十四章/居場所

 

 

 

  


 食事が出来たようですわ。と天啓でも受けたかのように私の方を向き、瞳を輝かせるグリゼリダさんに手を掴まれ、強制転移されたのは食堂のような場所だった。
 食堂と言っても庶民派の空気が余り感じられないアンティークな食器の飾られた広間。
 強引に席に着かされて、引きつった笑みしか漏れない。
 白いテーブルクロスが伸ばされたテーブルの正面に座るのはニーノさん。
 先程の発言は兄妹間の思念の結果だと何となく分かったが、いきなり過ぎて目眩を起こしそうになる。
 いただきますは告げたものの、妙な緊張感が辺りに漂っていた。
 カルロはともかく兄妹からは明らかに反応を待ち望まれているのが分かる為、審査員として招かれた錯覚を覚える。
 ずらりと並んだ食事は彩り、香り豊か。サラダに白身魚のソテー、スープ。
 赤いベリー系のゼリーのようなデザートと一通り揃っている。
 確かに魚とサラダ尽くしだが、豪華だ。
 スープに草の細工が施された銀のスプーンを静かに沈ませ、とろりとした魚の白身を掬い、口に含む。
 口内で解ける身。鼻孔にふわりと香草が広がる。
 形容しがたい一体感に口にスプーンを付けたまましばし止まる。
 じゃがいもや豆うんぬんの前にこれは……
「……美味しいです!」
 まともな言葉が思いつかず、簡単な答えしか出なかった。
「そうですか」
 にこやかなニーノさんに頷いてみせる。
 美味しい。そう、美味しいのだ。
 隠し味の香草が程よく魚を光らせ、薄味のスープはあっさりと喉を滑る。
 サラダはサラダで別の香草が使ってあるらしく、香りがやや強めながらもドレッシングで食べやすくされている。
 ソテーは言うまでもなく美味しい。香草は何処から摘んできたのだと尋ねる事も忘れるほどに。
「お兄様の魚料理は絶品ですもの。でも美味しい、と共通した感情が持てるのは素敵ですわ」
 嬉しそうに語るグリゼリダさんに視線を少し掠める。
 釣りだけではなく食事の用意すらする吸血鬼。しかもプロ級。
 吸血鬼でなければ躊躇いもなく素敵なお兄さんだと頷ける。
「…………」
 マインが見たら喜ぶだろうな。みんなに持っていってあげたい。
 アニスさんやプラチナは褒めてくれるかな。
 ふと。城を思い出して落ち込みそうになる。
 いけないいけない。ジタバタしても帰れないから割り切るって決めたのに。
 扉を開いても土しか見えないだろうし。
 食料問題が深刻な城におみやげを持っていきたいのは山々だが、攫われた人間が芋ですら手に入りづらい現状で魚(恐らく高級品)を持ち帰るのは怪しすぎる。
 釣ってきましたと言えば……攫われた人間が呑気に釣りするのもおかしいか。
 真面目な話、吸血鬼の彼らの方が勇者候補より高水準生活だ。
 城で召還されて時間が経っていなければ。還る術が城に無ければここに留まっている程に。
 城や町の人に情がある程度移ってしまった以上、今更そんな事言っても意味はないのだけど。
「旨いんだけどさ。せめて肉が食べたい」
 木製のスプーンでスープを掬うではなく掻き込む勢いで魚ごと飲み込んで、カルロが頬を膨らませる。
 文句を言いながらもサラダ、ソテーと綺麗に食べている。
 今までの言動で荒い食べ方を想像し身構えていたが、兄か姉にマナーを叩き込まれているらしい。
「自分で狩ってきて下さい。水面に竿を下ろす楽しみがなくなるじゃないですか。
 兄のささやかな楽しみを奪う気ですか」
 優雅なフォーク使いでサラダを口に運んでいたニーノさんが眉を寄せて溜息をつく。
 薄々気が付いていたけどやっぱり釣りが趣味の領域に入り込んでいるんですね。
「狩りかー。小物で良いよな」
 天井を少し眺め、綺麗に処理されているソテーを平らげる。
 待った時間は一時間足らず。どういう腕があればここまで綺麗に下処理から調理まで終わらせられるんだろう。
 秘訣を聞きたいところだが、術を使われていたら真似できないしなぁ。
「男なら大型生物を仕留めてきなさい」
 にっこりとした兄の一言にゼリーに伸ばされたスプーンが滑って宙を舞った。
 甲高い音を覚悟したが、テーブルの中央に落ちる寸前でピタリと止まり、元の持ち主の手に戻される。
 多分ニーノさんが止めたんだろう。
「出来るか。出来ても持ち帰れねぇよ。その、まだ簡易の転移も出来ないし」
 カルロが手に戻ったスプーンを握り直し、頬杖を付いてそっぽを向く。
「軟弱ですわ」
「弱いとか言うな」
 姉にからかわれて牙を剥くカルロを眺め、迷い揺れる心の中で唱えた。
 半端に弱いから生きられた。死んでいないなら今は良い。
 もし私がそれなりに強ければ弟に傷を負わせる危険があると消されていたかも知れない。
 それより先に大コウモリを倒せたとして、逃げていたからこそ抱えて走ったカルロと出会う事もなく、飢え死ぬまで彷徨い続けていただろう。
 まず体力を付けて、少し寝て。それから明日頑張って帰ろう。
 私にはまだ明日があるから。
 この世界と、元の世界に帰る場所は残っている。人、場所、未来。それを杖として立ち上がろう。
 ふ、と息を吐いて緊張を解く。
 焦らず、ゆっくり確実に出来る事を。
 こちらに喚ばれてからだけでも思いつきの行動をして良い方面に転んだ試しがない。
 何となく上げた目線がニーノさんと合わさり、彼が少し微笑んだのが見えた。



 食後の談笑を僅かばかりしてから、寝室の場所が分からないので連れて行って貰う事になった。
 グリゼリダさんが立候補したが兄の『長話になるから』の一言で却下され。自分が持っていくと告げるカルロは当然兄姉から無視された。
 私は荷物じゃないです。
 消去法でニーノさんが案内役。長身の彼の隣に並んでいると、気分は引率される小学生。
 曲がり角を曲がろうとしたらいつの間にか直線を進んでいたりと途中明らかにおかしい事が何度かあったが、気にせずついていった。
 自分の意思で歩いているつもりだけど所々で転移を使われている。下手に離れれば迷子になる。
 この世界での初めての朝にフレイさんに案内された時を思い出す。今回は瓦礫が落ちてくる恐れはないけれど。
 信用していると言われていても、構造が分かるような案内はしないらしい。
 ……ただ単に広すぎるだけなのかも知れないけど。
「さ、こちらです。一応寝具は整えておきました。何か不自由がありましたら側に置いてあるベルを鳴らして下さい」
 ベルって。天蓋付きのベッドもある為に、どうしても本の中のお屋敷を彷彿とさせる。
 鳴らして来るのは使い魔かニーノさんか気になったが、ぺこっと頭を下げてお礼を述べる。
「何から何までお世話になります」
 服まで寝間着に替えて貰っているので本気で一から十までお世話されている。
 薄い緑の柔らかなネグリジェ。生地が良いのか、透けていないのに重みや違和感が驚くほど少ない。
 どうもグリゼリダさんとお揃いだったらしく、偉く感激されて部屋まで持ち帰られそうになったけど。
「いえ、お気になさらず」
 にこにこと柔和な笑みを崩さない彼。
 優しそうに見えるけれど、その笑顔は仮面にも思えた。
 時間が経てば経つほどそう感じるのはどうしてだろうか。
 そう親しくなったわけでもないのに。
「ところで貴女はノイム使いですか?」
「…………」
 ぼんやりととりとめのない事を考えていたところで、趣味を尋ねられるようなさり気ない問い。
 方向転換が出来ない私の頭がその質問を日常会話と認識し脳に検索を掛ける。
 記憶の隅を探っても、埃を被った思考の棚を掘り返しても当然何も出てこない。
 かなり長い間悩んだ後、ようやく声が出た。
「のいむ……使い?」
 ノイム、ノイム。聞いた事もない。
 魔法にあったのかも知れないけれど、呪文を覚えるだけだったからタイトルをいちいち覚える事もないし。
 使えない時点で役立たない大部分は記憶から抹消している。何かの魔法かな。
 軽い口調から、呪いといった感じじゃないし。いや、相手はニーノさんだ。もの凄く危ない呪文使いの総称とか。
 考え込み過ぎ少し痛み始めた頭を押さえ、うんうん唸っていたらふ、と彼が息をついた。
「何となく、そう考えただけですけれど。
 そうですね、半覚醒だとしてもそれならばただで済んでいるはずもない、ですか。
 いえ、こちらの考え過ぎだったようです。気にしないで下さい」
 じっとニーノさんの深紅の瞳が私を見つめ、彼が自嘲するように薄く笑う。
「気にします。眠れなくなるのでそこで止めないで下さい」
 自己完結される前に止める。たとえ可能性の話だとしても、私に関係がありそうなら気になる。
 寸止め状態で睡眠妨害はなはだしい。
 お休みなさいと言おうとしていたニーノさんが止まり、苦笑して頬を掻いた。
「ああ、済みません。時々人間の間に現れる特殊能力の一種です。かなり希ですが。
 その力は便利であると同時に、術者に強制的に破滅の道を進ませます」
 多少迷う素振りを見せたが分かりやすいように教えてくれる。
 破滅って。なんて物騒な響き。
「こ、怖い能力なんですね」
 それが自分に関係ありそうなら尚更に。
 冷や汗が背を流れるのを感じ、身震いしそうになる。
「多分貴女は違うと思いますよ。完全に違うとは言い切れませんが」
「恐ろしい事言わないで下さい。根拠は何ですか」
 曖昧な言い方に軽く睨むとニーノさんが困り顔になる。
 多分では気休めにならない。可能性がある時点で驚異だ。
 大コウモリに太刀打ちすら出来ない私に不安の種を植え付けないで欲しい。
「カルロの傷に気が付いた所ですね。でもそれだと結界や他の説明が付かないので疑問にしかならないのですが」
 そう言われてうっ、と呻く。あれは自分でもよく分からない。
 痛そうな……いや、痛い場所に傷があると思ったから口から零れた。
 結界を通り抜ける原理だってよく分からない。案外適当な召還の副作用というオチが付くかも知れないけど。
「強くなれても命を削る能力は欲しくないです」
 よく分からない事だらけだが、これだけはハッキリ言える。
 そんな力要らない。
 あくまで強くなるのは生き残る為。命を削るなんて本末転倒。
 勇者になる気もないのでそこそこ逃げられる程度の強さがあればいいのだ。
「そうですね」
 頬を膨らませてむくれていたら、くすくすと笑われた。
 う。子供っぽい癖が出てしまった。
 命が惜しい。その言葉を笑われなかった事が意外で、膨らませた頬を戻して相手を正面から見据える。
 深紅の双眸。
「ニーノさんは死ぬのって嫌ですか」
 頭の隅に留めておいただけだったのに、ぽろりとそんな言葉が出たのは気のゆるみだった。
 数拍、沈黙が落ちた。
「……嫌ですよ」
 僅かに悲しげにニーノさんが微笑んだところで自分の台詞を思い出す。
 私は何をいきなりヘビーな事を聞いているんだろうか。平静を装いながら背筋に冷たい汗が流れる。
「私が居ないとあの二人だけだと不安ですしね」
 空気を濁すように彼がそう付け加えた。
「……言えてます」
 ほっと息をついて頷く。微かに笑いが零れたのは、お兄さん大好きが行き過ぎているグリゼリダさんと。
 なんだかんだ言いつつも、ニーノさんの言う通りやっているカルロが瞬いた目蓋に掠めたから。
 もう一度ニーノさんが私を見つめた。先程より少し長かったので顔が赤くなる前に俯く。
「変わった問いに答えるのもなかなか楽しいものですね。
 それではお休みなさい」
 笑い含みの言葉に反応が遅れた。
「あ、えっ。はい、おやすみなさい!」
 気が付けば背を向け、ドアを閉めるニーノさんの姿が見えて、慌てて頭を下げる。
 軽い音が、静寂に酷く響いて聞こえた。
「私、何聞いてるんだろ」
 ベッドに腰掛け、枕を抱く。羽毛なのかふわふわと肌触りも感触も極上。
 顔をうずめ、反省の海に自分を落とす。
 元の世界でも生死の問題は重いのに、『死にたくないか』なんて、この世界では尚更出してはいけない言葉だった。
 長く生きていたら生死の問題も曖昧になるのかな、とちょっと考えた己を殴りたい。
 吸血鬼だって、長生きしたい。そんなの聞くまでもなかった。
 ニーノさんが一人でないなら尚のこと聞くべき事じゃなかった。私の馬鹿。
 そのまま後ろに倒れ込むと、ぽん、と軽く反動が付いて驚くほど衝撃が無く天井が見上げられた。
 天蓋付きだから、見上げたのは正確に言えば天蓋だけれど。少しだけ目を閉じて深呼吸した。
 生、死。
 どくどくと自分の血が流れ、心臓が脈打つのを感じる。
 私はまだ生きてる。
 元の世界で告げた「また明日」の約束守らないと。
 すっと心が一瞬虚ろになる。
 約束、無くなったら。生に結べる何かがなかったら私は生きていけるんだろうか。
 なかったらすぐに――
 枕を強く掴んで不吉な想像を振り払い、身体をベッドの上に転がす。
「邪念退散。早く寝て早く起きて明日帰らなきゃ」
 多忙だと体と心が摩耗する。余裕があれば不安になる。
 色々、上手く行かない。
 こんな時こそご神体の出番だ。
 ベッドの側に置かれた籠の中から取り出しておいた写真を持つ。
 見えない。鳥目でなくてもこの暗闇はキツイ。
 折角ニーノさんが気を利かせて荷物を置いてくれたのに。
 まあ、荷物と言ってもろくな物は持ってなかったけど。乾かしてくれたらしいけれど、水没した荷物の被害は甚大だ。
 主に粉系のお手製爆弾は封が甘かったのか、全滅。
 写真が無事だからそれで良いけれど、限られた材料しかないので戦わずして消費は気分的に痛いものがある。
「携帯。持ってれば良かった」
 時計は向こう基準でも、電源は生きている。こんな時こそのライト代わりになれるのに。
 暗闇の中もぞもぞと身体を動かす。なんだかんだで疲れはちゃんと蓄積しているのか、急激に瞼が重くなり始めた。
 治癒だけではどうにもならない事も多いらしい。
 意識が落ちる寸前、数日前の何気ない会話を思い出す。
 ニーノさんに問われた時のような、いきなりの問いかけだった。

「カリン様は何かしたい事はありますか」
 白い法衣に身を包んだシャイスさんが思いついたように尋ねてくる。
 何時もより渋いお茶に顔をしかめていた所で声を掛けられて慌てて表情を取り繕う。
「そうですね、城と城下よりずっと離れた場所に出かけたい、なんて」
 机の上に散乱した地図や計画書を濡れないよう左手で退けて、カップを置く。
 そろそろ城下も表は見て回った。こうなってくると窮屈さが増してくる。
 覚えてしまった場所はまるで籠のような気がして気晴らしにならない。
 ぱーっと気分転換したい。旅行とか。
「無理ですよ」
「分かってます。言ってみただけです」
 呆れ含みの眼差しに軽く唇を尖らせてそっぽを向いた。
 近場の山でさえ危険なのに遠出など夢のまた夢なのだ。
 気分を紛らわせる為に飲み干したお茶はやはり苦くて思わず舌を出すとシャイスさんが慌てて自分のお茶を飲んで口元を押さえた。

 遠い昔のように思えるが片手の指で収まるほどの日付しか過ぎていない、あの日の他愛ないやり取り。
 叶ってるけどこんなの違う!
 一瞬覚醒した意識が呻いた。
 城下に初めて行った時と言い、今と言い。
 願いは叶うが方向性がおかしい。確かに城と城下から離れてるけど。
 神様は意地悪じゃなくて悪趣味なサプライズがお好きなのだろうか。
 それとも今まで嫌いと言っただけはねられているのか。
 けれど今更大好きなんて言葉は上滑りするだけだし、本心じゃない。
 だから言う。やっぱり神様大嫌い。
 私の神はマナと賀上君だ。私の大親友、大好きな人。
 異世界で祈られても困るだろうけど、頼みの綱にさせて下さい。
 何事もなく城に帰れますように。
 
 城に帰ったら……また作戦と本浸しの毎日だけど。
 隕石のようなトラブルよりは余程マシだ。
 


 

 

 

 

 

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