五章/いつわりのキボウ

 

 

 

 

 

 アベルが出て行って半時間ばかり経った頃か。私の真横では地味に重要な作業が行われていた。 
「燭台八個。壁沢山。馬が砦が……後で数えてと。先日ので食料庫破損と絨毯も広範囲に。あー今月も国費が」
 紙を削るように書き込みながら頭を抱える。どう見ても主婦が赤字に悩むような光景だけど、彼は先日……恐らく魔物が攻めてきた時の損害を記した書類を作っているらしい。
 一ヶ月でどれだけ砦が潰れたのか、どれだけ国費が必要なのか。考えたくもない。
「そういえば、もうすぐ一月ですね」
「何言ってるんですかカリン様。まだ十日以上ありますよ」
 ふと、尋ねた言葉に帰ってきた台詞。私の思考を白くするには十分だった。
 数秒ほど停止していたこちらに気が付かず、続く文字をカリカリと書き連ねる。
「え、でも。あと三日位で三十日ですよ!?」
 一拍、二拍、三拍。シャイスさんはインクが生乾きになるくらいは考え込み。
 合点したようにポン、と手を打った。
「ああ、そっちの世界はそうでしたね。私達の方は単位が少し違うって言いましたよね。
 時間の流れとか。うーん、感覚って言うんですかね。自ずとそちらのより長めになるわけです」
 垂れそうになったペン先のインクを壺に落とし、気軽に言って微笑んだ。
 馴染み掛けて忘れていた私も悪いのだが、ここは異世界。
 一年とか一ヶ月とか一月とか。朝昼晩の呼び方も全く同じだったので期間もそう変わらないと勝手に勘違いしていた。
「な、なんで言わないんですかそう言うこと! 何日で一月ですか!?」
 もしかして半年とか一年がこっちの一ヶ月じゃなかろうか。不吉な予感が心を覆い尽くす前に、かぶりを振って口を開いた。
「あー。聞かれませんでしたから。四十四日ですね」
 しじゅうし。よりによって死と来ましたか。
「どうしてそう不吉で中途半端な」
 そこで私は唇を閉ざした。
「なにがです?」
 不思議そうな彼の顔にはっとした。ワケではない。
 数字の四を「死」と絡める呼び方。それは、私の世界でも、日本特有な考え方だった。
 世界すら違うこの世界で縁起がどうの、畳の踏み方が、挨拶の時の体の角度が。なんて言っても無意味な事に気が付いた。無意味以前に漢数字があるのかも不明だ。
「いえ、なんでもないです」
 隠しきれなかった溜息を吐き出す。
「準備は順調ですからまあその辺りは気にしないで下さい」
 ぱちん、と彼はもう一度瞬きをした後、私を安心させるためか、話の材料を持ち出した。
「ええ、あ。はい」
 召還や、こちらの世界に詳しくない一般市民の私には、全く分からないけれど。
 専門家が言うんだからそうなんだろうと無理矢理自分を納得させて、曖昧に頷くしかなかった。 




 闇夜に蝋燭が揺れる。初めの頃は不気味だと震えていた光景が、今では風流だと思える位にはこの世界に馴染んでいた。静けさに大きく反響する靴音。
「シャイスさんって大雑把ですよね、全く」
 両腕に本を抱えて口の中で愚痴を転がす。
「悪気無いのは分かりますけど」
 延々と続く廊下に沿って、間隔を開けて並ぶドア。その中の一つの前で足を止めた。私の目線の垂直辺りに、他人から見ればどす黒い血に見える痕が付いている。
 私が城の中で迷いに迷ったあげく城下の人達に追い回されたその翌日。シャイスさんが『こうしてれば迷いませんよね』と儀式で使う染料を用いて、印を付けてくれた。
 部屋を探すために城内を彷徨うというのもイヤだったので頷いた私に、笑って目の前で斜めの線を二つ。バッテンみたいな痕を付けた。 
その光景を思い出しながらノブを引く。そして、素早く閉じた。
 何か変なものが見えた気がする。
 部屋、間違えたかな。もう一度確認するけど、私が使ってる部屋だ。
 他の扉にこんな特徴的な印で染料がついているはずがない。
「…………」
 覚悟を決めて扉を開く。付いているはずのない煌々としたランプの明かり。
 明かり位は気を利かせてシャイスさんがつけてくれただけかもと思えた。だけど、流石にこれは用意しないだろう。目を擦っても薄暗い視界に入る景色は変わらない。
 ベッドに腰掛け、本を広げるアベルの姿。床には十冊位はありそうな本が積まれている。
悪夢か。
 というか何してますかこの人は。ヒトの、女の子の部屋で。
「何だ。何か用か」
 しかも悪びれた様子もない。
 翡翠色の瞳をこちらに向け、悠然と片手に本を持って。
 更にはお茶なんか飲みながら聞いてくる。また一瞬部屋を間違えたのかと錯覚しそうになったが、私好みに少しずらした家具の配置で分かる。ここは私の部屋だ。 
「調べた資料を紙に書くんです!」
「そうか。机はそっちだ。その辺りにイスがあるから転ぶなよ」
「分かってますよそれくらい。何してるんですかここで!?」
 余計なお世話どころか知ってるのは当然。誰の部屋だと思ってるんだろう。いい加減に苛立ちが募り、怒りを抑えられなくなった。
「同じく調べ物。腰を落ち着けて読もうかと思って」
 本の頁を器用に片手で捲り、お茶を一口啜る。
 確かに腰を落ち着けてるけど、でも。ここは部屋が違う! 落ち着くな!
「寒いから閉めろ」
「ええ閉めますよっ」
変わらぬ鷹揚な台詞に、けんか腰になった私の思考は彼が男だとか二人っきりだとか、密室になるだとかの不安要素を蹴飛ばした。勢いよく扉を閉める。
「机はそっちだ。騒ぐな。夜は響く」
「ほっといてください!」
 響き渡る扉の音に、彼が眉を跳ね上げた。
「分かった」
 牙を剥く私に素直な返答。ならばよし、と本を机に載せ。紙を広げてペンを取ってインクを浸し、書こうとしたところで気が付いた。
「……じゃなくてですね。どうして貴方私の部屋にいますか!?」
 そうだ。なに丸め込まれそうになって居るんだ。
「調べ物をすると――」
 人様の部屋の中に入り込み、くつろぎまくっているあげくに、ぬらりくらりとかわそうとする。
「そういうコトは聞いてません。ヒトの部屋で何悠々自適に馴染んでますか。
 自分の部屋あるでしょう!」
 だん、と机を叩いて扉を指さす。出て行けという合図のつもり。
「あぁ。部屋。そう言うものもあったな」
 なのに彼は遠い目をする。なにか忘れ物を思い出したような、遠い目だ。
「いや、あったって」
 突然部屋が大移動するわけもあるまいし。
 紡ぎ掛けた疑問は、彼が本に目を落とし、ぼう、と呻いた言葉に留められた。
「ふと見たら跡形もなくなってたが」
 う。
 まさか、とも言えずに心で呻く。思い当たる事柄があった。
 そう言えば獣王族が攻めてきた日に破壊されていた。私の部屋の周辺が。
 更に言うなら真正面。つまり真向かいの部屋はどうしようもない位粉々に破壊され、壁と一緒に埋められてしまっている。もしかして、あの部屋。彼の部屋だったのか。
「じ、じゃあ。隣の部屋とか他の部屋あるでしょう」
 右隣と左隣、無傷とは言わないが、そんなに酷い壊れ方ではなかったはず。
 壁が空いていたところもあったが、正面の部屋ほどではなかったのですぐに修繕された。
「ベッドが硬い」
 憮然とした口調で答えが返った。
 子供かこの人は。
「全部一緒です!」
 ワガママを言う子供みたいな返答に、ばし、と壁を叩く。手が痛い。
「うう。まあ調べ物するのは良いんですけどね。いつまで居る気ですか」
 本当は良くないけれど、調べ物が終わったら帰るかも知れない。はあ、と溜息をついて精一杯の譲歩。
「朝まで」
 帝王気質な彼が下がるはずもなかった。一瞬意味が分からずワケもなく赤面しそうになったが、私が嫌いだと断言していた人が、深い意味とか含めた台詞を放つわけがないと考え直す。と言うことはつまり、そのまんまの意味だろう。
「私は何処で寝ろと」
 細い指先が冷たい床を示す。人の部屋に上がり込んだあげくそう言うこと言いますか。
 私の抗議の視線に気が付いたか、彼は半眼になった。
「一緒に寝る気か図々しい」
 更になんか立場が逆のことを言っている。
「図々しいのはどっちですかいい加減にしないとインク投げますよ!?」
 もう怒った。こういう人には一回痛い目見て貰う必要がある。
「その程度、抵抗にもならない」
 鼻で笑うアベル。あの獣王族ですら苦しんだ私の目つぶし攻撃。その恐ろしさを知らないと見える。
「女の子の部屋にですね。堂々と上がり込んで堂々と本読んで、明け方まで真正面から居座らないで下さい」
「こそこそした方が良いってコトか」
 私の攻撃に変化球。今余計なことを考えてしまった。あー確かにこそこそ部屋に入られると嫌だなぁとか。
 流されるな私。人の部屋に上がり込んで占拠しようとする時点でアウトだから。
「だからそう言う反転気味な考えは止めろとさっきから言ってるじゃないですか。妙な理屈捏ねないで下さい!」
 威嚇する私に、涼しげな顔で本を読み続ける。
「カリン様。どうしました騒がしいで―――」
インク投げを実行に移そうとしたまさにその時、前触れ無く扉が開かれて、のんきな声が割り込んできた。しばらく私とアベルを見つめて、首を傾け。
「おじゃま、です?」
 ぎこちなく笑み。白いローブを纏う青年に駆け寄り、腕を引く。
「シャイスさん。この人どうにかして下さいよ!」
「はあ。あの、アベル様何してるんですか。というか何したんです」
 不審そうな彼の声に、私は半泣きで答えた。
「私の、私のベッド取ろうとしてるんですよ。床で寝ろとか言うんですよ!」
 この部屋をあてがわれたときは犬や馬と格闘せずには済んだとホッとした。が、一ヶ月間際で勇者候補とベッドを取り合うコトになろうとは。
 お月様だって分からなかったろう展開。
「はあ?」
 私にとっては切実な問題だったけど、他人からすると間の抜けた台詞。
 面食らったようなシャイスさんの言葉が耳に聞こえた。 

 

 

 

 

 

 

 

 

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