十四章/居場所

 

 

 

  

 吐き気が僅かに収まって、顔を何かに打ち付けた。ブラックアウト。漆黒だ。
「はい、到着……大丈夫ですか!?」 
 落ち着いていたニーノさんの声音が焦りに変わる。
 回転するほどの衝撃で飛ばされたと思っていたがそれは勘違いだったようで、転移が終わった瞬間突っ立っていた私はそのまま倒れた。
 目を瞑っていなかった自業自得である。
「お前、目を開けてたな。良い度胸してるな、怖いもの知らずというか。
 全く世話焼かすなよ。さっさと立て」
 本来なら警戒すべきはずなのにニーノさんから手を掴まれて引き上げられるのも半日も経たない間にすっかり慣れてしまった。
「か、重ね重ねお手数掛けます」
 乱暴な力に引っ張られ、疑問が心を掠めた。
 違和感に顔を上げるとにぶく光る深紅の双眸が映る。
 意外だ。放っておかれるかと思ったのに。 
「なんだよ」
 心の内が透けて見えるほど驚いてしまったらしく、カルロの不機嫌顔が仏頂面に変わる。
「いえ、ありがとうございます」
「なんだよ。俺が手を貸したら変みたいな空気は!
 手位貸すぞ。紳士なんだからな」
 子供みたいにコロコロ表情を変えながら紳士と言われても説得力がない。
「そうですね」
 何処の紳士がいきなり噛み付こうとするんだろうと口には出さず曖昧に微笑んでみせる。
 ぐわんぐわんと鐘が鳴っていそうな頭を出来る限り並行に直し、心を落ち着かせる為にふうと息を吐く。
「あれ……?」
 辺りの景色に口から呻きが漏れる。違和感はあったけれど、それは酔いのせいだと思っていた。
 なんか、変だ。ニーノさんとグリゼリダさんの姿はよく見える。
 だからこそおかしい。私の周りはまだ濃い霧に覆われている。常人の視覚で見えるはずがない≠フだ。
「兄貴も薄情だな。何時もなら手とか貸してるだろ」
 呆れたようなカルロの台詞に違和感の正体に気が付いた。カルロが手を取ってくれたのは驚いたけれど、それ以上にニーノさんが手を向けてくれなかったのが引っかかっていた。
「いえ、ちょっと今近づけないんですよ。あ、前もって言っておきますが近寄ってこないで下さい。
 強めの結界を張って遮断していますが、貴女は抜けてしまうでしょう」
「結界って、う、マジである!? っていうか俺まで巻き添えにするな」
 確かめるように側の空気を触り、どんどんと見えない壁を叩く。あれが結界らしい。
 突き抜けてしまうらしい私には高度なパントマイムをしているようにしか見えない。
「いえ、カルロはそのままで良いので。昨晩から今朝までで出来る限りこちらの色を拭っておきました。
 近寄ってしまったら移りますから、遮断してしまって済みません」
 身内の抗議の声を無視し、静かにニーノさんが告げてくる。
「えっと、弟さんは」
 答えの代わりに大輪の花のような素晴らしい微笑みが返ってきた。
 ええと、それはつまり。
 言われなくても何となく分かる気がする。連れて行けなのか、道案内として付けるのかは不明だが。
 黙していたらにこにこと頷かれた。
「まあ、城下辺りまでの道は知ってるけどさぁ」
 腕を組んで深紅の瞳を細めるカルロ。
「嘘です。絶対嘘です! 昨日さんざん迷ったじゃないですか!?」
 前日の壮絶な逃避行を思い出し、頬をポリポリ掻いた彼の台詞に思いっきり反応してしまった。
「あれは、その。えぇーと……ほら、霧が濃かったから、な!」
 私が力の限りに言い放ったせいか、言葉に薄く焦りを滲ませ人差し指を立てる。
「カルロ。この辺りは何時もこの位の霧ですよ」
 濁した言葉はやけににこやかな兄によってあっさりかき乱される。
 濃い薄い以前に聴覚で進めとか無茶な事言ってませんでしたか。あげく超音波出せばいいとか。
「う。コウモリだと感覚が変わるしさぁ」
 乾いた笑い声が虚しく霧に飲まれていく。
「あらあら、出かける時はコウモリが多くありません事?」
 上品に口元を覆い、首を傾けるグリゼリダさん。
 やっぱりコウモリでしょっちゅう飛び回ってるのか。
「うう。何だよ二人して。そんなに俺だと不安って遠回しに言う位なら自分たちで連れて行けばいいだろ」
 全てを笑いながらかき混ぜられて立腹したのかムッとした様子でカルロが二人を睨み付ける。
 グリゼリダさんがほんわりと微笑んだ後、自分の指を顎に当て、考え込む仕草をした。
「ですけれど、お兄様も私も……貴方ほど弱くないのですぐ見つかってしまいますわ」
 そして一刀。
 重い言葉の一撃にカルロの頭が揺れる。不憫な。
「そうですよ。だから貴方じゃないと駄目なんですよカルロ」
 姉の後に兄も続く。タチの悪い事に満面の笑みで。
「イジメか。これはイジメだろ」
 ブツブツ呟いてしゃがみ込みそうになるカルロを見て考える。イジメかなぁ。
 潜入には力が弱い方が感づかれない。兄姉の言う事も一理ある。
 弟いびりも混じっている気がするけど。
 そんな事より私は城に本当に戻れるのか。和やかに弟を言葉で刺す二人を見て膨大な不安が沸き上がった。
「真っ直ぐ進めば愚弟でも分かる場所に着きますよ。ご心配なく」
 微妙な心遣いが嬉しいのだか悲しいのだか分からない。
 初っぱなから方向違いという事は無くなった。
 内心ちょっとだけほっとして胸をなで下ろす。視界に何かが掠めた。
 指。
 私より少しだけ大きな手。
「しょうがないな。行くぞほら」
 カルロがこちらに手を差し出している。意図が分からず首を捻る。
「お腹減りました?」
「違う」
 おやつの催促かと尋ねたらぶっきらぼうに返された。
「……霧」
「出てますね」
 ポツリと零された言葉に辺りを見る。
 さっきより幾分マシになったとはいえ、人間では遭難確実の濃さだ。
「だから、霧!」
 何故か苛立ちを募らせてる目で、ぶんぶんと手を振る。危ない。
 ぶつかりそうになって慌ててかわす。
「普通気が付くだろ。もう良い。手、手を出せ!」
 仏頂面で腕を鷲掴まれかけ即座に避ける。
「何で逃げる」
「血はあげませんよ」
 昨夜の奮闘は忘れてはいない。さっきはニーノさんだと思っていたから逃げなかったけれど、カルロ単体だと身の危険を感じる。 
「違うって。遭難したいなら掴まないけどな」
「…………」
 言われてはたと気が付いた。確かに一緒に行くにしても普通に付いていけば確実にはぐれる。ならば手を繋いでいくしかないわけで。
 うう。手を。男の人と手を繋がなきゃ駄目なのか。
 か、噛まれませんように。
 逡巡の後、念を込めつつ恐る恐る指を差し出す。
 安堵か呆れか、大きな溜息が吐き出される。
「それで良し。さっさと来い、行くぞ!」
 乱暴な言葉とは違い、握られた手には脆い砂糖菓子を扱うかのような柔らかさがあった。
 


 

 

 

 

 

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