十四章/居場所

 

 

 

  


 幾つも積まれた荷を乗り越えると、裏道とはいえかなり身体に馴染んだ景色が辺りに溢れる。
 目的地は近い。が、流石に知らない男の人と一緒に行くのは不味いような。
 あの店にはシャイスさんだけではなくフレイさんも。時にはマインも来るのだし。
 尾ひれとかが付いた変な噂が流れても困る。
 自然と視線がカルロの背に行く。
 ……彼は吸血鬼。人外。
 コウモリの時にあった羽も今はない。
「唐突なんですが今コウモリになれます?」
「ほんとに唐突だなオイ」
 走り回るのに疲れたか、今にも噛み付きそうな返答だ。
 否定は無し。
「それは良かったです」
 なるほど。出来るんだ。
 彼の言葉を吟味しつつ、平和に笑顔を作る。
 スマイル0円。
 日差しに眼を細め、
「なれとか言うんじゃないだろうな。大体俺はこっちの姿が本体だぞ。コウモリはただの移動用の姿だ」
 額の汗を手の甲で拭うと、その時の姿を思い出したか忌々しそうに唸る。
「そう言えば変身とかは苦手でしたっけ。今すぐは無理ですよね」
 こちらを睨み付けていたカルロが微かにまなじりをつり上げる。
「知り合いが多いから人型だと危ないんですけど。仕方ないです」
「出来ないとは言ってない」
 ほう、と息を吐いて見せると先ほどよりも更に不機嫌そうな声が返ってきた。
「いえ、良いんです無理しなくても。分かってます。大丈夫ですから」
 深く頷いて灰色の瞳をじっと見つめる。みるみるうちに彼の頬が膨れていく。
「何だその憐憫の眼差しは。嘘じゃないぞ!」
「他の方法を考えましょう」
「聞いてないだろ」
 聞こえていたが優しく微笑んで首をゆっくり左右に振って見せた。
 かちーん。と彼の頭の中で何かが鳴ったかは分からないが、明らかにムッとした顔になる。
 予想通りの反応に心で拳を握る。上手く行った。
 心が多少痛むが、コウモリになってもらわないと都合が悪い。私が変身後の姿が好きだというのがあるのは、否定しない。
 ごめんなさいカルロ。だけどあっちの姿が好きなんです。可愛いから!
 本人には言えない謝罪を胸の内で吐き出す。
 恐らく告げれば数時間程立ち直れないに違いない。
「よ、よし。じゅ……じゃなくて、にじゅ、うう、二十五数えるまでにはコウモリになってやる!」
 何やら葛藤した後、宣言する。
「ずいぶん半端な数字が出ましたね」
 瞳の変化時間を考えれば破格だが思わず疑問が口を突く。何故二十五。
「ぐ」
 私の指摘につ、と汗を流し苦悶の呻きを発する。
 何ですかその反応。
 視線を合わせたままにしていると、唇を数度軽く噛み。
 キッと真剣な顔になる。
「じゅ、十は無理だけどな。二十はその、出来そうと言うか、出来そうにないと言うか」
 どっちですか。
 心を奮い立たせたらしいが、言葉の後半がヘナヘナとしぼんでいく。
「けど三十なんて情けないし、何とか二十五なら!」
 顔を朱に染め両の拳を握る。よく分からないけど、つまり……変化に掛かる時間が長いと恥ずかしいって事だろうか。
 やんわり受け流そうかと考え、思い直す。
 人間の私には理解不能だが、吸血鬼的には重要な事柄かもしれない。うかつな返答は厳禁だ。
 しばし黙したまま考え込む。私は器用でもないし、口がうまい方でもない。ありったけの知識を総動員しても大した言葉は思いつかなかった。
 なおも口を開こうとしていた彼を目で制し、微笑んでみせる。
「カルロ。私はここの常識とか全部白紙です。
 だから、気負わなくてもいいんです。成功も失敗も基準も全部私の前では無いも同然だから」
 下手な飾りは捨てて、私だけの言葉を返す。それが自分に出来る一番のこと。
 嘘はない。彼らの変化の基準が分からないのはホントだし、成功も失敗も言われないと気がつかない。
 ぼうっと彼が瞳を瞬く。もしかして率直すぎただろうか。変身しても張り合いがない、と思われたとか。
「お前、変なの」
 ようやく呟かれた言葉に眉を寄せる。
「何ですかその言い草は」
 こちらとしては出来る限り誠実な対応をとったつもりだが、その反応が『変』とはあんまりではないか。
 じとりと眺めるとカルロがはっとしたように慌て始める。
「悪い意味じゃないぞ。ただ、その。面白いヤツだなーとかそんな感じの誉め言葉だからな」
 フォローしてるところ悪いが、誉められている気が全くしない。
 焦り方をみる限りでは、悪意はないことだけは分かるけれど。
「いいです。もう」
 少し長い息を吐き出すと彼がますます慌てた。
 追求する気はないんだけど。気持ちは嬉しいがそうあからさまに慌てられると他に悪い意味も含まれていたんじゃないかと邪推してしまう。
 問おうかと迷い、自分の疑心暗鬼にも似た考えを頭を振る事で追い出す事にする。
 下手につついている間にヘビならぬ勇者候補が出て来ても面倒だ。
「早朝とは言え人がきたらややこしくなります。早くコウモリになっちゃってください」
「すぐにか!?」
「今すぐお願いします」
 鋭く放たれた私の一言に焦りを飲んで困惑の表情になる。薄く開いた唇から白い牙が見えた。
 何度か周囲を確認し、躊躇うように襟元に下がった黒いリボンを指に絡める。
「問題でも?」
「問題ってか。問題は問題だけど。えぇと」
 なかなか実行に移さないカルロをみて不安が鎌首を持ち上げた。
 実は儀式とか、材料が必要だとか。場所に不都合があるとか。はたまた、変化には時間帯が限定されているなんて事も。
「後ろ、向いててくれないかなぁ、と」
 ぐんぐん悪い方に想像を傾かせていたら、カルロが恥ずかしそうに瞳を伏せた。
 追いつけなかった思考が一拍停止する。
 うし、ろ?
「は?」
 虚を突かれ、思わず口を開いたまま尋ねてしまう。
「見られてるとやりにくいんだよ。振り向くなよ。見るなよ!?」
 おずおずとした先ほどの台詞が幻聴だったかのように元の命令口調に戻っている。
 なんだか必死だ。
「服でも脱ぐんですか?」
「違う。いちいち脱ぐか! いいからこっち向くな」
 その反応が水浴び直前の女の子みたいなんですが、とは言えず口を噤む。
「何時もはどうやってコウモリになるんです?」
「どうって」
 唇を尖らせるカルロを刺激しないよう尋ねる。
「見えないところでやるんですか」
「大体はそうだな」
 何故そんなにこそこそと。そこまで見られたくないのだろうか。
「ニーノさんと一緒の時も?」
「何でそこで兄貴の話が……まあ、ええと。そんなのどうでもいいだろ」
 逡巡した様子だが、強引に話を切られる。 
 でも、うんとは言わなかった。と言うことは、ニーノさんの前では変化したことがあるのか。
いや、力関係を考えたら抵抗しても強引にその場でコウモリになれとか言われそうだけど。
「ゴタゴタ抜かさずにこっち見ないで固まってろ。
 ニンゲンが来ると困るんだろうが」
 そうなんだけど、私だけの問題ではなくあなたの身に危険が及ぶというか。はあ、説明するだけ疲れそうだ。
 諦めて言われた通り背中を向ける。
「うむ、それで良し」
 満足そうに頷く気配に、なんとなく釈然としないものを感じるが気のせいだ。きっと。
 このまま三十数えるまでにはカルロはコウモリになる。
 コウモリに。
 どうやってなるんだろう。
 不安の代わりに今度は好奇心が湧き出てきた。
 私より身長の高い彼が、掌サイズの小動物に変化する。
 どんな風に。あの体積がどういう理屈で。
 なんだか、駄目だと言われた分覗きたくなってくる。
 これは言い訳か。きっと、見て良いよと告げられても好奇心は潰せないだろう。
 もうすぐ十秒。
 うううう、見たい。見ちゃダメ。けどでもどうしても見たい!
 目を瞑って堪えても、誘惑がすぐ襲ってくる。
 ああやっぱりもう駄目。ごめんなさいカルロ。
 許してもらえないだろうけど取り敢えず心で謝っておく。
 ぎゅっと瞼を閉じたままゆっくり振り向き、ぶわりと頬を撫でた風を合図に瞳を開く。
 何かに触れられたような違和感。感触をなぞるように頬に手を当て、眼前の光景に息を飲む。
 視界に飛び込んできたのは朝焼けを彷彿とさせるような薄い闇だった。
 


 

 

 

 

 

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