十四章/居場所

 

 

 

  

 世界は冷たくて残酷で、空から降り注ぐ暖かい光もきまぐれなだけで何時か潰えてしまうんじゃないかと思う時がある。
 勇者候補を除いたとしても、この世界で人間は優しいとはお世辞にも言えなかった。
 だから魔物が優しいとか、そんな都合の良い事は考えていない。血も涙もない悪魔だとは思っていないだけで。
 魔物に類されるのかよく知らないが、吸血鬼はどうなんだろうとここに来る前からぼんやりと考えていた。
 今も考えて既に結論めいたモノは出ている。
 余り直視したくない現実だが、吸血鬼も人間と大差ないだろう。
 だから彼らはここに住む。
 森の奥深く、地中の誰にも手が出せない場所に。
 きっと、ただ一人の為だけに。


「兄貴が優しいって目が抜け落ちてるだろ」
「ちゃんと両眼はまってます」
 呆れたような声に溜息混じりに返して背を向ける。
 幸せそうでなによりだ。兄姉の教育の成果だろうか。
 何事か言われる前にドレスの裾を軽くたくし上げ、勢いよく目的の場所にダッシュする。
 転送されて連れてこられたくつろぎスペースではあるが、玄関から見えていた部分でもある。
 網膜から記憶に流された光景をたぐり寄せて道を確かめる。直進、右、真っ直ぐ……でたどり着く。多分!
 一応間違いなく進んだらしく見覚えのあるロッキングチェアー。
 急いで扉に付いた金のノブを握る。
「お前待てよ。ちょっとオイコラ!」
 怒声を無視してノブを回し、軽く引いた。
 手入れのされた扉は余り軋まずゆっくりと開く。
 そこから見えた光景があんまりにも予想にはまりすぎていて、思わず泣きたくなる。
 佇んだまま考える。
 光景ではない、か。扉の先は闇と土。
 扉の前を埋め尽くす土は、完全な地中だと理解させるに十分だった。
「怒ってます?」
 不意に尋ねられて扉を開いたまま振り向く。
 困ったような、いたたまれないような表情でニーノさんが私を見ていた。
「怒ってるように見えますか」
 カルロが我が侭を言ってねだらなくても、私を閉じこめるのは容易い。
 既に私は籠の中。だけど良いと言わなかった理由を考えて目の前の土壁を見る。
 過保護と溺愛もここまで来れば尊敬モノだ。
「……悲しそうには、見えます」
「理由位自分で察して下さい」
 じと、と眺めて溜息一つ。地面に造られた家は優しい鳥籠。
 土壁は毛色の違う肉親を守る為の頑強な壁。
 基本的にこの世界は弱肉強食。特に力を誇示する生き物はその傾向が強い。
 ニーノさんは強い。グリゼリダさんも多分、強い。
 恐らく彼らの一族は元々強い家系なんだと思う。そこで生まれた弱い吸血鬼は、どんな扱いを受けるか。
 想像したくもない。居なかった事にされるのが常だろうに、カルロは居る。
 日なたも歩ける兄姉が地面に潜って隠れているのはただ一つの理由から。
 弱い弟が殺されるのを避ける為だ。吸血鬼も何種類か居るようだし、強い一族なら尚更妬みや恨みを買う。
 ニーノさんやグリゼリダさんは逃げるのも報復するのも簡単だろう。だけどカルロは太刀打ち出来ないはず。
 だから目立たないようにひたすら潜り続ける。不自由さも飲み込んで。
「ニーノさんは弟さんが大好きなんですね」
「はい、煮込みたい位愛してます」
 この答えは本気なのかわざとなのか迷うところだが、殺したくないのは本心だろう。
 彼なら勇者候補に出会っても問題はない。せいぜい危険視される程度だ。
「愛が感じられない」
 追いついてきたカルロがニーノさんの台詞に突っ込みを入れる。
「私は砂糖に漬け込みたい位好きですわよ」
「やめてくれ」
 転移してきたらしいグリゼリダさんが自分の頬を掌で包み、目を細める。
 張り合っての言葉なのだろうが、この人の場合一から十まで本気な気がするので恐ろしい。
 砂糖漬けのカルロを想像して蜂蜜の瓶に入れられた蜂を思い出した。
「本当に土の中ですね。触っても大丈夫ですか」
 扉の外で留まっている土を見てやってみたかった事を口に出す。 
 知的好奇心が背を押してうずうずと震えている。
「結界を張っているので触れないと思いますけれど、触りたいならどうぞ。固いですよ」
 意外な質問だったのだろう、きょとんとニーノさんが瞳を瞬き、肩をすくめた。
 苦笑混じりの答えに遠慮なく扉の外に両腕を突っ込んでみる。
 べちゃ、となんか嫌な音が響く。つ、と指先から腕に冷たい雫が垂れていく。
 冷たい感触に眉が寄る。
 なんか、触った。べちゃっとした。べちゃっと!
「濡れた! き、気持ち悪いです。というか柔い土なのになんで留まっているんですか。
 地盤沈下は!? あ、でも地面の中だから関係ない……というかこの辺り水脈が近い、のかな」
 腕からぽたぽたと床に滴り落ちる水は土が混じって濁っている。
 折角着替えたのに服が濡れて寒い。このままで居ると風邪を引きそうなので急いで腕を引こうとしたら鋭い声が飛んだ。
「動かないで下さい!」
 酷く焦った声音に身体を震わせ反射的に振り向いて。腕がすっぽ抜ける。
「あ、抜けた。すいません動いちゃいました」
 ぽかん、と三人がつい先程術が効かなかった時のような目で私を見ていた。
 おかしな反応だと感じつつ、ニーノさんの台詞を思い出しながら感触を思い出す。
「固くなかったですよ。むしろ柔らかくてべちゃっと……あ、手が汚れてる」
 掲げて眺めた掌にはべっとりと赤土がこびり付いている。服も汚れてしまった。
 うう、着替えたのに。綺麗な服なのに汚してしまった。
「う、う……腕大丈夫ですか。吹き飛んでませんか!?」
 悲しんでいるとニーノさんに肩を鷲掴まれて妙な事を尋ねられる。勢いよすぎて少し痛いです。
 腕は無事だけど。というか吹き飛んでとかなんだその物騒な問いは。
 もう一度両腕を見る。汚れているだけで傷一つない。
「見ての通り五体満足ですが」
「結界を術者の意思無視して通り抜けたあげく往復までして無傷!?」
 ニーノさんの隣でグリゼリダさんがショックを受けている。
 結界を通り抜けた。また妙な事を言う。結界なんて無かったと思う。
 あったらこんなドロドロのべちゃべちゃになるわけがないし。
「結界なんてありました?」
「いや、あるだろ。そうじゃないと土が押し寄せてくるし」
 質問を飛ばすとカルロが首を捻り私と同じように手を伸ばした。ガン、と鈍い音がして土に触れる寸前で指先が止まる。
 あるじゃん、と告げるカルロの指は綺麗なままだ。
「何でですか。私こんなに汚れたのに! ズルイです」
「いや、怒るトコずれてるから。お前が勝手に結界抜けただけだろ」
 余りの言いがかりにカチンと来てカルロを睨み、玄関を示す。
「抜けてません、触っただけです。未だにろくな術一つ出来ない私がそんな高度な事出来るわけがない……じゃないですか」
 自分で言ってて情けなくなってきて声が萎む。うう、簡単な魔法も使えないんですよ私。
 火も灯せないし。風も出せないし。あまつさえ内部拡張呪文も失敗する有様だ。
「いや、泣くな。泣きそうな顔するな。というかお前本当に何にも出来ないのな」
「放っておいて下さい。人の傷抉って炙って塩もみするなんて酷いです」
 酷い、酷すぎる。凄く気にしてるのに。
 せめて簡単な術位覚えたいという私の思いと希望を潰すような事言うなんて。
 才能、多少あると信じていたいのに!
「わ、悪かったから落ち込むなってば。何も出来ない方が便利な時もあるだろ!」
 拗ねる私を慰めるカルロ。なんかフォローのようでフォローじゃない。
「という事は無自覚ですか。面倒な人ですね。貴女は今結界を抜けましたよ」
「は?」
 ある種衝撃的な回答を渡されて間の抜けた声を出してしまう。
 抜けたって。結界を? 確かにカルロが触った時は固い音がしてたけど。
「しかも破らずすり抜けて元に戻っても結界はそのまま。術を受け付けない体質ですか?」
 更に変な事を言い出すので慌てる。そんな不死身体質ではない。
「いえ、焦げた事はあるんでそれはないと思います」
「焦げ……攻撃されたのか」
 急いで答えるとカルロが顔をしかめる。まあ、その見解が一般的なんだろうけど。
「いやちょっと、訓練の最中の余波がですね」
 訓練に勢いの付いたアニスさんの隣で修行していた私も悪かった。
 鞭から放たれ、目標から幾分逸れた炎が私を掠めたのは良い思い出だ。
 死ななくて良かった。
「お前本当に勇者候補未満なのか? 兄貴の目を無視出来るわ、結界抜けるわ下手な術使えるよりスゲーぞ」
「いえそんな事言われましても。どこからが結界なのかもさっぱりですし」
 半眼で眺められても返答に困る。むしろこの能力は不便じゃないか。
 知らずに敵の結界を通り抜けて魔物の大群と出くわしたら洒落にならない。
「宝の持ち腐れだな。その能力あれば敵の結界抜けて奇襲なんて簡単だろ」
「自慢じゃありませんが基礎戦力が違いすぎるので奇襲しても返り討ちですよ。私弱いですから」
 奇襲には使えそうだが、生憎私の戦力は兵士以下。爆弾をしかけるのにもちょっと体力不足だと思う。
 更に獣タイプの魔物は鼻が利くし。私なんて即座になます切りかお刺身である。
 話し込んでいる内に身体が冷えてしまったのか、寒気と共にくしゅん、とくしゃみが漏れる。
「また着替えないといけませんね。温かいお茶お入れしますよ」
「うう。お手数掛けます」
 扉を閉めながらのニーノさんの台詞に申し訳ない気分になって頭を下げた。
 

 

 

 

 

 

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