二章/習うのか慣れるのか

 

 

 

  

 
 目的の部屋にたどり着いたのは曲がりくねった廊下にも大分慣れた頃だった。
 既に十分訓練になった気もするけど、本番はここから。
 重そうな鋲打ちの扉を開く。横でブツブツとまだ生霊みたいになったままシャイスさんが壁と話している。多分何時か正気に戻るだろう。うん。
 恐る恐る足を踏み入れる。中にはいると何重もの驚きが私を襲った。
 そこは大きなドーム状の広場だった。体に負担を掛けないためか、床は土で出来ている。
 人工的な広場。グラウンドだ。どれだけのお金をつぎ込んで月日を掛ければこんなのが出来るんだろう。
「ふふ。来たわね、待っていたわ」
響く声に振り向くと、腕を組み、佇むアニスさんの姿。
 尊大な口調と台詞はどう考えても倒される側の台詞だけど。この人、勇者候補……だよね。似合うけれど。とっても。
「いやぁん。カリンちゃん似合うっ」
 すぐに悪役口調は胡散霧消した。彼女のだそうとした重みとか威厳は何処かへ行く。
「って、そうじゃなくて。えっと……良く来たな愚か者。私の前に這いつくばり靴を舐めるといいわ!」
 アニスさんアニスさん。役どころと趣旨変わってきてます。
 テレビであるNG連発特集みたいだ。ノーカット版の。
「えぇと。これじゃなくて。よくのこのこと私の前に顔が出せたものよ。
 さあ、愚民共我の強大なる力で討ち滅ぼしてくれようぞ……ってあら。コレも違うかしら」
 テイク2。ますます悪役度が強くなったのは気のせいではないだろう。
 ひとしきり物騒な台詞を言い終えた後、彼女は不思議そうに唇に指先を当て、首を傾ける。
「それじゃ魔王ですよ。無理しなくて良いです。普通にしましょう」
 慌てる彼女の姿を眺めると思わず笑みが漏れてしまう。がまんがまん。
 アニスさんは豊かな金髪を掻き上げ、
「そ、そうね。諦めるわ。勇者候補が魔王口調はヤバイわね」
 場の空気を締めるように一言。
 ヤバイ以前の問題です。失礼だろうけど、大人っぽい彼女の間の抜けた動作は可愛いのでもう少し観察したくもある。
 しかし、この人。勇者候補だけあって掴みにくい人だなぁ。色々と。
「コホン。じゃあしょうがない。ありのままの私で勝負よ。
 カリンちゃん、こんな事になってとても可哀想だと思うわ。
 私達の過失だと言え悲劇だと、思うの」
 恥ずかしそうに咳払いした後、彼女は私を蒼い瞳でひた、と見据える。
「は、はあ」
 出した声は我ながら気の抜けた返答だった。
「始めに言うわ。私の指導、厳しくなるから」
「…………」
 静かに私の掌を握りしめてくる指先。不吉な予感が胸を覆う。
「ちょっと天国が垣間見えたり地獄を覗いたりするだろうけど。慌てないで、すぐ引き返せるから」
「それ。ちょっとの厳しさなんですか」
 微笑む彼女に突っ込んでおく。それはすぐ引き返せるのだろうか。
「死のスパルタという人もいるわ」
 真顔の返答が怖い。
「……訓練で殺さないで下さいね」
「調整、努力するわ」
 ゆったりとした笑顔とは裏腹に強まった指先が、巡る不安を増加させたのは言うまでもない。





 『死のスパルタ』アニスさんの言った事は、私にとって悪い意味で真実だった。
 一週間でまともな防衛が出来るようにするという過酷な条件は、訓練に反映されたようだ。現在五日目の朝で、体が痛くてベッドから動けない。痛みが紛れるかも知れないので、ここ数日。四日間ほどを振り返ってみる。
 一日目。記憶がない。気が付いたら朝だった。運動のしすぎで気絶するのは人生初。
 そして二日目。腕立て伏せ百回の後、周回運動の辺りで記憶が途切れている。
 人生二度目の運動気絶。
 三日目ともなると人間の体の柔軟性が発揮されるのか、夕方辺り位で記憶が切れた。
 ここ辺りになってくると気絶も『あー。またか』となるので自分の慣れが恐ろしい。
 四日目は、昨日か。随分過酷な訓練になれたのか気絶はしなかった。
 腕立て腹筋ダッシュにジャンプ。超過酷メニューを考えるとむしろ気絶した方が幸せだった気もする。
 少しの現実逃避で体の痛みは随分マシになった。けれど。
「あああ。体がぎしぎし言ってるぅ」
 ベッドから降りたとき体が軋む音が聞こえた。
 筋肉痛にしては深刻な音がした気もするんだけど。大丈夫かな私の体。
「カリン様。だいじょーぶですか」
 扉を開くと、心配そうなシャイスさんの声。
「何とか生きてますけど。大丈夫ではないです」
 足がパンパン、じゃなくて体中が悲鳴を上げている。それでも余力があるんだから慣れって怖い。
「ですよねぇ」
 苦笑して私の肩を軽く叩く。
 前に言った『役立たず』発言は綺麗さっぱり水に流してくれたらしい。
 忘れ去っているだけかも知れないけど。
「はあー。えーと、今日は走り込みですか。腹筋ですか。周回運動。それとも全部?」
 だるくなっている腕を振り回す。袖がぱたぱた揺れた。彼の用立ててくれた白い寝間着は私には少し大きくて袖が余っている。掌が見えなくて中途半端な幽霊みたい。
「朝ご飯です」
 苦笑気味に彼は笑う。何か可哀想な物を見る目で私を見ている。憐憫の眼差し。
 朝ご飯? 
「あー。朝ご飯を運ぶんですね。何十キロ位あるんでしょう」
 何だか最近起きたそばから頭がグルグルしている。何言っているのか、いま一つ自分でも分からない。
「いえ。朝ご飯食べてからですよ。ほんとーに大丈夫ですか?」
 不安げな瞳に、ようやく私はピントのずれた答えを返していたことに気が付いた。 
 元気なところをアピールしなければ。訓練疲れなんて見せないように。
「はいもう目が回る位元気です」
 両腕を振り回し、私は声を弾ませて言った。 
 長くて重い沈黙の後、シャイスさんが泣き出しそうな顔になる。
「…………アニス様にちょっと後で進言してみます」
そして私の頭をよしよしと撫でて、何だか本気の入った涙を流している。
「はい?」
 また何かズレた答えを返したっけ?
「ああ、いえ。コチラの話で。いつもの所でお食事ですよ」
 視線を向けると、目元の涙を拭って彼が私を食堂へといつものように案内した。
 
 ……そう言えば着替えたかな。私。
 最近記憶が曖昧でいけない。

 

 

 

 

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