封印せしモノ-35






 漆黒に光がまき散らされている。濁った雲が月を覆い隠していた。
 閃光も、魔物の絶叫の咆吼も。何事もなかったように、夜風は木立を揺らす。
 放り出された斧が地面に刺さって、鈍い光を放っていた。
「やっぱり、あれだけ魔力を放出してしまうと疲弊するのね」
 動けないで居る魔導師見習いの少女を見つめた後、カミラは小さく零した。
 樹の幹に背を預けたまま、レムが口を開いた。
「死んでいないのが不思議だよ。無茶もここまで行くと無謀だね」
 拾っていたのだろう。手元には本がある。青い海のような瞳をしばらく眺め、
「……そうね。普通、死んでるわ」
 呪術師の少女は、肯定代わりに飛び上がりそうになった帽子を片手で押さえた。
 普通であれば致死に値する陣。それを迷い無く使わせた。
 その事を普通は否定するはず。だが、彼女は否定しない。
「それ、分かってて」
「そうよ。でも貴方も知っているでしょう、彼女の魔力の量の多さ」
 冷たい抗議の視線、鋭い鞭のような声。だが、淡々とカミラの言葉は続く。
「知らないよ。具体的な数値は、彼女自身も」
 教師であるはずの少年は、それだけ吐き出すと白い獣耳を軽く倒し、後頭部を幹に押し付けた。だがすぐに独り言に近いカミラの声に頭を持ち上げた。
「でも、彼女の選んだあの結界。良い選択よ。
 幾つもの選択肢の中で、最善だとは言わないけれど……私は素晴らしい決断だと思うわ」
 手放しの褒め言葉。紛れもない賞賛。
「貴方は、運が良いわ」
 言葉は何かを含んでいた。
「何……?」
 意味が分からずに、レムが眉を跳ね上げる。
「早速掬えたその命、大切に使って」
 回答だけを渡す用紙のように、カミラの言葉は端的だった。
「どういう意味。もしかして」
「魔物と言う言葉は人外の物を示すわ。なら」
 魔物。それは人々が恐れるものの総称だ。
 つまり、人々のあふれる街では、世界では。異端なものが魔物と呼ばれ、蔑まれる。
 それはつまるところ。人の形を取っていないレムにも言える台詞。
「…………」
 結界はクルトの意志で決まると言った。決断で決まると告げた。ならば、その結界にクルトが「人以外の者を排除する」と決めたら自分は、敵意が無くても人の姿をなしていない者達はどうなったのか。考えて、唇を噛む。
「幸運ね。帰ってすぐ寝た方が良いわ」
 解答を手にしている呪術師の少女は、安易に全ての答えをばらまかない。
 静かな言葉に冷水を背中に垂らされたように、レムは顔を上げた。
「あ、ああ。そうだね。彼女、大分魔力を消費して衰弱してるはず――」
 こめかみを指先で押さえ、クルトが居た場所を見る。
「違うわ。貴方よ」
 虫が羽を震わせるような、微かな声。
「え」
 疑問の声を上げ掛けて、平衡感覚を一瞬失い、彼はよろめいた。
「自分で思っているより、負担が掛かっているみたいだから気をつけて」
「な!? ちょっ、レム。あんた顔色ッ」
 何時の間に立ち上がっていたんだろう。駆け寄ってくるのは、驚いたような少女の顔。
「……なに? 大丈夫だよ、この位」
 目眩を堪え、背筋を伸ばす。片手で少女を制し、逃げるようにレムは森の奥へと入っていった。
「レム、もしかして」
平常の冷静さを保ちつつも、色を僅かに失った彼の姿を見て。
 よぎった一つの予感に、ぽつりとクルトは呻いた。



 事後処理のため、全員が思い思いの方向に散らばっている。
 深い闇に身を沈める木立の中、鼓膜を耳鳴りに近い音が震わせた。
 だが、彼女以外には聞こえない音。
「あら。誰かしら……」
 懐から紙包みを取り出し、ゆっくりと皮を剥がすように何重にもなった丸い包みを取り除いた。残ったのは、拳ほどの大きさの球の固まり。軽く指先を触れさせ、短い呪を呟くと。聞き慣れたキンキン声。
『ちょっと姉さん! なんだよこれ!? すっごい汚れてるじゃないかぁっ』
 静けさを怒鳴り声がかき消す。
「……そう言うこともあったわ」
 脇に挟んでいた箒に腰を掛け、膝に宝珠を安定させる。
『全然終わらないよ〜。というか謀ったな姉さん!?』
「何のことだか分からないわ」
姿は映らないが、喚きに遠い目をする。
『そ、ら、ぞ、ら、し、いぃぃぃッ』
 ドカドカと足踏みのような音。一瞬雑音が混じる。
「その通話用の陣、デリケートだから暴れないでね」
『っだあっ。そんなことどうでも良いんだよーー。先輩は!? クルト先輩は!?』
 注意を促しては見る物の、がさつな彼女の妹がそんな些細なことを気にするはずもない。
 自分にとって一番重要であるらしい事を真っ先に尋ねてきた。
「残念だわ。もう終わったの」
 深々と溜息を吐き、カミラは沈痛な面持ちで(見えていないが)声を吐き出す。
『…………』
「本当に、偶然って怖いわ」
 もう一度、可哀想な妹のために切なげに溜息。
『ねぇぇぇさぁぁぁぁぁぁぁん。いーいーかーげーんーにぃ』
 だんだんだん、机でも叩いたのか。物音が聞こえる。
 不意に、リン……と澄んだ音が聞こえた。
 覚えのある合図。音で誰から来たのかも分かる。
「あら……。ピシア、別の用件が入ったの。切り替えるわ。掃除、頑張って」
 残念だったが可愛い妹をからかうことを中断する。
『ちょっ、姉さ――』
 ぎゃいぎゃいとまだ言いかけた妹の台詞を問答無用でぶった切る。後で五月蠅そうだ、とも思いながら小さく別の呪を呟いた。
 酷い耳鳴りがする。だが、何とか相手の声は聞き取れた。
「……接触したわ。いえ、ヤボ用よ」
 澄んだ水晶のような宝珠を見て、つぶやく。
 雑音が酷い。家族と言うこともあってか、姉妹であるカミラとピシアの通話はとても鮮明だった。鮮明すぎて普通なら漏れないはずのささやきが外に怒鳴り声として聞こえる位は。けれど、今のカミラの相手は、何とか通話は出来るものの相性が良いとは言えない。
 こめかみに痛みが走り、耳鳴りが続く。気を抜けば相手の声すら聞き落としそうだ。
「貴方の想像通りに事は進んでいる。私には、関係ないけれど」
 定時連絡。それは良くあることだが、カミラは相手のことは好きではない。
 必要だからする。仕方がないから合わせる。最低限のやり取り。
 元々愛想のない答えが、無味乾燥気味になる。
「今回は少々疲れたわ。でも、値段分は楽しませてもらったから、帳消しね」
 そう、今回は疲れた。収穫である宝珠を思いながら溜息を吐く。
 そして、耳に入った相手側の台詞に眉根を寄せた。
「あまり、甘く見ない方が良いわ」
 歌うように声を出す。
「血の絆は揺るぎないモノ。血の縁はどんなに複雑な過程をたどろうとも巡り会ってしまうモノ」
 占い師のように、瞳を細める。
「全ては杓子では計れない。全てが予想通りに運ぶとは言い切れない」
 随分気に入ってるのかと。尋ねられて、言葉を濁した。
「……彼。そう、ね。気に入っては、居るのかもしれないわ……」
 気に入ってるのは多分間違いない。でも。
「でも、それ以上に……私はあの人が、気になるの」
 そう。気になる。それは通話している相手の性格も、事情も。どうでも良い位の。
 好奇心。
「封じられ、縛られた運命の行方が」
 宝珠を掲げ、ゆっくりと掌の中で回転させる。
「――――どんな未来なのか、楽しみだわ」
透かした空は、砕いた硝子をまぶしたような輝きを放っていた。





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