十三章/なりゆき生贄

 

 

 

  

 脳裏に二つの単語が木霊す。ペット、飼う。
 冗談にしてもかなり悪質だ。
 ペットというのはこう、愛玩動物とかの事だろう。猫とか犬とか鳥とか。
 間違っても人間に使う台詞ではないと思う。
「飼う」
 受け流したいのに、声は酷く真剣で己の立場を突きつけられている気がした。
「何言っているんですかお前は。ペットなんて」
 ニーノさんが私の隣で呆れたように息を吐いた。
「いいじゃんペットにしても。ちゃんと面倒見てやりゃいいんだろ。
 そのうち折れて定期的に血が貰えるだろうし」
 それはペットじゃなく乳牛扱いだと思う。どちらにしろ人間扱いはしてくれていないらしい。
「人間と私達では寿命が違うのですよ。すぐに死んでしまいます」
「ソイツ勇者候補だろ。長生きすると思うぞ」
 思わず天井を眺めたくなった。私は普通の勇者候補と違う、恐らく並の勇者候補より長く生きれるはずだ。
 空間のねじれを利用して居る為、年を取るのが遅いから。
 便利だった時間の遅れ、今はとても不利な要素になっている。
 知られでもしたら絶対手放してくれない。何となくそう感じる。
「俺より弱くて、長生きして……女。こんな好条件の奴逃せない」
 熱に浮かされたような紅い瞳を見てしまい、ごくりと息をのむ。
 思わず腕の感触を確認した、大丈夫。手錠は掛かっていない。足枷も付いてない。
 身体が重く感じるのは、視線の迫力に飲まれかけているせいだ。 
 頑張れ私。負けては駄目だ。強張りそうな身体を無理矢理動かす。
 相手の出方を確認しつつ、よろめきながら後退る。
 にまりとカルロが笑い、人差し指をくるりと回して私を示した。
 攻撃でもされると思いビクリと身を竦ませるが特に何もない。多少違和感があるけど。
「似合うだろ」
 私を見ながら楽しそうに目を細める。視線の位置に目を落とす。
 ベージュよりも少し濃い革製の、丸い飾りっ気のない輪っかが首にはまっていた。
 ネックレスとかチョーカーとか可愛らしいものではない。
 ……首輪だ。
 さんざん弱いとか言われててもこの位の術は使えるのか。
 幸い隙間が多いので指を全て突っ込んで引っ張ってみる。全く外れる気配がない。
 金具をいじってみるが、金具は外側に付いているだけで外す場所も穴も見つからなかった。
「何をしているんですか。済みません」
「い、いえ」
 慌てたようなニーノさんの声にほっとする。外して貰えそう。
 ぴん、と指を弾く動作と共に違和感は――どうしてか増した。
 恐る恐る下を向く。
「…………」
 赤い首輪を縁取る白のレース。先程よりアクセサリに近くなったが、首輪は首輪だ。
 外すどころか悪化している。
「彼女にはこちらの方が似合うでしょう」
「あら、お兄様。こちらも宜しくてよ」
 微笑みながらグリゼリダさんも参加する。首輪がまた変わる。
 今度はレースではなくフリル。両脇から銀色の鎖が伸び、鎖骨辺りで透明な宝石のようなものが揺れる。
「…………何してるんですか。外して下さい」
 これが良いあれが良いと人の気も知らずに楽しげに変え続ける二人を見て口元が引きつるのを押さえられない。
「あ、済みません、無骨な首輪だったものでつい」
 ついじゃないです。ついじゃ。
 苦笑する彼がぱん、と両手を軽く打ち合わせるとようやく首輪が消える。
 触れられなくても首輪をはめられるとは、恐ろしい。
「こういうのは了承を取ってするものですよね、無神経な愚弟で済みません」
 さっきから思っていたが、もしかしてニーノさんペット自体には反対しないのだろうか。
 出来れば反対して欲しい。いや、全力で反対して欲しい。
 グリゼリダさんの方をそうっと伺うが、「なぁに」という表情で首を傾ける。
 服選びの時もそうだったけれど、どうも私は彼女に気に入られている気がしてならない。
 ペット大賛成と言われたらどうしよう。
「ほら、首輪も似合うし洋服も着せ替え出来る上に茶も一緒に出来るだろ。
 ペットにしよペットに」
 二人に誘惑の言葉を投げて屈託なく笑うカルロ。紡ぎ出される単語が不穏でなければ年相応だと思えるのに。
 ニーノさんはともかく、着せ替えという言葉にグリゼリダさんがぴくりと反応する。
 ううう、反応しないで下さい。
 しばし迷うような素振りを見せ、彼女が柳眉を寄せる。
「でも、私はお友達が欲しいのよ。ペットってアレでしょう、主従関係があるじゃない」
「そうですね。対等な関係じゃないというのは好みません」
 頷くニーノさん。あ、なんだかペット化は賛成していない?
「鎖に繋げとか言わないし。食べ物なら持ってこられるし、居候って感じなら良いだろ」
「ですがねぇ」
 食い下がる弟を困ったように眺める兄。
 段々兄弟喧嘩っぽくなってきた空気に傍観を決め込んでみる。
「あーもうまどろっこしいなぁ! ちょっとお前こっち向け!!」
 牙を剥きだしカルロが私を睨み付け、また指を突きつける。人を頻繁に指さすのはあんまり良くないと思います。
「お前じゃないです」
 その言葉を飲み込んで軽く反抗。一応名乗ったのだからお前とか餌とか失礼な呼び方をしないで欲しい。
「別に名前なんて良いだろ。俺の眼を見ろ」
 どうでも良くはないが、有無を言わせない口調に渋々言われた通り視線を合わせる。
 彼の瞳は何度見ても紅い。ニーノさんが深紅のルビーだとするなら、カルロは暗い血の混じったルビーだ。
『…………』
 一拍、二拍、三拍。……どれだけ見ていればいいのだろう。
 合図がでるまで見ている事にするが、正面から見つめ合うというのはかなり大変だ。
 うっかり逸らしそうになる首を無理矢理固めておく。
 何をして居るんだろう私達。にらめっこ、じゃないだろうしルールもよく分からないから意味不明。
 紅の双眸で私を射抜き、口の中で何事か小さく呟き続けている。何だろう。
 どう考えても時間の無駄な行為を中断させたのは、穏やかだったニーノさんの怒声だった。
「この、馬鹿者! それは使うなと言ったはずですよ、彼女が」
 鈍い音がしてカルロが地べたに這いつくばる。
 腕を掲げてはいるが近くには寄っていない。また何か術を使ったらしい。
 荒らげた声と言い、今の乱暴な術と言い明らかに怒っている。私には何がなんだかさっぱりなので思わず尋ねた。
「私がどうかしましたか」
 普通の質問だったのに、びくりとその場の全員が身体を震わせた。
「…………あれ? お前何もない、のか」
「なにがです?」
 起きあがったカルロに不気味な物を見るような目つきで見られて少し不快な気分にはなったが特に異常はない。
 さっきも凄い音がしたけれど本当に丈夫だなぁ、この人。
「俺を見ているだけで熱くなったりとか」
「いえ全く」
 ようやく寒気が収まってきたが、熱くなったりはしていない。
「……くらくらしたり、とか」
 くらくらというか、今の状況はちんぷんかんぷんだ。
「普通ですが」
 答えるとカルロがよろめいた。絶望的な表情で何か呻いている。
「……ぜ、全然?」
 気を取り直すみたいに尋ねられ、キッパリ頷く。全く何もこれっぽっちも異変は起きていない。
「全然」
 床に座り込むカルロ。今の一言で撃沈したらしい。
「おや。効いてないですね。怠けていたら効力が落ちるものなんでしょうか」
 ぱちりとニーノさんが不思議そうに瞳を瞬いて首を傾ける。
「ンな訳あるか! 崩壊は無理でも最低でも意識をこっちに傾かせる位は出来るはず、なんだけど」
 頭を抱えて叫ぶカルロ。崩壊、傾ける、よく理解出来ないが何か術を掛けようとしたんだろうか。
「全くもって傾いている様子が見られませんが」
 もう一度私を見て次に弟を見る。力の限りに落ち込んでいるのかもう声も出してこない。
 その代わり、瞬間移動で来たらしきグリゼリダさんが瞳をキラキラさせ、手を合わせた。
「あら、なんだか楽しそうね。私も試してみようかしら。
 ちゃんと手加減しますわ、怖くありませんから大丈夫」
 頬にひんやりとした掌が当てられ、肩が跳ねる。
「な、なんのお話ですか。私が分からないのを良い事に皆さんなにか変な事してませんか!?」
 逃げようと思ったら柔らかく反対側の方を支えるように押さえられ、動けなくなった。
 そっと頬を挟んでいるだけのはずなのに、首も身体も動かせない。微笑んで優しく顔を挟んでいるだけに見える分、カルロよりタチが悪い。
「うふふ。ちょっとだけですわ、少し私を見ているだけで良いのですわよ」
 上品に笑うと、じっと瞳をのぞき込まれる。そして、僅かに顔を曇らせてもう一度私の目を覗いた。
 熱っぽい視線に身じろぎする。顔が近い、近いです。不意に手が離され、深い溜息が辺りに響く。
「徐々に上げてみましたけれど、私でも無理のようですわね」
 恥ずかしさで少し赤くなった顔を押さえ、彼女の台詞でやはり自分が現在進行形で何かされている事を理解する。
「な、何してるんですかー!? 物騒なのは止めて下さい」 
「じゃあ、私も失礼して」
 絶叫を上げたが、まだ首を傾けていたニーノさんが素晴らしい笑顔を付けながら恐ろしい事を曰ってくれた。
 何を、何をする気なんだ。いや何をされ掛けてたんだ私は!?
「失礼しなくて良いです! 遠慮しますっ」
 逃げようとしたら回り込まれて屈むように目を合わせられた。
 優しい顔をしているが覆い被さるような形なので逃げにくい。
 逃げたら腕を掴まれるか肩に手を置かれそうだ。
 迷っていたら逃げてないのに両肩に手を置かれる。
 思わず全身を震わせるが、ニーノさんはまじまじと私を見たままだ。
 さっきからの行動から考えると血を吸うとかではないんだろう。
 しかし、目をずーっと覗かれていると居心地が悪い。それが男の人で、凄く美形で、輝かんばかりの微笑みをまき散らす人だと更に駄目だ。
 宥めていた心臓が全力で動こうとしている。顔に熱が集まるのが分かる。
「どうですかご気分は」
 相手は冷静そのものなので、自分の状態が更に恥ずかしくて俯きたくなる。俯けないのは片手で顎を軽く支えられたせいだ。
「き、気分というか。ええと、そんなに見つめられたら……恥ずかしいですからもうそろそろ勘弁して下さい」
 心音が五月蠅い位に聞こえる。顔を隠したいし隠れたいのに出来ない。拷問に近い。
 上げた抗議の声は、掠れてしまっていた。
 目眩がしそうなのに彼は更に顔を近づけた。
「もう一度聞きますがどうでしょう」
 言葉と共に吐き出される息が耳朶をくすぐる。
 ぐっと一気に血が上り、頭の中がかき回されるようにグチャグチャになりかける。
 これ以上はいろんな意味でまずいので大人しくしていた腕を動かし、ちょっとだけ強くニーノさんの胸を押した。
「恥ずかしいだけです! ちょっと離れて下さい!」
 流石に強引にする事はなく、彼は手を離して一歩下がる。
「嘘だろ」
 今までで一番の絶望の混じったカルロの声が響いた。
「私も弱くなりましたかね」
 目を細めて呟くニーノさんの隣で首を振るグリゼリダさん。
 みんなが何となく青ざめている。
「お兄様のまで効かないなんて。どういう事でしょう」
「もう聞いて良いですよね。皆さん何をしていたんですか」
 独り言のように呟く彼女に問う。私の話のようだが蚊帳の外状態だ。
「ああ、御免なさい。そうですわね……お話しするとなると言いにくいですけれど、貴女に少しだけ力を使っていましたわ」
「それは何となく分かるんですが、どんな術ですか」
 歯切れの悪い口調に肩をすくめる。力、と言われてもぴんと来ない。
「吸血鬼の得意分野でもある従属。誘惑、魅了とも言われる瞳の力。
 視野を狭めて術を使った人間しか見えなくなる、永遠の盲目の恋。
 深い領域の意識操作もしますから外法ともいえるかも知れませんわね」
 思案するような目で彼女はとんでもない事をスラスラと言ってのけた。
「ちょっと待って下さい! それ使わないんじゃなかったんですか!?」
「……好奇心が」
 悪戯っぽく笑うニーノさん。
 私は何ともないから効かなかったんだろう。次々試していたのは確認も兼ねてか。
 しかし、彼の場合それだけで済ませられない。
「好奇心で廃人にする気ですか!?」
 以前使った術で人を一人陥落ではなく人形にしておいてまた私に使うとか恐ろしい事をやらないで欲しい。
「ちゃんと気をつけましたよ。ついつい最後は本気でやってしまいましたが」
 ついついって。興味があるからってそこは手を抜いて欲しいところだ。
「それに、そうなっても戻そうと思っていましたよ。戻す方法を見つけるのに何十年か掛かるでしょうけれど」
「好奇心と興味で人の人生を勝手に浪費しようとしないで下さい」
 何十年って、幾ら勇者候補が長生きしたり、私の周りの時間の進みが遅いとはいえこちらの都合を考えてもらいたい。
 時間が経ってしまったらプラチナ達も居なくなっているかもしれないし、元の世界も心配だ。
「申し訳ありません」
 本当に反省しているらしくニーノさんはペコリと頭を下げた。習うようにグリゼリダさんも頭を下げる。
 まあ、過ぎた事をせめるのもアレだ。研究熱心なだけなんだろう。
 次こそは気をつけてくれるなら気にしないでおける。それに、怒っても術を掛けられる時は掛けられるんだろうし。
「……貴女には我々の術が効かないようですね。特別に何かしている風でもありませんでしたが、体質でしょうか」
「体質というか、掛けられた事にも正直気が付かなかった位ですし」
 恥ずかしい以外は別に何も感じなかった。
 告げると場の空気が一瞬止まる。
「兄貴の術を喰らって気が付かないってお前」
 脅えたように私を見て呻くカルロ。その態度はなんか失礼だと思います。
「んー、兄は基本人間を飼い殺しというのは好かないのですが。
 彼女は興味深いですし、一緒に暮らすと楽しそうですね。ペットにしたいならしても良いですよ」
『え!?』
 私とカルロの声がハモる。正反対の理由で。
 カルロの声には喜色が滲み、私の声は当然ながら驚きと絶望が混じる。
 ペット反対じゃなかったんですか。もう少し粘りませんかお兄さん。犬や猫じゃないんですから。
「ただし、無理強いは駄目ですからね。本人の了承を取ってペットなり居候なりにしましょう」
 人差し指を立て、告げるニーノさんは相変わらずの優しげな表情だった。
 


 

 

 

 

 

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