三章/勇者の価値

 

 

 

  
 転機は訪れた。外を見たいと願っていた私の前に、空が広がっている。
 元の世界の空よりも青い、青い色。そして本の中であるみたいな連なる建物。
 風の薫りに土の匂いが混じって、雨の後を思わせた。
「どうしよう」
 爽やかな朝の空気。だけど私は側にあった土壁に背を向け、座り込む。
 地面はデコボコと荒れていて、石畳はめくれている。
 説明ももう要らないとも思うけど。現実逃避しないために反芻しよう。
 迷子になった。
 それはもう指を指されて大笑いされても仕方ない位派手に迷った。
 元々あのお城の道が複雑で代わり映えしないのも一つの理由。
 戦いの傷跡が残っていたときはマシだったが、修復された後は本当に部屋の目印が消えてしまった。シャイスさんを探す内、迷いに迷って。適当に知ったところに出ればと出た場所は何故か外。戻ろうと振り返ったら滑って転けて転がって。
 気絶でもしていたのか、気が付くと道の真ん中に独りぼっち。
 訓練のおかげで怪我はないが、どこから転がり落ちたんだか見当がつかない。
「プラチナー」
 呼んでみるけど答えはない。
「アニスさんー」
 やっぱり虚しく響くだけ。
「ダズウィンさんー」「マインー」「シャイスさんー」
 何をやっても無駄だった。
「た、確かに夜中願ったけど」
 こういうかなえ方ってどうでしょう神様。やっぱり神様は私のことが嫌いなのか。
 だけど夜中でなくて良かった。朝方のため人通りは少ないけど、無害そうな人を見つけて話せば穏便に進むだろう。
「看板とか。あるかも」
 呟いて辺りを見回すと。あった。確かにあった。
 あったけど。
「読めない」
 何語なのコレは。アラビア文字でもないしローマでも英語でもない。
 解読の手がかりも見つからない。
 ああああ、言葉が通じてたから忘れそうになってたけどここは異世界だったんだ。
 私の喋る言葉は勝手にあちらの言葉へ変換するらしいが、文字は別みたいだ。
 全く読めない看板を掴み、項垂れる。
ここはもう、『そばにあると思いますけど城は何処ですか』と聞き込むしかない。
 現地の人の気持ちになって考えるかなり怪しい人物になるけど。
 背に腹はかえられない! よし、思い切って。
「あ、あのお聞きしたいんですけど」
 近くに歩いていた、水瓶を持った初老の女性に尋ねる。
 ベールのような物で口元を覆っていたが、その瞳は優しげだ。
「あんた。見かけない顔だけど勇者候補だね」
「は、い?」
 私を見たとたん、人の良さそうだった、その人の声が一気にロボットみたいな冷たさを帯びる。刺すような、舐めるような視線。
「見れば分かるよ。その口の動き」
 うかつだった。翻訳されるとはいえ、私は完全に異国の言葉を使っている。
 この人が言った通り、口の動きを見れば明らかだ。
 でも、なんだろう。この、つっけんどんを通り越して崖から落としそうなほど、殺意の混じった対応は。
「出て行きな」
「え」
 投げつけられた言葉は冷たく、鋭い。脳が少しだけ麻痺して、呆けた答えを返した。
「役立たずに渡す飯はないよ。初めて見る顔だ。あんた、何の功績も挙げてないんだろう。
 新しい候補者なんて、金の無駄だ!!」
「……っ」
 鼓膜が割れるがいい、とばかりに叫ばれる。
 この人は何を言ってる。一体どういう事。
 役立たず呼ばわりは良い。この際そんなプライドなんか捨ててやる。
「勇者って。候補者って何ですか。どう、思われてるんですか」
 私が吐き出した言葉は、固い血を吐き出した後みたいに掠れていた。
「役立たずでどうしようもない奴らさ」
 胃が見えない手で捻られる。候補者のみんなが……やく、たたず。どうしようも、ない。
「そんな!! みんなあんなに命がけで」
 酷い言われよう。思わず返した反論に、彼女は臆さなかった。いや、恐怖や良心が憎しみで覆い隠されているのが、不気味に光る目を見れば分かる。
「それがどうした。この有様をみな」
 言われて初めて辺りを眺めて。私は何も言えなくなる。
 無だ。辺りに生物の気配がない。
彼女に話しかけていたその場所は建物の連なる地区だった。そして、同時に瓦礫が散乱する廃墟でもあった。象が大挙で押し寄せたみたいに、私から見て右側の建物が全て潰れている。幾つもの欠片が散らばって、それが陶器なのか建物の破片なのか。それ以外の何かなのか、全く見分けがつかなかった。
「アイツらがいるのに。いや、いるせいで、か。街の半分は粉々だ」
 絶句する私に、続けられる言葉。
 反論は、出来ない。別の目的や偶然も考えた。だが、前プラチナが言った。『戦力を放出し続けているここが落ちれば終わりだ』と。この前見た戦況。侵攻のやり方。
 魔物が仮に人並みの知識を持っていて、統率力があるのならば。ここを襲った目的は、城だ。外界から戦力を放出し続けるあの城が目障りなんだ。
 無限増殖みたいに吹き出す手駒に業を煮やした敵は、その穴をつぶしに掛かった。
 それが十五日前。私が召還された、当日。
 なら、彼女の言葉は的はずれではない。
「アンタは外から来たんだろう。勇者様を願って呼ばれたんだろう。
 そんなの山ほど見たがね、勇者なんていない。戦うための殺戮者しかいない」
「違う! 違います!! 私は勇者なんて。他のみんなだってこんなの」
 吐き捨てられる言葉に、脳が理解を示すよりも早く唇が反撃の語句を紡ぎ出す。
 勇者じゃない。私は勇者じゃない。みんなだって候補者って言われているだけで、自分たちは駒だという悲しい自覚を持って動いている。殺戮が楽しいと思ってる候補者も、少なからず居るかもしれないけど、こんな状況を楽しむ人なんていないはずだ。 
「戦うんだろう。魔物を殺すんだろう。邪魔な仲間も捨てるんだろう」
 蔑む声。冷たく濁った瞳。
「…………」
 私は、私は……また。声が出なくなった。
 魔物。あの大きい獣に私は深手を負わせた。死なないためなら何度でもそれを繰り返すだろう。自分の目的のために、自分勝手な理由であの生物を犠牲にする。
 そして、プラチナ達も命令とはいえ淡々と世界の地図を広げて使える戦力を保持し。
 使えない砦や人々を切り捨てる。初日に聞いた『使えない駒は切り捨てる』の言葉通りに。敵地も罪悪感無く潰す。他の候補者も同じだろう。
「私はね、ゴミみたいに捨てられたのが悲しいんだよ」
 憎しみに彩られたその声が、震えているのに気が付いたのは。暗い候補者の肩書きの現実と、自分の身勝手さに僅かに嫌悪と恐怖を感じた時だった。
「あんたらにすればタダの役立たずだったけど。私にとっては、一人の血の分けた……息子だったんだ」
 ああ、そうなんだ。
 唐突に、分かった。理解したのではない。分かった。
 彼女は一人の人間で。人生を歩んで。家族を作って。
 その家族は役に立たないからという理由でつみ取られ、捨てられた。
 邪魔な雑草を投げ捨てるみたいに。
 怒るのも当たり前。吐き出すのも当然。憎しみも、悲しみも人間の感情。
 住む場所も、家族も奪われて。この人は絶望している。
 近くにいるはずの候補者も助けてくれなくて。だれも手を伸ばさなかった。
 だから、憎む。吐き出す。やり場のない怒りを、候補者にぶつける。
 次に見たときには彼女の瞳は、もう憎しみをどこかに閉じこめていた。
「何で泣くんだい。あんた、勇者だろう。候補者なんだろう。血も涙もない、奴らなんだろ」
 言われて気が付く。悲しいの。悔しい。苦しい。
 分からない、でも、みんなが可哀想に思えた。
 候補者も町の人も、魔物さえも。全部哀れで、永久に思えるほどの戦争が憎かった。 
「違います……勇者じゃないけど……勇者じゃないから。
 私は、悲しくて。無力で役立たずなんです」
 地面に滴が痕を作る。足下に落ちている木切れの裂け目は、明るい樹の色を見せていた。
 それが余計に悲しくなる。あの夜、何人死んだ。どれ位の家族が泣いて、血の唾液を飲み込んだ。
 涙は流れ落ちて止まらない。
 魔法があるこの世界でも人は生き返らないし、建物はなおらないんだ。壊れて傷ついたこの人の心は癒せないんだ。
 奇跡が存在するはずの異世界は、廃墟と人々の絶望で冷たい現実を私に告げていた。
「…………アンタは神官かい」
 かんしゃくをおこした子供みたいに泣きじゃくる私に彼女は言った。
「神様なんて、嫌いです」
 神様なんて嫌いだ。大嫌いだ。
 偶然でこんな世界に連れてくる神様。私の希望をもぎ取る神様。奇跡を起こさない、腹黒い神様なんて、嫌いだ。涙を拭って私が笑っていってやる。
「そうかい。それは同感だ」
 彼女が初めて笑った。深い皺は、苦悩と歩み続けた苦労の痕。
 それにもう一度笑いかけようとして、横合いから来た衝撃につんのめる。
「ひゃっ!?」
 あたた。なんか頭に掠めた。と思うまもなく何かが上から降ってきた。
 避けるまもなくマトモに被る。
「う、うげ」
 生臭い匂いに漏れる嗚咽。思わず庇った頭から手を放し、見る。
 妙に粘ついて水っぽい。絡み付いた赤い紐のような物体はリンゴの皮だろうか。
 足下に散乱するジャガイモの皮とか卵の殻。何処をどう見ても生ゴミ。
 しかも腐っているのか凄い異臭を放っている。
 ばたん、と騒音に見上げると、上辺りには、窓がある。投げ捨てられたのか。
 さっき掠めたのは、と。
 割れたツボが目にはいる。水が地面を濡らしている辺り水瓶だったのか。
 当たっていたら痛いじゃすまない。
「使えない勇者候補は切る。それは私らも同じさ。そんな格好をしている限りアンタは街の連中から追い回される。早く逃げな、近道はそっちだよ」
 潜めた声に目をやる。彼女がさり気なく道を譲り、背後の道を空けた。
 近道。逃がして、くれる?
「あ、ありがとう。ございます」
「生まれてすぐ死んだ娘がね、大きくなったらアンタと同じ位だと思ったら、変な同情沸いただけだよ。時間稼いでやるから行くんだ」
 憎しみが萎むと、彼女が本来持つ良心が顔を覗かせた。
「また、会いましょう」
 笑顔で笑って手を振る。汚れてしまったから握手は出来なかった。
 彼女の厚意を無にしないため、私はそれだけ言って通路に走り込む。
「こりごりだね」
後ろから聞こえた言葉は、苦笑が混じっていたけれど、優しい声音だった。

 

 

 

 

 

 

 

inserted by FC2 system