一章/地獄よりも

 

 

 

  

 

 なんだか寒い。氷の上で、ずっと身体を横たえていたような痺れる寒さ。
 静かに息を吸い込む。冷たい空気が灰に流れ込んで、瞳を開いた。
 全てが虚ろの夢のようで。何時意識が覚醒していたのか。分からない。
 ぼんやりと霞む暗い景色。ゆっくりと指先の感覚を確かめる。 
動くことを確認して軽く手を動かす。ぺち、固い何かに掌が当たる。
 身体も、動く……と思う。気持ちとは裏腹に、冷え切った身体は力がまだ入らない。
 そっと近くにある地面へ向かって視線を移動させた。 
石。大理石のような物があった。掌に当たった冷たくて固い感触の原因はこれみたいだ。
酷く辺りが暗い。カーテンを閉めた真夜中の部屋ほどではないが、薄暗い倉庫のよう。
 空気はちゃんと肺に入ってくる。胸、は苦しくない。うつ伏せではない、のかな。
 緩慢だけれど、順序を踏むように一つ一つ確認していく。
 急激な動作を避けたのもあったのか、身体の回復は早かった。そう掛からず半身が起こせそうな状態になる。
 うう、っしょ。心の中で声を掛け、いつもより何倍も重い身体を起きあがらせる。
 一瞬視界が揺れた。まだ、本調子ではないみたい。
 頭がズキズキする。刺す、と言うほどではないけれどたまに軽く針でつつかれるような嫌な痛みだ。
 なんだろ。これ。
 風邪を引いたときにも感じたことのない不快感。こんな頭痛は初めてだった。
「気持ち悪……」
 呻き、立とうとしたけれどそれは実行できなかった。足が上手く動かない。
 立ち上がるのはもう少し待つ。 
 お預けの代わりに辺りを見回す。暗闇にいい加減目が慣れて来ている。
 視線を動かして、そして、今度は絶句した。
 頭痛なんて吹き飛んでる。壊れたロボットのように口がカパカパと動く。
 よりにもよって目覚めてすぐ視線を向けたのは、床に置かれた薄闇に光る人の頭蓋骨だった。虚ろというより、目玉すらないそれと目が合う。
 な、なに。なに、これ。なに、ここ。 
 夢。これは夢。きっと夢だ、そうに違いない。自分に暗示を掛けて数度呼吸。
 もう一度確認。光ることは光っていた。それは俗に言う水晶の頭蓋骨で。
 良かった。本物の骸骨じゃない。少しホッとする。
 この水晶のスカル。確か、オーパーツとかそう言う物で。
 けど、異常な物であることは確かなんだけれど。
「う、わぁ。本当に水晶だ……」
 などと場にそぐわない言葉が出てしまう。もの凄く貴重品で、本にしか出ていないそれを一度間近で見たかったというのは本音なんだけど。悲鳴のでない自分の好奇心が憎い。
「本当にツルツルしてる。凄い。どういう作り方したらヒビが入らないんだろう」
しかも持ち上げてしっかり確認している自分がその、女の子としてちょっとどうかとも思うけど。
 幾ら不気味でも貴重な品は貴重で、重要な遺産だから何時か見られると良いと思っていた。はしゃぐだけはしゃいで、
「そうじゃなくて。えと、ここは一体」
私は水晶の髑髏をそっと元の位置に戻すとホントなら最初に言わないといけない台詞を口に出した。
 もう一度辺りを見る。窓は一つもなく、コンクリートの壁じゃなくて洞窟のような、石壁を削って作った洞穴のような場所だった。なのに床は恐ろしいほど平たい。
 ツルツルのぴかぴか。溶けた硝子でも丹念に塗っているんだろうかと言うほどの輝きだ。

 私の周りを囲むように幾つか燭台に蝋燭が立てられていた形跡があった。
 形跡と言っても蝋が溶け落ちた跡がある。それだけなんだけど。
 漢方薬みたいな、薬のような匂いが辺りに漂っている。
 もう一度床を見る。今度は自分の足下にある方を。
「血!?」   
 今度は小さな悲鳴が出た。何だかよく分からないのたくった字みたいな物が、朱色の液体でベッタリと描かれている。暗闇で見えるそれは人の血液にしか見えなかった。
いや、早合点は駄目だ。もう一度、もう一度確認。
 不気味すぎる光景だったけど、私は勇気を振り絞って確認する。
 色、は……やっぱり血みたい。ゆっくり、ゆっくりかがんで匂いを確かめた。
 本物の血液なら少し位は鉄さびみたいな匂いがするはず。
 鼻孔を通り抜けた香りは、覚悟していた物よりも柔らかだった。
 少し違うけれど近い香りがあるなら、蘭と、何かの草を混ぜたような少し甘い匂い。
 よくよく見ると文字は赤い染料を使って書かれているみたいだ。ペンキとは違うみたいだけど、血ではないみたい。
 はぁー。慌てて損した。
 安心と同時に、何かを考える余裕が出来てしまった。さっきまで身体が動かせなくて、頭痛が起こったあげく水晶の頭蓋骨なんかが出てきたものだから考えたりは出来なかったのだけど、緊張が少し取れてしまうと頭の中でずらずらと疑問が並んでいく。
 本当にここはドコなんだろう。それより、私、どうしてこんな所に居るんだろう。
 さっきまで普通に道路にいて、普通に走ってたはずなのに。
 候補を上げてみる。
 一、誰かのイタズラ。こんな凝った部屋まで創って私を脅かすメリットは無い。却下。
 二、マナの冗談、とか。確かに日時は教えたけれど彼女は純粋にちゃんと私のこと心配して、応援してくれた。マナはイタズラが好きだけどこんなやり方はしないはず。却下。
 三、これは夢。立ちながら私が見てる夢。夢は願望とか記憶の集合体ともいう。
 私が深層意識で想っている事や、日常の記憶を整理するときにちぐはぐにくっついたのが夢だと言うことだ。
 確かに私は本が好きでちょっとは願望があったりしたかもしれないけれど、幾ら何でもこんなおどろおどろしい場所を希望とか羨望とかするはずがない。百歩譲ってもお花畑とか、ドラゴンの背中とか、そう言う場所を想うはずだ。絶対に絶対に、死に神とか黒魔術とか魔王崇拝とかが似合いそうなこの場所を夢見るはずがない! 
 じゃあ記憶の集合体のかき集められた部分? どんなに考えても私は普通で平凡な女の子で、こんな場所来た覚えも体験もない。
 訳の分からない場所なので、この考えは……保留。
 四、死んじゃった。
 ストレートに考えるならこれかもしれない。最近ちょっと幸運すぎていた。
 賀上君とお話しできて、名前覚えて貰えて、お誘いまで受けて。
 もう、一生分の運を使い果たしちゃう位に。幸運分不幸が来た、と言うのなら車にはねられて即死。とか言う展開だって納得いく。
「うーん、でもそれなら仕方ないかな」
 一人で小さく笑う。それで死んでしまうのにはそんなに抵抗はない。
 人間は何時か死ぬ物だし、次生まれ変わりが出来るのなら、恋愛全うできる位には運の残りがある人になりたい。
 ただ、心残りがあるとしたら。
「賀上君、気に病むだろうな。何で、今日かな」
 彼の待ち合わせをすっぽかしてしまったこと。優しいあの人のことだから、きっと自分を責めるに違いない。
「一週間前位だったら、心残りそんなに出来なかったのに」
 そうだよ。その位前だったら、私、見てるだけで幸せだったから、今度の生き方はもう少し積極的になってみる、って思えたのに。
「でも転生も無理そう」
 大きく溜息を吐き出す。どう見たってここは天国というより地獄だ。
 人間は罪を持つ生き物で、罪が全くないかと問われれば返答できない。
 道ばたの蟻だって気が付かず踏んでしまうし、嘘だってついてしまう。
 だから、地獄行きでもしょうがない。
 罪人にやり直す機会をくれるほど、神様は優しい人かな。 
 やり直すチャンスが無ければ、今日のデートキャンセルにして貰えないかな。
 私は小さく息を吐く。
 結局私は一生平凡な人生の切符を持たされていた人間だったようだ。
「はー……でも、地獄って。人、居ないんだ」
 夢でも地獄でも何でも良いけど、話し相手位欲しかった。
 こんな寂しくて、暗くて、押しつぶされそうな沈黙の中、独りは苦しい。
「しあわせ、ちょっとだったね。でも。頑張ってたよ、私」
 少しだけめくれていたスカートを直し、膝を抱える。
「ごめんね。椎名君」
 こつんとスカートに顔を埋める。布地が静かに湿っていく。
 夢でも地獄でも心はあるみたいで。苦しかった。
 闇に潰される苦しさじゃなくて、今度は私の胸が痛む苦しみ。
 甘くて、切なくて、甘酸っぱい、なんて想いじゃない。 
 何だかすごく痛かった。締め付けられる。私が彼の心臓を潰そうとして居るみたいな恐怖感と、罪悪感。良心、痛むよ。何で。何でかな。
 歩み寄ってくれたのに、私はすぐに消えちゃう運命だった。知ってたら絶対絶対近寄らなかったのに。うんなんて言わなかったのに。
「マナ。大悪人だよ、私。酷い子だよ」
 約束して、相手に待たせるだけ待たせて消えちゃうの。
 最悪だよ。嫌われて、当然だよ。
迎えは、まだ来ない。意識が覚醒もしない。白昼夢だとしても長い、悪夢。
 掌で、涙を拭う。
 来てくれないのなら、こちらから行こう。もう、ずっと待つのは止めにする。
 ……あ、れ。
 膝を突いて立ち上がろうとして、気が付いた。
 私を囲むように並べられた燭台。そして地面の赤い文字のような物。
 それがとても本で書いてあったモノに酷似していた。
 まるで、ファンタジーの世界の魔法陣みたいな、そんなものに。
 本で読む世界では何かを呼び出すときにそれを使うのだ。魔物とか。
 ――魔王召還?
 そう。魔王とかその世界に多大な損害と影響を与える何かを。



 不気味な考えが胸の内を支配している。もやもやは燻ったまま。
 わき出てくる恐怖を振り払うように私は立ち上がり、もう一度辺りを見回した。
 床に私のバッグが落ちていた。死んでも持ち物はそのままなのかな。
 気が付かなかった辺りさっきはよっぽど混乱していたんだろう。燭台の上には蝋燭ではない物が二つ、並んでいた。私の丁度右と左に宝石みたいな丸い塊が載せられている。
 球体の中には輝く紫の光。大きさはテニスボール位で、どういう原理なのか宙に浮かんでいる。明滅するそれはとても綺麗で、神秘的で。少しだけ私は美しさにおののいた。
 一対になった宝石。
 右側にあった一つに私は手を伸ばした。惹き付けられた、と言った方が正しいのかもしれない。ダイヤやサファイヤ、そんなのは宝石屋さんで見かけたけれど、ここまで心を惹き付けられたことはない。もともと光る物にそれ程興味なんて無かったはずなのに、私は宝石に命令されたみたいにそれを両掌で覆っていた。
「熱い」
唇が言葉を紡ぐ。どく、どく、私の中で血液が流れる音が聞こえる。
 自分の鼓動が聞こえる。大好きな人を見たときとはまた違った身体の火照り。
 心が跳ねる。
 唇が震える。
 なにか、言った方が良いんだろうか。でも、何を?
 分からない。誰かに何かを言えとせき立てられている気がしたけれど、私はその答えを持っていなかった。どこからか吹いてきた風が私の身体を撫でて、そこで我に返る。
 妙な火照りは収まって。何だかヤケに頭の中もすっきりしていた。うーん、と唸ろうとして悲鳴が突き刺さる。 
「あっ!?」 
 振り向くと。人影。
 何か言おうと口を開く。『ここはどこ』『あなたはだれ』『私は死んだのかな』どれでも良いから言えばいいのに、夢なのか地獄なのか分からない場所でも、私の唇は言葉を吐き出すことを拒んだ。瞳だけ動かして状況を把握しようと頑張る。
「目覚めた! 成功したみたいですね」
「材料配合間違えそうになったときはどうなるかと思いましたが、あはは。何とか顔向けできそうです」
 私の気持ちとがんばりを余所に二人? は私には分からないことを言って、喜んで……る? 二人、二人いる。
 一人は黒い法衣みたいな重そうな服を着て、もう一人は少しデザインの違う白いまっさらな服を着ていた。奇妙な服装。
 手には重そうな本を何冊か抱えている。聖書みたいな分厚さだ。 
 くぐもっていたけど声からすると、男の人。かな。
 二人の会話を思い出す。目覚めた。多分、私のこと。
 配合って、何。
「無事に召還が終わって何よりです。これで首斬られずに済みますよ」
「早く皆さんに成果を」
 夢でも。地獄でも。間違いなくこれは悪夢だ。
 この人達は召還がどうとか成功とかみんなに顔向けがどうとか言っている。
 目を見て、敵意がないことを確認しようとして。
「……!?」
 声が凍る。気が付くと私は後退って居た。
 二人、人、なのかは分からないけれど。彼らは不気味な面を被っていた。
 赤い。赤い。血の色をした骸骨。それだけでも怖いのに、その顎からは紅い滴がしたたっている。
「あ」
 何故か近寄ってきた。後退ったのが気に障ったのだろうか。
地獄行きは覚悟していたけれど、普通の死に神の方が嬉しかった。
 ぽたり、地に落ちる滴が甲高い音を響かせる。微妙な斬新さがもの凄く怖い。
 更に恐ろしいことに二人の死に神が私に手を伸ばす。
 怖い。怖い。怖い。やだ、やだやだやだ。
「やだあぁっ!!」
 恐怖が唇の拘束を引きちぎる。自由になった身体は手近にあった物を武器にした。
今までしっかり持っていた宝石。鈍い音とくぐもった悲鳴。そして思ったより脆い宝石が割れる澄んだ音。石は紅い光をばらまいて辺りに散らばる。
 あ、あた。あたってる!? わ、私の攻撃当たっちゃった。
 自分で投げておいて驚く。
 運動不足でコントロールの悪い私の攻撃が当たるなんて、この死に神さんは相当運動音痴に違いない。当てておいて失礼なことを考える。 
 でも、今がチャンス。
 扉があったことも気が付かなかった。けれど二人が入ってきたことでその扉は全開になっている。全速力で走ればすり抜けられる隙間。
 ついでにもう一人の死に神は倒れた死に神さんに気を取られてこっちを見ていない。
「ああぁぁぁぁぁぁぁ!?」
 私の全力で隙間を広げ、抜け出すと、悲痛な悲鳴。
 彼らにも上司とかが居て、立場が悪くなったりするのかもしれないが、小さな良心のうずきより開放感が包み込む。
 自由。自由だ。
 夢だったら自由も何もないんだけれど、私は翼を広げた鳥のように勢いを付けて駆けた。

 

 

 

 

 

 

 

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