三章/勇者の価値

 

 

 

  



 長い距離を走っていた気がする。十五日前だったら私はとっくに倒れている早さで走り続ける。鍛えられた体はすっかり逞しくなったようだ。
 それはともかく。
「追っ手、かな」
 少しだけ立ち止まって呻いた。一本道に思えるこの裏道も、住人にとっては横道とか更に裏の裏道とかがあるに違いない。そう多くはない足音がいつまでもついてくる。地の利がない分私の方が少々不利だ。
 二つに分かれたY字型の道。荷物置き場にされているのか、片方は積み上げられた箱で塞がれていた。右側の道は箱が二、三個積まれているが、まあ通れないほどではない。
 人々の生活路なのか、並べられた小型のツボの中に色々と入っている。
 たとえば私の体に降りかかった香水代わりの品とか。
 ロッククライミングみたいに足をかけ、二箱ほど上ったところで声が掛かった。
「おい! そこの女」
「よいしょと。荷物が邪魔で通りにくいですよね、ここ。じゃあ私は帰りますから」
 最後の一段に足を載せ、微笑んで挨拶。
「待て生ゴミ!」
 次に掛かった声はさっきの人とは違う声。
 生ゴミ。生ゴミとは私のことでしょうか、もしかして。
 かちーん。じゃなく脳みそ辺りからガヂッと石を噛んだみたいな音が聞こえた。
「おわうっ。ひでー臭い。くせー」
「うわ。生ゴミ。天下の勇者候補が生ゴミまみれ。受けるねー」
 返答代わりに手近なツボの中身を振りまいた。勿論色々とまみれる二名の男性。
 そして出来る限りの微笑みで一言。
「同じ」
相手の顔が引きつるのが見えた。更にだめ押し。
「一緒」
 こっそり足下に近場にあったツボを置いた後、彼らを指す。
『このアマぁっ!?』
 切れる二名。慌てず騒がず軽くツボを蹴り落とす。
 高台から落としたものだから、下は大惨事になったとおもう。
 大絶叫を無視して箱から飛び降り、先へ急ぐ。私も非道になったなぁ。
 坂道を駆け上りながら、私は心の中でぽつ、と呟いた。




 マラソンで言うなら心臓破りの坂。それを駆け上りながらも、私の足は悲鳴を上げなかった。直角というより崖に近い道を走らせ、地獄の坂と言い張るアニスさんの『死のスパルタ』を思い起こせば、疲れも吹き飛ぶ。こんな坂道なんて雲の上だ。
 生死の境を何度も見る位の地獄特訓をこなした私とは違い、後ろの二人は運動不足。
 何かいっていた気もするけど、ぜん息の発作みたいな呼吸が五月蠅くて声になっていない。視界の先、芝生が作る緑色の境界線が見えた。
「様あ〜」
 この気の抜ける声には聞き覚えがある。階段を進むのも面倒になって、私はコースを逸れ、舗装のされていない坂道を駆け上る。何か『ずるだ』とか『普通にいけよ』とか聞こえた気もしたけど。無視。途中少し足が取られそうになったけれど、何とか無事に頂上にたどり着き。足のバネを利用してジャンプ、着地。
「ああああ。カリン様お探ししましたよっ。一体何処に、いえ。門が開いているのをお知らせしようとしたら先日の襲撃が原因か外の土台が脆くなっていてその部分が消失してるわ。カリン様いないわ。
 下の方見たら何か転がったっぽい跡もあって、もーみんな大騒ぎですよ!?」
 よっぽど混乱しているのか、ミョーに説明口調で一気にそう言って、ぜえぜえと肩を落とす。時間からして、二時間くらいしか消えて無いと思うんだけど、みんなって……プラチナとかも探し回ってるのか。後が大変そうだ。
「ただいま帰りました。お騒がせして。滑って転んで落ちちゃったんですよ」
 取り敢えず目の前で目をくるくる回しそうなほどパニクる人から宥めることにする。
 頭を掻こうとして、途中で止めた。合わせた指先が忘れたいぐらいの粘っこさとぬめりを生々しく伝えてくる。
「カリン様よく転びますよね――」
 ようやく落ち着いたのか、シャイスさんが笑ってこっちを見て。
 固まった。鏡がないけど酷い有様だろう事は想像つく。
 地面の水たまりを踏んで靴はドロドロ。頭から生ゴミをかけられ、埃っぽい路地や砂地を走ったせいでちょっとゴミと一体感があるだろうし。臭いは想像もしたくない。
 今まで気が付かなかった彼もある意味凄いけれど。
 よろ、と少し彼が後退り。
「って、なんて姿ですか。髪の毛も服もああ、こんなに。
 また街の連中ですね! カリン様にまでこのような暴虐っぷり、許すまじです。今度という今度はプラチナ様に進言しなければ!!」
 涙なんかを潤ませて私の肩を掴もうとしたから半歩ずれてかわす。だから、私は汚いから触ったら駄目ですって。そんな気遣いも知らず、彼はちょっと悲しげに眉を寄せ。
 燃える口調で断固と言い放ち、力一杯拳を握る。
「あぁ」
 返らぬはずの、暗い返答。
「ひっ。カ、カカカリン様!?」
 ゆっくりと振り返って彼が大げさな悲鳴を上げた。
「あー。色々シャイスさんの話聞いてたら着いちゃったみたいですね」 
 私はいい加減凝り固まってきた首を回し、答えた。 
「城下から追いかけてくれた人達です。良い運動になりました」
 同じくしばらく鈍っていた足を伸ばす。ボタボタと髪の隙間から残飯が落ちる。
 何だか色々汚くなっているので今更泥だらけになっても気にならない。
 腕を回し、準備を整えた私の前に、大きな白い壁が立ちふさがった。
「幾ら一般市民とはいえか弱い女子を追い回す悪漢! ここ、これ以上は進ませません。
 ここを通るのでしたら、私を倒してからお進み下さい!」
 壁、じゃなくて。シャイスさんの背中か。そう言えば私より背は高かった。
 両手を広げ、仁王立ちみたいに私の盾になっている。普段の虐められ姿を想像できない位男らしい台詞。
 でも悠長に感動してくれるほど追いかけて人達も甘くない。
『おう。そうさせて貰う』
 素直に頷いて指の関節をぽきぽきならしながらシャイスさんに狙いを定めた。
「あああ。カリン様この人達目が、目が真面目ですっ」
 ドスの効いた声音にすぐに口調が元の彼に戻る。ちょっと見直し掛けた私は、疲労感を感じた。
「怖いんなら言わないで下さいよ。あんな大きな事」
 一応庇ってはくれているものの、私を見ながらジリジリと後退していく。
 庇われた私も後退るしかない。先ほど彼が言った『緩い地盤』ギリギリの辺りまで追いつめられた。このままでは落下するだけ。たまらず呻く。
「何言ってるんですか。私だって男です、プライドは薄くとも、これくらい出来ないと男の尊厳に関わるんです」
 断固とした彼の口調。
「シャイスさん」
 彼を上目遣いで見上げ、名を呟く。
 一応大事な部分を任されてるのに仕事に対するプライド薄くて良いんですか。
 そう言いたいのをこらえながら。
「もういいです。シャイスさんは出入り口の方にいて下さい」
「カリン様。そんな、私のために身を投げ出されるなんて」
 ハッキリ言うと、彼が捕まって盾にされたりする方がよっぽど大変なことになるのだが、言わないでおく。
「私は、この人達に話があるんです。二対一でも話せば分かるはずです」
「カリン様。更生を願って……くっ。分かりました、このシャイス、涙をのんで身を引きましょう」
 何だかメロドラマに出てくる相手役のようなことを言いながら、彼が本当に涙を堪えて扉へ向かった。そんな過剰な期待は元からしてないし、話し合いになるわけもない。
「ネェちゃん。良い根性してるな。俺達にゴミぶちまけるたぁ」
なにしろ、彼の言う通り生ゴミを投げつけたんだから。

 

 

 

 

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