十四章/居場所

 

 

 

  


 びしょ濡れになった私を怒るでもなく、楽しそうにグリゼリダさんが微笑む。
「じゃあまた戻りましょう。そうしましょう」
 やんわりと胸元で両手を合わせてから、私の背を軽く押す。
 胸の奥から溢れる不安は何だろう。分かってるけど目を逸らしたい。
 またあの着せ替え地獄が始まる。キラキラした彼女の赤い双眸を見れば一目瞭然。
 ヒラヒラしたのから露出高めの品まで着せられる事になるんだろうか。
 濡らして着替えたいし、原因なのは自分自身だけど嫌だ。多分凄く長くなるだろうし。
「ああ、待って下さい。いちいち移動するのも面倒でしょう」
 転移をしようとしていたグリゼリダさんを止めたのは(多分)長男であるニーノさんだった。
「まあお兄様。女性にこの場で着替えろなんて言うおつもりですの」
 柳眉を釣り上げる彼女の一言に身体が強張った。
 確かに移動しなければここで着替えるという事であり、その場合私は確実に肌を見られる事になるわけで。
「幾ら何でもそんな事は言わないよ。ただ、別段移動の必要性を感じないだけで」
 顔に血が集まり目眩がしそうになっているところにあくまでも穏やかなニーノさんの台詞が耳に滑り込む。
 言わないって、移動しなければここで着替えなんだから言ってるのと同義だと思います。
「こうすれば良い」
 ぱちん、と彼が指を弾くと身体の冷たさが薄れ、身軽になる。
 足下の異物感でしかなかったスカートの重みを感じない。
 身じろぎするとふわりと薄衣のような軽さで新緑色のスカートが翻る。
「わ、凄い。動きやすい」
 相変わらず首元が出ているが、露出が控え目なワンピースに着替えさせられていた。
 白い刺繍が施されていて綺麗と言うより、可愛らしい。
 モチーフは春の葉なんだろうか。柔らかな色合いが肌に馴染む。
 首輪の時にされたのと同じみたいだ。
 転移の応用か、一瞬の事で身体がいきなり軽くなった事しか分からなかった。
 濡れていた腕と胸元も同時に乾かしてくれたのか、暖かい。
「お兄様酷いですわ!」
 お礼を告げようとしたら悲しみに暮れたグリゼリダさんの声が部屋に響く。
「せっかくまた違う服を着て頂こうと思っていましたのに。
 他の品も良いのを思い出しましたから着て頂きたかったのに。なのに、あんまりですわ!」
 両手で顔を覆ってさめざめと泣き始める。そ、そこまで悲しまなくても。
「まあまあ、余り手間取らせると彼女からカルロより嫌われてしまいますよ」
 指を一振りすると髪に少しだけ違和感。手を当てるとリボンのような物が両サイドに付けられている。
 長めのリボンの端をそっと持って見ると、白い艶のある高そうな物だった。
 泣いている彼女には悪いけど、グリゼリダさんもずるい。
 こんな事が出来るならわざわざ長時間掛けて手で着替えなくても良かったではないか。
 着せ替えしたいが為なのか、人間式の着方のこだわりがあるのかは分からないがとてつもなく疲れる作業だったのに。
「それは困りますわ。カルロと同じなんて、私嫌ですわ」
「俺そんなに嫌われてんの?」
 泣いていたはずなのに余り涙の残らない目元を拭い、呟く姉の言葉にカルロが私を不安そうに見る。
 無理矢理血を吸おうと襲いかかっていたのに自覚皆無らしい。アレでどうやって嫌われないで済むというのだろうか。
 まあ、何となく嫌いではないのだけど。
 今現在姉より涙目になっているカルロを眺めて心で溜息を吐く。
 子供っぽいと言うのが分かってるから大嫌いにはなりにくい、マインにも多少の悪戯は目を瞑ってしまう。
 どうしても年下というか、無邪気な人には甘くなる。叱ったほうが良いのは分かってるけど。
 この世界だからこそ貴重な気がして、ついついそのままで居て欲しいと思う。
 が、そんな性格のままで居させると大概面倒ごとが私の方に押し寄せてきたりする。
 多少私も悪いんだけど、トラブルを減らして貰えるとありがたい。
「帰りたいんですよね」
 心中で大きく溜息をもう一度吐き出していると、ニーノさんがそのままの調子で私に言葉を向けてきた。
 一瞬何を言われたのか理解出来ず、出来たあとも疑問が口を開くのを遅らせた。
「…………あ、はい」
 何でいきなり、とは思ったが頷く。
「もう帰してしまわれるんですの。私寂しいですわ」
「というか勇者候補の巣窟にコイツ放り込んだら死ぬだろ」
 姉弟が口々に思い思いの事を告げてくれる。巣窟って、下手な魔物より悪質だと言わんばかりの言われようだ。
「帰れないと彼女は困る。でも二人は嫌われたくない、と」
 駄々をこねる子供を持つ母親のような目で二人を眺め、溜息混じりにニーノさんが呟く。
 まるで手の掛かる子達だと言わんばかりの眼差しだ。お兄さんというよりお父さんみたい。
「そんな事言いましても、滅多にない機会ですもの。お友達が居なくなるのは悲しいですわ」
 いやいやと首を振ってグリゼリダさんが縋るような目を兄に向ける。
「問答無用で襲いかかってこない勇者候補も珍しいしな」
「問答無用で襲いかかってきた吸血鬼に言われても微妙なんですが」
 同意するカルロに静かに突っ込んでおいた。
 帰したくない位気に入ってくれているならこちらの気持ちを汲んで欲しい。
「…………言うなよ」
 反論はなく、沈黙の後目線を横に逸らす。
 多少思うところはあるらしい。
 なんだか深刻そうな二人に視線を数度触れさせて、思案する。
 まあ、もうそう言う気分でもあったし。悪い人達でもないし。
 自分を納得させるだけの材料を多い位に弾きだしてから口を開く。
「うーん、そんなに大げさに引き留めなくても消えませんよ。ペットとかにはなれませんけどお友達にはなれますから」
 ペットと餌は御免こうむりたいが、友達なら別に構わない。
 マナほどミーハーではないが、私も女の子である。
 攻撃的でない見目麗しい人達に囲まれるのは心と目の保養だ。
『…………』
 口元に手を当て瞳を潤ませていたグリゼリダさんと、仏頂面だったカルロ。そしてニーノさんまで見事に停止する。
 変な事は言っていないつもりだが、どうしてそこで凍り付くのだろうか。
「すぐには無理でもほとぼり冷めたらまた来ますし」
 攫われてすぐは難しいだろうが、基本的に治安は良くなっていくはずだ。
 今回の事で良くさせられるだろうから、護衛が無くても歩ける日が来るかも知れない。
「来てくれるんですか?」
 驚いたようなニーノさんの声に思わず肩が跳ねる。意外と大きい声で吃驚した。
 昔からの癖で、反射的にボソボソとした返答になってしまう。
「え、はい。来かたが分からないですけど来られるなら来ますよ。お茶も美味しいですし、皆さんの事嫌いじゃないですし。
 血を無理矢理吸われそうになる以外なら喜んでお邪魔します」
 ハプニングがないお茶会なら望むところ。騒がしいのは苦手だけど、カルロ一人分なら大丈夫。
「お友達になって下さるの? 今日だけじゃなくて、ずっとなって下さるのかしら……」
「なりますよ。でも着替えは程々にして下さい。結構重労働ですから」
 不安げな眼差しに小さく笑って頷いてみせる。
 下から上まで手伝って貰って自分で着るのは大変だけど、やっぱり服を色々着るのは楽しい。
 今回は私ばかり着せられたけど、ずるいので次は彼女に着て貰うとする。
「じゃあ、また着替えだけではなくお茶をして、一緒に色々楽しんだりしても宜しいのね」
 宜しいも何も願ったり叶ったりだ。フレイさんのお茶は美味しいけれどここのお茶も負けていない。
 甘い物もこちらの世界の品らしく少し変わった味がして興味がある。
「はい。勇者候補入れても同性のお友達って少なくて。お茶もお菓子も大好きです」
 次来る時はおみやげ持参で訪問しよう。それで食べ比べるのだ。想像するだけで楽しそう。
「……やっぱり貴女は変わってます」
 次回の訪問に思いを馳せていたら、ぽつりとニーノさんが聞き捨てならない言葉を零した。
「いえ、ごく普通の一般市民ですよ!? 何とんでもない事を言ってくれるんですか」
 変わってるって何だ。変わってるって。
 私は普通で平凡で、そりゃあ最近は運動神経良くなったり記憶力あがったりはしたけれど基本地味平凡の道を行く学生だ。
「ここ五百年女性とお話ししてきましたが、貴女のような方はいらっしゃらなかったですよ。
 大抵、一度きりか。私やグリゼリダの元に留まりたがります。
 吸血鬼という時点で人間は私達を避けますから」
 そう言われると弱くなる。灰色っぽいコウモリ姿のカルロの思念に驚かず、吸血鬼とすぐにお茶してしまった身としては。
「う。その、無知で世間知らずなのは自覚してますが」
 コウモリは喋るかも知れないと勘違いしたのは認める。全て私の勉強不足だ。
 魔法や訓練で手一杯だったが、時間を見て動物図鑑も調べないといけない。
「大丈夫です。無知ではなく変わり者なだけだと分かっていますから」
 ふわりと彼は微笑んで優しい声を掛けてくれた。笑顔と裏腹に内容は最悪なものに変わっている。
「分かってません。更に誤解が悪化してます。訂正を求めます!」
 変わり者。変人って意味ですか。素敵な笑顔で酷い事言わないで欲しい。
「訂正。吸血鬼の所でお茶を楽しめる一般人と言うところで何か間違ってますか。
 あと、いきなり転移されてもそのうち慣れて友達になる事も拒否しない方ですね」
 淡々と羅列される単語が増えるたびに心で悲鳴を上げる。痛い。
 何か間違ってない分痛すぎる。た、確かにそう並べられると普通の観念が揺らぎそうになる。
 だけど負けてたまるか。
「……そう言われると自分でも段々自信が無くなってきましたけど、私は普通です。
 フツーなんです! 人間の枠には留まってるんです」
 心からの叫びだ。勇者候補未満で、力がないのに普通じゃないとか言われたら元の世界に帰ってからどんな顔してマナや賀上君に会えばいいのか。
 危害を加えないなら別にお茶のみ友達になったって良いと思う。根は悪い人達じゃ無さそうだし。
 寧ろ勇者候補や外にいる人間の方が性質が悪いと感じる。ここなら戦いやいさかいがないから私もゆっくり出来て嬉しい。
 力説している私を眺め、ニーノさんが小首を傾げ瞳を瞬く。
 美人という単語が似合う人なのに、なんとなく可愛らしい。
「普通にこだわるんですね。うーん、ですが私からすると勇者候補が吸血鬼と友達という時点で規格外ですよ」
 ああ、そう言う意味で変なのか。
 他にも理由はありそうだが、その点に関してはちゃんと答えられる。
「ですから、私は間違って強制的に連れてこられたから勇者候補なんてどうでも良いんです。
 地位に名誉とかそう言うのより命とかが大事ですし、別に勇者になるつもりもないですから。
 吸血鬼と勇者候補が敵対関係であろうと無かろうと、皆さんが友好的なら私は普通に接します。
 敵にならないなら友達になってもお茶を飲んでも良いじゃないですか」
 大体私は勇者なんてどうでも良い。平和が信条なのだ。
 城ではアベルが怖いし、気軽に外出して良いのなら私は迷わずこの家を選ぶ。
 吸血鬼と勇者候補は話を聞く限り仲良しでは無さそうなので難しいだろうけど。
「……凄い割り切り方されてますね。力が強いから怖いとか、ないんでしょうか」
 微かに弱々しくなった声音に肩をすくめて見せた。そんなの今更だ。
「元々私は弱いですから、その時はその時です。無力ではないので抵抗はさせて頂きますが。
 まあ、そんな心配はあんまり無さそうなので気にしてません。
 そう言う事で気を揉むより、ゆっくりお話し出来る友達が出来る方が心の健康にも良いと思うんです」
 弱いので無理に虚勢を張る必要がない。それに警戒される事も少ないからある意味楽だ。
 正面からの戦いは余りしないので私も戦うつもりはないし、そう言う事になったら手段を選ばず色々するつもりだ。
 カルロの時は勝手が分からず動きも取れずに苦戦したが、物の配置を幾つか覚えたので次はもう少し有利に事が運べる。
「お前、見かけによらず図太いな」
「ここ数ヶ月で図太くなれました。ある程度はなるようになる物です」
 感心したような呆れたようなカルロの台詞に苦笑した。
 前はもう少し動揺してたと思う。召還されてすぐ獣王族とご対面という辺りから私は鍛えられていたんだろうけど。
「分かりました。そう言うわけなら二人は文句ないでしょう」
「ええ、そう言う事でしたら。でも約束ですわよ。待っていますわ」
 ニーノさんに尋ねられ、グリゼリダさんが花と喩えるに相応しい笑みを浮かべる。
「はい、こっそり来れるように頑張ってみます」
 ここまで喜ばれるなら来ないわけにはいかない。こっそり来よう。
 人間頑張れば何とか出来るはずだ。
「俺はまだ反対なんだけどな。帰すの」
 納得した姉とは対照的に頬を膨らませたカルロが腕組みして半眼で唸っている。
 諦めが悪い。ニーノさんは帰してくれると――
「まあ、確かに私も今日の所はそれに少し同意はします」
 頷いて答えるニーノさんの台詞に思わず耳を疑う。
「え、帰してくれるんじゃないんですか!?」
 まさかの心変わり、と脅えたが困ったように彼が頬を掻いたので首を横に傾ける。
 何か問題があるんだろうか。
「帰しはしますけど、お勧めはしませんね。
 貴女は気が付いて居ないようですが結構長い間眠っていたんですよ」
「へ」
 さらりと告げられて間の抜けた声が漏れた。眠ってたというか気絶していたけど、そう言えば時間の感覚は洞窟の暗闇に放り込まれた時から麻痺している。
 攫われたのは昼で、長く連れて行かれて洞窟で迷って、森で迷って。それだけでも夕方までなっていそうだと気が付いた。
 まさか。
「夕方もそろそろ終わり。女性が帰るには危険ですし、何より勇者候補に気が付かれないよう送り返せる場所からでも歩いて行くと夜中過ぎになります」
 そのまさかだった。逃げて迷って、気絶している間にかなり時間を食ったらしい。
 というか。
「そんなに遠いんですかここ!」
 思わず叫ぶ。近くまで送ってもらって徒歩でも夜中過ぎとかどれだけ遠いんだ。
「前の住み家までは近いんですが、罠から出てくると森の反対側まで抜けますから。
 徒歩で帰りますと丸一日掛かりますよ」
 ごーん、と頭の後ろで鐘が鳴る錯覚を覚えた。当然除夜の鐘の大きな奴だ。
「でも、窓は青空で」
 震える指先で最後の砦を示す。可愛らしい窓からはまだ茜色に染まってないクリアな青が広がっている。
「土の中で窓の景色がないのは寂しいですからね。別の土地の空を見せて居るんですよ。
 時々変えてますが、今映している場所はまだ明るいようですね」
 微笑んだニーノさんがあっさりと私の希望を壊してくれた。
「い、いえでも早く帰らないと本当に騒ぎになってそうで不安が」
 シャイスさんとアニスさんとマインが気になる。凄く気になる。
 無茶してないと良いけど。
「近頃は他の吸血鬼が居るという話ですし、夜道を歩かせたくはないんですよ。
 見ての通り私達は少し他の吸血鬼と話が合わない方ですし。
 私達への見せしめに殺されでもしたら嫌ですから」
「私も命は惜しいですけど」
 笑顔で恐ろしい事を曰ってくれるニーノさん。言葉に嘘は含んで居なさそうな所が更に怖い。
「それに誘拐されたなら言い訳はどうするんですか。夜中に無事に帰り着けても不自然でしょう」
「うう、そうですね。もうちょっと強かったら良かったんですけど」
 更に畳み掛けられては唸るしかない。正論だ。
 とても正論である。弱い私が夜中に町の外から帰ってくるなんて奇跡以外の何者でもないわけだし。
 いっそ誰かの所に一晩泊めて貰っていたとか、空き家で隠れていたとか言う方が説得力がある。
「朝方に出られれば宜しいわ。ベッドは幾らでも創れますし、泊まって頂けると私も嬉しいですもの」
「日が昇る前に出れば昼前には着けますから安心して下さい」
 ここまで言われて、現実の時間も知らされれば折れるしかない。
「…………凄く城が気になりますが一晩お世話になります」
 小さく頭を下げると、アニスさんのように力強くグリゼリダさんに抱きしめられた。
 喜ばれているから、もういいって事にしよう。
 城に早く帰りたいけれど、命は惜しい。
 少し反省しているカルロに血を狙われる心配は無さそうだが、用心の為姉か兄にくっついていれば大丈夫だろう。
 色々なものに追いかけ回されて疲れは溜まっているし、お泊まりだと考えてゆっくり朝までお邪魔してしまおう。
 それに、天蓋付きのベッドはもう少し堪能したかった。城のみんなには悪いけれど一晩だけ贅沢な夜を楽しもう。
 ニーノさんにお茶を渡され、白磁のカップを持って口を付ける。ほんのりと甘い香りがする。
 やっぱり美味しかったので私はニコリと微笑んでこの家の一晩を受け入れる事を表した。



 

 

 

 

 

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