二章/習うのか慣れるのか

 

 

 


 この数日入り浸っているグラウンドに、彼は佇んでいた。
 マントを外し、軽装になった姿は遠くで見ている分には小学校のグラウンドを眺める五、六年生ほどの男の子。
「着替えるとそれらしくなってるね」
 私をすぐに見つけると、笑顔でそんなことを言う。
「はあ。それはどうも」
 褒められてるのかけなされているのかいまいち分からない。
「一応アニスから工程書いては貰ったんだけど」
 言いながらバリバリと音を立てて荒いつくりの紙が引き裂かれる。
「何で破りますか」
 吹雪のように地面に舞い散る、元アニスさん手記の紙。
「出来るわけ無いじゃんこんなの」
 手元に残った残りの破片を投げ捨てて、マインはこともなげに答えた。
「ええと」
 どんなのが書かれてあったんだろう。
「聞きたい。聞きたくないよね。そうしよう。僕もやりたくないし、ハイ決定ー」
 手を合わせ、パンパンと叩く。彼は言うのも嫌らしいが、気にはなる。
「聞かないことにします」
 だが連日の訓練でアニスさんのスパルタっぷりは身にしみていたので聞くのを止めた。
 ビッシリ色々書かれてあったらイヤだ。
「うんうん。懸命な判断だよキミ。一応一番上に書かれたのはやっておこうかな」
 満足げにマインは首を縦に振り、考えるように灰色の天井を見つめる。
「武器は、まだ早いから取っ組み合いの喧嘩覚えようか」
「喧嘩!?」
 にこやかな笑みとは違って出てきた言葉は物騒だった。
「え。喧嘩じゃなくて殺人術」
 殺、て。それはもっとまずいような。
「あの。もう少し穏便な言い方とか」
「下手すれば即死の技」
「体術とか言い方ありません」
 危険度がますます上がっていくネーミングに恐怖を覚え、早めに訂正を促した。
「あー。それ! ド忘れしてたんだよ。そうそう体術おぼえよっか」
 出店の屋台でも開こうか。位の軽さ。屋台が簡単とは言わないけど、かるーく体術で人倒せるようになろうか、と言われて頷けるわけもない。
「なんかやる気無いね」
「はい覚えます。で、覚えられるんですか」
 私の疑問に不思議そうに瞳を瞬く。
「覚えられるよ。才能あるなら。短期だと秀才とか天才じゃないと厳しいかな」
 簡単に言ってくれる。彼は忘れているようだ。
 生徒の出来の悪さと、今までの人とは基本どころか根本的な違いがある事とかを。
「私、凡人なんですが」
 劣等生かも知れないという事実は伏せておく。
「……ああ。忘れてた」
 むーとしばらく唸った後。
「地道に、行こうか」
「はい」
溜息混じりに紡がれた言葉に私は素直に頷いた。お手数掛けて、ご免なさい。





「ぎゃー」「わー」「ふぎゃ」「わわぁっ」
 悲鳴の太さだけなら戦場にも劣らぬ声が響く。無論。
 響き渡るのは私の声だけなんだけど。
「そぉれ」
「ひゃあぁっ」
 軽いかけ声。だが、ジェットコースターにも劣らぬ早さで私は宙に放り出される。
 喉から掠れた悲鳴が漏れる。
「えーいや」
「ぎゃう」
 更に襟首を掴まえられて地面に落とされた。鼻を打ってじわりと涙が出る。
 なんて腕力。幾ら私が似た身長で一番小柄だと言っても、片手で振り回されるとは。
 痛みに悶えるヒマも、休みも与えられない。肩を掴まれ。
「ごろごろっと」
 力一杯押される。
「いーやー。止めて下さいーーー」
 世界が高速回転する。バターになった虎は、こんな気持ちだったんだろうか。気持ち悪い。酔いそうだ。喚いても叫んでも彼は止まらなかった。
 荷物宜しく地面を転がされて真っ黒に。替えはあるとはいえ、むごい仕打ち。
「ひど、酷いですよ」
「わー真っ黒。ドロドロ。あははははは」
 半泣きになる私を指さして笑うマイン。そしていつから見ていたのか、側で佇むプラチナとアニスさん。
『…………』
 何か顔を微妙にそらしているのは気のせいか。
 様子を見に来てくれたんだろう。顔を見れば明らかだが一応尋ねてみる。
「アニスさん。どうでしょう」
「どうもこうも。マインちゃん、どう」
 アニスさんの質問に、彼は掌についた泥をはたき落とし、首を傾ける。
「うん。どーもこーも。どこから手を付ければいいの?」
『…………』
 全員の沈黙。駄目なんだ。やっぱり私が思う以上に駄目なのか。
 周囲の寒々しい空気も気にせず、彼は万歳するみたいに両手を広げ。
「でも受け身の練習にはなるから、もう少し僕と遊ぼうか。カリン」
 とんでもないことを提案してきた。
「い、いやですよ。また服に泥を」
「付けるから頑張って避けろー。そぉーれ」
 ばし、後頭部に冷たい衝撃。背にひやりとした感触。ボタボタと落ちる土の塊。
 髪を探ると土が山盛りに乗っている。泥団子を投げつけられたみたいだ。
「なんて事をするんですか。髪に泥がッ」
 しかも服に入り込んだ! あああ、なんかごわごわして気持ち悪いー。
「よし、来た。それー」
 反射的につかみかかろうとして伸ばした腕があっさり絡み取られ、足下を掬われる。
「うわき」
「第二弾」
 悲鳴を上げる間も与えられず、今度は……何その山となった土ッ。そこに落とす気!?
 いつの間に作ったのか私の腰まで沈みそうな土山があった。軌道は確実にその方向。
「それ反則待っ」
「待たない」
 楽しそうな彼の声が憎い。完全に楽しんでますよねこれっ。
 がしゅ。と鈍い音が耳元で響く。視界が真っ暗になる。
 反論をしようとしたせいで砂が口に入り込んだ。口の中がじゃりじゃりして気持ちが悪い。
「う、うえー。げほげほっ」
 頭からめり込んでしまったので、両手を踏ん張り顔を引き抜く。泥が入りそうなので目は開けられない。泥臭さと口当たりの悪さで唾液と吐き気がこみ上げる。
「あ。口に入った? ぺーしてぺって」
 背中をさする位ならしないで欲しい。言おうとしたが石を噛んで奥歯で嫌な音が立つ。
「うう。土、マズイです」
 何とかあらかた吐き出して、出た感想はその一言。土のまずさに涙がにじむ。
「うん。お芋の方が美味しいよねぇ」
 同意してくれるのは嬉しいんだけど、そのマズイのを味わうハメになったのはあなたのせいです。口元の土を拭って睨むが、悪気無い笑顔が私を迎撃する。
「ねぇプラチナ」
「ああ」
「一週間は、やっぱり無理じゃないの」
「そうだな」
背後から、二人の疲れた疲れた声が耳に滑り込む。
 彼女たちの声は、育児疲れで摩耗している主婦に似ている気もした。

 

 

 

 

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