スカートに皺無し。服、は多分一番可愛い服だと思う。
髪の毛、は。寝癖も取れてて髪飾りも付けた。リボンで良いよね。子供っぽくないよね。
変に大人びなくても良いんだよね。
可愛いかな、可愛いと良いな。ちょっとは良いと思えるような姿だと嬉しいな。
心の中は完全に浮ついて、鏡の前で何度目か分からない確認。
外は快晴。運試しのてるてる坊主は私の頼みを聞いてくれた。
明日になったら小さな蝶ネクタイをご褒美にあげよう。
くるっとターン。派手でも、大人っぽくもないけれど私の精一杯のオシャレ。
口紅はまだ早いから、色の付いてない物だけどリップクリームで我慢する。
少し大きめのバッグにはインスタントカメラ。ティッシュにハンカチ。お弁当。etc.
まるで子供の遠足みたい。自分で用意しておいて、くす、と苦笑してしまう。
そして最終確認。鏡の中で何度もした笑顔の練習。
姿勢を正せば全身がスッポリ収まってしまうほどの縦長の鏡。そこには、華美とも妖艶ともかけ離れている。一杯一杯な顔で笑っている女の子。
顔、引きつってる。駄目駄目。もう一度もう一度。
待ち合わせを想像して、大好きなことを思い出して、今まであった中で一番を探し出して、その時浮かべた笑顔をもう一度。さあ、スマイル。
次に見たときの、鏡の中の少女は満面の笑みを浮かべていた。
「うん。合格かな」
早起きして頑張ったかいがあり、長い黒髪はちゃんとストレートになっている。
無理して眠ったので隈も無い。黒い瞳はちゃんと輝いている。死んだお魚ではなく生きたお魚の目だ。
……何で私、魚にたとえてるんだろう。
少し短めのスカートは動くたびにひらりと心許ない。少し暖かくなってきたので、薄い水色の服を基調にしてみた。靴下の縁がレースっていうのは子供っぽかったかもしれない。 うう。でも、ギリギリまで考えた服だし。
何にもない首元に寂しさを感じるが、生憎、というよりもお洒落心の無かった自分を責めるしかない。こんな日が来るなんて予想してなかったから、素敵なアクセサリーの一つも持ち合わせていない。年頃の女の子らしからぬ誤算。
床に置いたバッグを持ってくるりと回ってみる。
運が良ければ渡せると良い、と作ったお弁当が重い。頑張りすぎたかな。
にこ、と笑った鏡の中の少女は、私の見たことの無いような生き生きとした表情をしていた。バッグを下ろしてほっぺたを引っ張る。
むに。手を離してもう一度笑う。
うん、俯かない笑顔にも慣れてきた。地味で普通の私がちょっと可愛い女の子に見える。
ストライプのリボンで纏めた髪の毛もちゃんと調和して良い感じだ。
わー。自分をここまで褒めたの、初めてかもしれない。
「えと、待ち合わせが十時だから」
幸せで頬をちょっと緩めながら時計を見る。
…………九時四十五分。
………………えっと。駆け足で待ち合わせ場所に行って十分足らずだから。
頑張りすぎた!!
身だしなみと笑顔の練習とお弁当に時間を取られすぎたらしい。
さっと血の気が引く。真面目な賀上君のことだから、十五分前とか十分前どころか一時間前から待ってるかもしれない。せめて、せめて十分前には到着しなくちゃ。
『果林ー。お友達と約束なんでしょ。遅刻するんじゃない』
下の階からお母さんの声。あうあうあう。そ、そんなの分かってるー。い、急がなきゃ!!
「ち、遅刻ーーー。遅刻しちゃうーー!? な、何で教えてくれないのーーー」
用意していたバッグを掴んで手すりに触れつつ一階に駆け下りる。
本当は私がいけないけど、思わず八つ当たり。
娘の私が言うのも何だけれど、お母さんはぽやーっとした顔を少しゆるめた。
肩口で整えた茶髪が揺れる。私の髪とは違ってお母さんの髪はストレートには向いていないらしく、何時も軽いウエーブが掛かっていた。私の髪はお父さん譲りらしい。
「果林のことだからとっくに出てるかと思ってたのよ」
「……そ、それは」
言い返せない。私は昔から時間ギリギリが嫌いで、かなり余裕を持って家を出る方だった。だから、その意見はもっともで。
「それにしても気合い入ってるわねー」
にやにやにやー。お母さんは嫌な笑みを浮かべる。
どこかの親友を思い出してしまう怖い笑顔。
う。ばれる!! からかわれるっ。
「い、いってきまぁす!!」
追及される前に、私は勢いよく扉を開けて外に飛び出した。『デートがんばれー』なんてヤジも無視。帰ってきた後、顔を合わせる事は気が重い。だけど!
デート。デートか。そっかデートなんだ、これはでーとなんだ。
紛れもないお誘いで、それも大好きな人からの初めての誘いで。
それを受けちゃって、沢山悩んで着る物を選んで用意して。
夢にまで見た、初デート。
「夢じゃない。夢じゃなくて……ああ、もう。私、今幸せ!?」
そこまで考えて口から付いて出るのは疑問。嬉しすぎて怖い。
普段なら言わない言葉を言ってちょっと頬を押さえる。人の目も時間も気にならな。
時間。
そう、時間!!
まずい。忘れそうになってた私の馬鹿あぁぁ。
今ので貴重な三分が消えた。
そこからは全力疾走。運動不足の身体、頑張れ。頑張って。
もうちょっと、次の角を曲がってしまえば後はただ彼に合流して。
おはよう、って散々練習した笑顔で笑いかけて。
そしてマナの助言通り、私なりの。私の精一杯でデートをやり遂げるんだ。
触れられそうなほど近くに、曲がり角が見える。ここで方向転換をすれば。
すぐに。あの人に……
考えて速度をゆるめた刹那。僅かな目眩を感じた。
貧血、かな。朝ご飯、ちょっとしか食べてないから。
辺りが色を失い始める。
「何。えっ……え……」
あまりのことに対応できない。対応できる手だてすらない。
ぐらぐらと目眩が酷くなる。つま先が何かにめり込む。
「な、な」
アスファルトのハズの地面が、私の足を、綺麗に磨いた茶色の革靴ごと飲み込んでいく。
悲鳴も出ない。
夢。夢? コレは夢なの?
「う、あ。や、やだ」
足首が飲み込まれて。小さな。小さな声が出た。
夢、これが夢ならきっと、悪夢。現実離れしすぎてる。
私の意識と同調するように、辺りを覆った闇が揺らめく。
ずる、砂地に潜り込む位の速度だったのみ込みが。加速する。
少しだけでも感触のあった靴底にも、反発が無くなった。
――引き込まれ、る。
なんとなく、そう思った。
やだ。いやだ。
悲鳴を上げたい。上げたいのにまた私の唇は固まってしまう。
死んじゃうかもしれないのに。何かが私を食べようとしているのかもしれないのに。
「誰……か」
抵抗も、現実逃避も出来ない私の、微かな悲鳴はそのまま闇に飲み込まれた。
妙な浮遊感を一瞬感じた後、かすかに残っていた意識もそう経たず、薄れて、消えていった。
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