大地と水晶-6






 少女は何かをはかるように片手を掲げる。一見すると、背比べのようだ。
 掌に残っていたらしい小石を勢いよく真上に放り、耳を傾ける。音はしない。
「…………天井に制限はないのか。てことはもしかして」
 思案しかけて慌てて一歩引くと、落下した石が硬い音を立てて跳ね返った。
 たむ、たむ。足の爪先で数度地面を確認する。小さく頷いてゆっくりと膝に負荷をかける。
「おい。何する気だ」
 じわりとだが、足首に体重を集め始めた少女を見とがめ、青年が呻く。 
「ちょっと試し」
 クルトは至って軽い調子でそう告げると、軽く首を回して静かにしゃがみ込んだ。
 そして。
「っでえいっ!!」
 勢いを付けて上空へ向けて飛び上がった。校舎の屋根程によじ登ってようやく見えるような梢の群れが眼下を流れていく。
(天井に制限はなくしてある。つまりある程度までしか上に伸びる壁はない。その可能性も充分――)
 ふっ、と呼気と共に拳を繰り出す。ぱん、と軽い音がして掌が何かに弾かれた。
 赤い火花が散り、掌の周りの空気が一瞬青く染まる。次いでチリチリと肌の表面が微かに炙られたような刺激に慌てて腕を振り回した。
「あっつ」
(っ……だめだ。どれだけ伸ばしてんのよこの壁!! しかも何か熱いし)
 反射的に手の甲にと息を吹きかけ、僅かに潤んだ瞳で眺めてみるが、少し赤くなった程度で怪我はない。大した傷を受けるわけではないようだが、長時間触り続けたいとも思えない。
「馬鹿かお前。何してる。早く体勢をかえろ!」
 ピリリと痛みの残る指先を掴もうとした少女の鼓膜に遙か下界から怒声が突き刺さった。凄い剣幕、いや。声量だ。
(いきなり馬鹿って何――) 
 心の中で毒づきかけた言葉は喉の奥で固まって、心臓を跳ねさせた。今やっていることを冷静に考えてみて、
「うわあたし馬鹿!! ヤバイッ」
他でもない自分自身へ向かってクルトは絶叫する。身体を動かした弾みで紫の髪が広がった。
『風よ!!』
 少女の声と相手の台詞はほとんど同時だっただろうか。轟音にかき消され男の声は聞こえなかった。炎が空気を抉り、細かくなった火の欠片が宙を切り裂く。
 ほとんど反射的に唱えた術。だが、強風を吹き出す術は上手く彼女の身体を移動させてくれた。くるりくるりと回転し、軽く地に降り立ち、
「髪の毛があっつい」 
常温よりも暖まった頭を抑える。直撃は免れても熱風はどうにもならなかったらしい。
「頭が焦げなくて良かったな」
「うー。なによう果敢な冒険者に向かって」
「お前のはムボウと言うな。収穫はないんだろ。頭が熱くなった以外は」
「ぐ。聞かないで」
意地の悪い質問に唇をとがらせ、冷え始めた髪から手を放す。
「ほう。避けるとは思わなかったぞ」
「避けなきゃ死ぬから避けるわよ。
「あたし手出ししないから。この結界解かない?」
「仲間を呼ばれたら困るのでね」
「あーやっぱり」
 取り敢えず言ってみたが当然却下される。余程の馬鹿か自信家でないと頷かないであろう事も予測出来てはいたが、一応言うだけ言ってみた。
 少々乱れた紫の髪を掻き上げ、ちらりと相手の魔剣士に視線を向ける。
「やっぱり器の狭い男ってアレよね。こんな可愛い女の子を結界で閉じこめておかないと怖くて安心して戦えないなんて情けない」
「好きなように言えばいい」
 肩をすくめての挑発的な少女の台詞に相手は眉すら潜めなかった。
「…………」
 代わりにクルトの表情が僅かに引きつる。
 困った。非常に困る。相手は怒鳴りも見栄も見せない。
 正直言うと現在手詰まりだ。 
(うう。マズイ。困った。詠唱はどうにかなるとして、遠距離からならともかくこの距離じゃ大きな術は心中するつもりでもないと打てないし。一回使えば相手も警戒どころか殺すつもりで掛かってくるだろうし)
 チェリオが近くにいるのもあるが、術が放てない一番の原因はコレでもある。
 単発で威力の弱い術でも驚異なのだ。威力が高く広範囲の術が使えると知った相手が見逃してくれるか? 確率は低い。自分だったら見逃さず全身全霊を込めてとどめを刺しておく。念には念をと言ったところだ。
 相手の魔剣士とチェリオの距離は間合いギリギリ。真横にいるチェリオの方が僅かに前に出ている。
 魔剣士に間合いなんて無いのだろうが、確認のためにチラリと横目で眺める。
 チェリオの唇が微かに動いた。
 ――はな…れ…て……オケ?
つり上がった唇の形が笑みだと脳が理解を示すよりも先、爪先が地面を蹴る。
 脇を猫のようなしなやかな動きで何かが通り抜ける感覚。
 ふっ、と産毛を風が強く撫で、鈍い金属音が身体を震わせた。空気に砂塵が混じる。
 絡み合う銀の刃。相手の服が青年を掠め、刃が喉元を逸れて通る。
 空気が乾いていて、紫色の瞳が潤む。息が止まりそうな位胸が痛い。自分の白い襟元を知らず知らずのうちに握りしめ、奥歯を噛む。吐息が吐き出されるのにかなりの時間が掛かった気がした。 
 動きが速すぎて割り込めない。割り込めたとしてもどうにも出来ない。上げそうになった悲鳴や忠告を喉元で押さえ込み、変化を待つ。強く噛み締めすぎたのか、こめかみが痛む。
「くっ……」
 決着の付かない剣戟。息を整えるためなのか、剣を向け合い、お互いが僅かに引く。
 時間感覚が麻痺していて少女にも正確な時刻は分からないが、かなりの時間打ち合っていたのが青年の汗から分かる。一滴や二滴どころではない。流れ落ちた汗が幾つも筋を作り、滴り落ちて地面の色を変えている。授業中の模擬戦や、魔物相手でも全く汗すら流さないのに。
(あのチェリオが……けど。見てても平気、よね。きっと)
 心中で呟いて小さく頭を振る。何度心配してそれが杞憂に終わったか。また今回も心配するだけムダだろう。そう、気楽に構えていたときだった。
「腕が鈍ったか?」
 チェリオが自身に向かって舌打ちするのが見えた。一気に背筋が寒くなる。
 ワザとじゃなく、五分か、押されている。  
 ―――怖い。
 何かと問われれば首をかしげるしかないが、少女はただ背筋を抜ける感触が怖いと感じた。
 合図は風の音か梢の擦れる音か。また打ち合いが始まる。
 一合、二合。
 ――何とかしなくちゃ。
 何で。何とかしなくちゃ。
 心が急く。頭は理解していない。どうしてと自分に問い掛けても同じ言葉が続くだけ。
 前、何かこんな事。無かったっけ……
 延々と繰り返される警告に頭が痛む。記憶の片隅の何かが警鐘を鳴らしている。
 早く、助けなきゃ。
そう考えて、混乱し掛けた。助ける? あたしが? 
 あんな冗談抜きで強いチェリオを?
 助けるどころか今だって手すら出せないでいるのに? お笑いぐさも良いところだ。
 なのに。
 ――危ないよ?
 自分の中の自分が声を上げた。その声はまるで子供みたいで。
 なんでか幼なじみの彼が重なった。
 『ほら、危ないよ。僕も手伝うから危ないコトしたらダメだよ』
 暗くなりかけた視界が揺れる。空色の髪と同じ色の大きな瞳。小さな手を精一杯広げて少女の腕を掴み。女の子みたいな顔で微笑んだ。
「ルフィ?」
 ぼんやりと唇を開き、辺りを見るが、変わらぬ光景が広がるだけ。
 妄想か妄執か。白昼夢なのか。周りを見直して瞬時に意識が覚醒する。
 夢想に励んでいる場合ではない。剣戟の音は徐々に激しさを増し、間隔が短くなっていく。互いに息継ぎを忘れているのではないかと思うほどの刹那の攻防。
 生と死の狭間がそこにある。相手の魔剣士がこちらを見て、舌なめずりをした。血に飢えた獣の貌。
 恐れは無い。ただ、相手がこちらに殺意を向け始めたのが理解出来た。
 いきなりのことに戸惑ったのかチェリオの動きがぶれる。
 全ては一瞬で始まり刹那で終わる。 
数瞬で攻防を続ける剣士にとっては命取りになる。僅かな剣先の揺れ。
 魔剣士が刃を翻す。
 ずぐっ。
 形容しがたい音。砂を詰めた厚手の袋を貫通したような、そんな嫌な音が響いた。

 




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