封印せしモノ-26





  空気が険悪だった。険悪だけならまだ良いが氷河、氷山等々。世界中の冷たい物質が一斉に降り注いだかのような錯覚にみまわれるほど辺りが冷えている。
 冷えていると言うのも生ぬるい。まさしく辺りは凍っていた。たとえるなら真冬の海に浮かぶ氷の大地か。
「と、いうわけで……ぇ」
 凍りそうに寒い空気を肌で感じながら、少女はなんとか固まらずにぎこちない笑みを浮かべて話し終えた。
「もしかして、国に許可を取らないばかりか、学園にすら報告してない、と」
「う。そ、そそういう事に……なるかなぁ。表向きとしては」
 氷柱(つらら)を連想させる鋭い声。気のせいが微妙に殺気も混じっている。なんとか僅かでも周りを暖めようと、少女は首を可愛く傾けた。
「クルト、あの。確実にそうなると思うよ。それ」
 一気に冷え込んだ空気に怖じ気づきそうになりながら、ルフィは眉を寄せ、無理矢理笑みを浮かべている少女を見た。
「そうだね。確実に裏表も無くそう言う事になるよ」
 ルフィの言葉に肯定の声。少女は「あー」とも「うー」ともつかない呻きを吐き出し、
「やっぱり?」
 肩を落とす。ポリポリと頬を掻き、
「あー……怒られるどころじゃすまないわよね。これ。
 ばれたら大それた事になるかなぁ。やっぱ」
 少しだけ軽い調子で口に出し、眉を寄せながらレムの方を向いて、止まる。
 視線が合った。青の視線と紫の視線が絡み合う。
 いつもは平たく、感情を探り出すことさえ困難な瞳の中に僅かな色。
「えとー。あの……れ、レム? レム君。レム先生」
 呼びかけに答えず少年は溜息を吐き出し、黙したまま肩に掛かった青の尻尾髪を手袋をはめた手の甲で弾く。
 しばし見つめ合い、少女の息が重苦しくなってきた頃、不意ににこりと笑った。
 ピシアが見たら卒倒しそうなほどの笑顔。だが、クルトとカミラ以外の全員が一歩引く。
 少年の感情を探る術を持たなくても分かる。目も口元も笑っていない。
(まずい。怒った。アレは怒ってる。まごうことなくちょっと怒ってる)
 心の中で絶叫するがもう遅い。
 青い瞳を薄く開き、身体を軽く前に押し出して少女に顔を近づけ、
「『大それた事になるかなぁ』じゃないよ! カ・ク・ジ・ツ・に大ごとでしょ!?
 どうして周りに言わないのそう言う大事な事を。早めに言ってないからこういうややこしい事態になったんじゃないの。その辺り分かってる!?」
 怒鳴った。レムは普段抑え気味の声しか出さないが、元々声が通る。それが一気に間近で炸裂したのだ。少女は耳鳴りのする耳を押さえ、
「ま、まままままぁレム落ち着いて。て、痛い痛い痛い痛い。
 こめかみぐりぐりは止めてえぇぇぇぇぇ。ほっぺたギュリギュリもイヤーーー」
 宥めようとするがこめかみに容赦なく両拳を当てられ、勢いよく頬ものばされ声は呻きとも懇願ともつかない悲鳴に変わった。
「これが落ち着いていられる? 下手すれば犯罪だよ。国家反逆罪だよ。
 いや、学園から無断で本持ち出してる時点で犯罪だけど。ねえ分かってるの?」
 加減はしていたが、やりようのない苛立ちを紛らわせるかのように弾力のある頬をぐ、と引っ張り、不意にぱっと放した。少女は痛みのために半泣きで赤くなった頬を抑え、
「だ、だっ……だって、その時魔術なんてみんな認めててくれて無くて」
「業を煮やした君は、素人と紙一重の魔術師見習いなのに、暴走や間違った詠唱で村が危険にさらされる事態も想定せずに結界を張った。
 それどころか忘れていたなんて無責任すぎて涙も出ないね」
 静かな言葉に混じった鋭さと。呆れたような、突き放すような目。赤みの引き始めた頬から手を外し、
「そっ、それはあたしが悪かったわ。
 悪いと思ってる……考え無しだって言われるのも仕方ないわ。
 でも、あたしは指をくわえてみておくなんて出来なかったのよ。
 たとえ危険があっても、最低な言い方かもしれないけど。
 あたしは安心したかったのよ。結界というモノを使って」
 少女は僅かに俯いた後、少年の瞳を見返す。紫水晶の瞳は揺るがず、静かな光をたたえている。少年の冷たさが僅かに和らぐ。
「手段があるなら、それに賭けてみたかったの」
 唇を微かに噛み、苦しげに眉を寄せる。クルトは自分の耳の奥で奥歯が軋む音を聞いた。
「あたしは、悪いとは思っているけど、後悔はしてない」
 キッパリとした声にレムは瞳を伏せ、
「わかった。その辺りは後で追求するとして、新しく封印を施すか何かしよう。
 このままだと君の結界だけじゃ持たなくなる」
 そう言って少女に視線を送った。付け加えるように『疲れたしね』と小さく零す。
 クルトはぱち、と瞳を瞬き、小さく笑うとカミラに向いて口を開く。
「分かったわ。先輩。宜しくお願いします」
「わかってる。後でちゃんと……対価(まりょく)は頂戴」
 返ってくるのは淡々とした声。漆黒の瞳は相変わらず何の色も含んではいない。
「わ、わかってマス」
 少女は錆付きかけたゼンマイ仕掛けのオルゴールのような声を上げ、ガクガクと頷く。
「ん? 対価って何だよ」
 妙にカクカクしい動きをする少女に訝しげな視線を向け、スレイは後ろ手で自分の頭を支え、軽く体重を後ろにかける。クルトは嘆くようにゆっくり頭を振り、
「聞かないで。悲しくも苦しいオトナの事情とか言う奴なのよ」
 拳をぐっと握りしめ苦渋の表情で呟いた。
 事情を知らない三人が首を傾けるが少女はハンカチを取り出し、目元を拭う仕草を見せるのみ。耳に入った言葉に青年は瞳に掛かった栗色の髪を指先でずらし、口を開く。
「誰がオト…」 
余計な事を言おうとしたチェリオの言葉は、ルフィの手によって間一髪防がれた。
 隣の静かなる攻防も気にせずに、呪術師の少女は手にした箒に目を落とし、
「箒ではいけるの、よ……ね」
 森の奥を見る。
「はい。こちら側からだとロープに触れなければ発動はしないはず」 
 クルトはコクリと頷いて木々を縫うように張り巡らされた縄を見つめた。
「じゃあオレらも」
「待った。ロープに触れると危ないわよ。後、ロープの前にも罠が張ってあるから気絶したくなかったら踏まない方が良いわ」
 意気揚々と足を踏み出したスレイの赤いマントを鷲掴み、言葉を吐き出す。
「えぇ!? って、入れねぇだろうがオイ」
 ひとしきり驚愕した後、びし、と掌で突っ込みを入れ半眼で少女と周りの人間を見る。
 ルフィは困ったように自分のローブの裾をいじりながら結界と地面を見比べ、
「僕は平気だよ」
 言いにくそうに口を動かし、伺うようにチェリオを振り返った。
「あぁ、俺も平気だ。軟弱だな」
 何のこともない。とでも言いたげに頷く。まるで通れて当然だとばかりに不思議そうな目でスレイを眺めて肩をすくめる。完全に異端扱いされ、少年の口元が引きつった。
「いや、ロープとその前あわせてどの位距離あると思ってるんだお前ら」
 びし、びし、と地面とロープを指さし、呻く。
 飛び跳ねた後の衝撃で罠が発動しないとも限らない。飛び跳ねて安全な距離を考えに入れると、魔術でも使わない限りどんなに脚力に自信があっても無理な距離だ。
 青年は腕組んで首を傾け、
「木を上手く使えば楽に移動できるだろう」
 そんなことも分からないのか、と視線で呆れる。あっさりと返ってくる非常識極まりない回答に流石にスレイのこめかみが引きつる。
 だん、と地面を靴底で叩き、
「普通木に登れる位ジャンプ出来るか!? オレにそんな超人的な事求めるなッ」
遠くに離れている木々の梢が揺れるほどの声量で喚く。彼の足下にある小石がカタカタとゆれ、転がった。
「……大声でモノ動かす時点でじゅーぶん超人的だと思うんだけど」
 呟きながら罠が発動しなかったことに安堵する。
「それはそれ。これはこれだ。取り敢えずオレは出来ない」
物を横に置く仕草を見せ、首を振る。少女はその様子を眺め、
「でも行くわよね。スレイ」
 断言すると、顔を上げた少年へ挑発的な笑みを投げる。
 スレイは少女の紫の瞳を見て詰まったように黙し、
「行くに決まってるだろ。一応オレ達がしでかしたんだから」
 気を取り直すように瞳を閉じた後、にやりと笑った。返ってきた答えにクルトは満足げに頷いてパン、と両手を合わせ、腕を広げる。
「んじゃ、あたしに掴まってて。面倒だからルフィとチェリオも掴まって良いわよ。
 ついでだから一緒に運ぶわ。待ってて、脚力を上げ―――」
 差し出した腕にスレイが掴まりかけたところで声が掛かる。
「何してるの。そんなところで固まって」
 ロープの前に佇んだレムが、集団になっているクルト達を向く。
「え? だから飛び越えようかと」
 微かに眉を寄せ、呆れたように腰に両手を当て、訝しげな視線を送ってくるレムに、少女も負けじと訝しげな視線を返す。
「何で」
「だって危ないじゃない」
 真顔で尋ねてくる相手に、クルトは『はぁ?』と漏らしかけた声を飲み込んで、小さく頬を膨らませる。その言葉に少年はしばし沈黙した後、
「さっき解いたところあるでしょ。結界。そこから行けばいいと思うけど。
 あの時ついでに地面の罠も解除しておいたから」
 自分の立っている場所の地面に視線を向けた。
「あ!?」
 そう言えば、ロープの前に立っているのに何も起きていない。
 結界の強度を確かめる時にレムが地面に何かをしていた気もしたが、忘れていた。
「あら、そういえば……そうね」
 どうやらカミラも気が付かなかったらしく、箒に横座りになったまま首を傾けた。
 クルトは千切れたロープをじっと眺め、
「何というか、あたしって、間抜け?」
「ついでにオレは間抜け二号か」
 おちゃらけてみるが、半眼のスレイにたたき落とされる。
『…………』
 朝霧のような冷たさを帯びる白い沈黙が流れた。
 気まずい沈黙にクルトは指先で頬を掻き、
「取り敢えずスレイ、先に行ってて」
 顎で森の奥を指し示す。
「お前はどうするんだよ」
「あたしはここの結界戻してから行くから。
 このままにしておくと万一見つかったら外に出られちゃうわ」
 少年の疑問に溜息混じりに返答を返し、肩をすくめる。
 目ざとい魔物がいればすぐにこの場から村へと抜け出てしまうだろう。それだけは避けなければならない。
「ふーん」
 スレイは分かったような分からないような返事をして、片手を上げ、ロープの奥にある森へと駆けた。後に続くようにルフィ、チェリオが入る。
 少女はそれを見届けると、地面に置いてあった箱を取り上げる。家から至急持ってきた執筆用具一式。と、簡易的に作り上げた魔力の籠もった特殊な墨。
 泥混じりの墨を筆で絡め、千切れた縄の側に貼り付けてある紙に魔術文字を描こうとし、止まる。
「何してるのレム」
結界の外に佇んだまま、少年が俯き気味に森の奥を見つめていた。
「気にしないで早く結界終わらせて」
 少女の声に顔を上げ、ぽつりと吐き出す。クルトは小さく頷き、
「あ、うん。千切れてるだけだから補修はそんなに掛からないと思うわ。
 再生の術さえ掛かれば勝手に修復していくから」
 紙のみならず、樹の幹にも丁寧に魔術文字を描いていく。
「その後は地面に罠を書き直せば終わりだし」
 いう間にも完成した文字達が僅かな光を発し、完成を待ち望むように震えた。
 指先を動かす事は止めないが、何かを気に掛けるように時折少女は森の奥をチラチラと盗み見る。その分だけ作業は少し遅れ気味になった。
「良いから集中してやりなよ」 
 掛かった言葉にはっとしたように顔を上げ、
「……分かった。お願いね」
静かに首を縦に振る。少年の瞳に、魔物の姿が映り込む。クルトはその気配にも構わず指先を滑らせ続ける。構えることすらせず、レムは瞳を閉じて息を吐いた。  
「気心の通じた幼なじみって、こういうとき便利だね」
 木々の折れ曲がる鈍い音。瞳を開くと、牙を剥いた魔物の胴体をルフィが押さえつけていた。手伝うようにスレイがその頭に体重をかける。
「なんか言った」
 完成間際になった魔術文字を描きながら少女が疑問の声を漏らす。
「別に、何でもない」
 結界の中に入り、逃れた魔物の一匹に弾を撃ち込む。
「ありがと。ね」
魔物の悲鳴と轟音に紛れ、地面に手を付けた少女の声が聞こえた。
 誰に対しての言葉なのかは、よく、分からなかった。





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