十四章/居場所

 

 

 

  


 吸血鬼らしからぬ天使の如き微笑みを散らし、ニーノさんが私を見る。
「もう随分遅くなりましたね。寝る場所は先程の、治療していた部屋で良いでしょうか。
 気に入らないのなら新しく整えるか場所を移しますから」
 不可視の圧倒的なオーラに気圧されつつ、しばし答えに窮してなんとか声を絞り出した。
「ええと、それで構いません。ご厄介になっていますし、そんなお手数掛けるわけにも行きませんから」
 運ばれたベッドと言うと天蓋付きのフカフカなやつだ。
 家のベッドより柔らかかったし、お城のベッドは柔らかさを語るだけ虚しい。否などあろうはずもない。
 返事をしてちら、と横目で周囲の様子を探る。楽しそうな姉弟の声が響く。
 片方が声なき叫びを発しているのは恐らく気のせいではない。見て見ぬふりをし続けるのがつらい。 
「気にしなくても良いんですよ。愚弟のお世話をして頂けましたから一泊と言わず何泊でも」
 聞こえているはずなのに、兄であるニーノさんは眉一つ動かさず笑顔に更に輝きを付与して首を横に振った。
 私の後ろというか、貴方の前で悪魔が弟さんを虐めているんですが、止めないんですか。と聞くのも野暮だろう。
 ニーノさんは止めるではなくきっと参加する側だ。
「あら。意外と入りますわね、十六個達成ですわ」
 人外の美貌で優しく笑みを形作り、悪魔が告げる。
「むがもごー!?」
 非難の絶叫。
 継いでがり、と微かな鈍い音。
 大きくカルロの肩が跳ねた。
「まあいけませんわ。また囓りましたのね」
 困ったような顔でかわいらしく小首を傾げるグリゼリダさん。
 原因は私なんだけれど、ここまで混沌たる有様になろうとは。
 ちょっと目を離した隙に罰ゲームを大変お気に召したらしいお姉さんがお仕置きを続けていた。
 初めの方は笑える光景だったが、今は全然笑えない。
 飴の大きさは小梅位。口の中に五、六個入れたところではそこまで問題にならない。
 けれど、十を超えるとどうなるかは考えるまでもない。そろそろ息苦しくなってきたのかカルロの目がせわしなく泳いでいる。
 息継ぎをしようとすればまた囓り、取り出された飴玉に反論しようとすればまた音が立つ。
 何の拷問だろう。そのうち頬がハムスターになってしまう。
 少し見てみたいと邪な考えがよぎった。
 考えが顔に出ていたのか口を何とか閉じているカルロの鋭い一瞥がこちらに向く。苦笑いで誤魔化して、惨劇をそっとしておいた。
 あのペースだと小さめの容器に入っている飴はすぐに無くなる。
 容器に術が掛けられている時は、頬が破裂しないように祈るしかない。
「寝る前ですが、お腹は空いていませんか。食事はしていないでしょう。
 お茶だけでは満腹にならないでしょうし」
「……えっと」
 お腹は空いている。お茶とお菓子のみならず寝床まで用意して貰ってそこまで甘えて良い物か迷う。
 遠慮しようかするまいか。悶々と悩む私の頭と違い、身体の方が正直だった。
 ぐう。と大きな音が響く。お腹をつい押さえてしまったので、誤魔化しようもない。
 熱が頬に集まり、一気に全身に回る。
「す、すいてます…………凄く」
 羞恥で俯きながらも、ここまで来たら正直に告白する。
 何かが身体の側をよぎり、壁にぶつかって落ちた。
 石を跳ねさせたような音がして、コロコロと何かが足下を転がる。
 薄い赤、緑、ビー玉のような。ん、飴玉?
 振り向くと噎せ込んだカルロが半泣きで口元を歪めている。
 胸元を鷲掴むように押さえ、小刻みに身体を震わせる。
 吹き出された。
「今凄い、音が。あは、はははははは」
 軽い笑いどころか大爆笑されている。恥ずかしくてゆでられたと言うより溶けそうだ。
「ぐうってし――いだっ」
 笑い転げるカルロの動きが破裂音にも似た響きで止まる。
 黒髪からパラパラと破片が零れた。
「吐き出すなんていけませんわ」
 両手を振り下ろしたまま、憤慨したように頬を膨らませる姉。
 グリゼリダさん。それちょっと危ない。
 彼女の手には元飴の容器がある。殆ど空だったのか落ちて行く飴玉は数えるほど。
 しなやかな白い手に握られた薄い陶器の破片が涼やかな音を立てて割れ続けていた。
「物で殴るのは良いのかよ」
「殴ってませんわ。落としそうになったのを取り損ねただけ」
 手に残っていた欠片を払い落とし、微笑む。
 力を使ったのか、陶器の欠片は地面に落ちる前にかき消えた。
 確かにこうしているなら掃除道具がないのも理解出来る。
「――苦しい言い訳を」
 大量に飴を詰め込まれ、口内に傷でも出来たのか両方を押さえカルロが半眼で呻く。 
 この件に関してはカルロに全面同意だ。
 静かに佇んでいたニーノさんが笑みを崩さず指を指揮棒のように軽く滑らせる。
 ごく自然に見える動作に、一瞬周囲の空気が硬化する。
 ふわりと飴が大量に浮き上がり、すぐさまカルロに向かって降り注ぐ。
「あいっ、いたたたた」
 もう一振りすれば、マシンガンのように飴が打ち出される。
 笑顔でしてる分怖いです。
 床に落ちていた恐らく全ての飴が弟を叩いているのに兄は表情どころか空気すら変えない。
「まあ、それはともかく食事にしましょう。ちゃんと片付けるんですよ」 
「あ、料理ならお手伝いします。皮むき位なら出来ますから」
 元の世界でもそれなりの料理は作れた。異世界だと何が材料として出てくるか分からないから皮むきしか本当に手伝えないけれど。
 作るものも未知の物だろうし。慌ててそう提案すると、ニーノさんが驚いたように目をぱちりと瞬いた。
 あ、あれ。変な事、言ったかな。
「貴女は本当に友好的ですね。
 いえ、ゆっくり待っていて下さい、治癒は施しましたがまだ本調子ではないでしょうから」
 銀髪を揺らし首を傾ける彼の言葉の響きと、表情にどきりとする。 
 飲まれるほどの美貌ではなく、柔らかい笑み。ずっと優しかったが、今の笑顔と声が本当の顔に思えた。
「い、いえ。そうですね、大人しく待ってます」
「ええ、大人しく待っていて下さいね。ちょっと材料足りないので釣ってきますから」
 黒いリボンでゆったりと纏めた髪を解き、ニコ、と頷いてくれた。
 乾かしていた黒い上着を羽織り、身支度を整える姿も絵になる――って。
「釣る!?」
 つりの二文字が目の前の人物と合致しなくて軽く混乱する。
「あ、魚は駄目ですか。キノコや山菜の方が」
 顎に手を当て、思案するニーノさんに首が千切れるほどかぶりを振る。
 好き嫌いはない。この世界に来てから特に減った。
 どんなに苦い山菜でも、雑草か野草か分からない代物を食べるよりハードルは低い。
「いえ、魚が好きなのは分かってましたけど。術で釣るんですか」
「何言っているんですか。魚釣りと言ったら釣り竿ですよ、安心して下さい穴場がありますので、すぐに釣ってきます」
 くすくすと可笑しそうに笑われて思わず絶句した。
 混乱極まる私の網膜には壁際に出現した竿がしっかりと焼き付けられる。
 竿を持って普通に釣りをするニーノさん……いや、吸血鬼!?
「何か細工が施してあったり」
 魔法が掛かっていて入れ食いになるとか。
 見た目はしなやかな木でできた釣り竿。まじまじと見つめる私の頭に楽しそうな声が降ってくる。
「擬似餌を付けたりはしますが、他は何もしてませんよ。
 余り大きいと焼きにくいので小さめの狙ってきますね」
 ルアー釣り。普通の釣り。
 血を吸わない宣言より衝撃が大きく言葉も出ない。
「……吸血鬼が、魚釣り」
 問題のニーノさんは鼻歌交じりで釣りの道具を手早く纏めている。
 獲物を選べる時点で慣れているというレベルではない気もする。
「……この光景毎日見せられる気分が分かるか」
 身体に貼り付いた飴をはがし、ふて腐れたカルロに遠い目で首を振る。
 こんなの我が親友が見たら卒倒する。
「あんまり見たくないです」
 黒い服を着こなしたニーノさんと釣り竿はミスマッチだった。
 


 

 

 

 

 

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