章/世界と世界

 

 

 

  

 死のスパルタ。それがどれだけ恐ろしい物か、私はここ数日イヤと言うほど味わっていた。
「いい。カリンちゃん。さあ、いちにのさん」
いつもの大きなグラウンドみたいな訓練場で、笑顔のアニスさん。
 出てくる言葉は優しげだ。
「らみく……」
「駄目。そんなのじゃ風も起きないわよ。さあ、勇気を出して」
 だめ押しに心の中で泣きながら彼女の期待に応える。
「ラミクルラミクル パナコッタ! 炎よ出ろ」
 くるりと三回転半ほどして、腕を回し可愛らしく(アニスさん談)ウインク一つ。
 炎どころか埃の一つも起きない。唯一起こるものと言えば心に吹き抜ける寒風。
 コレをなんと言えばいいのか。探求というよりももはや拷問の域。
「うーん、コレも没。と。はあー、なかなか当てはまらないわね」
「アニスさん。本当にコレで見つかるんですか」
 げんなり溜息を吐き出して地面に座り込む私。力強く微笑む彼女。
「うん。全部やればいつかは巡り会えるはずよ。カリンちゃんの肌に合う術とか」
 と言いつつこの三日延々この調子で怪しい呪術とか、召還とか。今みたいなテレビアニメでやっていそうな恥ずかしげのない台詞とかのいる魔法とか。やった事は優に百は超えている。
体力はともかく現在精神力が摩耗しかけているギリギリの状態だ。
 私は、聞いてはならないことのような気がしたけど。尋ねた。
「アニスさん。全然術が使えない人って、いない訳、無いですよね」
 微笑む彼女の無情な沈黙が、無才な人もいるのだと肯定してくれた。

 狭い空間の中、私は唸った。
「むぐー……」
 頭が痛い。割れそうだ。周りは本本本本。目の前は奇妙に反り返った文字。
 左にはまたちょっと違った文字。その隣にも別の文字と記号。
 分かるかこんなの作者呼んでこい執筆者出せ、駄目なら翻訳係を呼べ!! と叫びだして暴れたい気持ちを抑えて見つめ続ける。コレがアニスさんから出された次のスパルタ内容。
 私の体術はある程度掴んだので、勉強しろと言うことらしい。
 休めるなんて大間違いだった、プラチナが教えてくれる歴史はまだ良い。問題なのは後から後からわき出す別形式の術の数々。召還、占い、攻撃、呪術。
 異世界から幾つも人を召還する分、それだけ出来ることも増えるわけで。
 どう考えても一生どころか十生しても見つかりそうにない位の文献の数。
 タチが悪いのは私が異界の住民だと言うこと。話し言葉は勝手に日本語に聞こえてくる。
 けれど、文字はそうも行かない。もとから知らないコチラの文字が様々な改造を施された旧古代文字、暗号。理解不能に拍車が掛かる別世界の文字。
「分かんないよ。こんなの」
 異文化の文字に触れて四日目。文字に埋まる私の唇から泣き言が漏れた。 
 魔法で識別が出来ないかと頼んだ物の、この世界で暮らす人間なら特定もしやすいが、異世界の訪問者である私は判断が出来ないと無情な宣告。
 じゃあその筋の専門家ならどうだと尋ねてみたがプラチナから聞くのは悲報ばかり。
 『魔術の功労者である師は、惜しまれつつ百五十六という短い人生を送られた』等という私を転倒させる答えも貰ったが。どうもこちらではみんな長命で、現地の人の中には二百三百歳もザラにいるらしい。特に異世界から来た勇者候補は長生きすると聞いたが、現在生き残っているのは最近呼ばれた者ばかり。それも才能を理解し使いこなせるか、すぐに開花させることが出来るものばかりを呼び集めているものだから、参考なんて当然無理。
 そんなわけで。一般的な頭脳で、凡人の私は砂の中から一粒の砂金を取り出すに等しい作業を続けるしかない。
「カリン様。苦労なさってますね」
「シャイスさん」
 苦笑気味の声と共に、温かいお茶が置かれる。色は薄いベッコウ色。前にも飲んだことがあるが、何茶なのかはよく分からないけれど、紅茶に似た風味で味は悪くない。
 丁度頭が混乱し掛けていた頃。煉瓦みたいに積まれた本を遠くに押しやり、休憩を取ることにした。
「お願いがあるんですけど、私の名前。この世界でなんて書くんですか」
 唇を少し尖らせて、熱いカップに息を吹きかける。僅かに冷めた頃合いを見計らって口を付けた。美味しい。
「え。カリン様の名前ですか」
 吐いた吐息が白くなる。最近ますます寒さが増してきた気がする。
「はい。おとなし かりん。どう書けばいいのか分からなくて」
 尋ねられて頷く。
「いいですよ。こうですね」
「こう、か。じゃあこの世界の文字を教えて貰えませんか」
 曲線を描きながら書かれる私の名前。やっぱり何かの落書きにしか見えないけど、名前の書き方位は覚えておかなければ駄目だろう。出来るだけ忠実にそれを真似していく。
 書くモノは荒い紙とインクとペン。ペンの先端が引っかかって上手く滑らないが根気よく続ける。まだこの世界のペンには慣れない。
「私なんかで宜しいんですか」
 欲張りな言葉に彼が照れたような顔で首を傾ける。
「シャイスさんじゃないと駄目なんです」
 むしろ彼位しかこんな時間の掛かることを手伝ってくれる人はいない。
「……あはは。そこまで言われたら断れませんよ。
 でも本当に宜しいんですか」
「良いんです」
 何度も念押ししてくる彼にこっくり頷く。
「あー、でも感激ですね。翻訳用の辞書ならあるのにわざわざ」
 新しい紙を取り出し、ペン先をインクに浸す。
 翻訳用。え?
「あの。翻訳用って」
 恐る恐る聞くと、変わっているだろう私の顔色に気が付かず、彼が微笑む。
「異世界の方も多いですからね。いらしたときは必ず用立てるんですよ。
 複雑なものは出来ませんけど簡単な文字なら―――」
 その先は聞かなかった。何だったんだこの三日間。
 分からない文字を延々眺め、手探りで解読する考古学者の日々。
 無駄。時間の無駄。と言うより何でいってくれなかったんだこの人は。
 もう少し早く告げて、言ってくれれば。もっとすぐに言って。
「何でもっと早く言わないんですかあぁぁぁぁっ」
 長期の勉強疲れにすり減った私の神経は、彼に対する遠慮とか気遣いなんてものをゴミ箱にポイ捨てさせていた。辺りはばからぬ声で絶叫する。
「て、私が悪いんですか!?」
「当然です。キリキリその場所案内して下さい、早くッ!!」
 勿論、吐き捨てた台詞もオブラートには包まれなかった。
 泣きそうな顔で本棚に向かう彼の背を見た後、振り向いた机には。
 よっぽど頭がぼーっとしていたのか。文字は徐々に崩れて元の世界の平仮名に似た言葉になり、最終的には「おトなし かりン」と私の字が書かれてあった。
 それを見て、何故か私は可笑しいと同時に一抹の寂しさを覚えていた。

 

 

 

 

 

 

 

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