封印せしモノ-27





「ひ、ひでー。メチャクチャじゃねーかよ」
 辺りの惨状にスレイは顔をしかめ、絶句した。
 それはそうだろう。五年ほど前約束したきり、あまりここには来ていないはずだ。
 小さな頃に見た木々のざわめきが残る景色は、今や切り株と無理矢理切り倒された大きな樹が横たわるのみ。何時もの休憩場所だったのだろう。小鳥が折れた大木の破片の上で悲しげに泣いている。墓場のような空気の重さに、少年はそれ以上言葉を発することが出来なかった。
「確かに、これは酷い……わ」
カミラは辺りの様子を一瞥した後口の中で呟く。
「腹いせに伐採者を殴る気持ちも分からなくは――」
「違います先輩。エライ誤解を生むので止めて下さい」
頬に手を当て、見つめてくる呪術師の少女の言葉をクルトはブンブン首を振って否定する。
「違うのか」
 首を傾けて疑惑の眼差しを送ってくるチェリオの胸ぐらを掴み、
「何処聞いてたのよアンタは! 止めようとしたけど間に合わなかったって言ってるじゃ」
 喚こうとした言葉が後ろ掛かった声に中断させられる。
「違ったのか」
 先ほど真っ正面から説明したばかりのスレイが僅かに首を捻り、尋ねてきた。
「……スレイ。これ以上冗談抜かすとあたま首から引っこ抜くわよ」
「ま、まあまあ。落ち着いて。口調口調」
 本気でやりかねない形相で指を開閉している少女を宥めるように、ルフィが手を上下に動かす。正気に戻ったか、辺りを少し見回した後、
「こほん。で、先輩。どう、かな」
少女は小さく咳払いをしてカミラに向き直る。
「そうね、この魔術文字の入った結界を、学園の図書室で調べればすぐに分かるわ」
 カミラは魔力の僅かに残る幹を撫で、少女を見た。紫の瞳と風に揺れる髪は、葉の隙間をくぐり抜けた朱の光で陽を受けた水面のように輝いている。
「って、そんな。また学園に逆戻りしてたら陽が落ちちゃうじゃない!!」
 梢の間から漏れる朱を指し、肩を怒らせる。カミラは少女をぼんやりと眺め、
「ええ」
 黒髪をなびかせ、ゆっくり頷いた。
「え、ええ。って先輩。陽が落ちたら魔物の活動が活発に……」
 そこまで口に出して唇を噛む。よく考えると何もかもが急な話。呼び出されただけのカミラが、すぐに手を打てるとは限らない。詳しい説明をしていたのならともかく、結界の修復としか聞いていないはずだ。
「大丈夫。こんな事もあろうかと」
「え!? 目星付けて探してきてくれたとか」
 希望にすがるように少女はカミラに視線を向ける。
「でもさ、学園のそう言う本って大抵持ち出し禁止だろ」
 首を傾けるスレイの言葉にハッとなる。確かに昔の警備状況ならともかく、彼の弟が図書の管理をやり始めて図書室の管理が一層厳重になった。術に長けたカミラがそこから本を持ち出せるかどうか。
 いや、レムに手伝え、と伝言を受けただけでそんなリスクを負ってまで盗む理由もない。
「現物を見ていなかったから目星は付けていないわ」
「う。そ、そう、よね……そーですよね。目星が付けられるわけ無いわよね、うん」
 追い打ちをかけるようなカミラの台詞に、肩を大きく落とし、沈んだ様子で近くの切り株に腰掛ける。万策尽き、少女は奥歯を噛み締め、俯いて顔を両手の平で包んだ。
「もう、打つ手……無い。あたし、これ以上結界の作り方なんて、知らない」
 軋むほど歯を噛み締め、絞り出した言葉に空気が張りつめた。ルフィも声をかけられず、側で佇んでいる。カミラはそれを静かに見つめたまま。
「だから結界系統の本全部」
 茜色の天井を見上げ、吐息混じりに言葉を吐き出す。クルトは激しく頭を振り、
「そう、ですよね。だから結界系統の本全部……
 ええ。わかってたのよ、そう言う事になる可能性だって。でもどうしたら……結界系統の本全部持ってきたって図書室になんて今から―――」
 苛立ちをぶつけるように膝を拳で叩こうとして止まる。
「結界系統の本」
 呟いた言葉にカミラが頷いた。
「ぜんぶ」
 ルフィも呆然と空色の瞳を見開き、同じように唖然と佇むクルトへ目を向けた。肯定するように呪術師の少女は頭を前へ揺らす。
「って、オイ!?」
 最初に我に返ったのはスレイだった。驚愕の声を上げカミラに視線を向ける。
 響いた声で次々と意識が覚醒する。そしてカミラを除く全員が顔を見合わせ、
『結界系統全部!?』
 事前に打ち合わせでもしていたかのように、絶妙のタイミングで言葉を吐き出す。
 見事にハモった声にカミラが小さく拍手する。それを無視し、
「まるごと!?」
 食らいつくような勢いでクルトがカミラへ詰め寄った。言葉の代わりに、呪術師の少女はこくこくと二度ほど頷く。
 口の中で小さく呪を唱え、箒で軽く宙を撫でると何もない空から本が舞い落ちた。
 スレイが慌てて手を広げ受け止めようとするが、カミラが首を振り、右手を軽く動かすと地面すれすれで本の群れは停止し、ゆっくり地に着地する。
「すごっ。何考えてるんですか先輩」
 地面に積み上がった本の山を眺め、クルトは口を開いたままカミラを見た。
 その視線に呪術師の少女は悪びれる様子も見せず、「どう?」と首を傾けた。
 積み上がった本を幾つか手に持ち、背表紙を眺める。ルフィに会いに行くことが多いせいか、彼の記憶力に及ばない物の僅かだが題名は覚えている。
 一部だが見覚えがあった。確かに持ち出し禁止の、結界系列の本棚にしまわれていた本。
「うわ。本気で全部持ってきてるっぽいわね」
「うん。全部結界関係の本。一冊も抜けがない」
 ルフィが本を軽く眺め、少女の言葉に頷く。彼は図書室に置かれているほぼ全ての蔵書を記憶している。題名、表紙、色。歩く本の目録とも言えるこの少年がそう言っているのだから、間違いは無いと見て良いだろう。スレイは山となった本の群れを眺め、
「いや、そりゃ凄いけど。図書係の奴はナニをして……」
 ポリポリと頬を掻き、ぼやこうとした言葉を飲み込んだ。
 クルトも本を持ったまま硬直し、ルフィに視線を動かす。角張った動きでルフィもスレイの方を向き、三人そろって絶句する。
 ある事を思い出し、三人の血が音の立つ勢いで瞬時に引く。真っ青を通り越し蒼白になったスレイが震える指先で本を指さし、 
「や、やばい。どうするんだよ先輩こんなに持ってきて! い、今頃半狂乱になってるんじゃないのか。い、いや。こ、こんなことケリーにでもばれたらアイツ鬼神になるぞ!? つーか血ィ見るぞ。殺される! 血の雨が降る!!」
 歳の近い真面目な弟の名前を出した。彼の弟、ケリー・バスタードは勉強嫌いなスレイとは違い本をこよなく愛する少年だ。
 その愛情の込め方も尋常ではない。自ら図書の管理を買って出、更に図書室内で騒ごう物なら肉親にすら容赦なく魔術を使って追い出す。
 こんなにごっそり持って出たと知れば。スレイの言う通り、本の消えた理由に関わっていると知られるだけで殺されかねない、本が消えたことで暴走でもしてクルト達も一緒くたに吹き飛ばされる可能性もある。
 そのことを想像し、クルトは寒気の走る身体を宥めるように肩を抱く。
 青ざめた三人に呪術師の少女は目をやり、
「心配ないわ。手は、打ったから」
 薄い笑みを口元に浮かべ、感情の籠もらない声で告げた。


 薄暗い天井に魔術の明かりが揺れる。湿り気のある空間に靴音が反響する。
 ふと、奇妙な違和感に少年は足を止めた。
「あれ」
 延々と続くような錯覚に見舞われる本棚。学校にしては多い蔵書の数に目眩を覚える。
 振り向いた先にある一角が妙に気になった。目をこらすと、じわりと滲んで見えた気がした。
(あそこは、結界や防御関係の本が)
 眼鏡を外し、拭ってかけ直す。見た所変わった風にも見えないが、
「あの一角……何かおかしい、ような」
何となく嫌な予感を感じ、少年はその一角に足を向けた。
 窓が近いせいか漏れた光に照らされ、辺りがよく見えた。本にとっては余り良いとは思えないが調べるには有り難い。出していた明かりを消し、目的の本棚を見る。
 本棚の前に乱雑に置かれた本が一本の塔を作っていた。小刻みに揺れ、今にも崩れそうなほど危うい。空耳か、上の辺りから「よいしょ」とかけ声のような物まで聞こえる。
「こんな風に積んだ覚え、無いんですけど。おかしいですね」
(もう少し?)
 そう聞こえた気がして天井を仰ぐ。それに合わせるように本の塔が大きく揺れ、傾いた。
「うぁわぁぁああ!?」 
 勢いよく本が降り注ぎ、悲鳴が上から落ちてくる。
本のつぶてから頭をかばいながら悲鳴の主を捜す。草色の髪が見えたところで慌てて両手を広げ受け止める。数冊が身体に当たったが、何とか救出に成功し、
「な、なにして居るんですかマルク」
 肩で息をしながら少年は抱きかかえた弟を見た。くりくりした丸っこい瞳が愛らしい、十程の男の子だ。兄よりも薄い緑、草色の髪と瞳をしている。
 大きな瞳を申し訳なさそうに伏せ、
「え、えへへ。コレ取ろうとしたらおっこっちゃった」
 一番上にあったらしい本を両手で持って口を開いた。
「怪我はない、みたいですね。もう、気をつけて下さいよ」
 身体を確認し、大きく息をつくと少し怒ったように眉を寄せた。
「はぁい。ごめんなさい。あ、ケリー兄ちゃん、どうしたの?」
 マルクはしゅんと首をすくめ、兄の様子に不思議そうに首を傾けた。
「あぁ、いえ。ちょっとあの辺りの様子がおかしいなと思って」
 ケリーの台詞に少年は先ほどまで上っていた本棚を見、
「あそこ? ボクあそこから取ってきたけど……」
  手に持った本に目を落とす。頭に本の直撃は受けなかったようだが、降り積もった本の雪崩が膝に掛かり、動きにくいのかマルクは座り込んだまま。重なった本の隙間から腰に巻いた薄い青のマントが覗いている。 
「特に、別状は無さそうですね」
 小さな掌に握られた本をのぞき込み、首をかしげる。
「うん。ふつーの本だよ。だってあそこから取ってきただけだし」
「気のせい、かな」
 口の中で呟くケリーの目の前に、本が差し出された。
「気になるなら読んでみる? はい」
「ええ。ありがとうございます。
 『護身大全』護身用の術が載った本ですか。幻術、煙幕……そのほかに防御用の術が数点。
 別段変わったところはないみたいですね」
 小さく微笑んで受け取り、マルクの頭を軽く撫でた後、ページをめくって中を舐めるようにじっくりと調べていく。
「兄ちゃん。変わったところって、あそこの本棚から取ってきただけだよ」
 真剣な表情で不審な部分がないか調べるケリーに、散らばった本を片づけながら心配しすぎ、と片手を振る。特に異常が見つからず、唸るように息を吐き出し、
「ですよ、ね。まあ、あの棚には防御関係の術が載っているだけで攻撃魔術は無いですし。
 隔離系の術はありますけど人に危害を加えるには攻撃魔術の方が楽に出来ますから。
 考えすぎ、ですね。マルクの言う通り気のせいみたいです。
 じゃあ、僕は他の棚を見て回ります」
 埃にまみれた眼鏡を拭って自分の水色のローブを軽くはたき、弟を見た。
「うん。図書係頑張ってね。他にも見て回るから後でねー」
 マルクは散らばった本を元に戻しながら、兄に笑いかける。
「はい、マルクも気をつけて。高いところがあったら僕が取りますから」
 くす、と微笑み。またマルクの頭を撫で、別の場所を見回るためにケリーは奥へと進んでいった。
「はーい」
 元気いっぱい返答をし、靴音が消えた頃を見計らい、大きく息を吐き出す。不意に、ゴソゴソと懐に腕を突っ込み引き抜いた。
「ふう。コレでいいの、かな」
 小さな手には先ほどケリーに渡したモノと同じ品。
 『護身大全』と書かれた二冊の本を眺め、気の抜けた声を上げ、天井を見つめた。
 軽く力を込め、握るとなかの一冊は砕け散るように消えていった。
(良くできた幻術だけど、間近でケリー兄ちゃんが見たら気が付くからなぁ)
 懐に収めておいた袋にそれを放り込み、髪に付いた埃を取る。
「言われた通りしたけど良かったのかなぁ。
 ……一応あんなのとはいえ肉親だし、加勢位は良いよ、ね?」
口の中で呟いて本棚を見上げる。あれだけの勢いで本棚から落ちたのに、一冊の本も本棚から落ちていない。それどころか僅かなずれも見あたらなかった。
「でも、気が付かれなくて良かったぁ。
 わざと本棚上から飛び降りたのに本棚に腕ちょっと引っかけちゃった」
 声は潜めたままで安堵の息を漏らす。
「全く、ボクにもちょっと位相談してくれてもいいのにー。
 可愛い弟が信じられないなんて、スレイ兄ちゃんの薄情者ぉ」
ふて腐れた声を上げ、積み上げた本を睨む。この本達は本物なので少々重いがきちんと片づけなければならない。積み上げたときの苦労を思い出しげんなりとした溜息を吐き出し、
「とにかく、ボクなりに応援してるんだから頑張れ。兄ちゃんふぁいとー♪」
 軽く拳を握り、本人には聞こえないと分かっていたが小さく応援の言葉を漏らす。
「後、宜しくお願いしまーす」
小さな策略者は微かな声を上げ、悪戯っぽく片目を瞑った。





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