二章/習うのか慣れるのか

 

 

 

  

 シャイスさんが言ったみたいに、いつも通りみんなはその場について、私を待っていた。
 一番遅れてきたのは私らしい。
「おはようございます」
 ぺこ、と一礼して端にある席に座る。隅が落ち着く一庶民な私。
 一時的な勇者候補になった今でもその習性は変わらない。
 アニスさんは相変わらず惜しげもなく体の線が強調される服を着ている。
 今日は透けるほど薄い緑色のケープを肩に掛けている。
「あら。おはよカリンちゃん。……着替えなかったの?」
 朝一番の微笑み。最近では彼女が悪魔に見えるんだけど、訓練しすぎの幻覚だろう。
「あー」
 思わず呻きが漏れる。やっぱり着替えてなかったみたいだ。うーん、食べ終わったら頭も戻るだろうし、食後に着替えよう。
「お、カリン。おは……いつにもまして顔色が悪いぞ今日は」
 ダズウィンさんはやっぱり朝でも鎧のままだ。重たそうな音を立て見た目より丈夫な椅子が軋む。
「そー、ですか? 平気です」
 頭を傾け、首を横に振る。確かにちょっと目眩はするけれど。
「遅めの朝食だなカリン。まあ、良いだろう。
 アニス、一日ごとにカリンの疲弊が増していくように見えるのは、私の気のせいか」
 銅像のように沈黙を守っていたプラチナが、私の顔を見て頷いた後、少しだけ眉根を寄せた。
「えぇっ。そんな。気のせいじゃないわよ」
 小指を唇に当て、ひとしきり驚いたようなポーズを取った後優しく微笑む。
 あの笑顔を見ながら、私は何度気絶したんだろうか。覚えてない。
「アニス様。そう言う酷い台詞をにこやかに仰らないで下さい」
 疲れの混じるシャイスさんの溜息。
「だってぇ。プラチナが一週間で守りを固められるようには、って言ったから猛スピードで仕上げてるの! 基礎体力はギリギリついたから次は本格的なやり方に移行するわ」
「えっ!?」
 と言うことは今までの死ぬような訓練は基礎体力作りで。まだ初期段階!?
 何か、目眩が酷くなった。
「あの、アニス様。差し出がましいようですが、この調子でやるとホントに死にますよカリン様」
「けどプラチナ。他の連中遅いわねー」
 シャイスさんの忠告はナイフを動かすアニスさんに笑顔で流された。
「そうだな。いい加減戻ってきても良さそうなものだが」
 口元にジャガイモを運びつつ頷くプラチナ。ノーコメントらしいが止める気もないようだ。
 戦況が悪い、つまりそれは食糧難と言うことで。事実私の目の前にはふかしたジャガイモが一つと、薄そうなマメのスープが少しだけ。
 この五日、朝昼晩。全く同じメニュー。更に調味料も手に入りにくいのか塩もろくに付いていない。
 お腹一杯にはなるので文句は言うまい。少しすさんだ心の声。
 ナイフで切り分けて、口に運ぶ。喉に詰まりそうになったお芋を薄いスープで流し込む。
 何も入っていなかった胃が物を入れたことで落ち着いた。
「……他の人達。あと何人位候補者の人っているんですか」
 箸、じゃなくてフォークを動かす手を止めて、プラチナを見た。 
「ここを固めている勇者候補は後二人ほどだが、別の区画にいる連中は両手では数え切れないな」
 私の質問に彼女がスラスラと答える。
「そんなに沢山」
 基本的な疑問だったけれど、ここ数日は訓練の厳しさで朝も口がきけないほど弱っていた。アニスさんが言う通り、私の体は前より丈夫になったらしい。
 ジャガイモをもう一口。慣れれば薄口も悪い物ではない。健康栄養第一。
 栄養を配慮してだろう。山菜や野草みたいな付け合わせもたまに出てくる。
 どう考えても雑草に近いシロモノが並んでいたときもあったが、食べた。
 日に日に色々と逞しくなっている気がする。木製のカップに口を付け、中身を喉に流し込む。夕食のレパートリーはともかくこの世界の水は、美味しい。……私の世界とは違って汚染されていないからだろう。きっと。
「カリン様。ご加減は良くなりましたか」
「はい、口に入れたらなんとか」
 自分の食事もそこそこに、尋ねてくるシャイスさん。流石に心配ばかり掛けているので小さく笑って返す。
 何故か肩をずっと震わせているアニスさんが口を開いた。
「あら、シャイスったら。すっかり過保護執事になっちゃって。似合うわよ」
「な、失礼ですね。私はカリン様のお世話係を命じられた身としてですね」
 頬を赤らめ、腰に両手を当てて胸を張る。『お世話係を命じられた身として』などの台詞もよく考えると情けなさが強調されていたりするんだけど。彼は気が付いていないらしい。
「はいはい。実はそっちが天職だったりしてね〜」
 片手を軽く振り、マトモに相手をしないアニスさん。
「そりゃ言えてるや」
 飛ぶヤジが増える。
「ダズウィン様まで。プラチナ様も何か仰って下さい!」
「良いではないか。過保護執事」
 スープを一掬いして、横目で彼を見る。
 流石不幸街道を進むシャイスさん。救いの手は誰からも伸ばされなかった。
「……ひどいです」
 しゃがみ込んだのか白い法衣が視界から消える。和やかな食卓。
 スープを掬おうと銀のスプーンの先端を沈み込ませたときだった。何か聞こえた。
 他のみんなは聞こえているだろうハズなのに、席を立たない。
 また、地響きみたいな音がした。五日前の悪夢がよみがえる。再襲撃?
 それが足音だと気が付いたのはしばらく経ってから。
 地響き並の騒がしい足音はどんどんこっちに近寄ってくる。
 でもやっぱり誰も騒ぎすらしない。シャイスさんはと言うと、落ち込むのに夢中で沈みっぱなし。
「ただい」
 甲高い声と共に喧しい音を立てて扉が開かれて。壁に当たってまた閉じる。勢いの付けすぎだ。見知らぬ騒がしい人は鼻の頭でも打ったと思うけど、大丈夫かな。
「たた。よいしょ」
 先ほどの失敗を恐れてか、今度は控えめに扉が開いた。
 鼻の頭をさすりながら出てきたのは人だった。私よりも少し高めの身長。短い亜麻色の髪は猫っ毛なのか跳ね上がっている。男の子、かな。
 彼は辺りを見回して押さえていた手を離す。
「うわみんないる!? えー少し遅くなったけどただ今帰りました、プラチナ」
 瞳を見開いて大きく躰を反らせた後、冷たい眼差しを感じ取ったか慌ててプラチナに礼をした。
「騒がしいぞマイン。食事中だ。ゆっくり入ってこい」
 溜息混じりの彼女の台詞。と言うことは、この人も候補者?
「ご、ご免なさい」
 小さく笑ってマインと言われた少年はプラチナを上目遣いで見上げる。
 きらきらした眼差しは、髪よりも明るい金に近い栗色。
 顎の輪郭は丸みを帯びた卵形で。えーと、他に上手い表現はないものか。後ろに羽でも生えていそうな愛くるしさ。こんな可愛い生き物が人類として存在して良いんだろうか。
 いや、異世界だから人類じゃないかも知れないけれど。お母さんに見せればきっと、養子に迎えるだろう。相手や実の娘主人諸々の事情をかなぐり捨てでも。
 ……弟に欲しい。
 一人っ子の私はそう思った。
「視察はどうだった。気にせず言え」
 私の方をちょっとだけ気にしたようにちらちら見る彼に、プラチナが告げる。
「えっと近場の砦が二つ。村が三つおちてました」
 それを合図に頷くと、意外にもハッキリした口調で話を進め始めた。
「はあ。またか。それで遅れた理由は」
 戦況悪化にプラチナが憂鬱な呻きを隠さず漏らす。
 また、か。来たときといいこの世界の状況はどうなっているのか。
 早めにその辺りは聞いた方が良いだろう。私もここにしばらく居る身でもあるし。
「ついでに敵戦区の中枢潰して。ちょっと苦戦したから遅れました」
 不機嫌そうに尋ねるプラチナにケロッとした顔で、彼。
「ついで!?」
 見かけによらずの過激な発言に思ったよりも大きな声が出た。
 視察ついでの敵地突入って。
 むしろ普通はそっちがメインじゃなかろうかと思われます。
「……奴は」
 その辺りを強く叱咤する気も起きないのか、プラチナはこめかみに手を当てる。
「えーと、壊滅させるだけ壊滅させてフラッと何処かに」
 首を傾けて苦笑い。フラッと何処まで行ったんだろう、一緒に行った人。
「ご苦労。独断行動に対しては何も言わない。どうせ突っ込んだのはアレなんだろう」
 行方には触れず、プラチナは諦めたようにカップに口を付け、吐息を漏らす。
 奴。アレ? 後二名の一人はこの、マインと呼ばれた彼だろう。
 残りのもう一人が該当者、かな。
「あはははははは」
 溜息をつくプラチナに、乾いた笑いを返すマイン。年下だろうから心の中で呼び捨てでも平気だろう。
 パタパタと両手を動かしたのか、彼の羽織った白いマントが波打つ。
「お前武器はどこやった」
「邪魔だから部屋に置いてるよ」
 尋ねるダズウィンさんに、瞳を細めて両手を頭の後ろで組む。年端もいかなそうな割には尊大な態度。だけど、誰も怒らない。
 ……可愛いから? まさか、ね。
「マインちゃん。お菓子どうだった?」
 視察と敵地突入のヘビーな課題をこなしたマインへアニスさんがずれた質問を放つ。
「え。それがねー、アニス聞いてよ。ナジュは『甘いものなんてコドモが好きな食べ物よ』って相手にしてくれないんだよ。折角クッキー持って行ったのに」
 違和感のある彼女の疑問に、年相応なんだろう無邪気な笑顔で答える。
 視察で突入なのに何故クッキーとか微笑ましい単語が飛び交うんだろう。
「二人はどうしてたんだ」
 質問を出す前に、プラチナさんがさり気なくその波に乗った。
「んー。いつも通り鉄壁の守りだよ。リセリアとナジュが組んでるから味方も近寄れないって兵士のみんながぼやいてたけど」
 気が付かずマインは話し続ける。素人の私が尋ねるのもアレだけど、本当に視察だったんだろうか。
「マイン。お前二人の所にも行ったのか」
「うん。ちょっとついでにね」
 念を押されるような言葉に、少し眉を寄せつつもこっくり頷く彼。
「こちら側とは逆方向をついでに?」
「う。プラチナ居たっけ」
 冷たい声に肩をすくめる。怒りの僅かに混じった冷たい台詞でようやく我に返ったらしい。
「最初から居たわよマインちゃん。それに、苦戦したにしては傷も付いてないし」
 アニスさんとプラチナ。二人の視線に挟まれて助け船を探すが、諦めたのかがっくり項垂れる。
「ご、ご免なさい。だって今こっちは優勢って聞いてたからちょっと寄り道しようかなぁ。
 なーんて。でも潰したのは真面目にやってきたよ。後でしるし付けるからさ」
 しゅん、と両手を合わせて拝むように二人を見る。何だか母親にしかられる寄り道をした子供みたいだ。きっと寄り道の単位は数キロとか途方もない距離だろうけど。
「お前が留守の間、獣王族が攻めてきたが」
「ええっ。嘘!?」
 冷ややかな台詞に慌てたような声。一応寄り道するほど平穏だったのだろう。
 出かけた日に攻めてきた獣王族を恨むべきか、彼らの間の悪さを呪うべきか。
 いや別に恨みも呪いもしないけれど。
「嘘じゃないわよー」
 軽いアニスさんの微笑み。そう言えば『使えない男ばかり揃ってえぇぇ』とか叫んでいた気もするが、彼もその中に含まれるのだろうか。問いただしたいような怖いような。
「うわうわ。ご免なさい。次から気をつけますっ」
 ぱん、と両手を強く合わせてプラチナを拝む。
 反省の気持ちは伝わってくるけど、遅刻を謝るような気軽さで良いんだろうか。
「私も油断していた、というのもあるからな。今回は咎めはしないが、次からは余り寄り道はするな」
 何度目とも知れない彼女の深い溜息。胃薬があれば渡すところだ。
「はいプラチナ。でも、誰そのひと」
 嬉しそうにマインが頷いて。数拍の沈黙の後、小首をかしげる。
 そのひと。誰その人。該当者はえーと。ああ、わたしだ。
「あ、えーっと」
 なんて説明したらいいのかな。まずは名前? 性別は、見れば分かるよね。
 何から話そうかと迷う私に対し、彼に迷いはなかった。
 まじまじと私を見つめた後。
「あ! 次の候補者の人。時期だもんね、でも今度の人は弱そうだね」
 ぽん、と手を打つ。白いマントが揺れる。
 よ、弱そう。うわ今ざくって心の何処かが抉れた音が聞こえた。
「ちょっとマインちゃん。失礼よ」
「だって。弱そうなんだもん」
 珍しく慌て気味なアニスさんに構わず、唇をとがらせ率直。直球の言葉。
 うう。弱いんですよ。だから訓練してるのに。
「使えんの?」
 くっ……なんだろう。この、胸の奥から燻るメラメラとした高まりは。
 怒りとかじゃなくて、憎悪か。駄目、我慢。我慢。
 多分年下だろうの彼が言った無邪気かつ素直な気持ちなんだから。切れない切れない。
 それが一段とムカツクというのは否定しない。けど! ここで切れては駄目。ここで切れたら世で言う所の切れやすい若者になってしまう。そう、果林。落ち着くの、音梨果林。
「しょうがないじゃない。彼女民間人なんだから」
 暴れ馬を宥めるみたいに両手をマインに向け、アニスさんが笑う。少し口元が引きつってるように見える。マインが腰に手を当て、ちらと私に視線を向けた。
「ええぇっ。どうして民間人居るの? プラチナ今度は人海戦術する気!?
 でもやるんなら男の人集めたほうが良いよ」
 聞こえる溜息。またなんか私の心が抉れた。確かにか弱くて役立たずの一般市民ですけど。人を捨て駒の目で見ないで下さい。
「失敬だぞマイン。一応カリンはお前と同じ候補者だ」
 流石に見かねたか、プラチナが止めに入った。
「ふぅぅん。じゃ、何できるの」
『…………』
 鋭い彼の質問に、私を含め、一同が沈黙する。
 シャイスさんはとっくに立ち直っていたけど、今の質問で凍ってるし。
「仮にも候補者だし。なぁんにも出来ない、なんて。いわないよね?」
 『…………』
 抉り込むような追撃。
 なぁんにも出来ません。とも言いづらいのかみんな不自然に口に物を含んでいる。
 シャイスさんはカップに窒息しそうなほどの時間口を付けたままだし、アニスさんは一心不乱に蒸したお芋を口に運んでる。プラチナは遠い目でスープを口にしつつ『香辛料も手に入らないとは。戦況は厳しくなっているな』とつぶやいているし、ダズウィンさんなんて口にする物がないから空のお皿を囓っている。
 ナイフやフォーク、そして歯がお皿に擦れる音が虚しく響く。
「あの、みんな。その反応は何」
 不信感丸出しで彼が尋ねるが私を除いた他の人達は天気や香辛料。はたまた壁の補修やスプーンやナイフの細工の話で盛り上がっているため答えない。
 言えと。私から言えと言うことか。その反応は。
 本人から告げろと、そう言うことですか皆さん。
 意外と冷たい周囲の反応に、手に持っていたスプーンが曲がりそうな程力がこもる。
「出来ません」
 だん、とスプーンをテーブルに叩きつけて呻いた。
「え?」
「全然全くこれっぽっちもなぁんにも出来ませんっ」
 もうヤケだ。やけくそだ。自分が役立たずなのを声を大に告げる。
「じゃあ何のための勇者候補」
 不思議そうに尋ねられた台詞。それが私の何処かの神経を逆撫でした。
 頭の中がカッと真っ白になる。
「知りませんそんなこと」
 吐き捨てて、座り込む。長い長い気まずい沈黙。
 所在なげにシャイスさんが私へ、小さく微笑むが、コチラを見たとたん引っ込んでぶるぶる震えだした。そんなに怖い顔してますか、私。 
「何で怒ってるの、この人」
「ああ、あのね。彼女……間違って呼ばれたのよ」
 音を立てて頬杖をつく私の後ろ辺りで聞こえる問答。食事を終えたアニスさんが状況説明をするために席を立ったらしい。
「じゃあ民間人の人、間違って呼び出したの!?」
 そうです間違われました。このままふて寝しようか。
 デリケートな女の子の心は今のやり取りで色々傷ついた。シャイスさんが肩を揺すってたりするけど、無視。八つ当たりはしたくない。
 原因は彼が大幅を締めるんだから八つ当たりとも言えないけど。
 ふて腐れる私に少しだけ視線を向けて、プラチナが口を開く。
「有り体に言えばそう言うことになる。諸々の事情から彼女には一月ここで暮らして貰うことになった。勿論上には秘密だ」
 ふぅんとマインが頷くのが分かる。そして。
「シャイス。失敗するなぁーとは日頃から感じてたけど、この召還事故は酷くない?」
 的は勿論私からシャイスさんに移った。
「あうー。それはそうですけど。召還してしまった物は仕方ないというか」
 冷たい言葉に、捨て犬か捨て猫を拾った時みたいな言い訳をしながらシャイスさんが引きつった笑みを浮かべる。
「むー。一般市民じゃあしょうがないか。僕はマイン・ライト。
 失礼なこと言ってご免なさい」
 肘をつき、可愛くないだろう顔をしている私の正面に回ってきて、マインはしゃがみ込み、頭を下げる。コレには驚き反射的に姿勢が元に戻る。
 眺めても、顔を上げない。もしかして彼は私が許すまで頭を下げ続ける気だろうか。
 ……やるかも。
「い、いえ。えっと、私は音梨 果林。果林って呼んで下さい」
 一瞬よぎった考えが怖くなり、両手を振って許すことにした。
 顔を上げ、嬉しそうに笑う。本気でずっと下げ続けるつもり立ったらしい。
「カリンだね。了解」
 ああ、やっぱりこの人も駄目か。誰一人として未だ正確な発音の出来る人が居ない。
「じゃあライ……」
「マインで良いからね。ライトって呼んじゃ駄目だから」
「じゃあマイン君」
「マイン」
 数日前にも似た会話を私の世界でやった気がする。
「えーと。マイン」
 その時は無理だった事が、今は平気になった。彼の容姿のせいだろうか、君を付けずに呼べる。
「はいはい。何ですかー」
 明るい返答をして、彼が片手をブンブン振る。挙手しても気が付かれなかった小学生みたいだ。しかし、この無邪気さと元気さが、彼に質問をしなければと言う気持ちを確信に変える。
「勇者候補って具体的に何をするの?」
 誰に聞いても曖昧か、適当か、難しい格言めいた答えしか返ってこなかった疑問。
 彼は大きい瞳をぱち、と瞬いて、ポリポリと頬を掻く。
「えーと。ムズカシイこと聞くなー。
 腕を磨いて磨いて。戦って戦って戦って、お給料貰う、かな。
 忙しいときは無理だけど、時たま休めるからご飯食べに出かけたり出来るよ」
「分かりやすい説明有り難うございます」
 狙い通り、今までで一番分かりやすい説明だった。やっぱりそんな感じなんだ。
「ちょっと違うけど、間違っては居ないのね。でも良いなぁ、呼び捨て。
 プラチナにマインだけなんて不公平よ」
「特権特権。で、カリンは部屋でかくまえばいいのかな」
 子供みたいな駄々をこねるアニスさんに、余裕の表情でマインが深々と頷く。
「それでもまたここが襲われればひとたまりもあるまい」
「だ・か・ら。私が鍛えてるって訳」
 プラチナの言葉に黙考するマインに向かい、アニスさんがウインク一つ。
 そして。
「うわぁ」
 何か呻いた後、マインが私を見る。何故か深い深い同情の色。
「……どうしました」
 ぽん。と私の肩を叩き彼が瞳を潤ませる。
「良く今まで生きてたねー。カリン」
 はあ。生きてますから。と言いかけて私は気が付いた。
「やっぱり異常なんですかあの訓練!?」
「うん。ちょっとだけ厳しい物が」
 現役勇者候補に『ちょっとだけ厳しい』と言わしめるアニスさんの『死のスパルタ』って。
 いやでも、今まですっかり気が付かなかったけれど考えるとそんな呼び名ついている時点で異常!?
「気絶しなかった」
「何度もしてます」
 心配げな眼差しに遠い何処かを眺めて私は答えた。遠い何処かって何処だろ。
 訓練の合間に見えかけた川とか花畑かな。
「で、でもそのオカゲでカリンちゃんは基礎体力がなんと四日でついたわけだしっ」
 マインから抗議の視線っぽいものを受け、アニスさんの端正な顔が僅かに引きつる。
 人差し指を立ててスマイルを浮かべるけれど、静かな室内に虚しく反響する。
「四日で。無茶させるなぁ、相変わらず」
「もう、そんなに言うならマインがカリンちゃんの」
腕を組み、僅かに拗ねたみたいな表情で首を傾けて。
 ふと、良いことでも思いついたように声が弾む。
「そうねーマインちゃん。カリンちゃんの相手してあげてくれない。
 そろそろ実戦形式を叩き込もうかなぁ、ておもってたのよ」
 叩き込む。次は本当に殺されそうな響き。今度こそしごき殺されるんだろうか私。
 あー、でもそう思ったのは二桁単位だけど生きてるから意外に大丈夫、とか。
 冷静に考えると怖いことを思う私。連日の訓練で脳神経が一部麻痺してきている。
「ええー。帰ってきたばっかなのにぃ」
 両手を合わせて嬉しそうな顔をするアニスさんに、渋るマイン。
 彼の言う通りまぎれもなく帰ってきたばかりだ。 
「いいのよ。別に、でも私に任せて良いのかしら」
 そんなに心配することもないと思うけど、彼は何度か私とアニスさんを見比べて。
「はああ。分かったよ、アニスには負けるんだよね口では」
 頭を掻き、疲れた眼差しで承諾した。 
「助かったわ。今日は色々やらなきゃいけないこともあったから」
「あの」
 実戦形式というのに多少不安があるのは確かで。初めて会うこの人に先生代わりにして貰うのも不安なんだけれど。
「安心してカリンちゃん。こう見えてもマインもちゃあんと勇者候補だから」
「…………」
 彼女の方は私の不安を見抜いていたらしい。ぽんぽんと私の背を優しく叩くと穏やかに微笑む。
「引き受けたからやるけどね。宜しく」
 視線を移すと、指導を任された彼は後ろで手を組んだまま、どうでも良さそうな口調で、適当に頷く。
 五日目の朝は、今までとは違う始まりになった。

 


 

 

 

 

 

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