封印せしモノ-36





 ゆったりとした風がながれ、辺りの草花を揺らす。
 平和で穏やかな光景も、心が荒んでいると辺り全てから馬鹿にされたように思える。
 彼は口にくわえた煙草を囓り、苦い顔をした。
「ちっ」
 面白くも無さそうな顔で投げ捨てようとした煙草が細い指によって阻まれた。
「火事になるってこの間も言ったのに、人の話聞かないおじさんね」
  取り上げた煙草を懐から取り出した紙切れに包み、丸めて硬直している彼の手に握りこませる。
「な〜にしてるのよ。数日経ったのにこんな所でぶらぶらして」
 クルトは悪戯っぽい笑みを浮かべ、彼を見た。
「おっ、お前!?」
「はい、逃げない逃げない。どうしてここでぶらついてるのよ。出稼ぎに来たんでしょ」
 叫んで逃げ腰になった彼の服を掴む。
 ―――伐採のためにあの林にいた男。
 注意したとき笑って一蹴し、そして魔物に襲われて彼女に掴みかかってきた彼。
  諦めたように座り込む彼の隣に、少女はぴょんと着地する。紫の髪が揺れた。
「こんな田舎に雇って貰えるところがあるか。
 それに、家族に『金になる』と大見得切って出てきたんだ。
 手ぶらで帰れるわけがないだろう」
 残っていた煙が唇から吐き出され、空気に混じる。
「おじさんも大変よねぇ」
 気楽な同意。
「…………」
 人ごとのような事言うな、と言いかけて彼は唇をつぐんだ。人ごとだ。
「でもさ、別に別の仕事探さなくても良いじゃない。木を切りに来たんでしょ」
 それに輪を掛ける気楽さで、クルトはにっこり笑う。
「だが魔物が」
 渋い唾液を飲み込んで、近くの草を引きちぎる。
「え? 魔物? そんなのいたっけ」
「居ただろう現にッ!!」
 思い切り空とぼける少女に噛み付く。
「やだおじさん。忘れちゃったの? レムに言われた言葉」
 力一杯彼の腰を何度か叩き、笑う。
「は?」
 ぽかんと口を開くかれに、クルトは腰に手を当ててにま、と笑みを浮かべた。
「今見た事を忘れろ。でないと殺る」
「!」
 微妙に違うが、間違っていない台詞を吐き出す少女に、絶句する男。
「レムって、そう言うのには厳しいのよ。
 だから、忘れたわよね。というか魔物って何だったっけ」
「い、い……いや、何の事だろうな」
 流石に死にたくはないのか、今度は話を合わせる。
「ね〜おじさん」
 確認するみたいに頷いて、クルトが猫なで声を出した。 
「おじさん、家帰りたいでしょ」
「まあ、な」
 気色悪いとか気持ち悪い声を出すな、と言いかけて頷く。帰りたいに決まっている。
 スカートのまま足を折り曲げ、膝に肘付くクルトが、口の中で言葉を転がす彼を横目で見た。
「依頼された伐採期間は残り何日」
 澄んだアメジストの瞳。
「後二週間……ものこっちゃいないな」
 尋ねられて、なんとはなしに答えた。
 少女は真面目な顔で頷くと、指折り数え、何度か口の中で呟いて。ぱん、と両手を合わせた。
「ふうん。じゃあギリギリね」
「なんのこった?」
 頬杖を崩し、指先を立てて左右にちょいちょいと動かす。
「今から伐採して、期限内に守れるかどうかよ」
「はぁ!?」
 にこやかにとんでもないことを告げるクルトに、罵声も言えず彼の呻きが裏返った。
「期限内に守れないと確か、減額されるんでしょ」
「あ、あぁ」
 唇に指先を当て、小首をかしげる仕草に頷くと、
「だから、急いでぱぱっとやってぱぱっと終わらせて、ぱぱっと家に帰りなさいよ」
 気軽さを飛び越して夢の中の住人ではないかと錯覚しそうになる位、適当に彼女が言ってきた。
「だから、言ってる事が無茶苦茶だ! 忘れろとかいって何で木を切れと」
 指先をわななかせる男。言いたくもなるだろう、中であったことを忘れろ。でも魔物は居た、けどその中の樹を切って戻れ。無理難題にも程がある。
「別にあの辺りで木を切るなとか言ってないわよ。大体その樹の封印はバッサリ切られち
ゃったんだから、今更森を保護してどうこうなんて無意味だもの」
 ぽすんと彼女が後方に倒れると、潰された雑草が千切れ飛んで舞い上がる。
「それに。アンタの少ない稼ぎ減らす気ないし」
「なっ……」
 毒気無く紡ぎ出された言葉に、抗議の声を上げ掛け、
「というのは知り合い受け売りの冗談ね。
 どうせ魔物の死体だかなんだかが転がっていて隠しようがないとか、そう言う下らなくも心優しい心配してるんでしょ。
 でもね、魔物は出なかった。あたしは知らない。そう言ったのよ」
 空を見て笑う少女の姿に、吐き出し掛けた言葉を飲み込んだ。
「どういう意味だ」
「にっぶいわね。あたしはあんたとあそこでちょっと立ち話をしただけ。
 魔物なんか知らないし見た事もないしあんな場所にいるはずがない。
 居るはずのないモノの死体なんてあるわけがない、そう言う事」
「始末したのか」
 尋ねられて、クルトは遠い、遠い目をした後。視線をながれる雲に向けた。
「いやまあそうねー。先輩もレムも人使い荒いモンだからしばらく疲れて動くの面倒で面倒で家に帰ってベッドでぐったり……ってそんな事はどうでも良くて!
 兎に角今度はどの木を切り倒しても平気よ。
 切り倒しすぎは好きじゃないからほどほどにして貰えると嬉しいんだけど」
 長い呟きが愚痴になりかけたところで現実に戻ったのかびし、と片腕を一閃させる。
「い、いや。それは王の方からも控えるように通達が来ている。
 だが……その、魔……いや、アレはもう」
 「魔物」という単語が脅された手前言えないのだろう。口ごもる男に、肩をすくめてクルトは答えた。髪に絡まった草が地面に落ちる。
「平気よ。新しい結界が張られてるわ」
「しかし、それは城にでも」
 言われた言葉に、今度はクルトが渋面になった。
 それは考えた。考えたのだが、問題がある。
「無許可の結界だから、破られたから報告に行くと言うのもちょっとアレで……
 あの結界があんなに重要なものになっていようとは思わなかったのよね。
 何しろ五年位前に張った結界だし」
「五年前ってオイ」
 呻く少女に当然の突っ込み。クルトはぐりぐりと自分の額を指先でこね回し、
「あのころは村の方にも魔術が根付いていなかったからねーほんの気休め程度だったんだけど。まあ、この結界の事は一応ちょっとやそっとじゃ壊れないように作ったから」
 ごろ、と草地を転がった。
 いくら幼心の軽いおせっかいな気持ちで張ったとはいえ、害にはなっていないどころか役に立ったとはいえ、国の敷地は国の敷地。変な細工をしましたぁ、なんていつものノリで言えるわけもない。言っても良いが、「なにい、不届きもの!?」とか言われ、首を切られる可能性もある。それに、心配点も一つ。
「そのうちほとぼりが冷めたら城の方に伝わるよう手を打っておくわ。
 あたしに信用が出来ないと疑われて結界が壊されかねないから、今はまだ言えないけどね」
 結界が馴染むまで、とは言わないが、今のクルトの立場はタダの「見習い」。魔術師の卵が張った結界を国の偉い方々が「そうなんですか。凄い」と感心してくれるはずがないだろう。良くて「嘘付くな」と罵倒されるか、最悪「呪いでも仕込んだか!?」と地面ごとほじくり返される恐れもある。
 それはまずい。幾ら地にしかけたとはいえ、地面をひっくり返してごちゃ混ぜにされてまで。結界が正確に働くのか自信が持てない。
 と言うわけで、せめてクルトの立場が普通の魔術師と呼ばれる位までは隠蔽し続けるつもりだった。当面の目標は学園を卒業することか。
 迷うように彼がクルトを見た。その目の真剣さに半身を起こす。
「お前、あのレム・カミエルの事信じられるのか」
「信じるわ」
 軽い口調。紫の瞳は『何を言ってるんだ』と言いたげだ。
「世間でもし良くない噂があったしても」
 不吉な男の台詞。パンパンと背中の土を払い、
「信じるわ。あたしはこう見えて、疑い深いから。
 人の話、聞いただけじゃ信じ切れないのよ」
 動揺すらせずクルトは大きく伸びをした。
「たとえそれが王様や神様に言われた事でもね」 
 揺らめく噂は不確定だ。嘘と断定しないけれど、信じはしない。
 それが、疑い深いクルトの考え。否定はしないが肯定もしないと言うことだ。
 さっき見ていた雲は、どこかに流れてしまっていて、別の雲が青空に白い線を引いていた。
「……アンタは一体」
 ふと、彼から漏れた言葉に、
「そうね。ただの村人、その一かしら」
  少女は小さく笑って答えた。



《封印せしモノ/おわり》




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