十四章/居場所

 

 

 

  



 積もる話という言葉もあるが、数十年単位で積もり続けた雑談は絶える事がなかった。
 種族のせいか疲れ知らずのグリゼリダさんの話をずっと聞いている。
 大方がお洒落の話題で古いモノはそれこそ百年昔の品からごく最近でも十年前まで。
 若い女の子で近寄ってくる人が少なかったんだから、グリゼリダさんが特別お喋りというわけでもないのだろうけど、かれこれ三時間以上は聞いている気がする。
 興味のある話は耳から引っかかって脳に留まり、訳が分からなくなっていく話はそのまま素通り。
 全て聞く事が出来ない。読むのは慣れてきていたが、まだ聞くのは慣れていないらしい。
 というよりそろそろ頭の中がこんがらがってきた。話の中身が彼女の生きている長さに比例するように濃い。
 専門用語や何やら出ていて一割も付いていけない。
「グリゼリダ。落ち着きなさい、彼女が困っていますよ」
 見かねたらしきニーノさんが止めてくれると、はっと紅の瞳を見開いてグリゼリダさんが顔を上げて私を見た。
 脳みそがフル稼働して水蒸気が上がっている気がする。知恵熱だ。目が回りそう。
「あら、申し訳ありません。つい、嬉しくって」
 自らの暴走に頬に手を当てて恥じらう様は、美しいのだが、可愛らしい。
 女の私ですらこんな感想を抱くのだから、男の人はノックアウトだろう。
 ぶんぶんと首を横に振って思考を正常に戻す。私は混乱すると言葉が怪しくなるから落ち着かないといけない。
 ついうっかりまたカマボコだのちくわとか言うかもしれないし。
 ソファに腰掛ける私達の横の床に体育座りで座ったカルロがじーっと見ている。
 初めから居たがまだ居たのか。
 吸血したいが我慢しているらしいけど、葛藤中なのか枕を抱きしめ私をずっと見ている。
 ……なにゆえ枕を抱えているのだろう。そして何時から持っているのか。
 もはや何でも有りのような気がするここの吸血鬼の一人に聞く事でもないけれど。
 たまに枕の端を囓ってるから我慢する為なんだろうか。
 人として見られたり餌として見られたりしているのが分かるので正直居心地が悪い。
 男は狼という言葉があるが、あれはカルロにも当てはまるんだろうか。違う意味で食われそうな部分で。
「えと、グリゼリダさんは服とかにお詳しいですね」
「ええ。着飾るのは好きですわ。その、グリゼリダさんというのも宜しいのですけれど……できれば」
 大きく頷いて微笑んだ彼女が一転して俯き、もじもじと指先を摺り合わせる。
 ええと、この流れで行くとアニスさんみたいにお姉さんとかお姉様と呼んでという感じなんだろうか。
 ちょっと恥ずかしいけれど、まあ……いいか。
「私の事、妹とお呼び下さらない?」
『は!?』
 諦めの溜息を飲み込んで耳を傾けるととんでもない単語が耳に入って隣にいたカルロと一緒に素っ頓狂な呻きを漏らした。
 い、妹。何故妹!
 呼ばれるのは何となく納得出来るが、呼ぶとなると精神的に難しい注文だ。
「いや、年齢的に逆だろ」
「お黙りなさい愚弟。私は妹と呼ばれたいのですわ」
 カルロが突っ込むと、冷ややかな答えを返して私を優しく見つめてくる。
 グリゼリダさん、貴女も弟には厳しい方針なんですね。
「……えっと。私とグリゼリダさんじゃ見た感じ無理がありますけど、何で妹」
 特に姉と妹を分ける必要も感じられない。何故そこまでこだわるのか。
 また彼女が自分の頬を両掌で挟み、俯く。
 分かりやすい恥じらいだけど、それがまた可愛らしい。
 男でなくても――
 ……いや、いけない。まだ私混乱している。同性にときめいては駄目だ。
「妹だと甘えられますでしょう。私、甘えたいですわ」
 もじもじと指を何度か絡めて首を傾ける仕草は犯罪級である。
 甘えたいのか。確かに妹の方が甘えるイメージ強いけど。
「ああ、それで妹。姉でも甘えて良いと思いますよ。特別決まりはないと思いますし」
 姉が甘えてはいけない道理は無かったので口に出すと、グリゼリダさんがぱっと笑った。
「……そうですの。なら、私は姉で良いですわ。姉様とお呼び下さい」
「え、お姉様じゃなくて!?」
 再度両手を合わせてのある種問題発言に反射的に聞き返す。
 お兄様お姉様主体のこの家では、お姉様呼びをさせられるモノと思ったが。
「姉様が良いですわ。そう呼んで下さいませ」
「ね、ねーさま」
 まさかの姉様呼びである。うっかり棒読みになってしまう。
「はい」
 対するグリゼリダさんはとても嬉しそうなので問題はないらしいが。
「まあ、お兄様か愚弟のどちらかと結ばれたら自動的に私は姉様ですわね。
 その日を楽しみにしておりますわ」
「いえ、楽しみにされても困るんですけれど」
 凄い前提を出されて腰が引ける。やんわり見守っている印象だったが、最終的にそこに着地するのだろうか。
「あらそうですの? 愚弟はともかくお兄様は身内のひいき目を抜いても素敵ですわよ」
「う、それは否定しませんけれど」
 ニーノさんが紳士的で何でも出来る美青年というのは力強く頷ける。カルロにフォローは無しですかグリゼリダさん。
「まあっ、それとも愚弟のような手の掛かる駄目駄目な子がお好みかしら。手懐けがいはありますわよ」
 幸せそうに微笑んでいるグリゼリダさんは天使か女神のような美しさだ。凄まじい内容から逃避したい位。
「どういう意味か聞いても良いか」
 ゆらりと枕をくわえていた口を開き、カルロが半眼で姉を睨む。
 凶悪極まりない視線を笑みで受け流し、
「良いですけれど。立ち直れますかしら」
 上品に口元に手を当てて姉はカウンターを見舞った。
 自分の言ってる事が酷いと自覚した上での発言だったらしい。
「やっぱいい……」
 悪魔のような囁きに弟が敢えなく沈む。
 ずっとこの手のやり取りを見るたびに、凄くカルロが可哀想になってくる。
 血はあげないけど。
「あ、そういえば飴とかありますか」
「ありますわよ。甘いものがお好き?」
 おっとりと微笑むグリゼリダさんが丸い陶器のようなモノを出してくれた。
 飴で通じるか多少不安だったが、大丈夫だったらしく中身が透けそうなほどに薄い陶器に丸い固形物が複数入っているのが見える。
「好きですけど……この容器は一体」
 陶器なのにガラスみたいに薄く、艶やか。
 かといってプラスチックな風にも見えない上に落ちたら割れそうな気がする。
 薄い黄色の丸い容器は、満月をミニチュア化したかのようだった。
 飴が転がるたびに、シャン、と鈴の音のような音がする。
「私達の力で作った容器、かしら。人には伝わっていませんわね。
 綺麗ですけれど割れやすくって。私達ならすぐに元に戻せるのですけど」
 軽く横に振ると、また違う高い音。容器というより楽器のようだ。
 上にちょんと乗っかっている蓋を開くと色とりどりの小さな玉が詰められている。
 大きさは一口大程度。きらきらと光っても見える赤い飴玉を取り出してカルロに向ける。
「はい。食べて下さい」
 蓋をして黄色の器を机に置く。そういえばここの机も少し透けて見えるけどガラスじゃなくて材質は同じなんだろうか。
「ん、何で」
 枕の端をかりかりと前歯ではんでいたカルロが顔を上げて不思議そうに首を傾ける。
「……隣で枕囓っていられるとちょっと気が散るので」
「そうですわね。飴が勿体ないですけど見目宜しくはありませんわ」
 私の言葉のせいか、あっさり同意した姉を見て不機嫌になったのか、むくれた顔でカルロが掌の飴を奪って口に入れた。
「お洋服のお話ばかりは飽きますわよね。趣向を変えてお飲み物の話でも――」
 ガリ、と石が擦れるような音が会話を中断させる。
「どうでしょう。お兄様の淹れる」
 ガリガリガリガリ。
 気を取り直したグリゼリダさんに更に追い打ちを掛けるような鈍い音が立て続けに響く。
 カルロ、噛む派ですか。
「……あの、ですね」
 ごくんと飴を飲み込むカルロに容器から取り出した飴玉をもう一つ握らせて頭痛を堪える。
 後ろで黒い影を纏った女性が居る気がするが気のせいだ。私は気にしない。
「あんだよ」
 私の背後が見えないほどカルロは不機嫌絶好調である。
 双眸が剣呑な輝きを含んでいる。
「勿体ないので舐めて下さい。ガリガリ噛まないでじっくり味わって舐めて下さい」
 その方が私の心臓にも良い。後方から冷気が吹雪いている。
「そうですわよ、噛むなんてもっての他ですわ」
 瞬時にどす黒いオーラをしまい込んだグリゼリダさんがしとやかに微笑む。
「舐める……卑猥な言い方だな」
 私と飴を交互に見て、ポツリとカルロが呟いた。
 蓋を開いたままだった容器から飴玉を取り出して、何か言っていたカルロの口に一気に押し込む。
「まあ、一気に五個とはやりますわ」
 呻きも上げられずに舌を出そうとするカルロを睨んで彼の手から飴を取り上げる。
「落としたら更に詰めます。ちゃんと舐めて食べて下さい囓ると三つ入れ込みます!」 
 慌てて口を閉じてコクコク頷くカルロ。
 微笑んで、残りの一個を口内に追加する。
 なんだかがふがふ聞こえるけど私は知らない。
 乙女の前で素敵な台詞を吐いてくれたお礼だ。
「これで六個ですわ。……どの位入るのかしら、今度試してみようかしら」
 考える仕草をしているお姉様が居たが、見なかった事にして飴を一つ貰った。
 口に入れた飴玉は、ラズベリーの味がした。
 


 

 

 

 

 

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