるのに満足してる人居るわけ無いでしょう」

 頬杖をついて溜息を吐き出す私を見て、紙に文字を書きながら、彼が眉を寄せ、困ったように口を開いた。

 またそういう論点のずれたことを。

「色々と混ぜないで下さい。そう言うんじゃなくて、民間人の私はともかく。

 他の、勇者候補の人達と話したくもないみたいな」

「らしい、ですね。―――でも、彼がどんなに非道なやり方をしても。自分勝手な行動を取っても、私達は文句が言えないんですよ」

 私の声に紙上でペン先を転がす手を休め、少しだけ天井を見上げた後、寂しそうに笑う。

「どうしてですか。勇者候補なのに」

 言う言葉は虚しく響く。

「カリン様は身をもって知っているはずです。所詮こんな世の中だと言うことなんですよ。

 全員が全員、納得して候補者になるわけではない。そう言うことです」

 ふ、と灰色の瞳を細めてから、シャイスさんはまた手を動かし始める。

「それって」

「ま、事情は人それぞれ。でも不気味な位気にしてますね。暗殺でももくろんでますか」

 軽い声でフレイさんみたいな怖い台詞を吐かないで欲しい。一瞬フレイさんかとも疑うが、顔はともかく髪の色はやっぱり鈍い灰色。

 もしこの世界に染髪があったとしてもこれはやっぱり本人だと断定できる。

 一ヶ月近く接しているんだ、彼が黙したままなら難しいが、喋る彼の雰囲気を間違うはずもない。シャイスさんだ。一応確認して。

「んなワケないでしょう!? 私はですね、人の根性とか性格とか性根とかが顔に出ない作りを非常に嘆いているだけです。きっとさぞ面白い顔になりますよ」

 溜息に呆れを混ぜて吐き出した。私の反応がアレなのは分かるけれど、何が悲しくて顔を合わせたばかりの彼を暗殺しないといけないのだ。

 じっくりと、値踏みするようにこっちを見た後。

「……カリン様。よっっぽど悔しいですか。確かにあの人端正は端正ですからね」

 しみじみとシャイスさんは頷く。決してシャイスさんの顔が悪いとは言わないが、容姿も含めて色々と現実離れしている勇者候補の皆さんと比べるべくもない。

 こういう失礼なことを直球で言う辺りやっぱりシャイスさんだ。

「捻れ曲がった性根はその程度じゃ霞みません」

 頬を少しだけ膨らませて頭の中に知らない単語を叩き込む。

「初対面からそう経たず、そこまで言うとは。実は好きですか」

 だが、折角入りかけた文字は頭から吹っ飛んだ。

 とんでもないコトをいう。どういう理論展開をすればそこに行き着くんだろう。

「何でですか!?」

 いつの間にか力のこもった指先が、机に置いた内の一冊を潰れんばかりに握っていた。

「いえ、口と心は裏腹とか」

 裏腹すぎるだろうそれも。そう言うことわざだか迷信だか名言だかは私の世界でもあったけれど、大体私の心の席は定員一名。既に空席はないし新たな乗客用に新装する気もない。

「恐ろしいこと言わないで下さい。誰があんな人好きになりますか」

「顔は良いですよ。一応」

 反撃をしたけれど、あっけらかんと彼は笑った。顔が良ければ何でも良いわけ無いでしょう。ともいいたいんだけど、知り合いにそんな理屈で惚れる人間が居るため返そうとした声は強くはならない。

「その他が最悪でどうしますか」

「認めるんですね」

 私の突っ込みに鋭い切り返し。性格諸々問題あったけど、彼の容姿までは否定しない。

 あの日。輝虫が照らし出した彼の姿は、素直に言うと綺麗だった。

 月に浮かび上がる、星の欠片みたいに。そして、消えそうになる位のはかなさが同居していた。あんな状態で、私が憎悪に身を浸していなければきっと見とれていたはずだ。

「認めますけど、目に有り余る所が多すぎますし、第一私はあの人嫌いです。

 ラベルだろうがシャベルだろうが嫌いなんです」

 それはそれでこれはこれの別問題。毒花が綺麗でもその毒が消えないのと同じ事。

 嫌いなものは嫌いで、不快なものは不快。

「アベルです。さんつけないの珍しいですね」

「礼節なんて忘れました。呼び捨てで良いんです呼び捨てで」

 ぶつぶつと呟いて頁を捲る手が、耳に入った言葉に止まった。

「そりゃ助かる。民間人に好かれても迷惑だ」

 冷たくて、平坦な起伏のない声。誰かは、すぐに分かった。

「ア、アベル様」

 すぐ側で座っていたシャイスさんの顔が引きつり、声が怯えの混じったものになる。

「オレもあんたは嫌いだ。弱い奴は足手まといだからな」

 アベルは数冊本を引き抜いて、さっきの私みたいに側の机に積み上げた。

「ええ足手まといですよ。安心して下さい、ダイキライですから!」

 冷えたエメラルドの瞳にも私は屈しなかった。真正面から視線を打ち落とし、言い切る。

 と言うよりも言い放つ。

「それは結構。まとわりつく女は嫌いなんでね」

「頼まれてもまとわりつきません」

 威嚇されれば威嚇し返す。どちらも折れはしない。

「だったら呼び捨ても止めろ。なれなれしい」

「貴方の性根がもう少しマシになって、その人に喧嘩売ってる態度どうにかなれば考えて差し上げても宜しいです」

 会話は堂々巡りで回り続ける。壊れて終わらぬメリーゴーランド。

 強制的にその動きを止めたのは、開始のベルをならした私ではなく。

「…………疲れる女。ここじゃあマトモに覚えられないか。部屋で読む」

 積み上げた本を抱え、溜息混じりに呻いた彼の声。

「ご勝手にどうぞ」

 笑みは向けずに吐き捨てる。会話が終わったとしても、この緊迫した空気では確かに調べ物には向かないだろう。

 過ぎ去る彼の背中に、私は声を掛けなかった。

「カリン様。あの、何故けんか腰」

 アベルの姿が見えなくなってから、シャイスさんが呻く。いつもなら私が引く場面なのに一歩も引かなかったのが、意外だったんだろう。答えは決まってる。

「あっちの態度が居丈高だからに決まってるじゃないですか」

 そして、私がこんな態度に出る答えはもう一つ。

「馬が合わないんです」

 数度会話を交わしてから気が付いた。根本的に彼と肌が合わない。

 それ以前のやり取りだった気もするけど、仲良しになれそうな気が一欠片もしない。

「えーあー……はあ」

 どうしようもない私の言葉に、シャイスさんは困ったような顔をして、頷きつつ、溜息をついて現実逃避をするみたいに瞳を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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