五章/いつわりのキボウ

 

 

 

 

 少しだけ痛みで気が遠くなっていたらしい。気が付くと心配そうな呼びかけがして、見慣れた場所の前に私達は居た。城に繋がる、裏の門。
「痛みます? すぐに連れて行きますから」
 シャイスさんが私を見た。痛みは最初の頃よりマシになっていた。
 大丈夫だと促して、降りる。
 掠めた視線、御者の人が気遣うように私に目を向けていた。
 馬車を引き終えたのだろう。草をはむ馬の姿。固まって休んでいる三頭の馬がコチラを見、いなないた。
 その側にあった馬車に、慄然となる。車輪に赤いものがこびりついているのは、私の痛みが招いた錯覚か。
「はやく、行きましょう」
 背を押す彼の声に小さく頷き、胸を占める気持ちの悪い感覚を堪えて城の中に足を踏み入れた。
 馬車に付いてきたのか、輝虫が目の前を滑空する。薄暗い城内が薄く照らされた。 
 勢いよく前進していたのに、何かを避けるように宙で半回転し、虫が引き返してくる。そして、私の腕に張り付く。
 微かに聞こえた人の声。何事か呟いたみたいだけど、小さすぎて聞こえない。
 引き寄せられるみたいに、足音がこっちに近寄ってきた。
 響く靴音が、止まった。
「あ」
 シャイスさんが驚いたような声を上げる。痛みで視界が霞んでいてよく見えなかった。
「いらしたん、ですか」
 向かいにいる人に、何か、脅えたみたいに微笑んで、私を引き寄せた。
 アニスさんやプラチナさんに見せる怯えとは違う。危険を回避するみたいな動き。
「誰、ですか」
 暗い廊下に薄く見える人影。答えは、返らない。そのかわり、相手は一歩前に足を踏み出す。舞い上がる輝虫。
 照らされる光に浮き上がったその人は、私とは余り変わらない位の少年だった。


 しっとりと濡れたように輝く短髪は跳ねていない。
 寒気が走る位、冷たい瞳の少年だった。プラチナには抜き身の刃の鋭さがある。
 だけど、彼の目は、凍った泉のような平坦な冷ややかさ。
 白に近い銀髪も、添え物にすらならない。
 この冷気は、彼自身から発される冷たさだ。寒風が吹き付けている気もするけれど、彼の服は揺らめきもしなかった。
 ただ、寒い。
「あ、あのぉ。彼女はーですね」
 自己紹介もせず。沈黙を保つ私達に痺れを切らしたか。静けさに絶えきれなくなったか、シャイスさんが口を開く。ちらり、と視線が彼に向く。
 興味が無くなったのか冷たい目の少年は、背を向けて、去ろうとする。
「プ、プラチナ様怒りますよ。こんな単独行動取るなんて」
 掛けられたシャイスさんの忠告。歩みは止まらない。
 この人も、候補者の一人。単独行動、最後の一人、か。
 揺れる影。天井を飛び回る輝虫が不安定な光を零す。それは弾かれたみたいな閃き。 
「待って」
 掛けた声にも、足は止まらない。私は考える前に去りゆく彼に駆け寄って、初対面のその人の襟首を掴んだ。
「あなたなんですか」
 答えはない。確信はあった。足音が止まって、少年が振り向いた。
「ちょ、なにして」
 シャイスさんの慌てた声。手の平に力を込めると、激痛が走る。構うものか。
 止めようと私に目をやって、彼の顔が引きつるのが見えた。
 理由は分かってる。やり場のない黒い感情。
 これは憎しみだ。怒りだ。私は表情に出た心を隠さなかった。
「あなたですよね。あの馬車、動かしたの。
 何でですか。他にやり方無いんですか。あんなの、酷すぎるじゃないですか!!」
 肯定も、否定もされない。だけど、沈黙が物語っている。
「え」  
 呆然と、シャイスさんが自分の胸元を掴んで呻き。
「あの! 助けてはもらってこんなこというのは、ですけど。彼らは一応民間人ですよ。
 もう少し穏便なやり方、無かったんでしょうか」
 苦々しく顔を歪めた後、苦しげに吐き捨てる。
 答えは、ない。ただ、黙したまま少年は、私を見た。
 冷たい、冷たい。揺れない瞳で。
「あなたは」
 言い募りかけて、見下ろされ、気が付いた。
 彼の目が、何で揺れないのかを。
怒りが萎んでいく。忘れかけていた痛みが私を襲った。
 ずるずると、膝を折って座り込む。私の手が離れると邪魔な子犬が過ぎ去ったみたいに、彼は吐息を吐き出して背を向けた。
「だ、大丈夫ですか!? ちょ、あの。手伝って。ああなに無視しますか怪我してるのにっ」
 そうだ。彼は、何も感じてない。普通は混じるはずの僅かな感情。
 侮蔑も、見下しも、哀れみも、怒りも。「助けてやったのに」というそんな感情すらも。
 全然無かった。助けても居ない。シャイスさんも私も関係ない。
 道ばたに転がる邪魔な障害物を、彼は踏みつぶしただけだ。
喚くシャイスさんの姿を視界に収めて。私は恐怖の混じる寂しさを抑えるように、痛む体を抱えた。


 
「そう。あの子に会ったんだ。カリンちゃん」
溜息混じりにアニスさんが呻いた。シャイスさんが私を連れてきたときは大あわてだったけど、事情を聞いて落ち着いたのか、声はもうおだやかだ。
 彼女を悩ませているのは私だ。ここに運び込まれてからずっと口を閉じたまま。
 ふう、もう一度嘆息して、彼女は耳慣れない言葉を紡ぐ。
 す、と私の腕に付いたアザや傷跡がかき消えるみたいに消え去った。
「ああ、これ? 私ね、ちょっとした傷ならすぐ治せるのよ。
 簡単な応急処置。ほら、初めてあったときの傷、すぐ消えてたでしょ」
 そう言えば、傷だらけになったはずなのにあの時彼女は無傷で横にいた気もする。
 あの違和感の原因はこれか。と、納得はしたものの、私の気分は落ち込んだまま。
「…………」
 初対面の人に怒鳴ったせいでも、襟首を掴み上げたせいでもない。怒りが、消えない。
 私はここまで人が憎いと思ったことも、嫌悪感で吐き気がしたこともない。
 外見が綺麗とか汚いとかじゃなくて、あの行為が許せなかった。
「困ったわねぇ。確かに彼は候補者として問題有りだけど」
 問題有り。の一言で済ませられるわけ無い。
「私、あの人嫌いです」
 ようやく開いた唇から出た言葉は、思っていたより低くなった。
「…………ああ。困ったわ。シャイスどうにかならない」
「なりませんよ。私も嫌いになりそうです。拒否反応出る位」
「はぁ」
 溜息を吐くアニスさん。
 この城に住まう最後の候補者である彼と出会ったのは、もうすぐ三十日になる間際の事。

 

 

 

 

 

 

 

 

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