十三章/なりゆき生贄

 

 

 

  



 うううう。手にコウモリを載せているし、肩を抱くのはこらえているが、濡れた髪と服がピッタリ貼り付いて寒い。
 よく考えなくともこうなるのは当然。
 べた付く濃霧は放り込まれたときより更に濃くなっていて、辺りも見えない。
〈おーい。大丈夫か、震えてるぞ〉
 問われてぼうっとなりかけた意識が戻る。気が付けばかじかんで歯がカチカチと音を立てていた。
「は、はい。えと……コウモリさんは良く平気ですね。私より小さいのに」
〈人間はひ弱でいけないねぇ〉
 笑い声を交えて溜息一つされる。この世界のコウモリは丈夫だな。
 コウモリと言えば、羽どうなんだろう。折れているのはもう後回しとして。
「はは、濡れたから仕方ないと言えば仕方ないですね、羽は大丈夫ですか。水とか」
〈――呆れた。お前アホだろ〉
 率直すぎる意見にショックを受ける。
「ひ、ひどっ。私は真面目に心配してるんですよ!?」
 あんなに羽を大事にしてたから気になっていたのに。
〈凍えている人間が羽って言うかなぁ、普通〉
「普通ですよ。普通!」
 一般人ですよ。たぶん、きっと、まだ。
 最近言い返せなくなりそうなので、怖いのだ。だって、確実に私は変わりつつある。
 変わっている。前は出来ない事が出来て、策士にはなれなくても近い事は出来る。
 自分が嫌いになりそうなのに、生き残る為に何でもしてしまう、この世界で生きると決めてから。
〈お人好しめ〉
「投げ飛ばしますよ」
 流石にむかっと来るので両手に乗せている彼を包む。
 お人好しは分かってますよ、魔物の子供を庇うくらいですし。
〈いや、投げないで下さい〉
 身の危険を感じたか、とたんに敬語に変わった。
 継いでごう、と身体が吹き飛ばされるような衝撃を頭に喰らう。
 一瞬立場逆転しているのかと思うほどだ。動揺しまくっているのは分かるが、痛いというか倒れそうになるんですがその過剰反応。
「……出られたは良いですけど。これじゃあ何処に行けばいいのやら」
 本当に投げるつもりはないので包んだ掌の力を抜く事で教える。
 思念が少し揺れた。ほっとしても揺れるのか。不便な会話。
〈…………あっちに銀髪のが居るだろ。そーっとついていけばいい〉
 あっちと言われても困る。ただでさえ見通しが悪いのに、心の中で文句を言いながら辺りを見回す。
 確かに居た。黒い服を身に纏った、長い銀髪の人が。霧でも光って見えるのでかなり艶やかな髪だろう。
 ふと疑問に思って尋ねる。
「なぜそっと」
〈尾行、尾行。そいつの家にちょっと訪ねていけばいい〉
 妙に真剣な声。
 浮気調査している訳でも後ろ暗い事もないのに何で後をつけないといけないのだろう。
「素直に頼みませんか」
 眉を寄せ、掌に載せたコウモリに尋ねる。
〈あ、行った。早く追いかけろ〉
 半乾きの身体を震わせ、びし、と翼が私の右側を示す。
「…………わかりましたよ」
 声に慌てて振り向くと確かに人影が霧に混じるように消えそうになっていた。
 流石に居なくなられるのは困る、口論している場合ではない。
 慌てて音を立てないように近寄っていく。反対していたのに何故か私は足音を忍ばせていた。
「遠目ですけど男の人ですかね」
 我ながら乗せられやすいというか、何というか。と考えつつそーっと見る。
〈だな。みりゃわかる〉
 見れば分かるんだ。瞳を細めたり、顔を出来るだけ寄せるようにしていても相手の体格と辛うじて見える服装で長身の男性かな、と思うだけ。
「霧が濃いのでよく分からないですよ。見えるんですね」
〈何となく、匂いでピンと〉
 匂いで? 不審に思い、掌に視線を落とす。
 どん、とあぐらを掻いたようなただへたり込んでいるような姿勢でコウモリが腕組みらしきものをしている。
 初めて出会ったときの態度、服に放り込んだときの不思議そうな声を思い出す。
「私のこと初め女と思ってなかった感じですが」
〈男専門の嗅覚だ〉
 呻き混じりの答え。
 男専門って。なんだかなぁ。
「何か嫌ですねそれは」
 本人もそう思ったのか、それとも別の理由か。反論はなかった。
「良く分かんないですけど、綺麗な人みたいですねー」
 大分側に近寄って、おーと声を漏らしかける。
 凛と伸ばされた背筋はプラチナを思い起こさせるのに、僅かに隙があって緊張しない。
 時折跳ねる髪が霧の中で輝く。
〈見えないのにかぁ?〉
「何となく背丈とか物腰とか、髪とかが綺麗じゃないですか」
 呆れと疑惑の混じった声で下げていた掌に視線を落とした。
〈……ひとは見かけで決まらないだろうよぅ〉
 何故そこで拗ねる。外見的差別でも受けたのかこのコウモリさん。
 こっそり更に近寄って。茂みの側、その人の顔が見えそうな程まで接近し、溜息が漏れた。
〈どうした〉
 どうしたも何も。
「う、凄い格好良い、人……ですね」
 思わず尻込みしながら答える。
 勇者候補で多少免疫が付いていたけれど、この年代は居なかった。
 まだぼやけては居たけれど輪郭と、オーラのような異様な感覚が彼の姿を肌に叩きつけた。
 霧で見え隠れしていたその人は、凄まじい美青年だった。声を掛けられるか自信が無くなる。
 曇りガラス越しのようなのでこれだ。会って固まらないだろうか、私。
 確信出来る。あの人はとてつもなく格好いい人だ。
〈趣味悪っ!〉
 なのに、否定された。かなりの剣幕で。
「何でですか、凄い美形ですよ。色々差し引いても」
〈……だけど悪趣味ー。悪趣味ー〉
 べっちべっちと私の手を羽で叩きながらぶうたれる。羽痛くないのだろうか。
「何か思うところでもおありなんですか」
 視線を向けたまま尋ねるとぷい、とそっぽを向いた。
〈べーつーにー〉
「疑わしすぎます」
 声に色々含みすぎている。
〈ああいうのは腹黒いぞ。闇より濃いぞ。
 血があっても凍った上にドロンドロンなまっくろくろなんだぞ。趣味悪い〉
 翼をばっと広げ、朗々と語ってくれるが、なんか個人的な思いや妬みが強く感じられる。
「偏見混じりまくっている気もしますが、あのような人が嫌いだというのはよく分かりました」
〈嘘じゃないったら!〉
 叫ぶのは良いんですが、べしべしべしと人の手を叩くのは止めて下さい。
「あー、はいはい。あの方のおうちにお邪魔しながらじっくり聞きますよ」
 まるで駄々をこねる子供だと思いながら視線を元の位置に戻した。
〈人は見かけじゃないんだからなぁっ!!〉
 なんだか涙の中に血が混じっていそうな叫びを上げる。
 つい最近かなり外見差別を受けた模様だ。可哀想なので目を向ける。
「そうですね、実例は山ほど見たのでその辺は大丈夫です。コウモリも見かけで判断したりしません。
 コウモリさん可愛いので自信を持って下さい」
〈……そ、そうか。可愛いと思うのか。かっこ……いいじゃなく〉
 それはかなり無謀な質問です。何で自ら自爆しに来るんだろう。
「格好良いと言われた事あるんでしたら、ちょっと反論を聞きますが」
〈ぐぅ……かわいいってそれも〉
 やはり言われた事がないらしく、もじもじ俯くコウモリさん。
「まあ、褒め言葉ですよ。良い感じで捉えて下さい。
 モコモコしてて可愛いですよ」
 ふわっとした毛が撫で回したくなる。翼を隠した状態だとペンギンのひなか灰色の大きなひよこに見えた。
〈モコ。やっぱりスマートじゃないんだな〉
 私の台詞にうめく。うん、千歩ほど譲ってもシャープな感じではない。
「それでスマートだったら驚きですけど、丸っこくて私は好きですけどね」
〈……ううう〉
 なんか泣いているが取り敢えず目的の人物に注目する。
 余り動かなかったのか、見失うほどのは距離には居なかった。
 うっ。
 目にした光景にもの凄い違和感を感じて心で呻く。
 霧の中に色とりどりに傘を開いた斑点の入ったキノコ達が階段状に連なっている。
 大方が赤い。毒キノコと言われればそうなのだけど、なんかメルヘンチックだ。
 その中に、ぽつんと佇む銀髪の美青年。なんか、変。
 腰掛けるほど大きなキノコもあればマッシュルームのような大きさのキノコもある。
 色は、とてもカラフル。迷うことなく彼はその一つに近寄った。
 オレンジ色の斑点の入った掌で包めるほどのマッシュルーム状な可愛らしいキノコだ。
 わぁ可愛い、と思っていたら。彼は躊躇いなくそれを踏みつぶした。
「…………」
 脳が拒絶反応を起こして視界が真っ白く染まった。あまりの事に声も上げられない。
 ふ、ふふふ踏んだ!?
 しかも確認するように足元を見る。完全に踏みつぶしてしまったのか隙間もないくらい靴裏はくっついてしまっている。
 あの可愛らしいキノコを思いっきり踏んだ!
 と、私がショックを受けていると不意に景色が変わった。ぶれるような違和感。
 それは一瞬の事で、何が起きたのかよく分からない。ただ確実に分かったのは、青年の佇む前方の地面が奇妙なほど盛り上がり始めた事だ。
 地面をやすやすと持ち上げて、それはにょっきりと姿を現した。
 赤い斑点の傘。白に薄く混じる茶の柱。とんでもない大きさのキノコが突如生えた。
 思わず自分の顎が外れていないか確認してしまう。だ、大丈夫。
 驚くこちらはお構いなしに彼は柱の側に手を付けて引く。と、扉。
 黒ずんだ部分があったけど土の汚れだと思っていた。扉だったのか。
 ぱた、と軽い音を立てて閉まる。い、家……ってここかな。ここだよねぇ。
 まるきり小人が住んでいそうな外観だけど。
 小屋程度のキノコは、まあ、小人が住むには大きすぎるか。
 と、取り敢えずお尋ねしなければ。ここはどこですかとか、ちょっと休ませて下さいとか。
 一歩踏み出すと、ポフンと軽い音を立ててキノコが縮み、地面に潜る。
「えぇぇっ!?」
 流石に悲鳴を上げてしまった。な、中の人無事!?
〈ほれ、ちゃっちゃと真似して入れ〉
「まねって、えっとキノコを踏むんですか」
 びしりと羽で示されて腰が引ける。踏むのはちょっと遠慮したい。
〈ありゃキノコに見せかけたスイッチだよ。踏めば……家が出てくる仕組みだと思うぞ〉
 完全にメルヘンだ。私が見た中で一番可愛いファンタジーかも知れない。
 静かにキノコに近寄って、心の中で謝ってから思い切り踏みつける。
 かこん、と音がした。通常のキノコではあり得ない硬い感触。
 ずぼぉっと空気を震わせ、音を立てるようにまた巨大キノコが現れた。
 時間制限があるのかも知れないので慌てて側により、扉に手を掛けて。少し迷った。
 ええと。人の家だし。
〈どしたんだよ、がばっと開けよ〉
 コウモリさんはこう言ってるけど、む、と口元に手を当ててからすうと息を吸い込み。
 軽く曲げた指で扉を軽く叩いた。
「すいません、お邪魔して宜しいでしょうか」
〈おおい!? おま、なにやってるんだよ。普通に入れよ〉
「礼儀は必要かと思いまして」
 我ながらこの状況でどうかとも思うんだけど、いきなり入り込むのは駄目だろうとも考えた。
「おやおや、ふふ。珍しい礼儀正しいお客様。
 どうぞ、開いてますからそのまま入って下さい」
 くすくすと笑い声がして少し顔が熱くなる。う、珍しいんですか。
 でもまあ、悪い事じゃないし、歓迎――して貰ってるらしい気がする。
「はい、ではお言葉に甘えます」
 冷たくかじかんだ指先で金色の丸いノブを握り、私は扉をそっと開く。
 片手に載せていたコウモリが何か拗ねたように丸まっているのを感じた。


 

 

 

 

 

inserted by FC2 system