十三章/なりゆき生贄

 

 

 

  

 めるへんだ。
 輝虫ではないふわふわした光が天井辺りを舞い、キノコの内部なのに壁は完全な木製。
 暖炉の側に渋色のロッキングチェアーが置いてある。
 敷いてある赤い絨毯は毛足が長そう。地面に潜っているはずなのに可愛い円形の窓からは外の景色がよく見える。
 霧ではなく、青空。どこと繋がって居るんだここは。
 扉を開いて目にしたものは、もう絵本の世界だった。
 ぱたん、と後ろで扉が閉まる。入ったは良いものの、外観と中身のギャップが素晴らしすぎて動けない。
 奥まで行ってないけれど、完全に小屋一つでは収まらない広さだ。異空間ですかここ。
 片手に載せたコウモリは拗ねたまま。
 家の中に入って、ぽたぽたと髪や服から雫が垂れる音に気が付いた。土に吸収されていて気が付かなかった。
 うわ、大変人の家なのに濡らしちゃってる。というか池にダイブしてたんだからこんな状態なのも当たり前。
「いらっしゃいませ、お嬢――おや」
 穏やかで、少しだけ低い美声に肩が震えた。怒られるかも知れない。
 そっと目線を上げる。そして、私は思いきり逃げ出したい衝動に駆られた。
 うううっ。
 び、美形とは分かっては居たけれど。この、この人の側はキツイ。あらゆる意味で駄目だ。
 深紅の双眸に、霧で濡れた上着を脱いだのか白いシャツに濃紺のベスト。漆黒のリボン。
 腰まで流れる銀髪が邪魔になったのか、見たときと違って緩く一つに纏められている。
 余った髪が首元に垂れ下がっているが、だらしなさは感じない。首筋を見て酷く白い肌だと思った。
 私よりかなり背が高くて、彼が目線を合わせてくれていないと背伸びしなければいけない。
 穏やかな表情、甘いマスク。今までであった事のないタイプの強烈な美貌である。
 年上系の温厚そうな表情が私の心を掴みそうだ。ううう、好きな人が居なかったら一発で落ちている!
 確信めいたものを感じる。そうか、私って年上の紳士な人が好きだったのか。成る程、美形そろい踏みな城でどうして今まで心が揺らがなかったか理解出来た。
 単純に好みのタイプが居なかったのだ。それどころでないのもあったけど。
「あ、えっと。す、すみません床が」
 別に浮気とかではないのだけど、思わずしどろもどろになる。
「ああ、別にそれは構わないですが。貴女酷く濡れています、風邪を引いてしまいますよ。
 何か拭くものを持ってきましょう」
 少しだけ私の手に目線をやり、彼が微笑む。う、ぐ。胸が抉られるような微笑みだ。
 負けるな、負けては駄目だ私。このまま濡れ鼠だと相手の家が更に汚れるので軽く頷いた。
「え、あ。はい! お手数かけまして済みません」
 本当は深く頭を下げたかったけど髪からも水滴が落ちている。大人しくした方が被害が出ない。
「そこの汚くなっているコウモリはどうされました」
「ええと、色々あって途中で拾ったと言いますか友達になったと言いますか」
 そう言えばこのコウモリさんはこの家の事やこの人の事を少し知っているようだった。
 もしかしてペットか何かかと思って我ながら説明になってない理由を話す。
 話し相手には事欠かなかったから結構楽しかったし、このコウモリさんの反応も好きだった。
 行きずりの上に出会った経緯も最悪だったが、友達で良いだろう。
 出来るだけ悪印象を与えたくないし、攫われたとか勘違いされるのも困る。
 微笑まれたままタオルを渡されて急いで髪を拭く。
「ありがとうございます」
 お礼を言うと髪が傷むからもう少し丁寧にと注意されてしまった。挟み込むようにゆっくりと、とレクチャーを受ける。
 うう、別に気にしてないんだけど。彼の表情は真剣そのもので美しい髪が台無しですとか言ってくる。
 ……いやぁ、貴方の髪の方がよっぽど美しいのですが。と言わせない空気だ。
 それに両手が使えないから挟み込めないし。一応このコウモリさんは怪我人(?)だからそっと移動させて柔らかな場所に移したい。
「家の事は気にせずに、身体は軽く拭くだけで良いですよ。濡れた身体を温めるのが先ですね、何か飲みものを用意しますから」
「ええ、とあの。いきなり訪ねたのにそこまでして頂いては」
 タオルで清めさせて貰えた上に飲みものまでって、厚かましすぎるのではないか。
 僅かに彼が止まり、少し首を傾けて笑った。さらりと髪が流れ落ちる。
「良いんですよ。その濡れコウモリはこちらのものですから」
「あ、やっぱりこのコウモリさん貴方のペットか何かですか!?」
 頷いて納得する。あー、やっぱり知り合い。
〈誰がペットだぁぁぁ!〉
「きゃわぁぁ!? っていきなり怒鳴らないで下さい!」
 今まで沈黙を通していた思念がいきなり爆発し、仰け反った。
〈人を愛玩動物といっしょにすんなっ〉
「ここまで連れてきて貰っておいて失礼でしょう」
 たしなめるように紅い目をコウモリに向け、私に奥の部屋にある客間のような場所に連れてきてくれた。
 柔らかそうなソファにタオルを敷き、促されるままに座り込む。
「まあ、こんな風ですが彼はペットではないですよ」
「そうなんですか。でも良かったですね、帰ってこれて」
 苦笑混じりの声に笑って見せた。
「…………」
〈…………〉
 二人が沈黙する。え、何。
「あの、驚かれないんですか。コウモリが喋る……事」
 いつの間にか持っていた二人分のカップを置いて、向かいに腰掛ける。
 驚きに見開かれている深紅の瞳。
 えーとえーと。
「驚くところだったんですかそこ」
 頭をフルに活動させ、尋ねたのはそんな間の抜けた事。
〈いや、フツー喋らねぇよコウモリ。アイツらだって思念使えなかっただろ〉
 あー。確かに。
 コウモリさんの指摘に思わず納得。
 何となく気まずくなってきて置かれたお茶を口に含む。甘い花の香りがした。
 美味しい、それに身体が温まる。
「…………」
 かといって場が和む訳ではないけれど。
 膝の上に乗せたコウモリの身体をつつきながら溜息一つ。
「てっきりコウモリは喋る動物かと」
 自分の無知を恥じる。
 小人も人魚も魔物もいるから猫や兎やコウモリが喋っても気にしなかっただろう。
 うう、凄い変わり者に思われただろうな。
「ああ。異世界の人ですか」
 う。口元を隠そうと考えて、止めた。今更無駄だろう。
 城下の時を思い出し、何かまた言われるのかと怯え混じりの視線を向けるが、相手はにこにこしたままだ。
「あはは。色々ありましてここに――」
 そこまで告げて思わず遠い目になる。本当に色々あったな。
 召還されたり追われたり戦ったり、あげく攫われてコウモリと一緒にコウモリから逃げたり。
 ここまで行くと馬鹿らしすぎて本にも書けない。
「何処にいたんでしょうそのコウモリ。よくうろつくので困って居るんです」
「池が側にある洞窟みたいな所の中です。そこで会いましたから」
 声音は優しいが、僅かに含まれたトゲにコウモリをもう一度見る。ふらふら遊んでいるのかな。
「ああ、昔の住み家ですね。貴女は何かご用でも?」
 昔の、このコウモリさんの前の実家? この人が居た、訳ないよねぇ。明らかに不釣り合い。
「用というか、まあ攫われまして。吸血鬼の生贄だとかで」
「吸血鬼の? それは、また」
 カップに伸ばそうとした指先を止め、彼が溜息をついた。
「とは言っても居たのは大きなコウモリが数匹くらいでしたから。名を騙ったか利用したか。
 ……最近は出るって言われてたので来るまでは本物かと思ったんですけど」
「最近出るんですか?」
 不思議そうな声に詳しくは知らないので数秒ほど考えて頷く。
「あ、そうらしいですよ。町はずれの夕刻に若い女性が頻繁に襲われてるらしいです」
 と言う事を聞いたような聞かないような。まさか我が身に降りかかるとは思っていなかったから軽く流しつつ聞いていた。
 良く聞いておけば良かった。
「ふぅん、そうなんですか。どうも人里離れるとそう言う情報には疎くて――また下らない真似を」
 穏やかだった紅い瞳が細められ、彼が冷たく吐き捨てる。
「下らない、ですか」
 急激な変化に付いていけず置かれたお茶菓子をコウモリさんに渡しつつ、自分の分をひと囓り。
 翼の先端でクッキーを挟み込んで格闘しているが、ころころ転がって食べるのはしばらく後の話のようだ。怪我大丈夫なのか心配になる。
「そうですよ、若い女性を襲うなんて無粋も良いところ。可愛らしいお嬢さんとはこうしてお茶を飲むに限ります」
「はあ……」
 生返事を返して熱弁らしきものをふるう彼を見る。冷たさと熱さの混じった色の双眸。
 かなりご立腹のようだが、吸血鬼って血を飲む生き物じゃないのだろうか。
「それに血なんて頻繁に飲まなくても死にはしません、栄養だけなら他の品でも補えます。
 血を味わうのは伴う行為に快感を覚えるせいでしょう。味覚に一番合うのは確かに若くて綺麗な女性の血ですから。
 とはいえ、悦楽主義の下劣で野蛮な行為です。品性のない」
 カップに口を付け、美貌を歪めて忌々しそうに呻く。思わず見とれる何しても絵になる人だ。
 そうなんだ。というか詳しいですね貴方。なんと言うか、ええと。
「……なんか聞いていると吸血鬼のような事を言いますね」
 乾いた笑いを付けて、肩をすくめると相手がパチリと紅い瞳を瞬いた。
 そして、優雅にカップを置き、ふわりと微笑む。
「ああ、私は吸血鬼ですから」
 ガラスに亀裂のはいるような音が脳裏に響いて、固まる。
 何言いました、この人。壮大な空耳だ、そうに違いない、うん。
「…………もう一度宜しいでしょうか」
 人畜無害な笑顔で凄い事を言われたような。
 気のせいだと納得して、取り敢えず確認の為静かに尋ねる。
「私はニーノ・レイス。一応吸血鬼なんです」
 首を傾げ、彼は丁寧に名乗ってくれた。
 きゅう、けつ、き。
 思考が白くなったまま瞬間冷却された。フリーズだ。
「まさかお茶に薬が!」
 脳を急いで解凍してから慌ててカップを見る。睡眠薬とか痺れ薬でも盛ってあったとか!?
「いえいえ。そんな事しませんよ、飲みたいのなら味を大切にするんですから薬なんて仕込んだら質が落ちますし。
 それはただのお茶です。なんともありませんよ」
 不純物の混じった飲みものみたいなものなんだろうか。確かに薬漬けの血って身体も味も悪くなりそうだ。
「そ、そうですか。じゃあ油断させてがぶりと」
「私の楽しみはお嬢さんとお茶を飲み、食事をして穏やかに過ごす事なんですよ。
 そんな血なまぐさい事は致しません。まあ、相手が是非というなら少し迷う提案ですが」
 柳眉を潜めて困り顔で告げてくる。出されたお茶に甘い菓子、あくまでも穏やかなおもてなし。
「吸血鬼ですよね」
 尋ねてしまう私はおかしくない。絶対普通だ。なんだこのほのぼのとした空気。
「はい」
「それ、普通のデートと違いますか」
 初デートとはまたちょっと違うけど、飲食に連れられる軽めのデートのような気がする。
「そうですね、軽いデートです。暇な時を生きていますから談笑の時間が何より楽しいものなんですよ」
「……はあ」
 屈託なく微笑む姿に曖昧に頷いた。どうも嘘を言っている風にも見えない。
 本当にお茶を飲んだあと送り出しそうな雰囲気だ。極めて紳士的である。
 吸血鬼の生贄として攫われて、逃げ出してたどり着いたのが吸血鬼の家、そこでお茶でもてなされている。
 なんだろうこの状況。珍妙すぎて頭痛までしそうだ。
 あー吸血鬼のイメージが崩れていく。
 マナの側でファンタジーの小説を読んでいたときの事を思い出す。
『吸血鬼ってアレよね。ああ、背徳的って奴!?
 妖しい美貌の青年に唇から伸びた牙で甘く囁かれながら吸い尽くされるってなんか素敵っ』
 とぐねぐね身体をくねらせて言ってくれたものだから思わず苦笑してしまった。
 まあ、マナみたいな事を少し考えていたのは認めるけれどそこまでは要求していなかった。
 でもこれって、どうだろう。なんて健康的かつ優しい吸血鬼。
 勇者候補の方がよっぽど吸血鬼に向いている。溜息を心でつき、膝の感触でまだ菓子と格闘しているだろうコウモリを見つめた。
 折れた翼で一生懸命丸いお茶菓子を包んで囓ろうとしている。仕方がないのでそのお菓子を取り上げてみた。
〈ああああああー!?〉
 絶望的な声が上がる。そこまで食べたいのか。子供みたいだなぁ、と考えてコウモリの口元に丸いお茶菓子を挟んだ指を差し出したのと。
 彼が大きく口を開いて菓子を奪おうとしたのは同時だった。
 バリ、と軽い音がたって手に持っていたクッキーが粉々になる。
 刹那、鈍く、鋭い痛みが襲い顔をしかめて反射的に腕を引く。
〈あ、馬鹿待て羽が――〉
 その意味を理解する前に、朱が散った。
「だ、大丈夫ですか!?」
 引いた手首に赤い筋が出来て、ぽたぽたと雫を垂らす。膝の上のコウモリの羽に付いた鎌状の爪が刺さった上に無理矢理引いたから切ってしまったらしい。
 傷口から血が溢れるのを呆然と見つめる。カチ、カチ、と静止画が網膜に浮かび上がって行く。
 破壊された町並み。幾つもの場所を貫かれた魔物。赤く染まった戦場。
 串刺しにされる魔物。倒れる人、魔物、散らばった武器。
 忘れていたかった、私が彼を……貫く夢。その手応えが蘇り、気持ちが悪くなってくる。
 痛いのは腕なのか心なのか、頭なのか。分からなくなっていく。
〈お、おいぃっ!? し、しっかりしろ傷は浅い!〉
 流れ続ける血潮に驚いたのか、思念が私の頭を揺さぶる。今までは耐えられたけれど、混濁しかけた思考は、あっさりと吹き散らされた。
「あ、しっかりして下さい!」
 白い本流が黒ずみかけた思考を流し飛ばす。慌てたようなもう一つの声と寄りかかっていたソファからずり落ちるのだけしか、覚えられなかった。
 


 

 

 

 

 

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