話せといわれたから話した。なのにこれは無いんじゃないか。
憮然とした気持ちで机上のまん丸な毛玉を睨み続ける。
視線で毛の一本くらいちぢれればいいのに。
そんなこと出来た日には化け物(勇者候補)集団の仲間入りだと言われても反論できなくなる訳だが。
それでも良いと今は少し思う。震える思念に隣の机を無意識に強く弾き爪が痛くなる。
大きく揺れる視界が不愉快さを増幅させる。理由を正直に話したら声にでないくらい笑い転げられた。
思念だけが震えてそれを知らせている。こちらの意識も揺れる為、大声で笑い転げられるより頭に来るものがある。
〈かっ、仮にも勇者候補が、閉め、閉め出されるとか……〉
「仮なんですからしょうがないじゃないですか。閉め出されるじゃなくて覚えて貰ってないだけですよ」
叫びそうになる口を噛み、肩を怒らせるに留める。
結果的に閉め出されている状態になっているだけで、断じて隔離されているんじゃない。
〈似たようなモンだろ。あははは。あーー可笑しい〉
放っておけば転げ落ちて床を叩きそうなコウモリを眺め、口元が引きつる。
「よくもそう延々笑っていられますねぇ」
〈ぷく、ぷくくく。そんななっさけない理由なんて言われても納得なんて普通出来ないけどな〉
ええそうですね。でも私ならあり得るからあっさり納得したんですよね。
言われなくても分かってますそんなのは!
机を翼で叩き続けていたならへこみが出来るほどに笑い続けている。
胸の底より更に奥からむかむかならぬドロッとしたものが溢れそうになる。
私をからかって面白いんですか。というかこの人は私を怒らせたいのだろうか。
〈あははははは。流石(仮)勇者候補。想像を上回ってて。くく。腹が痛くなってきた〉
「そうですかー」
棒読みに声を吐き出して紛らわせようと努力するが、こめかみが引きつっているのが自覚できる。
いい加減に腹が立ってきた。
机の端から端まで前転して机を磨いていたコウモリの口の端に指をかけ、そのまま引っ張る。
〈い、いででで!?〉
これには不意を突かれたらしくバタバタと暴れ回る。
柔らかい。意外と伸びる。
ちょっと面白いのでもう少し引いてみる。
〈あいたたただ。こらお前やめ。いたたたた!?〉
外側がふさふさと肌触りよく、柔らかい。
伸びる伸びる。何処まで伸びるか気になってきた。
ちら、と目を合わせるとびくぅっと彼が身体を震わせる。
〈おま、こら。その目は何処まで伸びるかとかそんな恐ろしい事考えてるな!?
止めろ。そう言う実験みたいな事して俺を弄ぶな!!〉
もてあそぶって凄い言われようだ。外れてもいないけれど。
妙に勘が鋭い。前にも似たような体験をしたのだろうか。
していそうだなぁ。銀髪の兄姉を思い出し、しみじみとなる。
〈伸ばすなー〉
これだけ顔を歪めても声に影響がないところを見ると、思念は声帯や頬の状態の影響を受けないらしい。
可哀想なんだけど、お餅みたいで指を離すのが躊躇われる。
ふにふにしてて気持ちいい。もう少し触っていようかな。
「カリンちゃんなにしてるんだい」
邪念のせいか、伸びる頬に指が引っかかったか、掛けられたおばさんの声に声なき悲鳴を上げてもカルロの頬から指は外さなかった。
恐る恐る振り向くと驚きで見開かれた目が視界に飛び込む。
コウモリと喋っては居ないけどほっぺたを引き延ばして居るところを目撃された。
思考が数秒凍り付き、背筋がザッと冷えるのを感じた。
ど、どうしよう。目の前がぐるんぐるん回る。見慣れた彼女の姿が逆さまに映る。答えようとした言葉がパズルのピースのように散らばり纏まらない。
指の隙間からぱらぱらではなくざらざらと崩れ落ちていく。
パニック寸前。
ご、誤魔化さないと。
――どうやって。
現場は思い切り目撃されている。
コウモリの頬を引っ張っている間抜けな図だけど。現状笑い事ではない、城下ではある噂が飛び交っている。
夕刻に町の外れで娘達が頻繁に吸血鬼に攫われている。
そんな時期、吸血鬼が纏った別の貌である狼やコウモリも御法度だ。
「カリンちゃんそれ」
まだ陽が高い時刻だが、コウモリはコウモリ。言い逃れのしようもない。
驚いたような声に視線を彷徨わせる。
ただのコウモリならともかく、私の手元にいるのは正真正銘吸血鬼。
本気でまずい。どうしよう。ばれてしまう。
冷や汗を流して硬直する私の顔を、おばさんはしっかと見据え。
「なんだいその変な生き物は」
眉根を寄せながら首を傾げた。
予想外の質問に斜めに崩れ落ちそうになる。
「その、それ。ええ、そうですね、変ですよね。あは、ははは」
ばれるばれない以前の問題だった。
反論しようと口を開いたらしいカルロの頬を更に伸ばして止めておく。
指摘されて改めて変な生き物と評された彼を見る。
丸っこい体は灰色の毛玉みたいで、ふわふわした毛はヒナ鳥のよう。
羽は何とかコウモリについているものなんだけど、毛の固まりにそれがくっついた生き物は。
変身した本人には告げにくい事に、コウモリとはとても言えない。
カルロの変身ベタがこんな所で役に立つなんて。と感心して良いのか、ここまでかけ離れてるのもどうだろうと悩むべきか。
「で、でも可愛くないですか。お店の看板ペットにどうです」
口の端から指を外して机に乗せ、お勧めしてみた。混乱した私の暴挙にカルロの突っ込みは入らない。
抗議の前に自分の評価を正したいらしくぱたぱた羽を動かしている。
「やだねぇ、得体が知れないだろ。あまり触らないほうが良いよ」
手を振って却下される。
その瞬間、必死に身体を動かしていたコウモリがピタ、と止まり。崩れ落ちる。
初見の謎の生物を看板にする人もそう居ないか。看板になったらなったで大変な事になるけれど。
可愛いの部分に否定はない。
かわいいもんなぁ、フォルムとか。私の審美眼に問題があるわけではないと確認し、ホッとする。
机の上でショックを受けたらしき彼が白くなって転がっている。まともにコウモリ扱いされなかった上に可愛いと言われたから傷が深そうだ。
病原菌扱いが心に刺さったのか、ぺたんと倒れ込みそのうち灰になりそうでもある。
倒れ伏す姿は、端から見ると空気が抜けたボールのようだ。
「カリンちゃんはこういう生き物が好きなんだね」
「好きというか、動物は可愛いですよね」
聞こえていないとは思うが、一応傷が少なそうな方向に話を持っていく。
「動かないけど死んだのかね。だったら捨てておくよ」
いきなりひょいとカルロを爪先で摘み上げ、恐らくだが薪の方に持って行くのを引き留める。
「いえいえいえ! まだ死んでません。私が外に放しておきますっ」
危なく燃えるゴミとして処理されそうになっていた彼を引ったくるように奪い返す。
「あ、ああ。そうかい」
私の剣幕におばさんは目を瞬き、曖昧に頷く。ちょっと強引だったか。
けれど可燃物として持って行かれるのは非常に困る。
指先で持ち上げたコウモリは力無くプラプラと左右に揺れていた。こんなに乱暴に扱われてもまだ力つきたままらしい。
ある意味すごい。
ぺしぺしと頭を出来る限り優しく指で小突くとようやく復活したか、羽を蠢かせる。
〈はっ!? 今なんか恐ろしい目にあった気がする!!〉
そこまで感じていて何故目を開かないのだろう。実は気絶中無意識にそらせる危険を察知し、意識を落としているのではないだろうか。考え過ぎか。
縮こまる毛玉をそっと死角になる棚の影に置き、「そこで大人しくしててください」と掠めるように言葉を投げる。また捕まえられたら面倒になる。
置物のようにちょこんと座り込んだコウモリは静かに頷いたようだった。
止めていた手を動かそうとし、扉にかすかな影がかかった気がし指を伸ばすのをやめる。
何時まで待っても何の気配もない。勘違いかと思うと同時。軽い音を立てて扉が開かれた。
新しい風が暗い室内に入り込み、頬にかかっていた髪を乱暴に撫でる。
「済みません。まだ開店の準備中です」
逆光に目を細め、扉を開いた相手をみる。
外では強い風が吹いているのか、大きく開いた袖口がはためく。薄いベージュの生地はゆったりと余裕がある。
暗く短い銀の髪。ほぼ同色の瞳が凍り付いたようにこちらを見つめている。
私はその人を知っていた。
「フレイ、さ、ま」
彼女も知っているはずだった。だけど、口に出来たのは私だけ。思わず『さん』と言いそうになって途中で修正したため、ぎこちない問いかけになる。
彼の手元の紙袋が風を受け、耳障りな音を立てた。
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