十四章/居場所

 

 

 

  

「カリン、さん」
 慣れない敬称に一瞬言葉を詰まらせ、確認するように私を見る。ひどく驚いているようだ。
 ……それもそうか。攫われた人間が暢気に開店準備しているとは夢にも思わないだろう。
「なんだ。フレイさんか。どっちか迷っちゃったよ」
 明るいおばさんの声にフレイさんを見上げる。
 何時もの黒い法衣ではない、簡素な服。
 暗い銀の髪が吹き込む風に乱される。逆光で瞳の色はほとんど判別できない。
 だけど、分かる。彼はフレイさんだと。
 酷く漠然としているようで、確信にも似た考え。
「いらっしゃい。カリンちゃんが言ったと思うけどまだ準備中なんだよ。少し待っててもらえないかね」
 私が首を捻る前に、おばさんが口を開いた。
「いえ。早いと分かっていてお邪魔したんです。時間のかかる用事でもありません」
 弾かれたように彼が顔を上げ、首を振る。
 声は似ているけど、やっぱりシャイスさんではなかった。顔、声はそっくりなのに仕草だけでこんなにも印象が違う。それだけでは無く彼から受ける印象は城と違っていた。
 外ではこれで普通なのかおばさんは気にした風もない。
 城の中では笑ってふざけた言動が多い彼が外では落ち着いてマトモに見える。常識ある一般人のようだ。
 初っぱなから火薬庫行きますか? とか問いかけてきた人と同一人物に見えない。同じ人なのは分かってるけれど。
 道化のような城の言動、落ち着いた所作の今。
『本当に笑える人は居ないんですよ』
 今までの彼の言葉を総合するなら、道化は道化で。静かな現在の状態が本来の姿なのだろう。
 違うか。黙考してかぶりを振る。一瞬脳裏に悪魔の如く笑うフレイさんが見えた。
 あー、言い直そう。本来の姿なのではあろうが、あの愉快犯ぶりと分かってて人で遊ぶ悪趣味まで偽りのものには思えない。
 混ぜて半々か、城・6:今・4位が正しい配分じゃなかろうか。
 私と雇い主の感想は真逆のようだ。フレイさんを見る目が穏やかだ。
「何のご用かね、と。まずは入りなよ」
 促され、気がついたようにフレイさんが自分の肩で止まっていた扉に目をやり、「これは失礼しました」と苦笑気味に店に体を滑り込ませる。
 遅れて静かにドアが閉まる鈍い音。微かに暗くなった店内にランプが灯されていく。
 進み出た青年の体重に、年代ものと思われる床の木目が軋む。普段は気にしない小さな音が大きく響いた。
 同じ感想を抱いたのか、彼は足下に一瞬目を落とし、気を取りなおすように抱えていた袋をカウンターに持っていく。
 あれなんだろう。
 右隣にある長机に置かれた品を眺め、ほんのり疑問が掠める。
 大事そうに持っていたが、音からして重いものではなさそうだ。知的好奇心に背を押され、つま先立ちでそっと近寄っていく。
山ほどの知識を詰めさせられる為か異世界に来てから知識欲旺盛になった。平凡で変わらぬ日々を夢見るが、変わったものをみるとうずうずしてしまう。
 この癖早めに治した方がいいかもしれない。のちの平穏のために。
「城で試験的に作っていた薬草が出来たので持ってきたんです。確かご所望でしたよね」
 城で薬草?
 そんなのは初耳だ。目を丸くする私の前で巻き付けていた紐を解いて袋の口を弛めると薬草類独特の香りが広がる。
「この間言ったことを覚えててくれたのかい」
「交換にほかの薬を貰えるという事も覚えてます」
 ちゃっかりと告げてにこりと人畜無害そうな笑みを作る。金銭類で手を打とうと思っていたらしいおばさんが困ったように言葉を口内で転がすが、念を押すような笑みが加わる。
 約束ですよね、と言う笑顔。妙な威圧感のある沈黙にたまらず彼女は沈痛な息を吐き、
「分かってるよ。はあ」
 貴重品である薬草を仕舞った棚から袋を取り出した。
「城で栽培ですか? 持ってきても平気なんですか」
 ふと気が付いたような声音で問い、目で訴える。
 香辛料、ハーブ諸々貴重品の城から薬草なんて持ち出して問題が起きないのか不安だ。
 そう、不安もあるが、疑問が大幅を占める。どうして今まで作らなかったという大きな見過ごせない疑問が。
 そんな事が出来るのなら人の目を気にしながら業務用ハーブを買い込んで、わざわざ異世界から持ち込む必要がないではないか。
 フレイさんは私の恨みがましくなっていく視線を涼しげに受け流し、話を進めた。
「ええ。個人的に趣味と実益、研究実験をかねた産物なので」
 大丈夫と頷かれたが、どこから突っ込んだものか。
 趣味と実益は調合を専門としているフレイさんなら分かる。後ろの物騒そうな研究とか実験はなんだろう。
 私の考えていることが分かったらしく彼が手を振って安心して下さいと口を開く。
「魔術の実験ですよ。平和に育てるのにも手間暇かかりまして。個人的に秘密で庭を造りました」
 魔法で大工仕事でもしたとか。空中に舞う釘を想像する。フレイさんなら出来そうな、出来なさそうな。
 駄目だ、想像が追いつかない。
「そうなんですか。今度見せてください」
 考える事を早々に断念し、尋ねる。頭の中で描くより見た方が早い。秘密の庭が簡単に見せて貰えるかは問題だけど。
「構いませんよ」
 断られる事も覚悟したが、意外にあっさり許可を貰えた。
 彼の言葉を聞いて吐き出そうとした抗議をしぶしぶ飲み込む。
 秘密の庭、と言う事は大量生産はまだ無理な状態なんだろう。
 実験段階らしい上に魔法まで使っているから、一歩間違えれば私には想像も付かない現象が起こりそうだ。
 仕方ない。仕方はないけどとても残念だ。量産できるなら是非とも野菜を作ってもらいたかったのに。
 潤いのない食卓に差し掛けた一筋の光は瞬きする間もなく萎んでしまった。緑黄色野菜がお皿に載る日はまだまだ先らしい。
 むう、と唸る私を余所にその場で選んでいるとは思えない素早さでフレイさんは目当ての薬草類を取り出し、手元のものと交換する。
 滑るように動く指先を見つめ気がつく。
 数歩で詰められる距離までカウンターに近寄っていた。
 好奇心で覗き込むあまり足が進んでいたらしい。
 離れようと仰け反り、思い直す。ふらふら動き回っているフレイさんが珍しく一カ所にとどまっている、これは彼を観察するいい機会だ。
 気取られないよう慎重に相手の顔を眺める。
 フレイさん、シャイスさんに共通することだが精悍とはいえないほっそりとした顔の線。
 女性的かと問われれば首を傾げる。やや中性的な面立ち。
 じっくり確認して息を飲む。身近な人間の顔が意外と整っていることに驚いて。
 比較対照が悪かっただけで基本的に整っているのか。
 と言うことはシャイスさんもそうなんだ。
 一般人容姿仲間と認識していたのに、なんとなく裏切られた気分。それでも勇者候補と比べたら一般人寄りだけれど。
 しかし、とも思う。パーツの動かし方を変えるだけでこうも人間は変わって見えるのか。わずかな違いの積み重ねがフレイさんとシャイスさんなんだろう。
 フレイさんの城と今の変貌ぶりも使い分けの問題なんだろうかとも思う。けど所々の仕草は城にいるときと同じだ。根本はやはり一緒なのだろう。理解できないだけで。
 思う間に薬草の選別を終えたらしく、手慣れた様子で袋の口を縛り上げ、来た時と同じように胸元に抱え直す。
 その作業の一部だと言わんばかりの自然さで彼の唇が動いた。
「そういえばカリンさんはどうしてこちらに?」
 唐突とも思える切り出しに喉が鳴る。
 うっかりしてたけど、攫われた人間だった私。
 そうですね、聞きますよね。問いつめられますよね。
 良く今まで追求してこなかったと感心する。ちょっとマイペースなところあるからなぁ、フレイさん。
 不意打ちに表面上は慌てなかった自分を心で褒める。もうちょっとで変な悲鳴を上げるところだった。
「さっき裏でばったり会ってね。手伝わせてほしいって言うから……もしかして不味かったかい」
 不安そうに問われてフレイさんが首を横に振る。
「いえ。ですが、皆さん心配していましたからもう戻らないと」
 ね、と優しげに髪を揺らす彼の目からは何の感情も掬い出せない。せめて怒ってるかどうかは知りたいところだ。
 動揺が顔に滲む位であれば多少なりともやりやすい。にこにこと微笑む彼の先回りも出来ず曖昧に微笑んで誤魔化してみる。
 彼の表情は穏やかなまま。効果は期待できそうにもない。
「戻る? 帰ってないのかい」
「ええ、半日位は」
 さらりとした返答に声もなく驚くおばさんに、反論できず目線を泳がせてみる。
 そこまで正直に言わなくても良いのに。
「遠出して少しだけ迷子になっていまして」
 重苦しい空気に嘘とも言えない答えを口に出す。
 遠出は遠出。放り込まれた洞窟と森で迷いもした。嘘は付いてない。
 脚色が大幅に入っただけで。
「半日も、外に行ってたのかい!?」
「それも良く分からない位迷っちゃいまして」
「しっかりしてると思ったら、危なっかしいんだねぇ。
 じゃあ、城に行かないと駄目じゃないか」
 頬に手を当て呆れられる。
「そう言う事で、用事も済みましたし彼女を連れて行っても構いませんね」
 やんわりとしているが、否とは言わせぬ口調で言い切る。
「人手不足でもなかったし、構わないよ」
 おばさんは溜め息を小さく漏らして広げてあった薬草を纏め、元の場所に仕舞う。
 その姿を眺めながら、フレイさんが何かを思い出したかのようにぽん、と手を打った。
「そう言えば今度また栽培を試すつもりですけれど、次の交換も薬草が良いですね」
「かんべんしとくれ。こないだの魔物騒ぎで物流が止まりがちだから在庫が余り無いんだよ。せめて本にしてくれないかね」
 店を出る前に値切り合戦が始まりそうだ。と思う前にもう始まっている。
 二人笑顔のまま交換条件を持ちかける。傍目では和やかな雰囲気にも見えるが背後に炎のようなものが見えた。
 圧迫感を感じる迫力に思わず背を逸らして逃げたくなる。
〈おい〉 
 不意に声を掛けられ、身体ごと振り返ろうとして踏みとどまった。
 動きに気が付かれないように、そうっと顔を向けると精一杯躰を縦に伸ばし、コウモリは金色の瞳で見つめてきた。
〈もう迎えも来たみたいだし俺は帰るぞ〉
 話し込む二人を見ながら首を縦に振る。フレイさんもいるから護衛は必要ないだろう。
 時折耳に入るフレイさんの話を考えると恐らくシャイスさんより強いはずだ。
 ある種平和な会話に疲れたのか、カルロの目が半眼になっている。心配して損したと言いたげな眼差しが肌に刺さる。
 気持ちは理解できるが、私のせいじゃないとおもいます。あの交渉風景。
 やたらと分かりやすく深々と溜息を吐き出す仕草をして、思念に言葉を載せる。
〈日焼け止め貰ってくからな。あと〉 
 まん丸の身体が震え、羽を広げる。気配を断つのには慣れているのか、ほぼ無音のまま浮き上がり、薄く開いた窓に降り立つ。
 言葉を切ってしばらく迷うように隙間から漏れる光と私を交互に見る。
 不思議に思って目線を合わせ続けたら、ぷいっと顔を逸らされた。何がしたいんだろう。
 数拍間を置き、だんまりを決め込んでいたカルロが唇を薄く開ける。
〈……またな〉
 顔を僅かに逸らしたままそれだけ言い残すと、灰色のコウモリは窓の切れ目から綿毛のようにひらりと掻き消えた。
 慌てて覗き込んでも姿は見えない。さよならを言いそびれ、口の中がもどかしい。
「カリンさん。それでは行きましょう」
 呼ばれて振り向けば。激しい攻防の末、次の交渉を取り付けたらしきフレイさんが機嫌が良さそうに微笑み。対照的におばさんは棚の前で項垂れた。
 凄い落ち込みぶりだ、今にも地へ沈み込みそう。余程不利な条件で頷かされたに違いあるまい。
 店番をしている時、フレイさんと交渉するのは止めた方が良さそうだと心に刻む。
「あ、はい」

 ――またな。か。
 次はきちんと言えばいい。大きく頷き、開いた窓を静かに閉めた。

 

 

 

 

 

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