十三章/なりゆき生贄

 

 

 

  


 大コウモリに喰われるのは嫌だった。
 あの時は吸血鬼に吸われても良いと思ったが、カルロに血を吸われるのも全力でお断りしたい。
 いろんな意味で危険を感じる。
 ポケットを探ろうとして気が付く。服が違うし!
 戦いに出るわけでもないからまともな武器はなかったけど目つぶし程度は用意してたのに。
 着替えた事を後悔する。まあ、湿気ってたから粉類全滅になったかもしれない。
 せめて武器の一つも持ってくれば良かった。辺りを見回しても棒のようなものも見つからない。
 ここはお掃除道具もないのか! 
 吸血鬼だから術で片付けているのだろうか。武器もない、相手は弱いと言われても吸血鬼、しかも男。
 ヤバイです、ピンチです。どうしよう。
 近寄って来たカルロに寸止めの拳を一瞬突き出し、動きを止めてソファの影に避難する。
 ごちん、と音と共に頭に鈍痛。目の前が数秒ほど暗転してクラクラする。
 元凶を見上げると逆さまになった顔が楽しそうに笑っていた。
 ヘッドアタックをかまされたらしい。
「ふっふっふ……発見」
 悪戯っぽいと言うよりは凶悪な笑顔に寒気がした。
「ひ。見つかったあぁぁぁ!?」
 幾ら何でも早すぎる。急いで距離を取って壁際に追い込まれないように気をつける。
「逃げても無駄。匂いで分かるし」
 瞳を細め、口元を釣り上げるカルロを警戒しつつ睨む。
「……男専門の嗅覚と違うのですか」
 コウモリの時に呟いていた一言を思い出し、尋ねると彼の頬が赤く染まった。
「真面目に取んなよ! じょ、冗談に決まってるだろ」
 ドモっている。かなり慌てている。
 冗談と言うよりも、お兄さんだと知っていたからの台詞だと分かっていたが、敢えて素知らぬふりで微笑みかける。
「そう言う事にしておきます」
「そう言うも何もホントだってのに。ちょこまか逃げてないで観念して吸われろ」
 怒ったような声と共に乱暴に襟首を掴まれそうになったが一歩引いてかわす。
 観念してたまりますか。
「嫌です。絶対嫌です。凄く嫌です」
 ブンブンと首を横に振って拒絶の意思を目一杯表現する。
 目が据わっている。飢えた獣の瞳だ。
 食料に食らいついた魔物や大コウモリを彷彿とさせる。
 吸われるんじゃなくて骨すら囓られそう。
「そこまで否定しなくても」
 今までの堂々とした態度は何処に置いてきたのか、しゅん、と落ち込むカルロ。
 潤んだ双眸はコウモリ姿の時を思い出させ、罪悪感が芽生える。なんだろう、私が悪い事をしている気分になってくる。
 いや、私は悪くない。吸われたくないのは確かだし。
「そうしょげられましても、なんか目が怖いです!」
 後退って広げた両手を突き出すと、頬を膨らませたカルロがふて腐れ気味に睨んでくる。
「血が吸えそうだし」
 八つ当たりですか。
「吸われたくないって言ってます!」
 そろりそろりと離れながら再度拒否。
「だから実力行使するんだって、のっ」
 掛け声と同時に腕が伸ばされる。
「ぎゃっ。女の子相手に大人げないですよ。平和に行きましょう平和に」
 しゃがみ込んで掴まらないようにする。
 頭上を掠める指を半泣きで眺め、説得しながら脱兎の如く逃げ出す。
「意外と素早いなぁ。あとちょっとで捕まえられそうなのに」
 感心したような声だが、私的には一杯一杯だ。
 相手の動きを見ながら反射神経と出来る限りの先読みを使って逃れ続ける。
 訓練していなかったらものの数秒も保たずに捕らえられている。
 今なら言える。ありがとう地獄のスパルタ訓練!
「いーやーでーすーっ」
 涙混じりに訴え、広い室内を二人で駆け回る。見かけはほのぼのしていようが、こっちは必死だ。
 だから止めて下さいお兄さんお姉さん。
 大きなテーブルを迂回する為に軽くブレーキを掛けつつスピードを緩めず足を進める。
 ヒールなのでとても走りにくい。
「あ」
 走り続ける私の耳にカルロの呻きが聞こえた。何、と思う間もなく。
 こつん、と椅子の脚に当たった爪先が身体のバランスを崩し勢いよく絨毯に転がった。
 毛足が長い絨毯の上とはいえ、顔面から床に突っ伏して顔がひりひりする。
「うう、いたた」
 起きあがろうと腕を床に付けると、ずしりと重みが掛かって地に沈む。
 お、重い。何かが上に乗っているような重みだ。
「おー、捕まえた?」
 疑問符混じりの問いかけに、重しの正体に気が付く。背中に何かが乗っている。
 考えるまでもなくカルロだ。
 全体重を掛けているわけではなく、曲げた膝を乗せられているだけだが私の力で抜けるものではない。
 捕まった! 吸われる。死ぬ、殺される!
 更に関節まで極められそうになって慌てて腕を振り回す。
「……きゃー止めて下さい放して下さい。暴力反対ッ! 寧ろこっちが暴力してやる、殴ってやるうう」
「…………」
 武器を持っていればまた違ったのかも知れないが、現在丸腰。
 この世界に来て初めてと言う位恥も外聞もなく叫び暴れる。
 喚きながら平手打ちに殴るのも忘れない。べしべしと鈍い音が響く。
「全然効かないし! いーやー。吸われたくない、放せえぇぇ!」
 不思議そうに覗き込まれた。渾身の攻撃に眉一つ動かされず絶望する。
 足を使いたくても床に押し付けられている為に絨毯で藻掻くだけ。
「よっわ。なんだよ、本気で叩いてるのかこれ」
「凄い本気に決まってるじゃないですかっ」
 驚愕され、牙を剥く。力一杯殴っているのに応えた様子もないのが腹が立つ。
 ヒールでの自重を込めた踵蹴りであの程度のダメージだったんだから、おかしくはないがここまで効かないと泣きたくなる。
 もう一度力任せに殴りつけるが、痛くなったのは私の拳で相手はけろりとしていた。
 か、固い。表面皮鎧で出来てるんじゃないだろうか。
「巷の女より弱いな」
「なっ……」
 失礼な事を言われて絶句する。流石に幾ら何でもそれはないんじゃないだろうか。
 確かに一般人で無力だけど、そこまで言われる筋合いはない。
 拳が効かないのは認めますけど。
 棒術に特化していたせいで腕力自体はさほど上げていない。次から拳も磨こう。
 その前にこの人から逃げ出さねば。
 じたばたと抵抗するがすぐに膝で押さえつけられ息が詰まってダウンさせられる。
「演技じゃないみたいだし。勇者候補なのは違い無さそうだけど変だな」
「私は間違って呼ばれただけなんです。並の勇者候補と一緒にしないで下さい!」
 唸り声に半泣きで反論し、起きあがろうと努力する。力を少し入れられてまたべたりと這いつくばる。
 うう、情けない上に段々腹が立ってきた。自分の無力と相手の容赦の無さに。
 か弱い(と思う)女の子にこの仕打ちは酷くありませんか。
「間違いかー。まあ、血を吸うには関係ない事だけどさ」
「吸われたくないです!」
 この言葉、何度目か数えるのも忘れた。
 全然聞いて貰えないけど。清々しいほどに無視されているけれど!
 それでも万一の可能性に賭けて言わずには居られない。
 力を込めたようにも見えないのに、腰に腕を回し、無理矢理起きあがらせられた。
 触るな。寄るな。噛むなーー!
 足蹴にしようとしても腕を傾けられて標準がずれる。何とか当たるのは拳のみ。
 半ばやけになって叩き続ける耳にぽそりと呟かれ、腕が止まる。
「そう言えばお前さぁ。キスとかした事あるか」
 真顔での質問に頭の中が吹っ飛んだかと思う衝撃を受け、ばくぱくと口を開く。
 な、何をおっしゃ、仰りました。
 キ、キキキキスって。藪から棒どころか上から岩石でも降ってきたような唐突な質問に思い切り狼狽してしまう。
「なっ、ななななな」
 何か言おうにも舌を噛みそうになる。言葉が上手く紡げない。
 頬が熱い。ぐらぐらと脳みそが沸騰していそうだ。
 そりゃあですね、まあ好きな人が居ますからちょっとはその、そういうのを考えなくも。
 ……無くもないけれど、妄想というか想像の時点で悶え転げてしまうから。想像は想像であって。
 キ、キスとかそう言うのはそんな関係にならないと無理で。
 ああ恥ずかしすぎる!
 心中で百面相しながら頭を振る。顔が赤いのは分かっているが、一度上がった熱はなかなか収まってくれない。
 こんな顔をしていれば、隠そうにも隠せない。うう、凝視しないで。
「お前は本当に、不躾ですね」
 呆れたようなニーノさんの声が聞こえた。
「あ、無さそう。なら味も期待出来そうだな何しろ、し――」
「清らかな乙女の血は極上と言われてますからね」
 ご機嫌な台詞をすっとニーノさんが遮り言い直す。
 なんか、ロクでもない事を言われ掛けた気がする。
 むっとしたようにお兄さんを睨む紅い瞳。
 血走った目で詰め寄られて血を吸われるなら清らかでなくて良いです!
 心で牙を剥くと、生暖かい何かが頬を這った。ぞわわ、と鳥肌が立つ。
「ひやぁっ」
 思わず悲鳴を上げる。な、ななな何今の。
「汗だけじゃ分かんないなー。やっぱ」
 いつの間にか頬に顔を寄せていたカルロが自分の唇の端を舐め、思案顔になる。
 吐息が掛かると、左頬がすうっと冷えた。何をされたか理解して、血が頭のてっぺんまで登る。
「な、ななな舐め」
 手を当てて確認する。濡れている。
 や、やっぱり舐められた!?
「あ、心配しなくても首筋辺りはちゃんと舐めてやるからな」
「じゃなくて、舐めないで下さい。変態ーー!!」
 真顔で妙な宣言をくれるカルロの鼻先を掌で叩く。ちゃんと舐めるって何!?
 危険だ。凄く身の危険を感じる。血とかじゃなく女として!
「へ、変態。お前なぁ、俺はちゃんと気を使ってるだろが。とっとと観念しろ」
 紅の双眸が凶暴な光を湛えた気がして全力で逃げようとするが、よく分からない事を言っているカルロの拘束は固く振り解けない。
 唇が首元に迫るのが見えた。全身の血が凍るような恐怖。
「ひ、いーーーやーーー!」
 もはや悲鳴を上げ半泣きの私。逃げたい、逃げられない、この人怖い。
「はいはい。そこまで」
 追いつめられた私の声は、穏やかな台詞と寒気がするほどに大きく鈍い音によって途切れさせられた。
 抜け出したくても抜け出せなかった腕は解けていた。
 にこやかな笑みを絶やさないニーノさんが素早く私を奪い、人差し指で弟の額を叩いた。俗に言うデコピンである。
 その威力は半端無かったが。彼が軽く指を弾くと同時、カルロの身体が豪風を受けた枯れ葉のように壁まで吹っ飛んだ。
 指で弾くと言うより鈍器で殴るような音がしたのは空耳だと信じたい。あの音が現実なら普通即死か全身骨折だ。
「うが、ちょっ。どうしてだよ、俺の方が強いんだから吸って良いだろ」
 壁に叩きつけられた身を起こし、赤くなった額を抑えてカルロが文字通り牙を剥く。壁はちょっとへこんでいるが本人はピンピンしている。頑丈だ。
「駄目に決まってるじゃないですか。済みません、本当に強くないとは思わなくて」
「なっ、騙された」
 やんわりと微笑んで肩をすくめる兄に弟が肩を怒らせる。
「だから強くないって言ったじゃないですか!」
 恐怖でへたり込んでいた身体を起こし、綺麗な深紅の瞳を睨み付ける。
「勇者候補ですから壮大な過小評価かと思いまして」
 困ったように首を傾けられてこめかみがひくりと痙攣する。そんな綺麗な顔をして微笑みを付けられても納得いかない。
 そりゃ勇者候補は強いけれどほったらかしってどうなんだ。
「私は間違って呼ばれたから強くないんです。大体男と女の力の差なんて分かり切ってるじゃないですか」
 勇者候補で何であれ、男女の腕力差は歴然。私が術師だったら勝てるわけ無い。
「カルロは町の女性に勝った事無いもので、つい放っておいても平気かと」
 申し訳なさそうに頬を掻く彼の言葉に目が点になった。
「え」
 町の、女性に……勝った事がない。
 つまり、一般女性以下。それに負けたという事は私はまだ一般人どころかそれ以下という事で。
 一般人女性に負ける吸血鬼、それ以下の私。
 二重の意味でショックを受ける。武器無しだったからかもという言い訳もつくが、これはキツイ。
 そもそも一般女性が武器を常日頃から携帯するか怪しいところだ。やっぱり、私が弱いというのがしっくり来る。
 カリン様は一般人ですからと言っていたシャイスさんを引きずり出して問いつめたい。
 一般人にすらなって無いじゃないですか私!
「俺が負けるの前提の話だったのかよ」
「当たり前です」
 低い唸りを漏らす弟に優しい笑みを付けつつも、冷たく返答しニーノさんが頷く。
 和やかな空気だが、さっきまで吸われそうになっていたのは事実。ほっと息をつき首元を抑える。
「今度こそ、駄目かと思った」
「あーもー邪魔すんな兄貴。もう少しで吸えたのに!」
 安堵している側で恐ろしい事を喚くカルロ。
「はいはい、我慢しましょう」
 駄々をこねる子供を宥める調子でかわし続けるニーノさん。
 会話は殺伐としているが、なんとなく和む光景だ。
「勝ったら吸って良いって言ったじゃん!」
「また今度ですね」
「これ逃したら何時になるか分かんないだろ!?」
 地団駄でも踏みそうなカルロの非難を見事に右に左に避けるお兄さん。慣れてるな。
「うぅぅぅぅ。納得しない! 折角吸えるのにやっと吸えるのに!!」
 声が泣きそうだ。涙混じりの訴えに視線を向けると、紅い瞳と眼があった。
 ぶす、とふくれっ面だ。せっかくの美少年が台無しである。
 そんな事を考えていると、びしりと指がこちらに向けられた。
「じゃ、こいつペットにする! なら文句ないだろ」
 ……吸血より凄い事を言われ唖然とする。
 ぺっ、と?
 聞き間違いですか。聞き間違いですね。
「弱いからペットにする。飼う」
 幻聴ではない事をアピールするかのように発せられたカルロの声は、良く耳に響いた。
 


 

 

 

 

 

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