十四章/居場所

 

 

 

  


 ニーノさんの不可解な発言と、自分の曖昧な状況にもやもやしたものが心の底に溜まったものの、目覚めは快適。
 トラブルまではないが、うっかり何時もの癖で弾みを付けすぎてベッドからはじき飛ばされ地面に朝の挨拶をした程度。
 ベルも鳴らさなかったのに扉から出て来たニーノさんから酷く心配された。
 シャイスさん、元気かな。どうしてもこんな事があると身近のお世話をしてくれた彼を思い出す。
 軽い朝食(と言っても魚のマリネと豪華)を摂ってから、ニーノさんから渡された服に驚いた。
 水気はすっかり抜けていたけれど、元から着込んでいた服は汚れていた。
 グリゼリダさんが洗うと言う前に差し出された服と靴を慌てて奪ってしまった。
 土で汚れ、靴は傷が付いている。だけど、直されては困ってしまう。
 言うのを忘れていたから二重に驚かされた。
 悩んで決めた言い訳は迷って保護された、と典型的なもの。
 「服は綺麗にしないで下さい」と念を押すべき箇所をころっと忘れて寝てしまった。
 道に迷った私は服が汚れていないとおかしい。かといって綺麗になった部分を汚しても不自然になる。
 朝起きて頭を痛めていた事をあっさり見越していたらしく、ニーノさんは「このままの方が都合が良いでしょう」と微笑んだ。
 ……侮れない。強いの抜きで一番敵に回してはいけない人だ。
 そんなこんなで着替えた後、外に出してもらい私は呆然と佇んだ。
 隣にはニーノさんとグリゼリダさん、後ろにカルロが居るはずだ。
 居たと思う。見えないけれど。
 扉を開いたら外は雲に埋まった世界だった。
 夕方の霧は序の口だったらしく、全方位が視覚で確認不能。
「全く前が見えませんね」
 噎せ返ってしまいそうな濃密な霧に窒息しないかと、馬鹿な事を考える。
「この辺りは朝の霧が濃いですから」
 濃いなんて単語で済ませて良いのだろうか、この光景。
「この時間帯は視覚は使わないで移動した方が早いぞ。聴覚で進め」
「私、人間なので無理です」
 さらっと無茶な提案を出されて後ろのカルロに冷たく答える。
 カルロはコウモリになれば聴覚とは言わず、超音波でも出して進めばいいだろうけど視覚を軸に行動する生き物にそれは酷というものだろう。
 幾ら耳が良くても何があるかまでは分からないからその技は人外だ。
 吸血鬼であるレイス一家は性格は勇者候補より穏便だけれど、時折出される提案が勇者候補よりぶっ飛んでいる。
 普段から使っているせいで麻痺しているらしいから使わない私が変に見えるのだろう。
 正しくは使えないのだが。と言うよりも、無理。
 困って視線を幾分話の通じる兄姉に移動させようとして硬直する。
 一寸先は闇ではなくミルクだ。数歩違いなのに姿も確認できないとは。
「カルロ、人は耳も我々より劣り、僅かな衝撃を出して辺りを確認する術を持ちません」
 淡々とニーノさんが弟を諭す。
 劣る。うん。そうなんだけれど、何だろうこの微妙な敗北感は。
 前者はともかく勇者候補の中には後者が居そうで怖い。衝撃波位出せる候補者は結構居そうだし。
 ……勇者候補って本気で人外なのかも知れない。そんなレベルの人達の中に数えられるのは恐れ多すぎる。
「そういえば薄霧でもきょろきょろしてたか。人間って不便だな」
「人に生まれたんですからしょうがないです。それに多分人だから私は喚び出されてここにいますし」
 生まれ持った境遇と同じで種族は選べない。
 ここに来て眠りにつく前考えた事がある。
 勇者候補と対立しているのは魔物だけではない。ニーノさんが零した「勇者候補と戦うには火力不足」の一言は、吸血鬼が討伐の対象にされている事を示している。
 まあ、生贄とか、通りすがりに吸われるとかあるから危険生物的認識なんだろうけど。
 そもそも吸血鬼に種類がある事を知ってるかどうかも疑わしい。
 ニーノさん達はともかくとして他の吸血鬼は血を摂取すれば良いんだから、別段無理に人を襲う必要もない。
 吸血鬼を救う献血……駄目かな。輸血パックの血って美味しくないかも知れないし。
「なら、人でいてくれた事を感謝しますわ」
 名残惜しそうなグリゼリダさんの声に逸れはじめた意識を浮上させる。
 ちょっとだけ悪戯心が沸いた。
「また、遊びに来ますね。約束です」
 言おうと思っていたけれど、順を追うつもりだった。
 反応が木になるので手っ取り早く告げてみる。
「約束?」
 不思議そうな響きにクスリと笑う。
「はい、またお茶しましょう。
 明日とかは無理ですけど」
 言葉の約束はしおりの代わり。
 冗談交じりに告げると、グリゼリダさんがまぁ、と可笑しそうに笑う声が聞こえた。
「ええ。次を楽しみにしておりますわ。私、待つのは慣れっこでしてよ」
 目を閉じれば扉から出る前の彼女の姿が浮かぶ。
 少し寂しげな微笑みを浮かべた海面のようなドレスを身に纏った綺麗な人。
 今は少しは明るい表情になってくれたんだろうか。
 指切りはない不確かな約束。契約書も使わないおぼろげな契約。
 マインも約束する事を恐れるほどに破られる確率が高いこの世界。
 だけど私は約束を守ると決めている、だからこれはちょっとした願掛けなのだ。
 それに、こう言えばまた会う機会も出来る気がした。
「では、目を閉じて下さい。距離があるので少々強引な転送になります」
 緊張したニーノさんの声に自分の胸を叩いて丈夫さをアピールする。
 普通なら見えないだろうけど、吸血鬼は見えるはずだ。
「大丈夫です。こっちに来てから落ちるのも投げられるのも慣れっこですから。
 乱暴な召還にも耐えれるんです。気にせず思い切りやっちゃって下さい」
 初召還、異世界に引きずり込まれ、訓練ではマインに投げられ。
 異世界間の移動のたびに滅茶苦茶な空間を一瞬通って世界を渡る。
 今更転移魔法なんて怖くない。 
「ええ。では」
 少し笑った気配がして、ふっと彼の空気が緩和された。
 濃霧で覆われた景色の中、向けられた指が見えた気がした。
 そして、感覚的に私はボールのように宙を舞った。
 あっと言う間に意識が混濁する。身構えていなかったので飛ぶがままだ。
 グルグル回る身体は着地もしない。景色が回転していると思ったら、今度は回転が止まって急降下。
 視覚は確かに安定してるのに、周りの風景は波打っている。
 ニーノさんから強引とは聞いたけど、確かにこの転送方はキツイ。
 万華鏡の中を何回もグチャグチャにしたみたいに世界が崩れて元に戻る。
 視覚的に酔いそうだ。
 霧も吹っ飛ぶ勢いでよく分からない場所を通り過ぎる。身体が溶けないが心配だ。
 赤青緑黒。様々な色が散らばり合わさり形を作り、崩れ去る。
 うう。もう駄目だ。吐き気が。


 到着した時には見事ダウンしていた。
 転移、酔い。
 忠告はちゃんと聞いておくべきだと心にメモを付けた。
 


 

 

 

 

 

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