十四章/居場所

 

 

 

  


 アニスさんを見送った後、恐怖は過ぎたかに見えた。
 だが、私は甘かったらしい。戦慄どころではない現実に危うく悲鳴を上げそうになり自分の口を塞ぐ。
「…………」
 見間違いだ。きっと見間違いだ。ここにいるわけがない! 幻で見間違いで疲れが見せた幻影だ。
 震える身体に活を入れ、そっと表通りの脇道から通りを伺う。
 風になびく銀の髪が見えた。長さは腰までない……体型も女じゃ、ない。
 僅かに見えた瞳は、目の覚めるような緑。翡翠の瞳。

 なんでどうしてアベルがここにーーー!?

 胸の内で絶叫し、裏道に避難しながら半泣きでうずくまる。
 嫌われていたはずだ。私は嫌われていたはずなのに、なんで捜索している感じなのですか。
 世は無情だ。なんだろうこの死刑執行直前みたいな絶望感。
『はぁ』
 相手は魔物より怖い勇者候補。なんでもない溜息にビクリとなる。
 お、落ち着こう。不思議そうに瞬きしているカルロの袖を握りしめ、息を整える。
 アニスさんでも危ないのにアベルになんて見つかったら冗談抜きでカルロが殺される。
 相手は「何となく気に入らない」「危険分子は消す」といった理由で口を開かせず一刀両断する生物だ。見つかってはならない。
 もしかしたら私まで斬られるかも知れない。さっさとアニスさんに見つかっておけば良かった。
 というかプラチナ、アベルをどうやって説得したんですか。もしかして手伝わないと食事抜き宣言でも突きつけたんだろうか。ありそうで怖い。
 探しに来ているのがシャイスさんだったら何とか誤魔化せるのに。勇者候補の目を盗むのは難しい。アベルなんて最難関だ。
 今だってアベルが居ると夢にも思わず無防備だったから気配を上手く殺せているかどうか……ん? 自問自答してハッとなる。
 気配を消す努力なんて何時も無駄だった。アベルは勇者候補だから、その気にならなくてもあっさり人の気配を察知する。
 面倒臭そうにぶらぶらしている姿は私やカルロを見つけた風でもない。
 捜索が本当にやりたくないらしい。気配を悟れるのに全然気が付かれてないと言う事は、見つける気が皆無という事だ。
 それはそれで少し寂しいけどチャンスだ。
 アベルの危険性に全く気付いていないカルロが首を傾げているが無視。
 なんとなくでも気が付かれない内に奥に急ごう。
 慣れない通路を小走りで抜け、見知った店の看板を探す。えーと、こっちも違う。あっちかな。
「なあ、何してるんだ。知り合いだろさっきのねーちゃんと男」
「前者は知り合いですが後者は顔見知りなだけという冷えた関係です」
 こんな時でもアベルとの仲について即反応してしまう自分が恨めしい。
 助けて貰った事はあるんだけど、やっぱり仲が良いわけでもないしなぁ。
 頑張って仲良くしようとしたら何故か喧嘩になってしまうので諦めた。触らぬ神に祟り無し。
「ふーん。ああいう男が好みか」
 冷たい眼差しにぶんぶんぶんと首を力一杯振っておく。
 あり得ない。冗談でも無い。お断りです。
 何でみんなして私にアベルを薦めたがるんだろう。
「……でも美形の括りだろ」
「アベルよりは――」
 あなたがマシです! と言いかけて考え直す。カルロなら本気にして何をしようとするか分からない。
「さっきの女の人、アニスさんが千倍マシです」
「オイなんだ今の間は。俺じゃ駄目なのかどうせ美形じゃないモンな」
 あ。落ち込んだ。
「どうせ兄姉より劣るし。誰にも見向きされないよ。ことごとく負けるしな」
 しかも自ら墓穴を掘っている。
 自分の言葉で更に傷つき底に沈む。素晴らしいまでの悪循環。
 何やってるんだこの人は。多少期待がありそうな所残念だけど慰めている暇もフォローを入れる余裕もない。
 城下に降りた時に僅かに覚えた家の裏道を縫いながら前に進む。一刻も早く引き離さなければ。
 遠回りしながらも距離を稼ぐ。
「お、おい。ちょっと、何処まで行くんだ。何で俺達は荷物乗り越えて歩いてるんだよ」
 積み上がった木箱の三段目に手を掛けたところで早くもバテはじめた吸血鬼が弱々しい声を出す。
 前日の傷が尾を引いて、では無く単なる運動不足らしい。ゼエゼエと肩で息をしている。
「安全な通路を確保してるんです。私が知ってる限り人に見つからない場所はこの辺りですし」
 普段飛んでばかりで歩かないんだろうなぁ、と眺め口を開く。人型ならもう少し脚力も付けたほうが良いと思います。
「幾つ障害物があるんだ、よっ」
 呼気を吐き出してカルロが木箱を乗り越え、幾分遠のいた私の側まで一気に飛び降りる。
 音はあまり立たず。転ぶ素振りすらない。運動神経良いのか羨ましい。うう、羨ましい。
 未だに顔面から着地する率が高めな私は心で唸った。
「日によって場所違いますし。ここに住む人達の日々の努力の賜ですから結構多いですよね」
 手近にあった樽に掌を置いてよじ登る。うえ、とか嫌そうな呻きが聞こえたが無視。
 思い出すなぁ。雑貨屋では店の品物を外に綺麗に整えて積むのが一番重要な仕事だった。
 たまーにマインが崩していったけど。勿論手伝わせた。
 ピラミッド状に組まれた樽の二段目に指を伸ばし、がくっと身体が後方に反り返る。
 喉元が背中に引き寄せられていくような勢い。と考える間もなく「うぶぐっ」妙な声を上げて仰け反るハメになった。
 カルロが不安定な足場の私を、あろう事か襟首を引っ掴んで引き止めてくれたらしい。
 薄く視界に霧が掛かり、苦しい。今、きゅっと締まった。冗談ではなく!
 抗議の前に反射的に目前の樽に抱きついた。恐らく端から見れば猿か潰れかけたカエル。
 必死に掴んだまま心で膝をつく。絶対知り合いには見られたくない。賀上君に見られた日には、ここではない異世界に旅立ちそうだ。
 静かに落ち込んでいると、ぐっと襟元が更に絞られ、視界が狭くなる。横目で見ると、剣呑な眼差しでくいくいと襟を引き、不満そうに唇を尖らせる彼が横に立っていた。
 これ以上絞められたら落ちる。意識が消えるんで止めて下さい。
「さっきから聞きたかったんだけどな。何で逃げるんだ何で!」
 気道を確保する前に渾身の力で大声でまくし立て始めたカルロの口に鞄を押し込む。
 息苦しさで緩んだ指を首を振って解き、外そうとした鞄を再度詰め直し、カルロを睨み付ける。
「しーっ。見つかると厄介なんですよ。さっき、カルロと同じ位の見た目の人居ましたよね」
 遠くと言ってもそれ程距離はない。叫ばれれば今までの努力が気泡と化してしまう。
「んぐ、おう」
 口を塞いでいた鞄を剥がし、こちらの気も知らずに素直にこっくり頷く彼。
 はー、静かになった。
 少し考え、また騒がれても厄介なので重要な事は告げる事にする。
 重々しく話すものでもないので簡潔にいく。
「怪しかったら私ごとざっくりいかれます」
「…………」
 空いた左手で縦に空気を裂いてみせる。数拍ほど頭上から濃厚なコンクリートを掛けられたようにカルロが固まった。
「基本容赦ないので」
 瞬きもない事に不安を覚えつつ更に付け加える。幾ら何でもショック死してない、よね。
 十秒ほど硬直していた彼がゴギ、とでも音がしそうな程無機物的な動きで今来た方を見、
「帰るか。地下に」
 まだ硬化が解けていない無表情な顔で一つ頷きこちらの腕を取ろうとする。
 地下って、いや。その前に私も!?
 引き寄せられぐらりと身体が傾ぐ。
 地面に落ちるのを防ぐ目的だった樽にしがみつき、連れて行かれないように力を込めつつ、片手を広げて相手の緊張をほぐす。
「他の人は、大丈夫ですよ。私だけなら」
 きっと。
 絶対と言えないのがつらいところだ。
「何でぎこちないんだよ」
「この先に雑貨屋がありますから、その辺りで適当に誤魔化しましょう」
 力が緩んだ隙を見計らい、樽の向こう側にすり抜けて場を濁す。
 腕が離れてすぐ気が付いたかカルロは何か言いたそうに口を動かし、すぐに樽を跨いで来た。


 要するに第一発見者が勇者候補でなければ後が楽になる。
雇い主でもあるおばさんに会って、偶然を装い城の関係者に接触。殆ど賭だ。後は野となれ山となれ。
 (仮)勇者候補と言うよりも、城に忍び込む間者みたいで泣けてくる。堂々と正門から入りたかったなぁ。
 


 

 

 

 

 

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