十三章/なりゆき生贄

 

 

 

  


 あのコウモリさんはしばらく喚き、叫び。錯乱し。駄々をこねて、また拗ねた。
「もしもし、もしもーし」
 人の服の中でふて寝して居るであろう彼に声を掛けた。
 随分長い滑り台。鼓膜が風音で破れてしまいそうな気すらする。
〈なんだよぅ〉
 もう声は拗ねまくった子供である。元々思念の会話だから声は曖昧だった。
 若い男の人のようかなぁと私が思ったせいか。性格的に子供っぽいと思った為か。
 初めはボイスチェンジャーのようなキンキン声が、声変わりもしていない子供の声に変わって聞こえた。
 おかげでますます彼の仕草が子供じみて見える。
「まあ、落ち込まないで下さいよ。食べられて骨まで囓られるより良いじゃないですか」
〈骨は食べないだろよ流石に〉
 呆れたような思念に見えないと分かっていても思わず首を振ってしまう。
「いえ。囓り散らした跡がありましたが」
 ぴくりと頭をもたげた気配がする。
〈うげ。野蛮な奴ってこれだから……〉
 とかなんとか言ってくるりとまた丸まった。ぐちぐちと呟いている。
 羽が折れた姿からも察せるが、戦う事は苦手らしい。
 その口調で平和主義者なのかコウモリさん。
 自慢の羽に傷が付くのが嫌なだけかも知れないが。
「随分長いですね」
〈放り出されるから気をつけろ〉
 薄く光のようなものが見える。
 めんどくさそうな口調に眉を寄せた。
「放り出される?」
 強い光が見えたが、どことなく嫌な予感がした。
〈ああ。池の結構上に放り出されるからな〉
 普通に当たり前のように言う彼に。
「そう言う事は早くいってください!!」
 と叫ぶのと。筒から圧力ではじき出されるゴムボールのようにすぽーんと。
 そんな音がしそうな程勢いよく宙を舞ったのは同時だった。
〈あ。お前は羽がないか、人間だし〉
 呑気な台詞に、当たり前です! と再び突っ込みたかったが、身体が思いっきり回転して上下左右全く分からなくて目が回る。
 くるくる回る景色。
「ひ、ひあわぁぁぁぁ!?」 
 よく分からない悲鳴を上げ、私は誰も受け止めてくれないであろう地に落ちた。

 軽い衝撃と水音が、数秒後鈍く聞こえた。

 泳ぎは苦手だったから不安だったけど、背伸びすれば爪先が地面に着くほどの深さの池だった。
「げほがほっ。はぁはぁ……生きてますか死んでませんか!?」
 慌てて胸元から静かになった彼を取り出す。
〈な、なんとか。布と水で窒息するかと思った〉
 息も絶え絶えの思念。無機質なはずの思念なのに感情豊かで面白い。
〈ああ、もう一つ行きたくなかった理由があるんだけどな〉
「はい。羽よりは楽ですか」
〈羽が濡れるよりはマシかな。うん。ちょっと面倒な事あるな〉
 このコウモリさんの基準って羽。まあ、羽が濡れるより楽なら大したことでもないかと思いながら水上に持ち上げた手を掲げながら進む。
 うぶ。水がたまに口から入り込む。溺れないようにしないと。
「そうなんですか。何かあるんですかこの辺り」
〈この辺りというか、この池に肉食の魚が居てさー。めんどいよな〉
「…………」
 思わず沈黙する。
〈しかも人より大きくて。鱗もゴッツイ奴。アレ見るの嫌い〉
「っていうか濡れるより余程大事ですそれ!」
 なに悠長に語っているのだこのコウモリは! 普通に危険地帯じゃないですか。
〈何で?〉
 きょとーん、と訊ねてくる。あああ、平和ボケしてる声だ。
「私達の居る場所その池のど真ん中ですよ」
〈だな〉
 頷くのが掌の感触で分かる。
「食べられるじゃないですか」
 しばし思念が停止して。
〈……おお。まずいな〉
 がくん、と私の頭が殴られるような衝撃と共に驚きの声が上がる。
 だからその癖を止めろと言ってるのに。
「死にますよ。何で言わないんですかッ」
 顔を水面に付けつつも、懸命にコウモリは掲げたまま噎せ込む。
 人が苦労してるのにこのほ乳類は〜。
〈いや、いつもは飛ぶからついつい〉
 飛行生物め。
〈動きがノロイから急げばまだ平気だ〉
「分かってますよ、急ぎます! 短距離分かりますか!?」
〈確か、もうちょい左〉
 足下がぬかるんで歩きにくい。腕がつりそうだ。
「了解です。動きにくいので頭の上に乗ってられますか」
〈爪で頭刺してぶら下がって良いなら可能だぞ〉
 頭に刺さる鎌状の漆黒の爪を想像する。遠慮しよう。
「全力で頑張りますよ」
 ばしゃばしゃと私は音を立てて進んだ。
 
 陸まであと少しの所で、キラリと光るものが見えた。
 希望とかそう言う夢のあるものではなく。太陽光の反射でもない。
〈来た来た来たーーー急げーーー!〉
 ぱしゃりと水しぶきが近くで上がる。
 言われなくても!
 心で悲鳴を上げ、出来るだけ早く走る。
 水気を含んだ身体を跳ね上げて陸に転がるように這い上がる。
 そのままもう数度回転して、距離をとって息をつく。
〈……生き、れた〉
 陸の側で大きな魚影。力が抜けて、ぽとりと手からコウモリが落ち。
 鈍い悲鳴が少し響いた。
 動けなくて、冷たい身体のまましばらくそうしていた。



 

 

 

 

 

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